老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

痛いほど生命を感じる

2022-02-09 05:00:45 | 空蝉

今年の冬は降雪、積雪が多い

1800 痛いほど生命を感じる

人はオギャーと産声をあげた瞬間から
死に向かって生きる。

日々時間に流され
自分にも死がやって来ることを忘れている。

人は、老い、病み、死に直面したとき
生命や時間の大切さを痛いほど感じる。

老いた今
時間の流れは緩やかではあり
夜明けの刻は知らぬ間に忍び寄り訪れる。

陽に照らされた老体は
影まで曲がって映る。

頭髪は薄くなっても
頭のなかは薄くならないようにしたいものだ
腰が曲がっても心まで捻れてはならない
大した用事はなく急ぐこともない
犬に連れられ散歩をしている老いびと

老いた躰ではあるけれど
春風のように小さな幸せに出会える、と


空蝉の記

2021-09-19 06:52:29 | 空蝉
1755. 空蝉の記

垂れる稲穂の海に
赤トンボが飛び交う風景は
もう昔の出来事

今年の夏は短く感じ
目にすることがなかった
蝉の抜け殻

地上の蝉の鳴き聲は短い
それでも鳴き続ける
樹上に秋の風が吹き始め

いつしか蝉の聲は消え
夕暮れ時に
鈴虫の聲が聴こえてきた

過ぎゆく時間の流れに
焦りを覚え
残り少ない砂時計に
目を細める


鈴  虫

2020-09-06 04:12:35 | 空蝉
1663 鈴  虫

時計の針は只今三時四拾八分
外はまだ暗い
草葉から鈴虫の鳴き声が聴こえる
短い四月の生命

日中の暑さとは違い
鈴虫の鳴き声とともに
涼しい風を感じる

羽を擦り合わせ
鈴音を鳴り響かせ
短い秋の暗闇に
生命を燃やす

朝露に濡れながらも
あなたを想い
奏でる鈴の音は
寂しく切ない

隣の家は雑草が生え
ひとり暮らしの主は入院療養中
肺癌から躰のあちこちに骨転移
麻酔で痛みをこらえている

脳梗塞後遺症も重なり
歩くことができなくなった
主は鈴虫の鳴き声が聴こえる
「家に帰りたい」と呟く

鈴虫の鳴き声を聞きながら
この先短い生命を思う
もう少しで夜が明ける


こぼれ落ちる砂

2020-07-08 06:20:50 | 空蝉
1591 こぼれ落ちる砂

農村で生まれた自分は
海は遠い存在にあった
ニセコの山々の向うを越えると
日本海だった

知らない海の砂浜で
両手ですくった砂は
指のすきまからこぼれ落ちてゆく

自分の記憶もすきまこぼれ落ちてゆく
あなたの名前も顔も誰だかわからなくなり
こころも自分も壊れていく
いっそう記憶が失せないうちに死にたい

こぼれ落ちゆく砂は時間のようでもある
両手ですくった砂は
指のすきまから時間がこぼれ落ちてゆく

松本清張の小説を想い出した
砂の器は脆く壊れやすい

砂浜に押し寄せた波で
「砂の器」は脆くも壊れてしまった

知らない海辺で
時間を忘れ 
老いであることを忘れ
皴くれた両手で砂をすくい
指のすきまから落ちる砂を
眺めてみたい


1500; さくらの花は 日本人のこころ

2020-04-12 18:48:04 | 空蝉

わたしが棲む村にもさくらが咲いた



わたしの足となるキャンパス・夢のなかでは空飛ぶ車



日本人は本当にさくらの花が好き
あちこちにさくらの花が咲き乱れている
人里はなれた処に咲く山桜も美しい

蝉の命よりも はるかに短い
さくらの花
明日は雨風が降る、という予報
さくらの花が散ってしまうのでは、と心配


ブログ、皆さまの声援により
1500回を数えた
「ありがとう・感謝の気持ちでいっぱいです」
「今後ともよろしくお願いします」

1471;スプーン一杯の蜂蜜

2020-03-27 04:32:23 | 空蝉
スプーン一杯の蜂蜜



春から夏にかけ 色々な花が咲き
ミツバチは、スプーン一杯の蜜を求め
花の上を飛び交う。

ミツバチは働くためにこの世に生まれてきた。
ミツバチの世界は階級社会である。
一匹の王女蜂と数万の働きバチ(すべてメスのハチ)がいる。

この数万の働きバチは、子どもを産む機能はなく
ただひたすら働きづめに働いて死んでゆくのである。
卵を産み子孫を残していけるのは女王蜂だけ。

女王蜂は、ロイヤルゼリーを餌として与えられ、数年生きるのに対し
働きバチの命はわずかひと月余りでしかない。

成虫になった働きバチの最初の仕事は、巣のなかで働く(内勤)。
巣の中の清掃、幼虫の子守、巣を作る、蜜の管理などを行う。

そして働き盛りを過ぎて命の終わりが近づくと
巣の外で蜜を守る護衛係であり、外敵と闘う危険な仕事に就く。

そして、最後の最後に与えられる仕事は
花を回って蜜を集める。その期間は2週間。

密を集める仕事は、常に死と隣り合わせの仕事にあり
クモやカエルはミツバチを狙う天敵であり、いち命を落とすかわからない。
雨風に打ちつけられ死ぬこともある。(志賀直哉『城崎にて』参照)

老いたミツバチは、花から花へと飛び回り、蜜を集め巣に持ち帰る。
これを2週間、働き続けどこかで命尽き死んでゆく。
一匹のミツバチは、働きづめに働いて、やっとスプーン一杯の蜂蜜を集める
(稲垣栄洋『生き物の死にざま』草思社 149頁)


志賀直哉『城崎にて』の短編小説のなかで、蜂の死が描かれている。

或朝の事、自分は一疋蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。
足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がって
いた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這
いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は
如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼
も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずに俯向きに転がっているの
を見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。
それは三日程その儘になっていた。それは見ていて、如何にも静か
な感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入って仕舞った日暮、
冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それ
は如何にも静かだった。



1449;母親の亡骸

2020-03-12 04:15:44 | 空蝉
石の下にハサミムシ まだ自分はハサミムシを見たことがない  yahoo画像より引用

母親の亡骸

石をひっくり返すと ハサミムシが生息している。

腹を空かしたハサミムシの幼虫は、
母親の体を食べ始める。

ハサミムシの母親は、子どもたち(幼虫)を慈しむかのように
自分の腹のやわらかい部分を差し出す。
母親は痛みにじっと耐えながら動くことなく
子どもたちが自分を食べる様子を静かに見守っている。

自分の命と引き換えに、子どもたちの成長を願うハサミムシの母親。
人間という生き物は、子育ての大変さ面倒くささを嘆き、
我が子を虐待死させてしまう。

子どもたちに体を食べられながら,遠ざかる意識のなかで、
ハサミムシの母親は何を思うのだろうか、
どんな思いで命を終えようとするのだろうか。

成長した子どもたちが石の下から這いだし
石の下には母親の亡骸が残っていた。


(稲垣栄洋著『生き物の死にざま』草思社 16頁~22頁)


1444;ひと夏の生命

2020-03-09 20:42:42 | 空蝉
     
書店に立ち寄り 不図目にとまった『生き物の死にざま』

ひと夏の生命

29の生き物の限られた命を綴ったエッセイ
生き物の生きざま死にざまと言えば「蝉」が真っ先に思い浮かぶ

木につかまる力を失った蝉は、地面に落ち上を向いて死ぬ。
蝉の死体が、路端や地面に落ちている。

「仰向けになりながら、死を待つセミ。
 彼らはいったい、何を思うのだろうか。
 彼らの目に映るものは何だろう。」
(稲垣栄洋著『生き物の死にざま』草思社 10頁)

仰向けになった蝉の目は、地面の方を向くことになる。
蝉にとっては、「その地面こそが幼少期を過ごしたなつかしい場所」(前掲書11頁)

蝉の命は短く、ひと夏のはかない命。
蝉の雄は、俺は此処にいるぞ」、大きな声で鳴き叫び、雌を呼び寄せる。
雄と雌は繁殖行動を終え”生きる目的”を終え、死を迎える。

蝉に限らず、老いびとたちも、死を迎えるとき何を思い
最後にどんな風景が目に映るのだろうか

                  八日目の蝉




1340; 「多」病息災の年

2020-01-01 09:35:10 | 空蝉
阿武隈川の辺から初日出を拝む ・ wifeとbeagle元気と

「多」病息災・健康

一病息災ならぬ
「多」病息災の自分
病を抱えながらも
「健康」に生きていく

よく休憩をとり
新たな気持ちで
良い介護を 為していきた

病や 不自由な躰を抱えながら
生きている老いびとたち
何を欲し
何処で暮らし 何処で永い 眠りにつきたいか
それは 自分のことでもある

自分は
いま生きている
いや、生かされていることに
感謝し、感謝を忘れずに
今日を生きて逝く



1306;生きる

2019-12-10 04:40:07 | 空蝉
生きる




自分が生まれた年に
黒澤明監督のモノクロ映画『生きる』が上映された

自分が『生きる』を観たのは介護の世界に足を入れた32歳の頃であった
衝撃であった
癌の宣告を告げられ
残された生の時間は少ない、と知ったとき

そのとき自分は何を思うのであろうか

主役 渡辺勘冶の志村喬 の演技は素晴らしかった

残された時間 公務員(市民課長)として
なにができるのか

そのこころにヒトカケラの美しい思い出を遺す(残す)

いままで生きてきた
軽薄な死を反省し
未来の子どものために公園を造り残した勘冶

32歳のときにこの映画を観て
成長しなかった自分の生の軽薄さを思うと
本当に怠惰な自分だと感じてしまう

桜を見る会よりも
『生きる』を見る会の方が良かったかも
晋三さん・・・・

1213 ; 蝉の季節

2019-08-01 09:17:08 | 空蝉
 

蝉の季節

暑さにも負けず 蝉の聲
自分は 暑さに負け
気怠さを感じながらも 生きている

子ども達は夏休みが始まり
それに乗じてブログも夏休み

暑い8月になり
燃える8月の朝を思い出す
影まで燃え尽きた
8月6日と9日

忘れてはならない
原爆許すまじ


今日は腎臓外科、定期受診日
8月から新しい後期高齢者医療保険受給者証に変わり
1割から3割に負担割合に変わりビックリ
医療費負担が増えることになった

話は戻り
蝉の鳴き聲に見倣い
夏バテになることなく
好きなすいかを食べながら
生きていこう、と思う


1090;蝸  牛

2019-05-03 15:08:20 | 空蝉
季節外れの風景 東北の5月は、田圃はしろかき、田植の風景となる

蝸  牛

“でんでんむし”のことを漢字で表すと「蝸牛」になる。
虫が鍋を背負い、牛の如くのろのろと歩いている。
「鍋」は、重い殻でできていて、その殻のなかには何が入っているのか。

人間誰しも、悩み、苦しみ、不安、病気、葛藤、挫折などの重荷を背負い生きている。
蝸牛の殻のなかには、自分の苦しみだけでなく、
他者の苦しみもいっぱい詰まっているため、
殻が重くなり、歩くのがと~ってもゆっくりになってしまうとか・・・・。

このままでは天敵の鳥に食べられてしまう、と心配になる。
上手くできているもので、蝸牛は鳥が寝ている夜間や鳥が空を飛びにくい雨の日に歩くのだ。
湿気を好み、乾燥に弱く脱水症になってしまう。
蝸牛は老人と同じく、暑さは天敵。そのときは点滴で水分補給をするとか・・・・。

歩き疲れたら、殻は家であり、殻のなかで寝て過ごす。
蝸牛から殻を取ってしまったら、なめくじになってしまう。
外地函館港から船で津軽海峡を渡り、内地(本州のこと)に着き、仙台で暮らし始める。
生まれて初めてなめくじやごきぶりを目にしたときは、驚き桃の樹山椒の樹であった。


小雨降る朝 濡れた小路の上に這いつくばる蝸牛に、 
「おはよう」と言葉をかけ、大きな葉の上に乗せてくる。
小さな親切、大きなお節介であったかどうかは、蝸牛に尋ねないとわからない


1000 空蝉の詩

2019-03-14 11:29:35 | 空蝉
私の好きなハルジョオン・ヒメジョオン / 田圃に水が張られ「湖沼景色」 お気に入りの写心

空蝉の詩

春の到来を待ちわびている奥羽
ここで夏の風物詩である「蝉」の話をする
それこそ季節呆けであり 
書き手がなにやら怪しく見えてしまう


空蝉
抜け殻から
暑い陽射しの陰で
蝉は鳴き叫ぶ

蝉の生命は儚く短い
いまここに生きている
力の限り生きている

余命宣告された人
老い衰えて逝く人
後ろから死の陰が忍び寄る
死に際は
蝉の如く哭く

この世に蝉は生きている
にんげんもこの世に生きている

生きているからこそ
最期の瞬間まで
蝉は鳴き
にんげんも啼く

「鳴き(哭き)」疲れた先は
生命は「無く」なる


『老い楽の詩』は
2017年04月09日から開始され
2019年03月14日で1000回のブログ
本ブログは
日記であったり老い楽の記録であったり・・・
途中息切れし中断が何度もありながら
ブログが閉鎖されずに来たのは
拙いブログにご訪問と声援を頂き
心より感謝しています。

「ありがとうございました」
「今後もよろしくお願いします」

988 帰る家がある

2019-03-08 20:35:14 | 空蝉
霧の向こうに帰る家がある

帰る家がある

私には
帰る家がある

大空を飛び交う鳥たちも
帰る巣がある

疲れたとき
帰る家がある
それだけで安心

帰る家は
窓の灯りがこぼれ
妻とbeagle元気が待つ

帰る家があるから
往復切符をポケットに忍ばせ
旅に出る

死の旅は
片道切符
家には帰れない

昔は土に帰った
今は白い煙となり青い空に帰る




960 襤褸雑巾

2019-02-18 04:40:40 | 空蝉
襤褸雑巾 

いまや100円ショップの商品のなかに
雑巾が売られている
始業式や終業式になると
母親たちが雑巾を買い求めて来る
雑巾の縫い目は頼りなく
一度掃除に使われると用済みとなり
襤褸雑巾の如く塵バケツのなかに捨てられ使命を終える

昔母が夜なべをして縫ってくれた雑巾は
布は重ね合わせ厚く糸もしっかり縫われ
簡単に綻びるようなことなく丈夫であった
雑巾は
汚れたところをきれいにしてくれる魔法の布
白色だった雑巾は
何度も拭かれ洗い流されるたび
くすんだ色となり縫い目は綻び破れ草臥れていく
最後はボロボロとなり惨めな姿にはなるけれど
襤褸雑巾は「これでいいのだ」と納得し
笑顔で役目を終える

お前は「人間失格」だ、と罵倒され唾を吐かれた
人生に躓き
惨めな姿は屈曲した影となり
生き恥を晒してきた
それでも
生命ある限り
空蝉のように
残された短い時間を
生きていく

※今年の1月早々に
 コメントを頂き 返信が「今頃になり」すいませんでした
 いつもありがとうございます