老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

227;生れ変わって歩きだす

2017-06-24 17:19:43 | 老いびとの聲
果てしなく続く青い空
果てしなく続く路

今日は倒れた旅人たちも
生れ変わって歩きだす

(中島みゆき「時代」)

私も生まれ変わって歩きだす
夢に向かって 

226;家族の温もり

2017-06-24 12:46:19 | 老いの光影
暗闇に沈む夕映え

病気などでいったん病院や介護施設に入ると
家庭のなかでの老人の居場所が失せるのである。
いつのまにか家族の一員から外されてしまったような寒さを
老人は肌で感じてしまう。
「家は寒かった。施設は暖房がきいていて暖かいから戻りたい」
ということだったが
彼女が求めているのは家族の温もりであるだろう。
帰りたくてしょうがなかった家・・・・・、
老人の思いを家族に伝えていくのは誰なのであろうか。

225;今年初めて紋白蝶を見た

2017-06-24 10:00:08 | 老いびとの聲
夕焼けに染まった阿武隈川


今日の朝寝坊! 
60分遅れの阿武隈川の辺を
beagle元気と散歩したとき
(散歩の帰り路)
「紋白蝶だ~」と瞬間思ったのも束の間
ガラケイのカメラで撮ることもできず
わが目に焼き付けておく以外にない。

小林麻央さん
哀悼の意を表します
最後まで病気に対峙し
多くの方々に勇気を愛を与えてくれた。
生きることの使命や意味を
教えてくれた。

いま私が関わらせて頂いている老人たちも
病や衰えゆく体力と闘い生きておられる。
老いゆくなかを生きていくことも大変。
87歳の婆さん
総合病院での大腸検査を予約しただけでも
「死んでしまうかもしれない」
と深刻な表情で私に訴える。



224;人生の春 ⑥

2017-06-24 01:23:48 | 老いの光影
黄昏の散歩路


老人の手を握り、
老人のひとつひとつの言葉に頷きながら、
老いていくことや生きてことの
意味を考えていきたい。
「いまなにを考えているのか」
「死にたいと思っているのか」
「生きる望みをもっているのか」
「なにを悩んでいるのか」
「なにを欲しているのか」
「なにに戸惑っているのか」。
老人の思いに対して、
なにができるのか。
「忙しい、時間がない」のは私たち介護員ではなく、
老人である。
「時間」と「幸福」は
誰かが与えてくれるのものではなく、
自らつくっていく以外にない。
老人が死の間際に、
生きていてよかったと思えるような介護でありたいと思う。
the end

223;バケツ

2017-06-23 16:00:08 | 老いの光影
夕焼け・阿武隈川


唖然 それとも驚き 或は奇想天外!

91歳になる古池草蔵さんのお話し
デイサービス効果により
要介護3から要介護1にレベルアップした
しかし 変わらないことがひとつある
それは 夜間
オシッコがしたくなったとき
本人は 立ったままで
アルマイトのバケツに 放尿をしている
そのときの音は ボトボト、ビチャビチャなのであろうか
夜中は頭も意識もぼやけており
バケツ脇に逸れてしまい畳がふやけ黒ずんできた
尿瓶、腰掛便座(ポータブルトイレ)は使わないのは何故か

222;トイレットペーパー

2017-06-23 12:12:12 | 老いびとの聲
女子トイレの音を、盗み聞きしたわけではないが
若い女性がトイレットペーパーを取るときの音が
カラカラと鳴り続いている。
どの位ペーパーホルダーを回すのだろうか。

それに比べ
老人は「もったない」ということが染みつき、
トイレットペーパーを2つ折り程度の慎ましい長さ。
トイレットペーパーが薄く拭いた手指に
便が付着してしまうこともしばしば、
お尻を拭いたペーパーを2つ折りにたたみ、
洋服のポケットに入れてしまう。
ときどきポケットから2つ折りのトイレットペーパーを出し、口を拭く。

ポケットにトイレットペーパーやティッシュペーパーを入れてしまう老人の洋服は、
洗濯をするときには必ずポケットのなかをチェックしないと大変な結末になる。

老人はトイレットペーパーやティッシュペーパーのことをちり紙(ちりし)と呼ぶ。

農村で暮らした団塊の世代ならば想像はできると思うが、
農村では板床に穴があいており、そこを跨いで用を足すポットン便所であった。
落とし紙と呼ばれた紙で尻を拭いていた。
灰色がかった紙で新聞などの紙を材料として作った紙なので活字が見え隠れしている。
いまでは到底使えない落とし紙であり、商品棚にあるのであろうか。

昔は学校の持ち物検査では「ハンカチとちり紙」のチェックをされたものだった。
右ポケットにハンカチ、左ポケットにちり紙、を入れていた。

小学校から自宅までは2kmほど道程があり、便意をもよおし我慢できず、
道端の草むらに入り用を足した。
左ポケットにちり紙が入っていなかったときは、
道端に生えている蕗の葉(ふきのは)をちぎり、
それをちり紙代わりにして拭いたことがあった。
便を隠すために、また蕗の葉を使い上から覆い隠した。
そんな時代もあった(昭和30年代後半 東北、北海道の農村は貧しかった)

いまは消費生活、消費文化が豊かになってきた。
老人は呟く、「便利な時代になったが、生活をしていくのが大変になった。
昔は不便で貧しかったが、生活はしやすかった」。

ほんとにそうかもしれない。

221;人生の春 ⑤

2017-06-23 06:05:58 | 老いの光影
夕陽に染まった用水路


介護は、人生の縮図でもある。
出会いと死別(わかれ)。
死別の体験は、
人間の感性を大きく揺り動かす。
その体験が、自分自身の成長の節目になる。
老人の死に直面して泣けることは、
生きていく上で大きな意味をもつ。
死別で流す涙より、
老人が生きている間にいっしょになって、
どれだけ感激の涙、嬉し涙、感動の涙を流せるか。



217;4年余り着の身着まま

2017-06-22 11:48:23 | 老いの光影

72歳と若い片岡亀太郎さんは
4年前に重度の脳梗塞で倒れ救急車で搬送され入院
3ヵ月余りで退院したが高次機能傷害があり
要介護4の認定を受けた
デイサービスを週3回利用されているものの
亀太郎さんは深夜から夜明けにかけ
「トイレ!」(紙パンツ使用)と訴え
その度にトイレに行くこと頻回
(多い時には)1時間に5回
冬のときは蒲団と体は温まらず寝つけない
妻 鶴美さんの介護負担は大きかった
夜間に起きだし、歩きだしたりするため
ベッドの近くに蒲団を敷き
4年余り着の身着ままで過ごしてきた 

216;人生の春 ④

2017-06-22 08:16:43 | 老いの光影
小雨降る梅雨のとき 阿武隈川の辺には ハルジオンの群生が
貧乏草と疎まれているけれど 私はそんなハルジオンが好き


老人介護は、出会いに始まり、死別(わかれ)で終わる。
老人だけでなく、私たちも明日への生は必ずしも約束されていない。
不慮の事故に遭遇し、いつ命を失うとも限らない。
しかし、老人は私たちより死が間近に迫っている。
明日を迎えることができずに、深い眠りについてしまうかもしれない。
今日という一日が、老人にとっては
「残り少ない大切な時間」であり
私たちは、老人から「大切な時間を預かっている」ことを忘れず
介護に関わらせて頂く。

老人の死に直面したとき、
誰もが悲哀(かなしみ)、わが頬に悲哀の涙が伝わり落ちる。
老人との信頼関係や思いが深ければ深いほど、悲哀は大きくなる。
その死別のときに流した涙の重みを、
いつになっても忘れずに保ち続けたいと思う。
ひとりの老人に対し、完璧にかかわることは難しい。
誰もが理想と現実の狭間のなかで悩み、ジレンマを感じながら
日々の介護に追われている。
流した涙の重みを胸に秘めながらい
残された老人(生きている老人)に対して
悔いのない介護を行っていく以外にない。




215;白い雲と星

2017-06-22 05:04:27 | 春夏秋冬
天国に逝かれた松さんの家を訪れた

祭壇には花がたくさん飾られ
その真ん中に松さんの遺影が
微笑んでいる松さんが
無言に話しかけてくるよう
でも 話すことは出来なく
いつも松さんが坐っていた場所が
ぽっかりと穴があいたような
寂しさを感じてしまった
人間 自分が死ぬことの恐怖よりも
時間の流れとともに
自分の存在を忘れ去られてしまう
その怖れの方が恐く寂しさを感じる

白い雲 或いは夜空に輝く星を
見たとき
あなたを偲んだときに
あなたは私の心に生き還る

214;忘れないで 《 終わらない福島3.11・・・》

2017-06-21 20:06:11 | 老いびとの聲
一般社団法人 動物救護隊 にゃんだーガード のチラシから

どうか
わすれないで
ぼくたちのことを

がんばって
がんばって
生きている

だれもいなくなった
あのまちで
あなたが普通に暮らす
いまこの時を

がんばって
がんばって
生きている

どうか
わすれないで
ぼくたちのことを


東日本大震災から5年が経ちました
原発事故を抱える福島県
人の立ち入りが制限された警戒区域に
多くの犬や猫が取り残され
飢えや乾き
冬の寒さや夏の暑さに耐え
家族を待ち続けている
ノーモア ヒロシマ ナガサキ フクシマ

飢えや渇き、寒さや猛暑、孤独に耐え
がんばって がんばって 生きている
猫や犬たち