老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1034;「終わり」から「始まり」へ

2019-03-31 19:18:19 | 阿呆者
我家の広大な中庭ではなく、30坪余りの小さな庭に白い綿毛のたんぽぽ(昨年撮影)

「終わり」から「始まり」へ

昨日本ブログを書き上げ、クリックしたとき
操作ミスで1034のブログが地上から一瞬にして消えた。
余りのショックで「寝てしまった」。

「始まり」から「終わり」へ、だったら理解できるのだが、
「終わり」から「始まり」へ、となると 何だか  になってしまう。

”平成”が終わり ”新元号”が始まる。
”平成”から”新元号”へ
自分が生きていて 2度目の新しい元号になる。

どんな新元号になるのか 楽しみ。


今日我家の庭に咲いていたたった一輪のたんぽぽ。綿毛が落ち再び我家の庭に咲いたのかな。


”綿毛のたんぽぽ”から”黄色のたんぽぽ”へ
これも「終わり」から「始まり」へ

消えてしまった文とはかなり違ってしまった。

明日から4月1日
ランドセルを背負ったピカピカの1年生に会ったときは
元気に挨拶をしよう。



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1033;春には春の・・・・

2019-03-31 05:12:39 | 阿呆者
那須連山

 春には春の・・・・

春には春の 風が吹く
春には春の 花が咲く
春には春の 歌がある
春には春の 恋をする
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1032 人生は足し算と引算

2019-03-30 13:50:38 | 阿呆者
 人生は足し算と引算

今日 本当は休みなのだが
仕事が終わらず「仕事」

雨の土曜日
寒さと雨で気持ちは憂鬱


子どもや若者は
誕生日まであと3ヵ月
あと2年で18歳になる
これは足し算の人生である

それに対し
老人は
失っていくものが増えていく
引算の人生

自分は85歳までは生きたい
そうするとあと19年しか生きられない

人間いつ終わりになるかはわからない
明日かも、いや今日かもしれない

残り時間が少なくなっているだけに
先(未来)が見えにくい

引算から足し算の気持ちになり
老いの時間(とき)を過ごすとしようか





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1031 生かされる

2019-03-30 08:47:07 | 生老病死

白梅



小峰城


 生かされる

今年も
梅の花が咲いた
自分のためにでもなく
梅の花は咲いた

梅は
その地に静かに棲息し
花を咲かす

棲息は呼吸しており
生きている

自分は
生きているか
死しているか

生きているかどうかよりも
生かされている自分

青空の下に咲く白梅に
気づかされた
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1030 地獄の沙汰も金次第

2019-03-29 03:49:44 | 老いの光影 第4章
在宅介護も青い空のように パッと晴れていきたい

 地獄の沙汰も金次第

地獄の沙汰も金次第

金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる(類義語)

お金が全てではないが、お金はあると便利な物

老人介護も金次第
老人介護もすべて金で解決する

老人のお金と言えば
年金の種類と受けとる額

その受け取るお金が少ないか多いかによって
十分な介護サービスが受けられるどうかが左右される


年金は老人の物なのだが
老人の手から離れ
子ども夫婦の手に渡ると
誰のためのお金だかわからなくなる家族もある

介護サービスの計画(プラン)を決めるとき
「介護に使えるお金はいくらまで可能ですか」と尋ねることにしている
それぞれ生活費のなかでどのくらい介護に使えるのか

要介護5の認定を受けた老人の場合は
要介護度が重く、それだけ手間(世話)もかかり
使える介護サービスの支給限度額も高いけれど
肝心のお金が無いと家族介護者の負担は大きくなる

ケアマネジャーの仕事は
「マネマネジャー」と比喩される
要介護老人やその家族介護者が必要としているサービスをプラン作成し
老人の自立や家族を支援していく
そのとき支援していく介護サービスの種類や回数が多いと
その分介護負担(自己負担は1割から3割、年金額などの所得によりそれぞれ違う)が増えてくる

現実 年金の受給額によって介護サービスの枠(額)が決められてしまう
老夫婦 国民年金だった場合は本当にそのやりくりが大変
介護を受ける人は介護費用だけでなく医療費の出費もある
その上に後期高齢者医療保険料や介護保険料も馬鹿にならない

場合によっては、生活保護受給世帯の方が「恩恵」が多い
介護扶助が適用になると
介護サービスの自己負担は「なし」
認定を受けた要介護の区分支給限度額の上限枠まで自由に使える

医療扶助の適用も受けていると
医療費、薬代の自己負担はなく
その上に受診する際の交通費も負担してくれる

介護保険料、医療保険料も免除

こんなことを書くと
誤解を招いてしまう
決して生活保護受給者のことを
「問題視」しているのでもなく蔑視しているのでもない

ただ
生活保護を受けている人の場合
ケアマネジャーにとり極めてストレスが高い介護相談の様相にある

老人介護もすべて金次第とは思いたくないけれど
金その存在は大きい
でもそのお金を使うのは人間

お金も大切だが
もっと大切なものがあるような気がしてならない
家族や老夫婦のなかに
思いやりや支え合いなど家族愛があるかないかによっても
介護の質が左右されることも確か

年金と老人介護は表裏一体
いま年金を納めている方々
老人介護はあなた自身の事なのかもしれない


私の場合
年金受給額は生活保護受給額と比べると
そう大差はない
できるものなら
年金を返上して生活保護を受給した方が楽なのかな、と思っても
現実はそうはいかない

だから老いても働いている
老人介護は自分自身の事もでもあり
それは目の前に来ている




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1029 犬になりたい

2019-03-28 18:16:45 | 犬と人間
 犬になりたい

我家のbeagle元気に限らず
犬はよく寝ている
惚けないのかな、と心配するほど寝ている
羨ましい限り

犬になりたい
朝寝、昼寝、夕寝、夜寝ができる

食い溜め 寝溜め をしても
意味がない行為、と言われている

確かに食い溜めは 
腹がきつくなり美味しさを感じなくなる
いまの自分は寝溜めを欲する

                          人間の生理的欲求は
                          食べる・排せつ・寝るの3つ
                          どれひとつでも欠乏したら
                          人間の尊厳が損なわれてしまう


齢(とし)には勝てない

睡眠時間は8時間は欲しい
22時00分までに蒲団に入らないと疲れが残る

睡眠不足になると
目の下に
クマが何層にもできてしまう
浮腫なのかな
爪楊枝で刺したら泪が出そう

自分は悩みがないときは
蒲団に入り5分後には眠りの世界に浸る

犬も夢を見るのかな

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1028 葬祭ホールを予約した

2019-03-28 08:25:51 | 老いの光影 第4章
春には春の花が咲く
 
葬祭ホールを予約した婆さん

谷亀子婆さん(85歳、要介護1)は
70坪余りの大きな平屋に
長男嫁と暮らしている

まだ自分でご飯は炊ける
おかずは嫁様が作り隠居部屋まで運んでくれる

春になり
ようやく土から
出てきた草を
容赦なく根こそぎ草取りに熱中する亀婆さん

何もすることがなくなると
「死にたい」と漏らす

死んだときのことが心配になり
農協の葬祭担当者に電話をかける

どんな葬式にするか
パンフレットを見ながら
葬祭ホールや葬祭内容と
支払いは孫夫婦が行うことで
予約した

亀婆さんは
「いつ死んでもいい」と話されたので
私は「葬祭ホールを予約したから、きっと長生きするね」と答えた
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1027 誰の親だ⁇

2019-03-27 20:56:13 | 老いの光影 第4章
夜間救急外来風景

誰の親だ⁇

八幡 婆さん
喘息があるのに
服用せずにいた

さくらさくらデイサービス利用のときは服用していたが
服用したりしなかったりでは
効果なしどころか
喘息は悪化、呼吸困難
体動すると酸素濃度は80前後の数値

さくらさくらの管理者に
先にS総合病院救急外来受診するよう依頼、
その後教師である長男に
老母の状態を電話により報告。

諸々の検査をした結果
吸入しても症状は良くなく
入院となった

16時18分、救急外来受付
只今の時間21時18分
入院が決まり長男に電話し病院に来て頂きたい事を話す
4月にy小学校異動となったため
引き継ぎの事務処理で病院には行けないの一言

「えっ!」「誰の親だ」と、、
一瞬頭のなかをよぎった

ネグレクト
要介護4の老母

入院手続きがあり
それは家族でないとできない
来れないと
今後入院拒否され入院ができなくなる、と話すと
そしたら老人ホームに入れる

入院しなくてもよいから
そのまま自宅に連れて帰って置いてくればいい
入院といわれた状態の母を
誰もいない自宅に一人で置いたら
死んでしまうよ

入院と言われても自宅に帰れないわけではないんだろう
医師から入院と言われ、いま点滴の処置がなされている
一人自宅に置くことはできない
死んでしまう

医師と再度相談します
長男も嫁さんも
入院手続きに来れない

結果、入院させることになり
ケアマネジャー〈私)が病棟に経過を説明することになった

22時になる
自分服用時間
20時は遠に過ぎてしまった

関わりすぎ、と批判の声も聞かれるが
苦しんでいる本人を
入院させず自宅に連れ帰る
責任は長男にある
それはわかるが

頭を抱えている家族の一つです





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1026 いったい死とは

2019-03-27 15:14:13 | 生老病死
死は影なのか

 いったい死とは

あるブログのなかで
「いったい死とは」
問われ気になりだした

死ぬと
その瞬間  [the end] となり
大切だった人の存在が
消えて無くなる


生きるとは
死に向かうこと
地位、立場、貧富などに関係なく
誰もが死ぬ

死は宿命

交通事故と同じく死も
自分が 今日遭遇するとは思ってはいない
無縁でありたい、と

死は実体がなく
死者しか「死」はわからない

生きている者にとり
死は未知の時空間

老い死が近づいてくると
生き方よりも死に方が難しい
昨今の世の中

いったい死とは

どんな死に方をしたいのか(老人)
どんな生き方をしたいのか(子ども)

どこまでが生であり
どこまでが死なのか
生死一体(生死一如)
そんな気がしてならない

※観念的、死を頭で考えている









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1025 さくら さくら

2019-03-27 04:55:20 | 老いびとの聲
 さくら さくら

さくら さくら
あなたに ふたたび会えた歓び

さくら さくら
あなたのいのちは
短くはかなく散り逝くだけに
あなたは眩しく美しく想う

さくら さくら
わたしのいのちは
あとわずか

さくら さくら
さくら さくら 

さくら さくら
桜花爛漫の後は

葉桜となり
夏の季節(とき)は
日陰となって
わたしの躰をいたわり休ませてくれる

さくら さくら
赤とんぼがいなくなると
さくらは錦秋となり
わたしの心を癒してくれる

さくらの枝から
最後の枯葉も落ち
雪の下で腐葉土となって
さくらのいのちを育む

さくらの蕾は
しばれ凍えにジッと耐え
厳冬を乗り越えたその先は
春が来る

さくら さくら
桜満開のとき
あなたの子どもは
小学1年生となり
今日がその入学式








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1024 ブログ様変わり 大困惑 大迷惑

2019-03-26 22:42:45 | 阿呆者

 ブログ様変わり 大困惑 大迷惑 老いの境涯にある自分。 古いものほど使い易い。 それを 予告もなくいきなり。 新しいものに変え。 大困惑 大混乱。 脳の皺がヨジレ絡む。 どこに何があるのか。 場所の失見当識症状にある自分。 登録されたブログが閲覧しにくくなり。 迷子になった自分。 どうしてくれる。 慣れるまで時間がかかりそう。 今回の様変わりが引き鉄となり。 中断しなければと危惧している自分。

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1023 烏の群れ

2019-03-26 07:55:12 | 阿呆者
  烏の群れ

高校生のときか 
中学生のときか
どっちだか忘れてしまった

国語の教科書に
宮澤賢治の短編小説(童話)『よだかの星』が掲載されてあった

授業で読む小説は何だか身に入らない
卒業してから読むと
何だか心に染みてくる

よだかは醜い鳥で
鳥たちから差別され虐められていた

烏は人間様が忌嫌い
カラスを感じで表現すると
「白」の真ん中の「一」が欠けている
烏は「阿呆」な鳥だから 一本抜けている
だから「烏」なのだ

しかし烏は阿呆ではなく賢い鳥だと思う

昔の烏
夕暮れどき 高い木々の枝に
烏の群れが止まり
間延びした鳴き声が響き渡る
人間様は「どこかの家で誰かが死ぬ」と囁く

今の烏
陽が昇り 高い木々の枝に
烏の群れが止まる
燃えるゴミの日がわかり
烏は鳴く
どこからとなく烏の群れが来る
残飯が入ったゴミ袋を漁る

一番見たくない風景
人間様が車で轢いた犬猫が
路上に放置されたまま
烏が数羽
嘴で犬猫の内臓を引き出し漁る

その亡骸をみても
薄っぺらい悼み(憐み)を感じても
土に埋葬することもできない
情けない自分



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1022 苦難は試練

2019-03-25 05:10:44 | 読む 聞く 見る
 
三浦綾子 『泥流地帯』『泥流地帯』 新潮文庫
苦難は試練 

『泥流地帯』を読みながら
8年前の東日本大震災が重ね合わさった。

大正155月の十勝岳大噴火、突然の火山爆発による山津波(泥流)
一瞬にして、家族の命も家も学校も夢も泥流が押し流していった

大正から昭和の時代
遠く、ふるさとの福島を離れて、はるばる北海道(富良野)までやってきた石村家族

当時の農民(小作農、水呑百姓)で貧しかった
それでも貧しさに耐えながら必死に生きてきた

石村家の男孫 拓一・耕作兄弟
山津波で泥流となった田圃
無数の流木を掘り起し再び開墾していく姿は
東日本大震災の復興ともダブり映る

40年前に三浦綾子さんの小説『塩狩峠』を読み泪した

『泥流地帯』を読み、ハッとするような宝石のような言葉に幾つも手にした

目に見えないものが大切(『泥流地帯』48頁 《この言葉は『星の王子様』にも出てくる》
目に見えないもの それは「こころ」や「生命」などであったりする
大切なものほど失ってはじめてわかる

お前は頭で考えるからなあ。だがなあ、俺は心で考えたいんだ 『続泥流地帯』29頁
人間というのは頭で物事を考えてしまう癖がある

何の報われることのない苦労(全く何の見返りもない苦労)こそ自分の人生における宝 
『続泥流地帯』275~276頁 一部要約した
苦労した分だけ報われる、と思う。何の見返りも求めず苦労していく、なかなかできないことだ

人間はな、景色でも友だちでも、懐かしいものをもっていなければならん。
懐かしさで一杯のものを持っていると、人間はそう簡単に堕落しないものなんだ 

『続泥流地帯』404頁
老いてくると、本当に生れ育ったふるさとの景色を懐かしく想う

昨日の日曜日は家に籠り
暫くぶりで昭和前期(戦前)を背景すとする小説を読み終えた

住井すゑさんの小説『橋のない川』新潮社 を想い出した
長編小説なので、いつか読み直してみたいと思っている いつの日か







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1021 不思議に思っていること

2019-03-24 05:49:44 | 阿呆者

春のおやつは“桜餅”/ 粒粒の方がいい


 不思議に思う

花粉
春の風に乗り
車もベランダも真黄色

妻は花粉症
目尻は歌舞伎役者のように切れ
鼻は噛み過ぎ鼻血まで出ている
本当に見ていて可哀想

私は腎移植したせいか
それとも免疫抑制剤のせいか
わからぬが
花粉症は治った
《腎移植前は花粉症だった》

要介護老人のお宅を訪問して気が付いたこと

後期高齢の老人は
どの人も
花粉症で苦しんでいるのを
見かけない

何故だろう
不思議に思う
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1020 生ける屍の聲

2019-03-23 14:12:41 | 文学からみた介護


 生ける屍の聲

5編の短編小説
ときは昭和時代
ところは貧しい農村

『屍の聲』は
惚けてしまったおばあちゃんは
孫の布由子(ふゆこ)の名を遠くから呼ぶ
布由子は高校生

おばあちゃんは部屋に火をつけ
仏壇のあった一角は
天井だけでなく畳や蒲団まで黒々と焦げた。

 焦げた蒲団の布が引き裂かれ
 その間から白い綿がむわりとこぼれ出ていた。
 おばあちゃんの脳もこんなになってしまったのだ。
 腐ってどろどろになって、頭蓋骨から流れ出した脳・・・・・・。
 
 (19頁)

糞便の臭いが染みついたおばあちゃん

 おばあちゃんの内側は腐りつつある。
 この臭いは、死んで腐っていこうとする精神から出て来ていた。
 生ける屍。

 (19頁)

そのおばあちゃんに正気に戻る時間(とき)がある。
 「また、わからんようになるのが恐い。
  怖うてたまらんになる。けんど、どうしようもない。
  知らんうちに頭がおかしゅうなる。自分が何しゆうか、わからんようになる。
  こんなんやったら、もう二度と頭がはっきりせんほうがええ。
  自分のしたことを考えるにと、恥ずかしゅうて嫌になる・・・・・・」
 
 (26頁)

 「惚けるやったら、死んだほうがましじゃ」と皺のよった目尻に涙が滲んでいたおばあちゃん。

おばあちゃんの後ろを追っていった布由子
おばちゃんは急斜面になっていた雑木林から転げ、深い碧色の川に落ちた
溺れ死んでいく様を見ていた布由子

正気になったり惚けたりするおばあちゃんは
死にたがっている、とそう信じた布由子は
溺れるおばあちゃんを見殺しにした。

通夜の席で一瞬
おばあちゃんの青くなった唇がわずかに開き、
息の漏れる聲で「布由子ぉ、布由子ぉ」と呼ぶ。

幻聴、幻視なのか
死者の聲なのか
生ける屍になりながらも
孫を想うおばあちゃん

一風変わった惚け老人の物語であった。


もうひとつの短編小説『残り火』のラストも呻ってしまった
事故死なのか
未必の殺意なのか
『残り火』を手にすることをお勧めします


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