老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

恥ずかしい、申し訳ないの気持ちになった

2022-03-23 03:30:38 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界

春の川


1855 糞まみれ I

アツアツの白いご飯(米)を食べ、胃腸に入ると消化吸収され
残り滓は「ウンコ(糞、便)」となって肛門から排出される。
口から食べたときの米は白かった。
肛門から出たときは黄土色のウンコ(糞、便)になる。
色も形も変化した。
「糞」という字を分解すると、「米」と「異」の組み合わせになる。

米が異なった物に変わり、糞が排せつされる。
日本の漢字は、上手く表現され、意味のある文字が多い。

話は180度パノラマ的に変わる。

老いて括約筋が緩くなり
言うことを聞かなくなると
我慢というか、こらえ切れず
自分の意思とは無関係に
便失禁(俗にウンチ垂らしを)してしまう。

自分も一度便を漏らしたことがあった。
人工透析をしているときのこと。
透析は4時間近くかかる。
あと20分で透析が終わる頃
「水を引きすぎ」たせいか、血圧の数値が60/40まで下がり過ぎてしまい
胸が押されるような、ムカムカするような、
そして肛門の辺りがむずむずとあやしくなり
便意を強くもよおしてきた。

便を漏らしては大変、と思いながらも
土手の川が堰(せき)を切ったように
括約筋が超緩まり便失禁をしてしまった。

そのときは、恥ずかしい、申し訳ない、の気持ちを内に秘めながら
肛門から臀部まで便まみれ、
きれいに拭かれ、紙オムツを装着された。

平成20年8月28日 生腎移植施行し、人工透析は終わりになった






俺、生きているか!

2022-02-17 14:21:15 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界


1810 俺、生きているか❕

狸森に棲んでいる美登里ばあ様は、今年の誕生日を過ぎると90歳になる。
毎日のように自分ことがわからなくなる。

農家の家は大きな屋敷が多く
美登里ばあ様の隠居部屋の壁には
祖父母と夫、息子嫁の遺影が飾られている。

遺影を眺めながら彼女は「あそこに俺の写真がある」、と話しかけてきた。
(美登里ばあ様は、自分のことを「俺」と話す)
「惚け」てきたとはいえ、予想もしなかった言葉に吃驚(ビックリ)。

故人を偲ぶため、通夜や葬儀の場に遺影は飾られ
葬儀が終わると、その家の仏間などに飾られている。
仏間に幾つかの遺影が飾られていることの意味がわからなくなったのか・・・・
「亡くなった人が遺影として飾っているものなんだよ」
「俺は、生きているのか?」、と尋ねてくる。
「生きているよ。いま89歳だよ」
「そうか、生きているのか」

「息子(60歳を過ぎ、同じ屋根の下で暮らす)は、まだ結婚していない」
「おかしいな、大きな男の孫が住んでいるでしょ」
「孫は、息子が外で産まれた子どもだよ」
「娘もいたでしょう。ときどき肉や野菜を買ってきてくれるでしょ」
「あれは、拾ってきた子どもだ」
などと、つじつまの合わない話が続く。

うつと認知症が重なり、それぞれの病気の境界がわからない。
感情の起伏が激しく、泣いたり、不機嫌だったり、同じ話を繰り返したりする。

農家に嫁ぎ 春になると雑草が延び始めると
鎌を手に根こそぎ草をむしり取る
隣の屋敷まで草をむしるのでよく「もめ事」になっていた。

腰は90度曲がり
空を見ることなく地べたをみながら歩く
モンペは腰まで上がらず
ときどき腰肌を出しながら歩く。

一度彼女に「仰向けに寝るときは、脚は天井を向くのかい」、と尋ねたら
笑いながら「寝るときは脚(足)はまっすぐに伸びるよ」。





同じ話を繰り返す

2020-12-15 20:42:03 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界
1733 同じ話を繰り返す



いま話したことを 忘れてしまう
同じ話を、また繰り返し話をする
とめどもなく話が続く 終わりのない話

家族にしてみたら
同じ話を繰り返し繰り返し聞かされると 疲れてしまう
いま話したことを忘れてしまい 何度も尋ねられると 疲れてしまう

認知症老人にとり 
いま話したことを 忘れてしまうから
同じ話を繰り返しされても
認知症老人にとっては
いま、はじめて話をしたと思っている

いつも聞かされている家族は
つい「さっきもその話を聞いた」「これでその話は何回目?」、と言ってしまう

介護従事者は家族と同じ言葉を話してはならない
介護従事者は何度同じ話を聞かされても
介護従事者は役者になったつもりで
「はじめて聞いたような表情で聞く」





熟柿(ベチャ柿)

2020-10-17 05:33:33 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界

1717 熟柿(ベチャ柿)

変な夢を繰り返し見た
beagle genkiの声で目が覚め夢が消えた

どんな夢だったのか
夢か現か

林檎のように固い柿や桃は好きではない
柿も桃も 齧ったとき汁がこぼれ落ちるほど熟した物がいい

認知症のお春婆さんが夢に出てきた
お春婆さんは長女と二人暮らしをしていて
昼夜逆転、夜徘徊しまくり長女は眠れず疲労困憊にあった
木の枝から落ち熟した柿を
春婆さんはポケットに入れ持ち帰り
長女に内緒で食べた

10名定員の小規模デイサービスに事業所を変え
週6日利用するようになってから
3日目の利用で昼夜逆転も徘徊も夢の如く消失した
「死んだように老母は寝ていました」、と話す長女

老母が夜いない日もあれば気が休まる、と思い
余り気乗りをしないのだがショートステイを利用した
翌朝、ショートステイの男性スタッフから電話があった
「(朝食のとき)おかずが詰まり心配停止になった」

老母は好きな食べ物を口にしたままあの世に逝かれた
家でも手がかかり大変な老母であった
老母の面倒を見るのは施設の人も大変だったから(死んだことを)責める気はありません
家で死ねなかったことは残念だったが、悔いはありません

エンドレスの如く繰り返しその夢を見ていた
老人は住み慣れた家で死ぬことを欲している
運よく家で死んだ老人もいれば
病院や介護施設のベッドで死んだ老人もいる

老親がどこで死のうが
悲しみ泪を流してくれる人がいるか・・・・
夢か現か 感じた


1285;弄便(ろうべん)

2019-11-16 05:11:38 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界
弄便(ろうべん)

弄便(ろうべん)という言葉は
日常生活のなかで使わない
「弄便」は読んで字の如く 便を弄(いじ)る、あるいは弄(もてあそ)ぶ、ということになる

認知症老人にしてみれば
便を弄ったり弄んだりしている訳ではなく
それぞれの行為には意味があるのかもしれない


90歳を越えた千代婆さんは
掌に便をのせ 上手にまるめ”おはぎ(ぼた餅)”を作り、
どうぞ、と差し出してくれる


精神障害と認知症のダブルの三重婆さんは
洋式便器に坐り
肛門近くまで便が来ている
なかなか出そうで出ない
これほど落ち着かないものはない

八重婆さんは自分の指を肛門に突っ込み
便を取り出す(摘便)
指や肛門の回りや便器など
そこらじゅう便だらけ

介護職員をトイレのなかに入れさせてくれない
きれいにしようと思っても
抵抗、拒否するから困ってしまう


平三爺さん
軟便が多く
長男夫婦と同居をしているのだが
あまり面倒を見ない
実質的ひとり暮らしにある彼

傷んだおかずや変な臭いがしたおかずも食べてしまうため
下痢することもある

トイレに間に合わず便付着のまま車に乗る
排便した後 お尻を拭かないでてくる
拭くよう、言葉をかけるも
排便後に拭くということを忘れてしまったのか


トイレに行くのが面倒な怠け者婆さん
元小学校の先生をしていた都志婆さんは
仰向けの状態で排便をする
畳、蒲団の上は便だらけ
背中まで便が付着

便が着いた指で 冷蔵庫を開け食べ物を取り出し食べている

弄便(ろうべん)は手がかかり 
どうしたら弄便がなくなるのか
悩みは続く

1128;環境が変るだけでも、認知症状は急激に進む

2019-05-28 10:19:03 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界
環境が変るだけでも、認知症状は急激に進む

実際にあった話
下山佳子さん(85才)は、悪性リンパ腫を患い
この先どのくらい生きられるかわからない
本人に告知されたが
病名も告知も忘れている。

いままでは長男夫婦と同居していた。

同じ市内に住む次女が
引き取り、「介護」する、と言って
次女夫婦宅で暮らすことになった。

次女宅には、次女の夫、孫息子、孫娘2人、次女の夫のお母さんが住んでいる。
次女宅の姑は、介護の世話を受けていなく、自立している。
娘が嫁いだ家には姑がいる。
普通ならば同居するであろうか・・・・。

佳子さんは、認知症があるため、その辺のところが理解できずにいいるから、
次女夫婦家族と同居できるのかもしれない。

佳子さんにとり、次女宅の家のなかは、
他人行儀の家であり、思い出の物も無く、
自由に足を伸ばしたり躰を横にできるような居心地さはなかった。

長男夫婦宅から次女夫婦宅に移り棲んだことも彼女はわからず
長男夫婦宅に居ると思っている。
「頭」でそう思っていても、躰は嘘をつかず、表情は硬く、
他人行儀の雰囲気に置かれ、何もせずにただ坐っているだけ。

何もせずにいることが、認知症の進行に拍車をかけている。

住環境が変わっても、認知症にならない老人もいる




1044;認知症老人も人間、生きている

2019-04-07 08:52:52 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界
明治・大正。昭和・平成そして令和へと生きる111歳サタ婆さん(妻の母方祖母)
2025年には、5人に1人が認知症老人

平成29年版高齢社会白書(概要版)によると 
認知症高齢者数の推計
65歳以上の認知症高齢者数と有病率の将来推計についてみると、平成242012)年は認知症高齢者数が462万人と、65歳以上の高齢者の約7人に1人(有病率15.0%)であったが、372025)年には約5人に1人になるとの推計もある


30年前の平成元年
老人介護の世界に足を踏み入れ
始めて認知症老人に遭遇

あともう少しで「令和時代」に入る
令和時代は私にとり 老い往くときに入り
5人に1人が認知症老人になると平成29年版高齢者白書に書かれてあり
その1人が私なのかな、と思っている。

認知症老人の存在は
家族にとり悩める存在となり
ときには疎ましく疲れ
ストレスが溜まりに溜まり飽和点に達し
言葉が荒々しくなり
虐待へと連鎖しかねない状況に追い込まれてゆく

介護施設、認知症グループホームや、デイサービス等で
認知症老人に向き合っている介護職員の場合は
虐待行為,あってはならない
何故なら介護職として賃金を得ているからである

30年老人介護の世界に身を置かせていただき
これからブログのなかで書く内容が正しいとは必ずしも限らない
認知症老人に対する見方、とらえ方は様々
人間がにんげんを判断したり審判を下すことは難しい

自分という人間がわからないのに
どうして認知症老人のことが理解できようか
と、考えてしまうけれど
認知症老人とかかわることにより
老い往く自分が見えてくるのかもしれない

認知症老人も人間、生きている
そのことを頭の片隅に置き
未知の令和時代を生きて往く