老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1426;路傍の石

2020-02-29 21:09:09 | 阿呆者
路傍の石

路傍の石は
人間に踏まれ蹴られても
ジッと そこに在る。

路傍の石は
動くこともできず
地面と空を見つめている。

小石を掌にのせ
小石を握ってみた。

小石から
ぬくもりが伝わってきた。
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1425;酒心の詩

2020-02-29 13:59:53 | 阿呆者
上杉鷹山 米沢での生き方は感動した  酒「鷹山」は美酒だった

酒心の詩

20歳になったときに
仲間と飲んだ酒は
熱く夢を語り合った

嬉しいときに飲む酒は
盃でも酔ってしまい天国の気分

腹が立ったときに飲む酒は
一升瓶でも酔わず地獄界

悲しいときに飲む酒は
黙して語らず手酌酒

惜別(葬式)のときは
独りあなたを偲び 酒を飲む

自宅で飲んだほう安いと妻は言うが
外で何故か飲みたがる夫

男と飲む酒は
苦い人生の味がある

女と飲む酒は
心奪われ夢心地

クラブの女に囲まれるより
居酒屋でしみじみ飲んだ方がいい

「二級酒 女次第で 特級酒」と
脳梗塞になった寿司職人が詠んだ

酒は舌でなく心で味わうものさ

齢を嵩ねても未だに酒に呑まれる自分

43歳で亡くなった親父は酒を呑みご機嫌がよくなると
三波春夫の『チャンチキおけさ』を唄っていた



親父と酒を酌み交わしたかった

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1424;”三瓶”の情

2020-02-29 04:33:41 | 阿呆者
春になるとハルジオンが咲く

”三瓶”の情

花を活けてくれる
花瓶は
荒んだ人間の心を癒す

オシッコを容れてくれる
尿瓶は
病床で臥す人の泪も掬う

孤独な自分につきあってくれる
酒瓶は
いまは亡き父母と故郷を想う



「三瓶の情」は、拙者の勝手な造語である
花瓶 尿瓶 酒瓶
と3つの瓶がある

beagle元気と散歩しているときに
浮かんだ言葉であった
何の関連性もない3つの瓶をまとめ
「三瓶の情」としてみた

一輪挿しの花瓶に
道端で見つけた折かかっていた野花を挿してみた
老いてきて
動かぬ生物に何故か心惹かれてきた
私は貧乏草と疎まれているハルジオンが何故か好き

入院し
手術や大腿骨の骨折など
予期もせぬ寝たきり状態になり
トイレで用足しをすることもできず
尿瓶に排尿する

ベッドから降りることもできず
寝たきり老人になったとき
尿意が有るうちは
紙おむつではなく尿瓶でしたいものだ
動けぬ寂しさ辛さは一輪挿しの花と同じかもしれぬ

飲み方で酒は
薬にもなるし毒にもなる
酒は人間の心を酔わせてくれる
酒は美味いか不味いか苦いかは
そのときの心模様によって変わってくる
酒は孤独な気持ちを癒してはくれない

河島英五の『酒と泪と男と女』は味がある
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1423;鏡に映ったムンクの叫び

2020-02-28 16:37:34 | 阿呆者
叫び (The Scream) 1893年
カゼイン・パステル・

鏡に映ったムンクの叫び

見てはいけないものを見てしまった
鏡に映った顔を見て
本当にこれが自分の顏かと唖然とした

”ムンクの叫び””が頭の中を過ぎる
誤魔化すことなくありのままに映っている老けた顔

誰の顏でもない
それは自分の顏だった
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1422;にんげんの声が聴こえる

2020-02-28 04:47:26 | 老い楽の詩
にんげんの声が聴こえる 

生きていて、不図
自分は生きている価値があるだろうか。
このまま生きていても意味がない。

いまさら、歩いてきた路を引き返すこともできない。
寒い日は 左の膝関節は疼き歩くこともままならぬ。

それから拾年が経ち
独り身となった私。

老い往き病を患い
床に臥す日が続き
尿便で滲みついたおむつ。
自分で取りかえることもできず
為すがままに他人に身を委ねるだけ。

こんな辛い思いをしてまで
にんげん生き恥を晒しながら
生きなければならないのか。

生きていく意味もなく
この先 生きたところでしょうがない。
死ぬしかない、と思うこともあるが
死ぬ「勇気」もなく
死ぬこともできず悶々としている。

南窓の居間なのに
陽は差し込まず
老臭と尿臭が混じった酸っぱい臭いが漂う。

毎日ヘルパーが朝夕60分ほど
食事つくりとおむつを取り換えに訪れる。
そのときだけ部屋のなかは明るくなりにんげんの声が聴こえる。


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1421; 青  空

2020-02-28 01:01:01 | 阿呆者
自然の鏡も正直に映す

青  空

今日の空は
青空(あおぞら)

鏡に映った私の顏は
阿呆空(あほうぞら)

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1420; 老人と海

2020-02-27 12:50:34 | 老い楽の詩
老人と海

爺様は
一昼夜
海で釣りをした。

隣りにいた婆様は
つれない表情で
「一匹も釣れなかったのね」
「釣ったのはわたしだけ・・・」
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1419;「寂しい」、と泣く

2020-02-27 04:34:58 | 犬と人間
ひとり寝は寂しいものです

「寂しい」、と泣く

ある日の夜のこと
妻は用事があり実家へ帰った

6歳のbeagle元気と二人で留守番
私は 南向きのベッドのある部屋に寝た
beagle元気は隣りの廊下で寝た

寝てから1時間経過したところで
beagle元気は、何度も寂しそうに泣きつづける

これは一緒の部屋に寝たいのだな、と思い

抱きあげ寝室に連れてきたら
おとなしくなり いびきをかき寝ていた

寂しがり屋のbeagle元気
人間はもっと寂しがり屋
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1418;猫と犬の話

2020-02-26 12:57:18 | 犬と人間
猫と犬の話

人間様は
忙しいとき「猫の手も借りたい」というけど
忙しいとき「犬も手を貸してあげるよ」

よくお店の棚に手招き猫を飾っているけど
手招き犬はないのかな

猫は犬に追いかけられ木に登る
木に登れない犬は下で吠えるだけ

猫可愛がりとよく言われるが
犬可愛がりの言葉は聞かれない

猫は暑さに強く寒さに弱く炬燵で丸くなる
犬は暑さに弱く寒さに強く雪のなかを走り回る

猫は怖い物を見ると尻尾を逆毛に立つ
犬は怖い物を見ると尻尾を垂れ下がる

人間様を信じ切った犬猫は
仰向けになり足を拡げ腹を出す仕草は可愛い

人間様にお願い
気分次第で犬猫を簡単に捨てないで
猫と犬は、生ゴミじゃない
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1417;ドクター怒りだす!

2020-02-26 04:45:00 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
ドクター怒りだす!

ブログ1408「1年以上も受診していない・・・・」で
登場した芳治爺さん
昨日妻に付き添われ、地元の総合病院第2内科(糖尿病)を
1年ぶりに受診した。

要介護認定更新に伴う主治医意見書の記載のお願いと
本人の生活状態を主治医に伝えるため
自分も(ケアマネジャーの立場から)同席した。
予約なしの診察だったので3時間余り待たされた。

自宅で使用していていたインスリン製剤、
冷蔵庫で保管していたというものの
なんと、それは10年前のインスリン製剤であった
その話を妻から聞いて、吃驚仰天はしなかったけれども
食べ物とは違い「腐らないのか、どうなのか」わからないが
医師も無言であった。

そこまでは良かったのだが、
芳治爺さんは、主治医に言わなくてもいいことを言ってしまった。
「待ち時間が長く、随分待たされた、疲れた~」
それを一度ならず繰り返し、彼は医師に話したものだから
主治医は怒りだし、ヤクザ口調の強い言葉で切り返した。

「1年余りも診察に来ないで、ほったらかしで、予約なしの診察は
予約された後に行うから、12時過ぎまで待つのは仕方がない、
来なかったあなたが悪いのだ」

短気な医師なのかな、と思いつつ、でも医師の話の内容は間違ってはいない。
以前その病院に勤務していたことがあったwifeに聞いたら
「筋道が通っていればいい先生だよ、短気なところはあるかもしれないけど・・・」

今度は通院等乗降介助のサービスが入るので
受診したかどうかの把握はしやすい
あとはインスリン注射をしたかどうか
本人は物忘れもあり
老いた妻に聞かなければならないのだが
都合が悪くなると「嘘」を話すこともあり、
「嘘か」「真実か」、全体の話の流れからつかんでいくしかない

3時間待ちの受診は、疲れた
人間観察をしながら、それとも自分が他者に観察されながら、硬い椅子に座っていた。
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1416;99歳の婆さん 週末退院する❣

2020-02-25 15:58:09 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳の婆さん 週末退院する

今日、長男夫婦、担当医師、病棟看護師長、医療相談員(MSW)、ケアマネジャー(自分)が
ナーステーション打ち合わせ室に集まり
99歳の婆さんが退院した後の生活をどうするか
話し合いをもった。

左の肺炎は治癒し、炎症もない。
杖歩行が心もとなくなり、人間の手を借りなければならない。
家具調ベッドでは起き上がり、立ち上がりは容易ではなく
介助する長男嫁は両膝痛があり腰を曲げるのも大変。

介護用ベッドを利用された方が
起き上がり、立ち上がりの動作も楽にできる
そう長男に説明を行い
介護用ベッド(介護保険では「特殊寝台」と呼ぶ)を借りることにした。
今週の金曜日介護ベッドを設置し、土曜日の午前に退院となった。

病室に寄り 登喜子婆さんの肩に手をかけ
「退院が決まったよ」と話す。

38.6度の高熱、呼吸苦、意識障害の症状ありで、救急搬送による再入院
今度は「生きて家に帰ることは無理かな」と、内心そう思った自分。
そう思いながら昨日は病室を訪れたら、吃驚!
予想に反し、彼女は笑顔で迎えてくれた。

それにしても登喜子婆さんの生命力は凄い。
幾度も峠の路を踏破し、生き抜いてきた彼女。
転倒だけはしないよう気をつけていきたい・・・・。

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1415;時  間

2020-02-25 05:02:50 | 阿呆者
時  間

詩人、作家 高見順さんは
詩集『死の淵より』 「過去の空間」のなかで

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残りすくない大事な時間が


余命を宣告された人にとり
時間がざらざらとこぼれ落ちてゆく情景が浮かぶ

自分はを
老いに入り「残りすくない大事な時間」と思いながらも
徒に無駄な時間を消費している

人間の意識(存在)とは関係なく、時間は無限に存在するけれど
死により時間は止まる。

鴨長明さんの有名な『方丈記』のなかに
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。


人間の生死も水の泡に似て消えゆくもの
方丈記の書き出しは有名で、誰もが口ずさむ
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。


時間は川の流れに似ていて
時間の流れは絶えることがないけれど、
過ぎ去った時間は元に戻ることはできない。
時間は泡沫であり、消えゆく。
有ると思うな親と金、そして時間をつけ加えたい。

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1414;99歳のお婆さん 再入院!

2020-02-24 20:19:52 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳のお婆さん 再入院!

2月15日退院した登喜子婆さん 👉 ブログ1400

「家はいいな~」と言いながら
デイサービスは2回利用されるも
表情は苦しく、2月20日の朝 熱発となり
長男は救急車を呼び 地元の総合病院に搬送された。
今度は左肺の肺炎が診断され、再入院となった。

酸素療法となり退院は難しいのかな、と思いながら
今日仕事を終えてから、19時過ぎに病室を訪れた。
予想に反して、本人は元気で、笑顔を見せてくれた。
男性看護師がちょうど病室に居たので、2,3尋ねた。

食事は全粥なのであろうか、自分で食事は摂っているとのこと。
生きるには、まずは食べれているかが、一番気になる。
明日、レントゲンなど検査を予定しているとのこと。

明日は、1年以上も受診していなかった爺様の通院付き添いがある。
その診察を終えてから、登喜子婆さんの病室を再訪してみよう、と思っている。

今年に入り亡くなった人が続いていただけに
登喜子婆さんは、再び退院ができ「家に帰って欲しい」、と願っている。
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1413;生かされて

2020-02-24 04:00:02 | 阿呆者
春よ来い 昨年の桜と愛車キャンバス 2年で走行距離53,000㎞

生かされて

ブログ1412のコメントのなかで、
96歳の老女は「ああ、今日も一日生かさしてもろた」、と
自分は(人間は)、生かされていることに、
感謝の気持ちを抱き、一日を終える。

生かされている
自分のことを考えたとき
心底そう思う。
11年前、人工透析をしていた自分。
妹から腎臓を提供してもらい
医師を始め医療スタッフのお陰で
いまは、透析せずに生きている、というよりは
「生かさしてもろた」と感謝の気持ちを忘れずにいること
96歳の老女から改めて悟らせられた。

免疫力ゼロや副作用により多疾患の躰にあるけれども
こうして「生かされている」ことに感謝し
いま、自分が「している」ことに想いを注ぐ。

しかし、人間の運命はわからず
一寸先は闇ともいわれ、不慮の事故に遭遇するかもしれない。
そのときのことを考え
運転免許証と健康保険被保険者証の裏側に
脳死、心停止のいずれでも移植のために臓器を提供することを表明している。

眼球はしないほうがいいのでは、と言われたが
死んだら何も見えない
もしあの世で眼球提供したことで目が見えないならば
あの世で盲導犬をお願いすればよい。
そう思い眼球にも〇印をつけた。
自分が腎臓移植をうけたことへの「恩返し」哉。

いまの自分は、両足の筋力が衰え階段を昇るとき
杖を使うことで、足も心臓も助けられている。
一度人生に躓いたので、
老いの人生は躓かぬよう杖を頼りに
生かされ、生きていくとしよう。


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1412;人はなぜ生きるのだろうか? 死なないからだ

2020-02-23 10:06:14 | 読む 聞く 見る

人はなぜ生きるのだろうか?死なないからだ

フィクション小説であるけれど
90歳を超えた老人の気持ちが書かれてあり
興味深かった。

目が覚めた。
「自分は今日もまた生きている」ということに、
気がついたんだということに気づく
(9頁)

90歳、しかも95歳を超えて生きるのは、
生きているだけで疲れる年頃なんだ。(131~132頁)
95歳を超えてもなかには元気な老人はいるが、
疲れる老人がいることも理解しなければならない。
自分はいま67歳、30年後まで生きていたとしたら97歳になる。
橋本老人は98歳になっても 原稿に向かい小説を書いている、凄いことだ。

人間とは厄介なものだ。ただ生きているだけだと人間じゃなくなる(23頁)

橋本老人は、くれぐれも口を開けたまま死なないようにしよう。(31頁)
でも、死んでしまったら自分がどんな顔をしているのか、わからない。

うどんを焦がした。火を止めるのを忘れた橋本老人は呟く
あーあ、これでまだ生きるのかよ、やんなっちゃうな。
うどんとおんなじだ。焦げて、汁がなくなってる。
これを、捨てるかどうか、悩むところではありますな
。(130頁)
90歳過ぎたら惚けたってかまわない、そんな気がしてならない。

自分は多病息災の躰ではあるが、85歳までは生きたい、と願ってはいるが
死の訪れは神のみぞ知る。

人はなぜ生きるのだろうか?
死なないからだ。
老いの生命は、死の順番待ちなのだ。
だから、退屈してしまう
。(171頁)

橋本老人は、この先、私にどんなおもしろいことがあるのだろうか、と呟く。
別に、おもしろいことなんかないし、望んでもいない。
長く生きると、飽きる。

退屈しないように生きる、死を待つにはどうしたらよいか・・・。

95歳を超えた老人の心情を知る、ひとつの書であった。
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