老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

居場所

2020-06-30 07:26:23 | 老いびとの聲
1583 居場所


自分が高校生のとき棲んだ北海道・後志の街


人間、悲しくても、辛くても
自分の居場所があることで
寂しくても救われる

居場所とは
自分が存在している場所

自分がそこに居ることで
誰かのために役に立ちたい

齢を重ね認知症が進んでも
わが子を心配する老母

自分の居場所が在ることで
人間、生きていける

何のために生きるのか

居場所は何処にあるか
青い鳥と同じように
自分の足元にあることに気づきにくい

いつも行きつけの珈琲屋なのか
それとも川の流れが見える路の縁石なのか
我家の居間の床なのか
心やすらぐ処が 居場所なのであろう













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介護とは ⑱{基本動作を把握することが凄くすごく大切}

2020-06-29 05:04:03 | 介護の深淵
1582 介護とは ⑱{基本動作を把握することが凄くすごく大切}



赤ちゃんが「おぎゃあ」と産声を上げ
最初は「仰向け」で寝ている

次は、仰向けから「寝返り」を行い、うつ伏せになる。

うつ伏せから「ずり這い」をする(最初は前ではなく後ろにずり這いをする)

ずり這いから「這い這い」が力強くできるようになる。

這い這いから「高這い」になる。

高這いから「立ち上がり」をする。

立ち上がりから「つかまり立ち」をする。

つかまり立ちから「歩く」。

これが仰向けから歩くまでの人間の基本動作の過程を、もういちどまとめてみた。

仰向け 👉 寝返り 👉 うつ伏せ 👉 這い這い 👉 高這い 👉 立ち上がり 👉 つかまり立ち 👉 立つ 👉 歩く

赤ん坊、幼児の動作と介護用ベッドを使用している老人の動作と、大まかにみると同じ過程をたどる

老人の場合(要介護認定調査の項目にもある)
❶寝返り 👉 ❷起き上がり 👉 ❸座位保持 👉 ❹立ち上がり 👉 ❺立つ(つかまり立ち) 👉 ➏歩行

ケアマネジャーや介護職員は、老人は❶から❻までの動作のなかで、
老人が自分で「できる」動作と、手助けをすれば「できる」動作、「できない」動作を見極めることで
介護の仕方(介護のかかわり方)が変わってくる。


自分で「たちが上がり」ができるのに、介護者が立たせてしまったら、老人は自分で「立ち上がろう」とはしなくなる。
自分で立ち上がらなければ、「立つ」という行為へつながっていかなくなる。

❶から❺までの基本動作のなかで
要介護老人ができにくい動作は、❷起き上がり である。
❸や❹、❺はできても❷は容易にできない老人が多い

❶は、ベッド柵(サイドレール)につかまれば「できる」
❷「ひとりで起き上がりができるかできないか」、まず老人に尋ねることである。
「できない」と返答されたとき、介護者は老人の背中に手を当てながら、起き上がりの介助を行う。
その際、老人はどのくらいの腹筋力(起き上がる力)があるのか、
介護者は背中に当てた手で感じ取ることが大切。

介護者は10の力(全介助)で起き上がりをし続けると、
老人はいつまでたっても起き上がりはできない。
介護者は10の力を抜きながら8,6,4というように
老人が少しでも自分の力で起き上がりができるよう支援していく(介護者の力を抜いていく)ことである。

「ひとりでできる」「できない」だけの視点だけでなく
「手助けすればできる」という把握(観察眼)が求められる(介護職員、ケアマネジャー)。
「手助けすればできる」は、この先「ひとりでできる」よう支援していくことにある。


一連の排せつ行為の場合 ❸❹❺の基本動作が関わってくる 👉 「 介護とは ⑲」で書いていきたい







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黄色いサクランボ

2020-06-28 17:50:53 | 歌は世につれ・・・・
1581 黄色いサクランボ



今日は朝から 6月の雨
紫陽花だけが雨を歓迎している

雨降りだけれども
wifeと会津若松に行き サクランボ狩り



野猿のように枝から枝へと飛び移り
サクランボを味わうことはできなかったけれど
脚立を登り、30分間サクランボのアマ酸っぱい味を楽しんだ
風通しが良く陽にあたったサクランボは とても甘かった

黄色いサクランボもあったが まだ熟していず残念



サクランボ狩りの後は
喜多方市に足を伸ばし まこと食堂の喜多方ラーメンを頂いた

まこと食堂は、12年前であろうか
夕暮れ時 喜多方の街につき
目の前に まこと食堂の暖簾があり
ふらっと入り 初めて喜多方ラーメン味わい
最高に美味しかった いまでも忘れられない味だった

数年前、まこと食堂の暖簾から
堀内孝雄さんが出てきた
握手する暇もなくその場は過ぎ去った





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介護とは ⑰{尿意があれば、紙パンツ(紙おむつ)はやめる}

2020-06-28 05:37:57 | 介護の深淵
1580 介護とは ⑰{尿意があれば、紙パンツ(紙おむつ)はやめる}



トイレに歩いて行くことができなくなった老人は
紙おむつ(或いは紙パンツ)を穿かせられる。

「オシッコがでる」のがわかるのに
紙おむつ(紙パンツ)を使用すると
括約筋と脳細胞の間で交わされる信号の働きが低下(退化)し
緊張感もなくなり、生きる意欲も失せてくる。

紙おむつがオシッコで濡れ
最初は不快感を抱きながらも
そのうち紙おむつのなかが多量のオシッコで濡れても
なんとも思わなくなり皮膚感覚も退化していく。
認知症が進行していく引き金にもなっていく。

紙おむつ(紙パンツ)を使用することで
紙おむつの交換も人まかせになる。

「オシッコがでる」、とわかる老人は
いまから、今日からでも紙おむつ、紙パンツを外し
普通のパンツに穿きかえる(心配ならば尿取りパットを使用)。


では、ひとりで歩いてトイレに行けない老人はどうするのか?
介護の登場になる。
杖や歩行器を利用することで、ひとりでトイレに行ける老人は、歩行補助具の活用と歩行時の見守りが大切になる。
ひとりで歩いて行けない老人は、車いすに乗せ、トイレまで移動介助を行う。

洋式便器に座れば、老人は「排せつはできる」。
洋式便器までの移動と、用足しを終えてから元の場所に移動する。
介護により移動介助を行う。

排せつにおける一連の動作行為は、生活リハビリの要素がいっぱい詰まっている。

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介護とは ⑯{オシッコは頭でする?}

2020-06-27 08:13:56 | 介護の深淵
1579 介護とは ⑯{オシッコは頭でする?}

食卓の椅子に座って食べる
排せつは、行きたい、と思ったときに行く。

当たり前のこととして、普段行っている。

脳卒中や認知症などの疾病や転倒骨折などの理由で
手足や体が不自由になり
当たり前のことが「ひとり」で行うことが「できなくなる」

そうなったとき、介護は当たり前の生活(普通の生活)ができるよう手助けを行う。

齢を重ねた老人
歩けなくなったとき
または、ひとりで歩いても転びやすく骨折の恐れがあるとき

歩いてトイレに行けない老人は 紙おむつ(あるいは紙パンツ)のお世話になる。
人間にとり、歩けなくなるということは
その人の人生史において大きなショック(衝撃)に遭遇する。
行きたい処へ自由に移動ができなくなる。

しかも赤ん坊と同じく紙おむつ(紙パンツ)をする惨めな自分になる。

人間、膀胱にオシッコが溜まると
「膀胱にオシッコが溜まったよ」、と頭(脳細胞)に信号が送られる。
信号が届いた頭は、「いま講演(音楽)を聴いている。あと、15分位で休憩になるだろうから
それまで我慢しなさい」、と尿道括約筋に信号を送り返す。
命令を受けた尿道括約筋は尿が漏れないないよう括約筋を締める。

休憩時間になり、急いでトイレに駆けつけ用を足す。

頭(脳細胞)と括約筋(尿道括約筋、肛門括約筋)の間は、緊張感が生まれる。
頭の命令(頭の働き)により、オシッコやウンチの排せつ行為がなされる。
或る意味、人間は頭でオシッコをしている{ウンチも同じ}。
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義父がPCR検査受ける

2020-06-26 22:31:15 | 老いびとの聲
1578 義父がPCR検査受ける

今日、義父がPCR検査を受けた。

何故、PCR検査を受けたのか、というと
前立腺癌の治療をしていて
膀胱に影があるも、膀胱癌の症状としての所見がない
前立腺癌が膀胱に隆起したものなのか、それもはっきりしない

内視鏡により確認するしかない、ということで
自治医科大学附属病院泌尿器科に入院することになった
入院チェックとして、コロナウイルス感染していないかどうか 
陽性の場合は入院治療はできない、ということになる。

7月1日入院日なのだが、その前に陰性か陽性か 判定結果がでる
今日はその付き添いで、wifeと自治医科大学附属病院に行ってきた。


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介護とは ⑮{トイレは行きたいときに行く}

2020-06-25 05:02:27 | 介護の深淵
歩いてトイレに向かう109歳の老女

1577 介護とは ⑮{トイレは行きたいときに行く}

今回から生理的欲求である「排せつ」について、書いていきたい。

飲まず食わずの「空腹」でいることは、辛く、何事にも手がつかず、
お腹が空きすぎると、眠ることもできない。

食べたり飲んだりすると、人間は「オシッコ」「ウンチ」が出る。
出ないと大変なことになる。

健康な人や元気な人は、排せつのことで悩みもしないし
当たり前にトイレに行っていることの大切さも気づかない。

人間、いつトイレに行くか。
「オシッコがしたい」「ウンチがしたい」、と思ったとき
足はトイレに向かい、トイレで「用を足す」。

排せつ(オシッコ、ウンチ)は生理的に我慢ができない。
とくに下痢や軟便をもよおしたとき、近くにトイレがなく
知っているトイレは、まだ先にある。
そのうち顔に青筋が立ち、冷や汗が流れだしてくる。

目的のトイレに着いたとき「使用中」のときは最悪。
使用中の赤マークが消え、トイレに入ったときは極限状態のマックス。
下衣を降ろすやいなや、解放感の境地。
(23歳のとき上高地で体験した。野糞もできたのだが、伴侶者がいたのでできなかった)

繰り返しになるが、オシッコやウンチは、行きたいときにトイレに行く。
当たり前の排せつ行為である。

自分は便秘気味になると
書店に行き、目当ての本を探したり、本を読んでいると
便意をもよおし、トイレに向かう。
最近は甘酒を飲むと、腸のはたらきがよくなり快便この上ない。
適度な運動と水分を摂ると便秘にならない。


脳血管障害後遺症(脳卒中)や認知症を患うと
自由にトイレに行くことに支障(不自由さ)が出てくる。
誰かの手を借りなければならなくなってくる。

(付け足し的な小話)
トイレに行くことは、その人にとって大切な行為である。
トイレに行くことを昔の人(老人)は「用を足してくる」、という言葉を耳にする。

「用を足してくる」
昔は、役場等に行き書類を出してくる、相談しに行ってくる、といったように
大切な用事を済ませて来る、という意味があった。
それと同じく、オシッコやウンチがしたくなった、という生理的欲求は
その人にとっては、いま一番大切なことであり
その大切なことを済まさなければ、生理的に苦しくなり大変なことになってしまう。
「用を足してくる」、と席を立ちトイレに向かうのである。





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もう少し生きてみようか

2020-06-24 05:53:50 | 老いびとの聲
1576 もう少し生きてみようか

銚子岬から朝陽が昇る光影は、
生きる力と希望を漲らせ、
「もう少し生きてみようか」、 とその気にさせてくれた。

オレンジ色の空は、寂しい老いびとの後姿が思い浮ぶ。

潮風に 濡れた砂時計をひっくり返した。
砂時計は老いびとの人生を映し、残り少なくなってきた
砂は、もう少しで死が訪れることを暗示している。
砂が堕ちる風景を眺めているだけの時
空間は、ただ「死を待つ」自分が其処に居るだけでしかない。

老いびとの死とは関係なく
朝陽は昇り、夕暮れには沈む。

遥か水平線から朝陽が昇る光影に向かうもうひとりの自分
が存することも、また隠された事象である。

輝く波の音を聴き、乾いた心は潮風で濡らし
昇る朝陽に病んだ躰を晒しながら、
小さな希望が叶うよう掌を合わせ
「あと一年生きてみよう」、と呟く。

ほずれた一本の糸から綻び躓き、
凡てを棄て辺境ノ地に棲みついた老いびと。
老いびとは不自由な四肢を抱え、
自分が何者であるかを忘れてみたり、考えてみたりする。



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介護とは ⑭{ヒトから人へ「自立」}

2020-06-23 13:32:53 | 介護の深淵


1575 介護とは ⑭{ヒトから人へ「自立」}

人間最初の自立は、「ひとり歩き」ができ、行きたいところへ行ける。
ひとり歩きができるようになると、親は「あひるのおまる」を部屋に置く。



もじもじしたり、「そろそろオシッコの時間かな」、と思うとき
紙パンツを抜かせ、あひるのおまるに股がせる。
あひるが珍しく、オシッコをするのも忘れ、あひるに夢中
オシッコがうまくできたときには、うんとほめてあげ、失敗したときは怒らない。

あひるのおまるでオシッコ・うんちができたら、次は洋式便器(トイレ)に挑戦だ~。
おむつが外れる時期は2歳半から3歳頃(個人差がある)。

子どもにとり「おむつが外れる」ことは、第2の自立つながり、
不快さ・不自由さから解放され、行動空間が拡がっていく。

お出かけするのにも、親は紙おむつなどを持たなくてもよい 
👍 おむつ代がかからない 
👍 洗濯代もかからない

おむつが外れた幼児が、駄々をこねていたので
「赤ちゃんだね」、と言葉をかけた
幼児は「赤ちゃんじゃない。お兄ちゃん(お姉ちゃん)だもん」と反撃をする。

おむつをしているのは赤ちゃん。
僕は(私は)おむつをしていない。トイレでオシッコ・うんちをしているもん。
お父さん、お母さんと同じく「ひとりでトイレでしている」僕(私)。

おむつを外れた子どもは、排せつでは「一人前」に自立したこと意味する。

👇
齢を嵩ね 老人となった。
病気や転倒骨折などにより手足が不自由になり
一人でトイレに行くことができなくなった老人。
他人の手を借りなければ、トイレにも行けない。
まだトイレで、用足しをできるうちはいい。

「紙おむつをするようになったらお終いだ」
「紙おむつをするようになったら死んだほうがいい」(死んだ老人はいない)
なぜ「お終いだ」「死んだほうがいい」、と老人は呟くのか。

それは、おむつをつけている子どもは親の世話をうけ「半人前」として(自立していない)、大人は見ている。
老人は過去に(子どものときに)おむつが外れ
そして学校を卒業し、社会に出て定年まで働いてきた。
一人前の大人として働き、家族を養ってきた。
それが、いまこうしておむつをつけるようになった自分は、赤ちゃんに後退し「半人前」の人間になったことが情けない、
と思ってしまう。

👍 おむつが外れることは 子どもにとり大きな自信にもなり、笑顔にもなる。
   老人も同じ。老人もおむつが外れると、元気になり、生活に意欲がでてくる。

  おむつが外れた老人の変化については、後日書いていきたい


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介護とは⑬{ヒトから人へ「自立」}

2020-06-22 06:21:58 | 介護の深淵


1574 介護とは⑬{ヒトから人へ「自立」}

上の図 運動発達の順序 を見ると
赤ちゃんが「おぎゃあ」と産声をあげ
1年後には、「立ち」「歩く」というように
生まれてから1年間の人間の発達は
新幹線以上に速いスピードに驚く。

赤ちゃんの運動発達の順序を逆に進んでいくのが
老人である。
すべての老人がそうなるわけではないが、ひとりで歩けなくなる。
杖や人の手を借り、心もとなく歩く。
テーブルに手を乗せ立ち上がりを行うようになると、老いの始まり。

老人は死に向かい 衰えていく。
老いを嵩ねても 人間はなかなか「老い」て往く自分を受け入れがたい存在。
典型的な言葉は、「人間、おむつをするようになったらお終いだ」、という言葉をとく耳にする。
それは、おむつになったら自分は一人前の人間ではなくなる。

その言葉の意味は、ヒトから人になった「赤ちゃん」のことと関係してくる。

赤ちゃんが産まれたときは
なにもできない無能の状態にあり
雛鳥とまったく同じである。
母親(親鳥)が母乳またはミルク(餌ー虫)をあげなければ
赤ちゃん(雛鳥)は生きていくことができない。

這えば立て 立てば歩めの親心

赤ちゃんがはいはいするようになったら
今度は立ってくれ

立つようになったら
今度は歩いてくれ

「初めてうちの子、立った」
「今日二本の足で歩いたの」
と、大騒ぎをしたのは、昨日のように思い出す。


我が身に積もる老いも忘れて
孫の成長を喜ぶ。

赤ちゃんから幼児前期になったとき
わが子が「ひとり立ち」できたとき
そして数歩ではあっても「ひとり歩き」できたとき
満面の笑顔は自信に溢れ、ヒトから人へになった「自立」の第一歩である。

宇宙飛行士のニール・アームストロングは月面に降り立った時
「これは人間にとっては小さな一歩だが, 人類にとっては大きな飛躍である」
という素晴しい言葉を発した。


ニール・アームストロングの月での第一歩とわが子の第一歩は
同じくらい偉大な出来事なのである。

学校では学んだ 人間が他の哺乳類動物と違うのは直立歩行ができたこと
学校では直立歩行ができたことの偉大な意味を掘り下げては教えてはくれなかった。
ここはたっぷり時間をかけ教えてもらいたかった。

直立歩行ができたことで、両手が自由に使え、もの(道具)を作りだしてきたこと。

高齢者施設や介護サービス事業所(デイサービスやショートステイ)などで
老人がふらふらして歩いていると
転倒しては困る、と気持ちが先に行き、車いすに乗せ移動をさせてしまう。
ふらふらしながらも歩いていたのに、安全名のもとに「歩けなくなった」老人。
他人の手を借りなければ移動ができなくなった。

ふらつきながら歩いている
確かに危ないが
どうしたら危なく歩けるか
杖や歩行器の使用やリハビリによる基本動作訓練(両下肢や臀部などの筋力アップ訓練)を行うことで
歩行が維持できる。
人間が長い歴史の過程のなかで獲得してきた自立歩行を
簡単にあきらめてはいけないのに・・・・。

ひとりで歩けることは、自由に好きなところへ行ける 誰の手も借りないで
そのことをプロである介護員 看護師は忘れてはならない。

興味のある方
エンゲルス『猿から人間になるにつれての労働の役割』国民文庫、大月文庫
ポルトマン『人間はどこまで動物か』岩波新書

上記の2冊は介護や保育を学ぶ人にとり、大きな衝撃を受ける











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介護とは ⑫{食べることの意味}

2020-06-21 04:10:03 | 介護の深淵
1573 介護とは ⑫{食べることの意味}

          (1)
人間だけでなく、犬も猫も豚も食べなければ飢え死にしてしまう。
食べる物が何も無いと、心はさもしく躰は寒く、頭もボォ~としてくる。

長男夫婦はどちらも教師でありながら
要介護3の老母の介護を怠り、放任行為を亡くなるまで続いた。

老母は食べる物がなく、ふらつき歩き冷蔵庫の前に立つ。
冷蔵庫のドアを開け、冷凍の松坂牛を手にとり食べる。
食べる物が何も無いときは、猫キャットフード(猫缶)やチャオ ちゅ~るを食べていた。

老母も定年まで教師を勤めたので
共済年金額は十分にあっても
長男が管理されているため老母は無一文にあった。

食事に飢えていた老母は
デイサービスの昼食のとき
口のなかにご飯やおかずがまだ口のなかにあるのに
おかずを掻き込み入れるため
咳込みゲホゲホし、口から吐き出してしまう。

この老母に限らず、自宅で十分な食事が摂れていない老人は
慢性的に飢え、目の前に食べ物があると
食べ物を自分の前に寄せ、貪るように食べる。
食べ物に飢えている老人や子どもは、
家族の愛情にも飢えている。


           (2)
老いてくるほど いちにちのなかで
食べることが唯一の楽しみとなってくる。
好きな食べ物、お袋の味、旬の物など
美味しい物を味わっているときは
ほんとうに幸せ気持ちになる。

美味しい物は、ひとりで食べたのでは美味しくなく
みんな(家族や気心知れた人)と食べるから美味しい。
「美味しかった」「また食べたい」、とそう言葉を交わしながら
明日も頑張ろう、と生きる力がでてくる。

末期癌や老衰が進み、治療よりも在宅生活ということで退院されるとき
医師から「好きな物を食べさせてください」、と言われる。
もうそのときは、そんなに好きな物を食べることができなくなる。

老いを嵩ねてゆくけれども 元気なときにこそ
美味しい物や好きな物を食べ歩いたり、また作ったりして
楽しむことである。


仏となり、仏壇に好きな物や旬の物を
お供えとしてあげて頂くのは嬉しいのだが
口にすることはできない。

生きているうちに食べさせることが
親孝行なのかもしれない。
自分は親不孝の類で、生きているうちに
もっと外へ連れ出したり好きな物をを食べさせたかった、と
後悔と反省をしている。

         (3)
食べることは生きること
食べることは呼吸をすること

老人は食べないと
老人は栄養不足すると
人間らしい顔の表情はなく 肌つやも悪い
足どりも悪く、最悪の場合はひとりで歩けなくなり、動作も鈍い
言葉も失せ、反応も鈍い
坂道を転げるように認知症も進む
当然、水分も不足しており、夜間せん妄になることもある

ひとにより食べるのが遅く、60分もかかる
老人は食べることが「仕事」のひとつだと思い、60分かかっても食べることが大切。

ベッドから車いす、車いすを食卓まで移動し、車いすから食卓の椅子へ移乗させる。
老老介護介護の場合、食卓まで連れていきさらに椅子に乗り移すことなんてできない。
本当にそう思う。

そのときはヘルパーやデイサービスを利用し、椅子で食べるようにする。

介護サービスに使えるお金は、いくらまで可能なのか。
そのことをケアマネジャーに伝えることにより、ケアプランを作成していくときに助かる。

要介護5であっても車いすに座ることができれば
食卓の椅子で食事を摂ることができる。
ベッドでひとりで食べるよりは
家族がいる食卓で食べる方が、楽しいし、美味しく感じるし、食欲もでる。
1日1食(昼食か夕食)でもいいから、椅子に座って食べる。


デイサービスでは移動介助のプロがいるのだから
車いすではなく椅子に座らせ食事を摂っていただくのが、介護サービスである。

口も手も足も使わなければ機能低下し、動かなくなってしまう(廃用症候群)。
老人が最後に残る機能は、自分の口で食べる。あるいは自分の手を使い自分の口で食べる。

自分の力で食べるのと介護員から介助により食べるのとでは
味わいや美味しさが違う。

寝たきりになっても、自分の口で食べ味わいたいものである。

食べることは生きること
食べることは呼吸をすること


















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介護とは⑪{生きるために食べる}

2020-06-20 04:38:17 | 介護の深淵
1572 介護とは⑪{生きるために食べる}

生理的欲求には「食べる」「排せつ」「眠る」の3つがあり
3つのなかで、人間にとり「食べる」欲求が一番強いのかな、と思う。
ブログを見ると、美味しい食べ物の画像(写真)が多く掲載されている。

自分の場合、40台に入り、慢性腎不全症という病に遭遇し
死ななければ治らないやっかいな病。
タンパク質、カリウム、塩分などの制限があり
食べてはだめと言われると、余計に欲しくなり食べたくなる

人工透析導入前のクレアチニンの数値が高い状態にあり
食事や水分の制限が厳しく、貧血の数値も最悪

人工透析になった方が、食事制限は緩やかになった
透析3時間前に スイカやメロンをたくさん食べ
透析室に向かったこともあった。

人間だけでなく、どの生き物も「食べる」ことは大きく
生命を維持していくことであり生存競争は熾烈である。

口から食べれなくなり
水も飲むことができなくなると
人間は自然のままに死んでゆく
それが普通だった。

鼻腔や胃瘻による管栄養で延命を望むか望まないか
いまは、医師から尋ねられる

胃瘻により生きらえることはできる
胃瘻になっても長生きをして欲しい、と欲する家族もおられる

当の本人は延命処置を欲するか否か
意識があるうちに延命処置についてどうするか
家族に自分の意思表示をしておく必要がある

口から食べる
それは食を味わうことであり
味は食文化でもある。

人間にとって「食べることの意味」を
次回、述べていきたい。










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過ぎた去ったことは 仕方がない

2020-06-19 17:30:00 | 老いびとの聲
森の上のホテル 結婚式の夜は花火が上がる


1571 過ぎた去ったことは 仕方がない

過ぎ去ったことは
仕方がない
時間を戻すことはできない

夢か現か幻か
この世に現に存在している自分
蝉の如く命の限り生き逝く

未だ来ぬのは
死の世界

話は無関係なことに変わる

右膝に水が溜まりラクダの瘤のよう
痛みはないのだがぷよぷよしている
真夏日のときは脱水にならぬよう
右膝のラクダ瘤から水を抜き飲むとしようか











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「糸」と「絆」

2020-06-19 04:37:43 | 老いびとの聲
1570「糸」と「絆」



中島みゆきの『糸』は、
カラオケでもNHKのど自慢予選会でも
ベスト3に入るほどよく歌われている人気曲。

『糸』という言葉から何を連想するのだろうか
「糸紡ぐ」を思い浮かぶ。
糸紡ぎは、「糸とり3年、織り3日」と言われるほど、
難しい作業で10gの糸を紡ぐのに約1時間半かかる。

縦の糸はあなた横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを

暖めたり、傷をかばったりする

一本の「糸」は細く弱く、切れることもある
一本の「糸」を”半”分に裂くと 二本の糸になる
その二本の糸を撚りあわせていく(ねじりあわせていく)ことにより
より強い紐(糸)に変わる。
『絆』の文字は、そこから生まれた。

「あなた」の糸と「私」の糸を撚り合わさることにより
ふたりの絆(愛)は強まる。

苦しいとき、挫折したとき、悲哀のときなどに出あったときほど
夫婦(家族)は励ましあい、ふたり(家族)の絆は強くなり、
困難な状況(壁)を乗り越えていく。

『糸』は、人と人のつながり(絆)を訴えている
人と人のつながりが希薄している昨今の社会状況にあるからこそ
『糸』の歌(詩)に心癒されるのかもしれない。

中島みゆき『糸』

なぜめぐり逢うのかを
私たちはなにも知らない
いつめぐり逢うのかを
私たちはいつも知らない
どこにいたの生きてきたの
遠い空の下ふたつの物語

縦の糸はあなた横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを
暖めうるかもしれない


なぜ生きてゆくのかを
迷った日の跡のささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡のささくれ
こんな糸がなんになるの
心許なくてふるえてた風の中

縦の糸はあなた横の糸は私
織りなす布はいつか誰かの
傷をかばうかもしれない


縦の糸はあなた横の糸は私
逢うべき糸に出逢えることを
人は仕合わせと呼びます
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拾年の重み

2020-06-18 04:08:13 | 老いびとの聲
私が生まれ育った小さな街 北海道・昆布駅前通り (yahoo画像より引用)


1569 拾年の重み

老人は
辛辣な言葉
味のある言葉
人生を振り返る言葉
「無言」の言葉
いろいろな言葉を発する

老老介護
老夫婦共々
長寿の時代になった
喜寿 卒寿を迎え

連れ合いのどちらかが
寝たきりや重度の認知症を患い
重度の要介護(要介護3~要介護5)になると
老いた身の介護はしんどく辛い

それ以上に
昼夜ベッド上で臥床し
ジッと天井を見つめながら呼吸(いき)をし
拾年が過ぎた

寝返りも起き上がりも
老妻(老夫)の手を借りなければできない
我が身の不甲斐なさ辛さ

ベッド上で天井をみつめながら
私はジッと耐えることができるであろうか
そう想うと
寝たきり拾年
凄い忍耐力だと想う

介護を「受ける」
介護を「される」

受身のある生活に見えてしまうけれど
実際は
そうではなく
痛みや辛さにジッと耐え
無言のうちに生きてきた

長年連れ添った妻(夫)から世話(介護)を受けてきたことに
「すまなさ」と「ありがとう」の気持ちが複雑に交錯する

我が身の下肢や体を動かすこともままならぬ不甲斐なさ
「死にたい」と思ったり言葉にもしたが
死ぬことすらできなかった

それでも老妻(老夫)に生かされながら生きてきた
どこまで生きれば
神様は死ぬことを
許してくれるのだろうか

痩せ衰え
骨が出たところがあたり
体のあちこちに
床ずれ(褥瘡)ができてきた

飲み込むこともしんどく
十分な栄養も摂れず
暑い日々は
熱中症(脱水症)から熱発の繰り返し

そうした生きる老人たちの姿から
私は様々なこと感じ想い勇気づけられた


  老いびとの呟き

  老いてはじめて
  長い時間
  無駄に生きてきたことに
  気づかされた
  
  後悔しても
  過ぎ去った時間を取り返すこともできないし
  逆戻りすることもできない
  「被介護保険者証」を手にした私は要介護老人予備軍
  老人の仲間になった

  今更
  老いの身になり
  頑張ったところで
  できることはしれている
  
  青い空の下で
  碧い海の上で
  鴎が飛んでいる風景に
  小さな夢を重ね

  あと数年の短い時間であっても
  いままで無駄に生きてきた時間を
  少しでも埋め合わせていければと思う

  何ができるか
  何がしたいか

  老人になった私は
  人間と向き合い
  老人の後姿から学び
  老人たちと死るく路(シルクロード)を歩いて往く

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