老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

桜木紫乃『家族じまい』集英社文庫

2023-08-20 10:43:26 | 読む 聞く 見る
1991 同じように見えて違うこと



親の終活、老老介護、家族とは のテーマで北海道を舞台にした物語

読みかけの途中だけれど
自分のこころに引っかかった言葉に、眼が留まった。

「やらなかったことと、出来なかったことって、同じなかったことでもずいぶん違うなあって、いま思った」(34頁)

消えることも、あるいは消すことも、見えるところでは同じ結末だ。(34頁)


自分の人生を振り返ると、その場に立ち止まって踏ん張るということをしなかった。
大きな樹は、その場から逃れることもできない。その地でしっかりと根を張り大樹となった。

「やらなかったこと」の連続で、それは後で後悔だけが残った。
水溜まりも同じだ。
水は生き物。水の流れが止まると水溜まりになり、時間が経つにつれ水は濁り腐り、水は死ぬ。
生きることの意味を見失い、ただ息をしているだけでは死を待つだけになり生気のない眼になってしまう。

何もしなければ、やらなければ、何も「出来なかった」と後悔だけが残る。
時間は有限であり、老いのなかに在る自分は時間は残り少ない。
いつも同じ自問自答を繰り返しがいまなお続いている。

息子夫婦に迷惑をかけてはならない、と
老衰が進行していくなかにあっても、自分の躰を奮い立たせ
か細い脚で手すりにしがみつきながらトイレまで歩く96歳の老女
「歩かなければ寝たきりになってしまう」

誰かのために、自分のために、自ら躰を動かすことから始まる

いろいろやってみたけど出来なかったこと

やらなかったから出来なかったこと
はかなり違う。

やって無駄なことはない
そこから何かを得ることはできる。

ラストチャンスに賭け
いま抱えていること
やってみることから始まる。
「やってみよう」の歌詞のとおり
try try しかない。
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「 横」の生活から「縦」の生活に変わる

2023-08-18 22:42:23 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

           濁らない眼で景色を眺めたいものだ・・・・

1990 「 横」の生活から「縦」の生活に変わる

自分より5つ年上の老女がいる

「不良」婆さん
息子の煙草からチョッと拝借して煙草を吸う
眠れない、と言って眠剤服用後に酒を飲む

「夜、なかなか眠れない」、と話すと
隣にいた息子から「昼間から寝ているからだよ~」

ソファーはベッド代わりとなり、昼夜逆転の世界

足腰がめっきり弱くなり
ソファーから立ち上がるのも大変
ときどき転んだりもしている

何もすることがないから「煙草」を吸うか
ソファーに寝るしかない

だから家に居るときは「横になり」過ごしている。
8月24日から週2回(火曜、木曜)、デイケアに通い始め、「縦」の生活になる。
10分~15分程度のリハビリなどを行ったりする。
風呂にも入る(家では入浴していない)

76歳の婆さん
どんなふうに変化していくか 楽しみ・・・・

友人とwifeと外食をしていたとき(wifeは生ビール、自分は冷たい烏龍茶)、
老女から電話がかかってきた(スマホを使って・・・・)
{初回訪問のとき 自分のスマホの電話番号を入力したおいたこともあり(楽々にかけられるように設定)}
「デイサービスに行くとき、石鹸、シャンプーも持っていくのか・・・・」

いいね!
気軽にスマホで連絡できる婆さん
訪問の帰り際のときに
「いつも何かあったら電話してね」と話している。
1日でも長くスマホを使って欲しい、と願うばかり。

秋の彼岸が近づき 「昼夜逆転」となり
陽が沈むのが早くなる
夜の庭はコオロギたちの演奏で賑やかだ。


コメント (2)
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71年目の晩夏

2023-08-17 22:25:48 | 沁みる砂時計
1989 71年目の晩夏



1ヵ月ぶりのブログ
中断を繰り返し、息が続かない『老い楽の詩』

どこまでも続くか自信がありませんが、またよろしくお願いいたします。

1か月後にブログを開いたら
右端の上に広告が居座り、ブログの雰囲気がすっかり変わり
広告が気になってしまう
そんなことを気にせず 書きたいことを書くしかない、と
気を取り直すしかない



さて、今日は自分にとり71年目の夏を迎えた。
 
自分も蝉のように「いま、ここに生きている」と鳴いている蝉。
夢を追い求めた少年時代の夏はもう昔のこと。



今日から366日後の8月17日
どんな青い空と白い雲に巡る遇うことができるか

脚だけでなく腕の筋力も落ち
老けた躰に負けず 「今日」という一日は二度と繰り返すのことのできない時間だけに
「いまに生きている」認知症老人の後ろ姿を見ながら
自分も明日に向かって生きねばならない

これから72の晩夏まで 自分は何を為すのか
躰を 手足を 頭を 動かし 生きる

15年前の8月27日に腎臓移植の大手術をした
拒絶反応もなくこうして生きていられることに
「感謝」の二文字を忘れてはならない

生かされた「いのち」
ただ老いの齢を重ね、ただ息をしていることに終わっている自分
15年前の晩夏を思いだし、そのときの気持ちに返り
今日を大切にしていきたい



早朝 夕暮れどきの吹く風に
秋の気配を感じる

時間は知らぬ間に自分を追い越していく
ぼやぼやしていると死神に追い着かれてしまう
時間を忘れるほど、何かに熱中していくことだ。








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