老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

復刊 銀の輝き 第53号

2024-02-25 16:59:26 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2040 老いのねがい


        在宅訪問を終えた帰り路 関の里池に白鳥と遭遇 白鳥が寄ってきた

復刊  銀 の 輝 き  第53号  2024年3月1日
 
老人のねがい 

よく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。
それは老人のねがいにも聞こえます。

「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。
それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。

いまや人生百歳の時代になり、
脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。
 
老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。
「いまなにを考えておられるのか」
「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」
「なにを悩んでいるのか」
「なにを欲しているのか」
「なにに戸惑っているのか」等々。

そうした老人の思いに対して、「なにができるのか」。「
忙しい。時間がない」と口にしがちだが、
時間がないのは私ではなく、老人たちなのです。

要介護老人が住む家々を足繫く訪れていきたいと思っています。
            
「死」をどこで
誰に見守れながら
「死」を迎えるか
人生の最後における大きな問題である。
誰もが家族(ひと)の温もりを欲している。
どういう死に方を望んでいるか。
それは どういう老い方をしていきたいか・・・・。



            阿武隈川の辺に苔草と無造作に置かれた石 ジッと春を待つ



ドアとドアを結ぶどこでもドア  創刊号

2024-02-24 15:56:22 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2039 銀の輝き


           2024.2.24 am7:18 阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き

『ドアとドアを結ぶどこでもドア』 創刊号 2024年3月1日

いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで
移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。


福祉タクシーをご利用できる人

総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などにより
お一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。

利用目的の制限はありません。

病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。

福祉タクシー利用者運賃 ぐっとへるぷ 東北運輸局認可
乗車時間        運賃
乗出し~10分未満 1,030円
10分~20分未満   2,060円
20分~30分未満   3,090円
それ以降10分毎に   1,030円

車いす使用者     1回につき500円
病院内・クリニック内付添い30分毎に600円
保険外身体介護 30分毎に1000円
透析治療者の通院送迎 行います(介護保険・介護保険外)

透析治療は、週に3日(月13日)、通院送迎往復26回になります。
週3日の透析治療は疲労感があり、歩きも不安定になり転倒の心配があります。
“当訪問介護事業所は、「透析通院交通費補助金」申請の代行を無料で行っています。
お気軽にご相談ください。                                

「人工透析」を受けたスタッフがいます。透析後治療者の体調管理(シャント、止血、浮腫、歩行等)の把握を行ってます。

上記は、運営している当訪問介護事業所の機関紙です。





疲れると頭は働かなくなる

2024-02-23 11:16:56 | 老いの光影

白河の関を越えた地にも春が訪れる 縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る

2038 生きるとは


ここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。
老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。
「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、
気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。

その日は眼鏡をかけることも忘れていた。
眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。
在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。
反省をしてしまった。

疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり
夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。
 何のために此の世に生まれ、生きているのか・・・・。
 何で自分は生きているのか・・・・。
 もう、生きることに疲れた・・・・。
 死ぬことより生きることの方が難しく、厄介。
 
 自分ひとりならば野垂れ死にしようと放浪しようとかまわない。
 背負っているものがあるとそれを棄てる訳にはいかない。
 疲れてももう一度奮い立ち、生きるしかない。

牛タン

2024-02-18 18:54:32 | 阿呆者
2037 仙台泉プレミアムアウトレット



今日は気分転換を兼ね 
昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。

その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」
wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入
他に衣類3点(その内1点は自分のもの)

wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。
スマホが鳴った。
画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。

「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人は
ベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。
急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。
救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。

要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし
地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けることになった。
手すり、車いすの福祉用具貸与、ヘルパーの手配を早急に求められた。

身よりは誰もいない。

狸山(むじなやま)に棲むという。

これからどんなかかわりあいになっていくか・・・・。


その人は生きている

2024-02-17 20:26:59 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2036 情け(思いやり



出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど
住み慣れた家で 最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人
「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。

「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。
国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると
介護に使える額は1万円がやっとだ、と話を聴かされたとき、その言葉が重くのしかかった。

さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され
潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。

さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。

先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。
テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。
お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。

そのような状況のなかで、婆さんの夕食を作る。
W居宅介護支援事業所のケアマネは「味見はしなくていいから、(食事を)作ってもらえればそれでいい」と話す。

ヘルパーにしてみれば、鼠糞だらけのなか味見をするのは「勇気」がいる。
できれば味見はしたくない、と本音を漏らす。

でも、「まったく味見をしないで食事を出すのは、その人に対し失礼である」
「自分(ヘルパー)が調理したものを味見しなければ、責任を持った仕事ができない」

「味見はしたくない」、と言っても味見はしなきゃならない。
どうするか、作る前にまな板、包丁、鍋、お椀、箸など
調理に使う物はすべて消毒液で洗い流し「清潔「にした物を使う。

その鍋やお玉、皿を使って味見をしている。

ただ、調理して出せばいい
生活援助すれば、それでケアプランが実施されているから問題はない。

ケアマネは担当者会議で話された(その会議のとき、自分は訪問介護事業所の代表の立場で出席)
その人(婆さん)が最後まで自立した生活ができる、その人らしい生活を支援していきたい。


「情」という言葉が頭のなかで思い巡らす・・・・・。
心の動きのなかで、「同情」「薄情」「非情」であってはならない。

「情」という言葉(漢字)は、”思いやり” という深い意味が込められている。
「情」は、「心情」「表情」として表出されるものであり、旅先では「旅情」「風情(ふぜい)」「詩情」
といったように感じられるおもむき(情趣)がある。

食事づくりであれ、掃除であれ、洗濯であれ、「ただやればいい」というものではない。
暮らしには「おもむき」がある。
その人が生きてきた「心情」がある。

ひとりの老人が80年、90年・・・・と長い時間(人生)を生きてきた。
そしていまも生きておられる。
長い人生のなかで、喜び、悲しみ、怒り、驚きなど、さまざまな感情が絡み合いながら、その人の心情を紡いできた。
心情は、他者に直接見えるものではないからこそ

支援に従事される人たちは、その人の想い(心情)に思い巡らすことが大切。
それは相互に人間関係のなかで培われてくるものだと思う。

たかが調理、されど調理なのである。




自分の足を喰いながら生きる

2024-02-16 12:43:23 | 阿呆者
2035 あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい



自分の足を食べる蛸、と言われるが
本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに
自分の足をちぎって食べたりする。

他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、
自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。

「やってみよう」、と始めた介護事業だったが
小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。
赤字から黒字に転換するのは容易ではない。

ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが
赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・

「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。
あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。

wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。頑張るしかないんだよ」。

小さな屋根の下で 3食、食べられれば、人間幸せ。多くのものを欲しないで生きる。




突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う

2024-02-14 21:21:16 | 老いびとの聲
2034 明けない夜はない


               朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます

介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。
春の陽気です。
白河の関を越えると福島県。

透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。
蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。

雪水は蕗の薹にとり栄養となり
地上に現われた蕗の薹を見ると 春の訪れを感じさせる。

でも東北の地は
3月に入っても雪が降ることがある。
過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。

透析は1日おきに行うため
透析患者は、せわしく感じてしまい
できたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。

「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?
「患」の漢字から「串刺し」を連想する。



魚を串で刺し通す。
痛々しく感じてしまう。



「串」+「心」
2つのものを縦に貫く「象形」+「心」は心臓も象形から
”心を突き刺す
突き刺された心は、痛み(傷み)を伴い
憂えるを意味し
「患」は(病気を)患う(わずらう)
長患う。


上記の漢字の意味から考えると串で突き刺されたとき、躰(体)や心の痛み(傷み)は
計り知れない憂いや「わずらい」があり、絶望感に際悩まれてしまう。

その計り知れない痛み(傷み)に対し
看護師や介護職員はどう思いやり、ケアにかかわっていくのか

他者の痛み(傷み)を自分の痛み(傷み)として感じ取っていく。

言葉が話せない盲導犬を刃物で傷つけてしまう輩がいる
盲導犬は吠えてはいけない、と躾され
目の見えないご主人様に不安を与えてはいけない、と
その痛みをジッと耐えている。

他者の痛み(傷み)がわからないから(わかろうともしない)
平気で無抵抗の生き物や人を虐めてしまう。

透析患者の思い悩むその気持ちを推し量ることも大事であり
透析治療を終えた後の躰の状態は他者にはわからない疲れがあり
酷いときには「歩く」こともやっとで、ふらつき転びそうになることもある。




普通の注射針より太くて長い針を刺す(穿刺)
透析後、血が止まりにくいので血が出ないように圧迫(指で押さえる)します。

自宅に帰るときの送迎車に乗ったとき
「止血は大丈夫ですか」、と声をかけ出血していないか確認をする。

他にも気をつけなければならないこともあります(低血圧症状になることもあります)。
患者のことや病気を理解していくことも大切になってくる。








今日はブログ お休み

2024-02-13 21:27:02 | 阿呆者
2033 今日は18℃の気温で「春気分」



wifeの病院送迎の帰り
いつもと違う場所から那須連山を撮りました
東北自動車道も見えます

明日7時15分から透析治療者の送迎があるため
もう寝床に入ります

そのため今日はブログお休みます。

また、明日・・・・・

病床六尺、これが我世界である

2024-02-12 19:46:05 | 文学からみた介護
2032 『病牀六尺』と介護の在り方



正岡子規『病牀六尺』岩波文庫

●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、
書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)
で始まる文章はいまも印象に残っている。

彼は23歳のとき、結核により喀血した。
子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。
結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。

●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。
「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。
病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、
看護の如何が病人の苦楽に大関係を及ぼすのである。
殊(こと)にただ物淋しく心細きやうの時には、傍の者が上手に看護してくれさへすれば、
即ち病人の気を迎へて巧みに慰めてくれさへすれば、病苦などは殆ど忘れてしまふのである」
(107㌻)。

更に六十九においては
「病気の介抱に精神的と形式的との二様がある。
精神的の介抱といふのは看護人が同情を持って病人を介抱する事である。
形式的の介抱といふのは病人をうまく取扱ふ事で、例へば薬を飲ませるとか、
繃帯(ほうたい)を取替へるとか、背をさするとか、足を按摩(あんま)するとか、
着物や蒲団の工合を善く直してやるとか、そのほか浣腸沐浴は言ふまでもなく、
終始病人の身体の心持よきやうに傍から注意してやる事である。

・・・・・・この二様の介抱の仕方が同時に得られるならば言分はないが、
もしいづれか一つを択ぶといふ事ならばむしろ精神的同情のある方を必要とする。

うまい飯を喰ふ事は勿論必要であるけれども、
その介抱人に同情がなかった時には甚だ不愉快に感ずる場合が多いのであらう。
介抱人に同情さへあれば少々物のやり方が悪くても腹の立つものでない」
(113㌻)。

「形式的看護と言ふてもやはり病人の心持を推し量っての上で、
これを慰めるやうな手段を取らねばならぬのであるから、
病床六尺、これが我世界である。」
(114㌻)。

●かなり引用が長くなってしまったが、子規は介護(介抱)の在り方を提起し、
その内容は現代の介護においても大切なことを示唆してくれている。

精神的介護は、看護人(介護者)が病人に対し「思いやり」や「想い」を持って接していくことが必要であると同時に、
形式的介護では、病人の苦痛や苦しみ、性格などを推し量り、如何に心配り[気配り]を行う事である。

病人の苦痛や苦しみ、性格などを推し量り、如何に心配り介護を行っていくか。
「思いやり」を持つという意味は、自分と対峙しているひとりの要介護老人に対し
自分はその人はいま何を欲しているのか(いま必要とされるケアは何か)、その「想い」を持ちながら介護にかかわっていく。
それが「心配り(気配り)」なのである。

介護者自身、自分の介護に満足するのではなく、相手が「満足」されたかどうか、そのことが介護の基本であり、
介護員もホテルマンと同じくサービス業に位置付けられる。

勿論常に介護技術を磨き、終始病人に苦痛を与えず、身体の心持よきように安楽、安全な介護を提供する事も大切であると、
子規は、明治35年に「病床六尺の世界」から訴えていたのである。

梅の香りは、ストレス解消に効く

2024-02-11 19:35:33 | 老いびとの聲
2031 しもつかれ



咲き頃の梅の花を花瓶に生けて 浴室に置くことによって香りがこもる
梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと

“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で 
新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの

味付けは醤油・砂糖など 家によって独特の味がある
見た目は 酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)

7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている 
栃木県では学校給食にも出るが 子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか

余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする
(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)
なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるので いやな匂いがなく舌触りもいい

赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(wife)

朝起き 雨戸を開けると 雪景色
降っても降っても まだ降りやまぬ 
犬は喜び庭かけまわり 人間は火燵(こたつ)で丸くなる 

「銀の紬」

2024-02-11 05:13:14 | 老いびとの聲
2030 老人はいぶし銀のような存在


            素敵な木造家 茨城県筑西市(旧下館市)

介護に関わってから
老人の代名詞として
「銀」という文字が気になりだした

銀は金とは違い
地味で華やかさはないが
長年の経験につちかわれた渋みを感じさせる

それを人はいぶし銀の輝きと呼び
くすんだ灰色の銀ではあるが
味わいのある灰色となる

老人はいぶし銀のような存在であり
それぞれに人生の労苦や歓喜が
顔や手指に皺が刻まれ
無二の存在であり輝きを放す

「銀の紬」は老人の持っている
人生のアートや可能性を引き出し
最後の糸を紡(紬)ぎ編む

そんな想いを抱きながら
自分の老いとも重ねあわせ
銀の糸を紡ぐ


芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)

2024-02-09 19:21:42 | 老いびとの聲
2029 薬剤師に聞いてみよう、気軽に
脚(足)がつるときに効く漢方薬68

「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」 
言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。
言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。
「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。


本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。

今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。
自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。
杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。
婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。

椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。

60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。
通院等乗降介助のときは診察室まで同行し、医師の説明を聞く。
(認知症老人の場合は、自宅での様子や体調について、本人に代わり医師に伝える)。
腰に4ヵ所の注射、両膝にヒアルロン酸注射をする。
今日は両膝にした注射針が痛かったようであった。

会計が済みクリニックの隣にある薬局に立ち寄る。
男性の薬剤師が内服薬、湿布薬を本人のところまで持ってきてくれる。
「寝ているとき脚がつってしまい、痛い。寝るときに”漢方薬68”を飲んでいるのだが・・・・」
「漢方薬68 ”芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)”の効果は3時間で切れてしまう」
「脚がつったときに漢方薬68を飲んだ方がいいですよ。寝るときに枕元に水と漢方薬68を置いておくといいかな」

躰(体)の調子や薬のことで何でもよいから聞きたいと思ったことは薬剤師に尋ねることが大切です。
診察室で医師に薬のことを聞くのはチョッと気が引けたり、また待っている他の患者のことを気にします。

薬剤師に尋ねて丁寧にわかりやすく説明してくれる薬剤師を持つとよいですね。
ただ薬手帳に薬のシールを貼り渡すだけでは、もったいない。
薬の効果と副作用を知ること、そう言ってもたくさんある薬のなかで、副作用を覚えることは大変。

医師から言われたこと、体調のことなど
薬剤師に話すことで、体、病気と薬の関係について話してくれます。

婆ちゃんは、「漢方薬は飲みにくいのを我慢して飲むから、効かないのでは困っちゃう」、
と車中 笑いながら話しかけてきた。

こうして「脚をつってしまう」、と話ができる婆ちゃんはいいですよね。


本ブログ 「2003 (誕生日を迎えると)今年91歳になる。長生きしたな・・・・」参照。


星を見上げ元気をいただく

2024-02-09 05:12:05 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2028 「おまけ」「付録」


   グリコのキャラメルに付いて「おまけ」 
   楽しみだった


誰でも買い物をしたとき “これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる

一粒口に入れると300メートルが早く走れる というグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた
現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが 
昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった

若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている
本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとか

ちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが 
子ども心に まだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と
本当にそうだったら素敵な話である
死んだら星となって輝き 天から大切な人を見守り続けることができたらどんなによいか

「星の王子様」は 大切なものを失ってはじめてわかる
あなたにとって“いちばん大切なものはなんですか

自分という人間が死んだら
棺に収められるに違いない
棺はダンボール製がいいな

そのときは納棺師をお願いし 人生の最期を取繕い 美しく逝きたいものだ
ある老人が陶芸の窯で骨を焼いたら何色になるのかな という言葉を聴いたとき
ドッキとしたことをいまでも覚えている

火葬場で焼いた骨は 白い煙となって 青空に向かって消えて逝く
大切な故人は この世にはもういないその寂しさは 心では推し量ることのできない無量の世界にある
だから大切な人は星となって光り輝きながら 家族や大切な人を見守ってくれている

夜空に輝く星の天空の向こう側は 遥かなる宇宙であり それは限りなく無辺の世界にある
宇宙には無数無名の星が無量ほどあり 
そのなかにある”地球“という惑星(ほし)のなかに70億の人間が棲んでいるわたしという人間はひとりしかいない

宇宙からみたら ・ (点)のような存在ではあるが 星のように光り輝く存在で在る(有る)ことを
自信をなくしたときや悲しいときは 星を見上げ元気をいただく

話は180度回転し 急に”蝉“のことを想い出してしまった
蝉の地上生活はたったの7日間しかない(実際は30日は生きる)
それ故蝉の生活は儚い と云われるが・・・
真夏にミンミンと鳴く蝉の響く声は 我が此処に生きていると

宇宙からみたら人間の生命の時間は本当に儚いひと握りの”砂の星“かもしないが
人間の内なる世界も宇宙のように無量無辺であり 内なる可能性を秘めている
老人に在っても同じであり 
人間最期の瞬間まで生命の光(あかり)が灯って(ともって)いることを


一杯の味噌汁

2024-02-07 20:59:58 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2027 乗り遅れそうな乗客を待つバスの運転手



味噌汁は“おふくろの味”ともいわれ、家庭によって味が違う。
三木春治さんにとって家庭の味といえば妻志乃さん(77歳)がつくる“味噌汁”であり、元気の源でもあった。

しかし、桜の花弁が散る4月の或る日の朝の出来事。
春治さんは、今日の朝 起きてみると腹が脹れ(はれ)あまり朝食を食べたいとは思わなかった。
けれども、妻が想いをこめて作ってくれた豆腐入りの味噌汁を味わった。
ご飯は茶碗半分余り残し箸を置いた。

どうもお腹の脹れと胸のあたりが急にむかつきはじめ苦しくなり、食卓にうつ伏せ状態になり倒れた。
救急車で病院に搬送されるも 力尽き永眠された(ご冥福をお祈り申し上げます、78歳)。
昨日まで元気な様子であっただけに、突然の訃報は驚きと同時に深い悲しみを抱いたのは、わたしだけではなかった。

春寒し2月の頃、三木さんのお宅を訪問したときに春治さんと出会った。
そのとき彼は「自分が元気になれば、妻の手伝いをしたい。雪かけや野菜作りをしたいと、
生活への意欲と希望を抱いていた。
志乃さんは春治さんと54年間ともに生きてきた人生を振り返り、
彼の人柄についてしみじみと語ってくれた。

彼はトラックの運転手をされた後、路線バスの運転を24年間務めたときのこと。
「バスが発車する時間になっても、いつも乗車されているひとりの女子高校生がまだ来ないため、五分間待つことにした」。
その女子高校生はバスが待ってくれたことに“泣き”、
感謝の気持ちをいっぱいにし、学校へ行くことができた。

時間に遅れる方が悪いし“時間の大切さ”を自覚させるためにも時刻表とおりにバスを発車させた方がよい、という考えもある。
しかし、その時間に乗り遅れたら都会みたいに数分後にバスはやって来ない。
「バスが発車する間際、急いで駆け付けてくるお客様の姿が、バックミラーやサイドミラーに写るのを見たとき、
バスを出さずに待っていてくれたことも度々あった」と、
妻は、スーパーで地域の人たちから話を聴くことも多かった。

病いを患ってから4年余日が過ぎた春治さん、愛妻が作ってくれた一杯の味噌汁を忘れずにいることと思う。



数年ぶりの30cmを越える積雪

2024-02-06 20:36:02 | 阿呆者
2026 雪かきができない躰力



茨城県筑西市から東北自動車道経由で白河の関を越え東北の玄関口の地に着いた。
積雪30cmあり、数年ぶりの雪雪でした。

揺れる車中、スマホで『老い生いの詩』を操作していたら
昨日のブログのコメントを書き終えとところで
車の振動で指先が狂い消去されてしまい、茫然(ぼうぜん)となった。
不慣れなことはするものではない。

小さな平屋(30坪、築15年)の小さな庭は30㎝の雪。
心臓に負担がかかり、躰力もなく雪かきは「出来なくなった」。
wifeは自分と同じ屋根の下で生活する前までは雪かきがしたことがない。
いまは雪かきは手慣れてきた。



読売新聞日曜版のトップ記事に
旅を旅する、だったかな
城崎温泉の写真が掲載されていたのをスマホで「パシャリ」した。

明日から介護の世界に戻る。