老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「(わたしが)70歳になっても生きて欲しい」

2024-10-21 04:12:05 | 老いの光影

2045 wifeの誕生日

10月20日、wife50歳の誕生日

「わたしが70歳になっても生きていてね」

「92歳になるね。多病息災であるがそれまで「健康」で元気で頑張らないとね」

「それまで”大切にしてね”」、と話したら

「甘やかしすぎないから」、と言葉を返したとき

二人で笑ってしまった。

 

beagle元気はいま、11歳の老犬。

いつも老いぼれの二人で散歩しています。

今年の夏は暑かったので一日の散歩は3000歩にも満たなかった。

結果 循環器内科の女医(主治医)から「血栓の数値が悪いね。歩いている?」、と尋ねられた。

「暑いので余り歩かなかった」、と言い訳すると

「歩いた方がいいね」

 

いま、7000~8000歩の散歩に回復

元気のお陰です。

 

 

 

 

 

 

 


疲れると頭は働かなくなる

2024-02-23 11:16:56 | 老いの光影

白河の関を越えた地にも春が訪れる 縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る

2038 生きるとは


ここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。
老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。
「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、
気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。

その日は眼鏡をかけることも忘れていた。
眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。
在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。
反省をしてしまった。

疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり
夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。
 何のために此の世に生まれ、生きているのか・・・・。
 何で自分は生きているのか・・・・。
 もう、生きることに疲れた・・・・。
 死ぬことより生きることの方が難しく、厄介。
 
 自分ひとりならば野垂れ死にしようと放浪しようとかまわない。
 背負っているものがあるとそれを棄てる訳にはいかない。
 疲れてももう一度奮い立ち、生きるしかない。

遙かな旅の夢

2024-02-04 11:59:14 | 老いの光影
2025 鉄線はつづくよどこまでも




鉄塔の隙間から筑波山を眺める

遙かな先の線路は終着駅
遙かな先の路は終点(行き止まり)
遙かな先の海は帰港地
遙かな先の鉄線は我家の電燈

始発点の先は終着点
オギャ〜と産ぶ声をあげた先は死
そう考えてしまうと虚しくなってしまう

キッズソング | せんろはつづくよどこまでも | 童謡 | I've Been Working on the Railroad (coverd by うたスタ)

線路は、はるかなまちまで ぼくたちの
たのしい たびの ゆめつないでいる

『せんろはつづくよどこまでも』の詩は
遙かな先きまで夢をつないでいる。
夢は無限である。
オギャ〜と産ぶ声をあげた赤ん坊は無限の可能性を秘めている。

線路も路も海も鉄線も
遙かな先の町は
どんな処か想像してしまう。

こどもごころの頃
山の向こうはどんな風景なのか、と想像していた。

どこまでもつづく鉄線を眺めてると
そんなことを思ってしまった。


具不退転

2024-01-01 15:47:22 | 老いの光影


1992 具不退転

筑波山を眺めながら初日の出
1024年が始まる。

「具不退転」の気持ちで、要介護老人たちの移動支援サービスに挑む。
安全を隣に乗せる心がけを忘れずに「命」を運ぶ。
普通自動車運転免許証を返納された地域の高齢者。
いつでもどこでも、自由に通院や買い物ができる地域の高齢者の足になれれば、と思う。

齢71から72になる、辰男の年。

60日以上もblogが途絶え、画面は黒から白に変わり果てた。
1024年になったことをキッカケにpcに向かう。

これからは一日生きるごとに、終焉が一日近づく。
そう思うと今日という時間を無駄にせず「生きる」。

小さな幸福感に浸れるような出来事に遭遇したいものだ。
物忘れは増えた、とwifeから苦言され
近いうちに頭の中をMRIで覗いて見なければ、と思い
認知症専門医に受診することにした。

読むこと書くことを続け、頭の中が「錆」ないようにしたい。
拙いblogに再度挑む。

よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。




昔の石油ストーブは危険がいっぱい

2022-02-03 12:14:16 | 老いの光影
1793 昔の石油ストーブは危険がいっぱい



在宅訪問に行くと
俗に言う昔タイプの石油ストーブが
赤々と点いている
85歳以上の独居高齢者は
よく使われている
いまどきの温風ヒーターに比べ
便利であり
多機能型石油ストーブでもある

しかも赤い炎が出る石油ストーブの強みは
災害などにより停電になっても
温風ヒーターとは違い
「暖」をとることができることだ

昼間でも「やかん」を乗せ
お湯を沸かすことができる
また加湿器の働きもする

味噌汁鍋や煮物が入った鍋を乗せたりして
煮炊きもできる

暮れになると
網をのせ餅を焼いたりする

前述したように確かに便利であり
重宝がられている一方で
危険も隣り合わせにある

やかんなどが乗っていると
危険がW(ダブル)となり
余計に心配が重なってしまう。
足元が心もとなくなりふらつきもある
ふらついたとき
やかんのとってに手が触れ
やかんがひっくり返ったとき
熱湯で火傷! その場面を想像してしまうと
いてもたってもいられないが
老人には
「できればやかんは乗せないほうがいいんだけどなあ~」で終わってしまう。

やかんを乗せなければ、乗せないで別の心配が出てくる
ふらついたときにストーブの熱い天板(上面)に手を着いてしまう
(人間の癖でバランスを崩したとき転ぶのを防ごうと手を着く習性がある)
これもまた火傷の事故

火傷防止するということで金網で囲いをすると
ないよりは安全だが、それを手すり代わりにつかまると
囲いごと倒れ火傷,骨折の心配は残る
また囲いに洗濯した衣類をかけ洗濯干しをする老人もいる
火災の心配をしてしまう

いま使っているストーブがあるのに
温風ヒーターの方が危険のリスクはぐ~んと減る
温風ヒーターの方がいいな~とは老人には言えない
ときどき実家を訪れたり、実家を帰ったときに
息子、娘たちが半ば強引に温風ヒーターを置き
旧式の石油ストーブを引き上げ持ち返るくらいでないと
「危険がいっぱい」の冬を乗りこえることはできない

冬のニュース
それも毎年正月のニュースでは
火事で老人は焼死体となり
石油ストーブが出火原因であったりする

ひとり暮らしの老人が
石油タンクに灯油を入れるのは
本当に危なっかしい
こぼしたり溢れたり
またストーブを点けたまま灯油を入れたり
想像つかないようなことをしている

在宅訪問のときは
灯油が半分以下になっていたら
おせっかいやきになるが
灯油を入れて帰る
またデイサービスの事業所で協力を頂けるところは
送迎(送ったとき)時に灯油の残量を確認し
少ないときは入れて頂いていいる

寒いと人間は 心がわびしく寂しくなる

2017/12/07に掲載し
それ以降冬の季節になると、訪問・閲覧されることが多く
今回、一部加筆し再掲載することにしました




腰椎圧迫骨折をしてしまった

2021-10-28 17:09:03 | 老いの光影
1756 腰椎圧迫骨折をしてしまった

本当に長~い時間 「冬」眠していました
小さな我が家の庭の草刈り機(電気製品)をしたところ
腰に負担がかかり腰椎圧迫骨折をしてしまった

草刈りをしたのは9月24日
翌日、腰、脇腹が痛く「筋肉痛」かな、と自己診断
一週間経過しても筋肉痛は緩やかになるどころか
痛みが増してきた

痛みを我慢し片道60分かけキャンバスを運転し
9時から16時30分まで 研修を受けに行っていた
(9月28日から9月30日までの3日間)
起き上がり、立ち上がりの動作がとても苦痛だった

我慢できず10月1日 行きつけの整形外科を受診したところ
腰椎圧迫骨折の診断

12月末までコルセット装着の身となり
躰や手足の動きがぎこちない

腰椎圧迫骨折の身となり
腰椎圧迫骨折で痛みを訴えている老人の気持ちが
身に染みるほど「わかった」

他者の痛み
痛みは目に見えず 数値で表現することもできない

コルセット装着していると
心まで束縛されている感じで
気持ちが暗くなってしまう

2週間安静、と言われたものの
じっとしていることはできず
静かに呻き声を上げながら
動きまわっていた

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

2020-05-13 16:29:27 | 老いの光影
めずらしい六角堂の五所郵便局(旧下館市)


1537;「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

森村誠一さんの小説で映画にもなった『人間の証明』

大分古い話で恐縮です。
「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」の台詞は、当時話題になった

「晋三さん、あの2枚のマスク、どうしたんでせうね?」

『配達されない三通の手紙』ではなく
『配達されない二枚のマスク』になってしまった。

なんだか寂しいですね・・・・。




1470; 咲いた 咲いた 桜が 咲いた

2020-03-26 08:23:53 | 老いの光影
咲いた 咲いた 桜が 咲いた

きょうは、28日ぶりに
自治医科大学附属病院の外来受診。
腎臓外科と感染症科での診察。

感染症科と聞くと
コロナウイルスを連想してしまう。
きょうの外来予約患者は2400人を超えている。

マスク不足が続いているが
病院のなかは、マスク星人だらけ。

マスクは息苦しく眼鏡が曇るので
マスクはできればしたくないのだが
病院内や人混みのなかはマスク星人に変身

話は変わり
自治医科大学附属病院の駐車場付近には
桜が咲いていた
自分の眼(まなこ)で桜を見るのは
ことしははじめて

咲いた 咲いた 桜が 咲いた
桜の花はマスクをすることもない



1356;万華鏡・家族模様・介護 {2}

2020-01-12 04:38:00 | 老いの光影
万華鏡・家族模様・介護 {2}

                阿武隈川の辺 朝焼けのなかを散歩

「お袋の味」「家庭の味」は、その家族の味文化になり、
お袋の味を懐かしく思い出すことがある。
料理の上手下手は別にして(下手より上手のほうがいいけれども)、
大切なことは、大人になったとき母の料理を思い出し、
それが母からの愛情表現の一つであったことを知る。

93歳になるある婆さん(要介護2)は、心臓と肺に水が溜まり急性心不全の診断により約1月ほど入院した。
病院は病気を治す処
急性心不全は治癒したけれども
退院のとき歩けなくなり、また紙おむつになり尿失禁、洋式便器で用を足すことができなくなった。
家族にとり、家に戻ってからの介護が大変になるのは明らかであった。
(退院時に要介護認定区分変更の申請を行った)

以前にも書いたが自分が住む街には2つの病院がある。
どちらも入院したら疾病に関係なく「全粥」になる。
全粥にすることで、噛む力、飲み込む力、口・歯・歯茎・顎の力・頬や喉の筋力などが低下。
全粥は噛まずとも流し込むだけだから、噛まないことにより脳細胞に対する刺激も希薄してしまう。

人間、口から食べることで元気になる
塩分など「制限」された食事を守ることも大切だが(否定ではない)
先ずは栄養があろうがなかろうが、本人にとり「好きな物」を口から食べることで、生き返るのである。
元気になるまで全粥を摂取しても「元気」にならず、退院までお粥が続く。

介護状態は要介護4にまでレベルが下がったのではないか、と思うほどであった。
同じ屋根の下に、彼女と長男夫婦が住んでいる。
彼女(姑)と長男嫁との関係は最悪で、退院時長男は病院の看護師、管理栄養士などに
「妻は一切老母の介護はしない、と言っているし、私も介護をさせる考えはない」
と、声高に話されていた。

姑と長男嫁は同じ屋根の下に住んできたけれども、二人の溝は埋まるどころか、柵のまま来た。
いまも同じテーブルで向かい合いながら食事をすることはなく、隠居部屋で食事を摂っている。

長男がスーパーで買って来てくれた生卵、納豆、冷凍食品が冷蔵庫にあるだけで
果物や老母が好きな食べ物は入ってはいなかった。

長男は一緒に暮らしていても 老母の本当の姿は把握していなかった。

同じ屋根の下に住んでいても、老親の介護をしていない人ほど
デイサービスや訪問介護の事業所に「クレーム」や一方的な「要望」が多い(長男もその一人)。
家族のことをこんなふうに見ている自分はケアマネジャー失格なのかもしれない。

老親の介護を一生懸命なさっている家族は、「介護の苦労」を骨身に滲みるほどわっかっていらっしゃるので、
デイサービスやヘルパーが、チョットした失敗やあやまちに対し、
責めることなく笑いながら「そんなこと気にしないで」と許してくれる。

退院して2日後、老母は水分も食事もほとんど摂らずじまい。
利尿剤を服用しているのに尿もチビチビ状態。
近くにあるかかりつけの内科医院の主治医に電話をかけ、
夕方長男が付き添っていきますので「診察をよろしくお願いします」、と電話で依頼。
その後すぐに長男の職場に電話を入れ、老母の通院をお願いした。

家に帰り、老母の前にだされた食事は
「梅入り全粥」、カップ麺の「うどん」であった。
本人が「武田鉄矢のどんべえ」食べたい、と言ったので出したら
一口食べただけで「食べたくない」と返された。
食べないときは「インシュアリキット」を飲ませてたいた。

老母は、刺身や卵かけご飯、納豆、ラーメンなどである
お粥に卵とじしたもの、まぐろたたき、豆腐(卵豆腐)、ヨーグルトなどなど
口から食べれる物はあるのに、そこまで思いが浮かばない長男。


病院で年を越し正月を迎えた彼女。
長男の面会は櫛の歯が欠けたような状態であっても
長男夫婦が住む家に帰りたい、と漏らしていた彼女。
退院した日に老母に「何か食べたい物がないか」、と長男は尋ねることもなかった。

いま、幸せかどうかは、彼女しかわからない。





1346;老母の介護に疲れた(再掲)

2020-01-04 11:34:31 | 老いの光影
令和2年1月3日 筑波山と朝焼け (旧下館市から望む)

老母の介護に疲れた

老いた母親の介護は疲れ果てた、長女は話す

顔は一回りちいさくなり目は窪み
どうしていいかわからない

デイサービス(定員30名)からも
ショートからも
「もうみられない」というようなことを
言われてしまった

この先どうすればいいのか
その夜 急いで夕食をすませ長女宅を訪れた

長女の深く暗い悩みに
耳を傾けた

老母は
夜中十分おきに起きトイレへ行く
数度、夜中、外へ出だし歩き始める
外へでたときは後ろからついて行く

「私の体のほうが悲鳴をあげている」
「もう横になりたい」
「もう眠りたい」
と長女はか弱い声で話す

老母が認知症であることを
始めて、そしてやっと認めた長女

長女は母親との軋轢を話してくれた
娘からみれば母親ではなかった
東日本大地震のとき
「娘にやる米はない」と言われた
「母ではなく鬼だと」思った

母は何も変わってはいなかった
子どもだったときから
母親と温かい言葉を交わしたことがなかった

それでも私の母親には変わりはないと思い
介護をし続けている私

糖尿病で手を煩わせている母
認知症でてこずらせている母
まだ家でお世話していきたい、と

長女が抱えている悩み、不安、葛藤、疲労、憔悴など
絡み合った糸をほぐすためにも
彼女の話を最初から最後まで聴いた


聴くことの大切さと
介護に疲れ果てた介護者の支援をどう進めてゆくのか
「ロング」ショート(変な英語表現、業界用語、月に30日のショートステイの利用、翌月も30日の利用)か
介護施設に入所させれば 家族の負担は解決するが、長女は疲れても「まだ、家でお世話そしていきたい」
本当にどうしていいか、悩んだことも事実でした。

10名定員の地域密着型デイサービスの利用により
利用開始後、3日目には昼夜逆転は消失し、夜、外へ出ることもなくなった
いまは、老いた母は「星」となった。
忘れた頃に 長女から電話が入り 地域密着型デイサービスに野菜・米を届けてくれている

                              
(令和2年1月4日記す)

1341;「我思う、ゆえに我あり」

2020-01-01 17:20:41 | 老いの光影
川の流れをみていると鴨長明の『方丈記』を思い出す

「我思う、ゆえに我あり」

フランスの哲学者 デカルトの有名な言婆が気になりだした。

「我思う、ゆえに我あり」
デカルト(フランス 哲学者)の言葉が
蒲団のなかで気になり、眠れなくなった。


”自分という人間は何ものか”、と考える存在そのものが自分である。
「我思う、ゆえに我あり」の言葉を
「我あり、ゆえに我思う」に変えてみた。

「我あり」の「あり」は在りであり、すなわち存在である。
自分は存在している。
自分の存在は個別的であり、他者に替わることはできない。

自分がこうして現在(いま)生きていること、に意味がある。

老い病を患い寝たきりになっても
数分前の会話や出来事がわからなっても
老人は存在し、生きていることに意味がある。

生きているからこそ
人間は思い悩む

あなたがいて わたしがいる
わたしがいて あなたがいる
互いの存在を認めることで
自分という存在がわかる。

そんなことを妄想しながら
自分は何を感じ、何を思い
いま、存在している老人に何ができるか
思い悩みながら行動を起こす存在でありたい 


1214 ; 110才のサタ婆さん入院

2019-08-02 02:52:07 | 老いの光影
110才のサタ婆さん 入院

7日間ブログ休みしている間
自分の周囲でいろんなな出来事が

waif母方のお婆ちゃん サタさんは肺炎を患い
急遽 入院
呼吸は弱く酸素吸入
握る手は弱かったけれど
介助によりペースト食は完食した
快復することを願うばかり

仕事では
3人のケアマネジャーで行なってきた居宅介護支援事業所
2人から独立したいと言われ
今年の11月30日で廃止することになった
3本の矢は突然折れる
自分は令和1年12月1日からは
1人でケアマネジャーの生業を行う
(仲間を見つけていかねば)

自分が棲む隣りの家は
ひとり暮らしの男性
自分より3歳年上
今年の1月、脳梗塞を発症

左半心身麻痺と失語症の後遺症をうけるも
懸命なリハビリで
4点杖と短下肢装具の使用により歩けるまでになった
言葉も不明瞭なところもあるが
簡単な言葉は聴き取れるまでに

ケアプランも含め
毎朝夕、聲かけのかかわりが始まった

1210 ; 暗 闇

2019-07-22 03:12:06 | 老いの光影
暗闇

寝るとき
いつもは円形型の照明器具の明るさを
豆球にするので
天井に浮かぶ目玉焼きのように見える。

中々眠りに入れず
目玉焼きの明るさが気になる。
目蓋を閉じなければ
暗闇の世界にならない。

目蓋を閉じ続けるには
意識が働き余計に眠れなくなる。
目玉焼き照明を消し暗闇にした。

目蓋を閉じなくても暗闇にある。
暗闇は時間が経つにつれ
暗闇のなかにも陰影が浮かび上がり
その陰影の形が気になりだした。

眠りにつかない限り
暗闇の世界に身を置くことはできない。
躰は眠がっているのに
頭だけが妙に働き眠りを邪魔する。
そのうち頭も疲れ目蓋が落ちゆく。
このまま眠りにつき
目が覚めたら「秋」になっていた

1058;五十里湖(栃木県)の春は・・・・

2019-04-15 14:47:15 | 老いの光影
 五十里湖(栃木県)の春はもうすぐ・・・・

五十里ダムの貯水地。
グリーン色の水


樹木の下に映る薄グリーン色は、空ではなく五十里湖の水面


11年前 五十里湖で妻手作りの弁当を味わった

まだ桜は咲いておらず
昨日 妻とドライブ
大笹牧場にも足を延ばした





1005 「溢れる愛」 と 「枯渇の愛」

2019-03-16 12:36:49 | 老いの光影

 「溢れる愛」 と 「枯渇の愛」

水が溢れこぼれる過ぎるほどの親の愛は
子どもをダメにしてしまう

厭がらせの齢を重ねた老人のなかには
家族に疎まれ 躰は枯渇し 愛に飢えている

母におしめを取り換えてもらった「わたし」は過去のこと
老いたの母の紙おむつを取り替えている現在の「私」

昔 父母に叱られた「わたし」
今 老いた父母を叱る「私」

幼くても老いても
親子の愛は 
つかずはなれずの親子関係が大切