老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

紅葉の美しさに癒された一日

2022-10-30 22:30:46 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1911 紅葉の美しさに癒された一日





東北自動車道白河インターを降り
国道4号から国道289号線に入り、甲子(かし)温泉を目指します
甲子温泉を過ぎ長いトンネルを走り抜けると下郷町(福島県)に入ります。
国道289号から観音沼森林公園の標識があり左折し直進すると目的地に到着します。

観音沼森林公園は二度目の訪問になり
いずれも紅葉の季節に来ました。

紅葉は観る人の心境によって
色彩も変化します。

自然が織りなす美
自然が描いた一幅の絵に魅了されます

一眼レフだったらと思いながらも
スマホカメラのシャッターを押しました
観音沼森林公園の紅葉の美しさから
希望と勇気を頂いた。


遥か彼方にある見える山々の向こうの先は何がある

2022-10-29 22:10:23 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1910 遥か彼方にある見える山々の向こうの先は何がある


         残雪がある那須連山の向こうの世界は、どんな世界であろうか

小学校に上がったばかりの頃
北海道の農家に生まれた自分の家は
東西南北 山に囲まれた盆地であった。

ニセコ連邦の山々の向こうはどんな世界が広がっているのか、と
空想を膨らましていた。
山々の向こうは海なのか
それとも自分の知らないまだ見ぬ街なのか

山ではないけれど
海は広い
水平線の向こう、さらにその先は
どんな国があるのだろうか
「行ってみたいな よその国」

自分はいま老い
老い始め、死ぬまでの線上を考えたとき
いま、どの位置にあるのか
「ご臨終です」、と告げられたとき
自分は黄泉の国に移る
黄泉の国とは どんな世界であろうか
苦しみや悩みが消えるのであろうか

また、くだらないことを考えてしまった






霜が降りた

2022-10-28 22:00:58 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1909 霜が降りた





一昨日 在宅訪問した際に
玄関先のブッロク塀脇の路上に朝顔がしぶとく咲いていた。
朝顔の根本は折れ曲がりながらも
折れずに根はコンクリート路の割れ目から地中にしっかりと根を張り
栄養分を送り花は枯れずに咲き誇っていた。

霜が降りた寒い朝
あの朝顔は霜にやられたのであろうか
我が家から20キロ先余り離れているだけに
おいそれと朝顔の安否を確認することもできない。

2カ月余り休止したブログ
休止なのか急死なのか 消息不明のままにしてしまった。

事業を負債を見直したら
両手の十指までいかなかったが七本の指ほど有り唖然としてしまった。
七拾歳にしてまだ働かねばならない
あと四年で完済する意気込みで朝顔のようにしぶとく生きることを強く思った。