老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

958 振り返る

2018-12-30 05:16:16 | 老いびとの聲
 振り返る

齢を重ねていくほど
早く過ぎて行く時間

時間は無限にあるけれど
自分に与えられた時間は有限であり
砂時計の如く
時間の砂は落ちて行き
この世にある砂は残り少ない

まだ本当に生きた、と
実感できていない
いまの自分

今年も時間に追われ
気持ちの余裕がなかった

今日為すべきことを
今日に為す

明日にしよう、と
思ってしまったとき
自分に負け
時間に追われてしまう

慢性腎不全症の病い仲良くつきあい
与えられた腎臓(生命)に対し
本当感謝の思いで
残された時間

妻と元気な我家のアイドルbeagle元気と
担当している33人の老人たちと
本当に生きたという実感できるよう
行動を起していきたい

死に向かって
自分は
何をしたいのか
内なる世界のなかで
思索してみた

いまから
凍えるような寒さのなか雪路を
beagle元気と散歩する
元気は雪をみると
尾っぽを左右に振り振りし大ハッスル
雪路だけでなく
人生においても
これ以上転ばぬよう
散歩してこよう



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957 雪の華

2018-12-29 17:27:47 | 老いの光影
 雪の華

チョッとピンボケかな
阿武隈川の辺も
10㎝程度の積雪
小枝に降り積もる雪の華

30㎝以上も積もると
雪かきも大変

明日は路面が凍るので
転倒に気をつけねば
今日は何もせず
文庫本を読み耽ていた
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956 昔の石油ストーブは危険がいっぱい

2018-12-29 04:44:58 | 老いの光影
「yahoo画像 昔の石油ストーブ」より引用

昔の石油ストーブは危険がいっぱい

※2017年12月7日のブログを再掲します

在宅訪問に行くと
俗に言う昔タイプの石油ストーブが
赤々と点いている
85歳以上の独居高齢者は
よく使われている
いまどきの温風ヒーターに比べ
便利であり
多機能型石油ストーブでもある

昼間でも「やかん」を乗せ
お湯を沸かすことができる
また加湿器の働きもする

味噌汁鍋や煮物が入った鍋を乗せたりして
煮炊きもできる

暮れになると
網をのせ餅を焼いたりする

前述したように確かに便利であり
重宝がられている一方で
危険も隣り合わせにある

やかんなどが乗っていると
危険がW(ダブル)となり
余計に心配が重なってしまう。
足元が心もとなくなりふらつきもある
ふらついたとき
やかんのとってに手が触れ
やかんがひっくり返ったとき
熱湯で火傷! その場面を想像してしまうと
いてもたってもいられないが
老人には
「できればやかんは乗せないほうがいいんだけどなあ~」で終わってしまう。

やかんを乗せなければ、乗せないで別の心配が出てくる
ふらついたときにストーブの熱い天板(上面)に手を着いてしまう
(人間の癖でバランスを崩したとき転ぶのを防ごうと手を着く習性がある)
これもまた火傷の事故

火傷防止するということで金網で囲いをすると
ないよりは安全だが、それを手すり代わりにつかまると
囲いごと倒れ火傷,骨折の心配は残る
また囲いに洗濯した衣類をかけ洗濯干しをする老人もいる
火災の心配をしてしまう

いま使っているストーブがあるのに
温風ヒーターの方が危険のリスクはぐ~んと減る
温風ヒーターの方がいいな~とは老人には言えない
ときどき実家を訪れたり、実家を帰ったときに
息子、娘たちが半ば強引に温風ヒーターを置き
旧式の石油ストーブを引き上げ持ち返るくらいでないと
「危険がいっぱい」の冬を乗りこえることはできない

冬のニュース
それも毎年正月のニュースでは
火事で老人は焼死体となり
石油ストーブが出火原因であったりする

ひとり暮らしの老人が
石油タンクに灯油を入れるのは
本当に危なっかしい
こぼしたり溢れたり
またストーブを点けたまま灯油を入れたり
想像つかないようなことをしている

在宅訪問のときは
灯油が半分以下になっていたら
おせっかいやきになるが
灯油を入れて帰る
またデイサービスの事業所で協力を頂けるところは
送迎(送ったとき)時に灯油の残量を確認し
少ないときは入れて頂いていいる

寒いと人間は 心がわびしく寂しくなる
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955 団塊世代の老いの先

2018-12-28 04:28:31 | 老いの光影 第4章
 団塊世代の老いの先

親の後姿を見て
子は育つ

老いに入った
団塊の世代
自分自身
団塊の最後にある

90の齢を越える時代となった
あと20年から30年は生きられる

85歳を越えると
要介護老人になる割合が増えてくる

これからは
子どもに介護を期待することは
難しい

老夫婦
つれあいが先に亡くなったとき
悲嘆 喪失を抱え独りで老い逝かねばならない

認知症や不自由な身体になりながらも
必死に生きておられる
今日の老人の後姿から
何を感じ 何を思い
どう行動し どう支えるか
それは自分自身の老いとも重ね合ってくる
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954 子を思う老親

2018-12-27 08:36:39 | 老いの光影 第4章
子を思う老親

昨日退院後
110歳サタ婆さんに会いに行った

病院併設の老人保健施設S
一階通所リハビリのホールで待っていると
介護用ベッドに乗せられたサタさん
二階の居室からベッドごと移動

車椅子に座れるのに
車椅子に乗せるのが面倒なのであろうか

心配していた熱は下がり〝ホッと〟した
私の顔を見て
誰だかわかり 〝福島から来たのか〟と言葉をかけてくれた
〔妻の母方祖母〕

額に手を当てると
本当に熱はなく
優しく手を握る
笑顔が溢れた

サタ婆さんは無言の「言葉」で
話しかける

寝たきりではないのに
介護ベッドに寝かせられている
いつも横にさせられているので
見えるのは白い壁だけ

食べるときもベッドの上
尿意があるのに管を挿入された
手助けさえしてくれれば
立つことや立ち上がることだって「できる」
洋式便器にも座れる

なのにお股に異物があり
落ち着かない
できるものならトイレで用を足したい

介護ベッドから車椅子に乗せ
トイレまで連れて行き
洋式便器に腰かけさせることが
他人様の手を煩わせ面倒をかける
「仕方ないか」

老人保健施設はリハビリができ
医師も看護師も理学療法士などの医療専門職がいる

椅子に座れるのに
狭い介護ベッドに寝かせられたまま
死を待つのは嫌だ

寝たままでいると
心臓も肺も筋力も体力も思考力も弱くなり落ちて行く
それを〝廃用症候群〟ということは
老人保健施設の医療職ならば誰もが知っている

手が足りないから
手間がかかるから
110歳で無理してはいけないから

介護(ケア)とは
本来手間のかかるものである

介護とは
人間回復の営み

長男夫婦も高齢になり85歳
一緒に暮らすこともままならなくなってきた
ここで(老人保健施設)お世話になるしかない

〝また来るね〟と手を握る
〝気をつけて帰れや〟と老いた子に言葉をかける

介護ベッドごと 二階に移動する
サタ婆さんを見送る

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953 やるせなく せつない

2018-12-26 02:27:53 | 老いの光影 第4章
 やるせなく せつない

私が入院している間
110歳の婆ちゃん
高熱が下がらず
苦しみ 肩で呼吸をしていた、と
妻のお母さんから聞かされた

いま老人保健施設に居るのだが
「キリ(最低)」のレベルにあるケア内容

母親は
赤ん坊がぐずりだし
「どうしたのかな」と
額に手を当てたら熱い
そこで初めて体温計を差し込む
「ピッピッピ」と鳴り
見てみると高熱の数字を眼にする

肩で呼吸をしているのに
検温したら36.8℃
平熱とされ、「異常なし」で通り過ぎてしまう

ただ検温をすればよい
そんな、こころない体温計の測り方

110歳にもなれば
脇の下の筋肉は衰え隙間だらけ
ただ体温計を腋下に挿しただけで
体温計は肌には触れず
正しい測定はできていない


看護者は上腕に手を当て軽く抑える
そうすれば38,0台の数値を示したはず
肩で呼吸をしていた症状に気がつかずにいる

看護の「看」は
「手」と「目」で患者を観る

ケアでいう「手当て」とは
患者に手で触れ 状態を知る

母親はわが子の様子が
いつもと違うな、と感じ
熱があるのかな、と思ったとき
最初にするのは「手」を当てる

ケアも同じ
目で見て 手で触れ
患者(相手)に言葉をかけ
聴くところから
ケアは始まる

聴診器
いまはあまり診察室ではみることが稀になってきた
その聴診器も
病人の胸に当て
病人の声を聴く(状態を知る)

その老人保健施設のケアは最低レベル
38,6℃の高熱がでた、と聞いて
翌日、病室から電話をかけた自分
「36,6℃の平熱になり、ベッドでゴロゴロしています」と
スマホの向こうから聴こえる看護師の声で安心した

しかし、実際には高熱が続いたままだった

嗚呼 誰高熱であることを気がつかずに
呼吸が乱れ苦しんでいるのに
このまま息途絶えてしまうのか、と思うと
やるせなく つせつない

今日退院したら
真っ先に面会にいく


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952 根なし草

2018-12-25 01:41:15 | 老いびとの聲
 根なし草

ふと想うことがある
自分を
植物に喩えると
根なし草(浮草)なのかなと

大地にしっかりと
根を張ることができず
流れ流れて
いまの地に棲み拾年

積みついたその年に
東日本大地震を目の当たりに体験した

最後に棲みついた地で
根を張り枯草となり
土に帰る

そんなふうに想うこともある





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951 「失敗」と「後悔」

2018-12-24 17:22:03 | 老いの光影 第4章
 「失敗」と「後悔」

「失敗」を怖れず
新しいことや難課題に挑む

「失敗」の体験から
次の成功が生まれる

そうは言っても
なかなか「失敗」から
立ち直ることできず
ひきずってしまう

「失敗」は
取り戻すことができる

「後悔」は
取り戻すことができない

白髪交じりの頭
皺が増えた顔
老けたなあ、と思ったとき
自分の人生を振り返ると
「後悔」の二文字が滲む

何をしてきたのであるか
これと言って
これをやり遂げたというものはなく
誇れるようなこともない

いったいなにをしてきたか
いまさら
後悔してみても
やり直しはきかない

いままでできなかったこと
老いてなお
なにかができるのであろうか
半世紀の時間をかけできなかったこと

果たして老いから死までの残り少ない時間で
なにかを遺すことができるはずもない

しかし
後悔のまま死を待つのも
苦痛であり惨めでしかない

最後の足掻きでもいい
老いてからでもいい
生きたという証明(あかし)を
感じとっていきたい


明後日
病院から「出院」する

娑婆は
冬至過ぎ Xmasも過ぎようとしている
隣りの中国では
Xmasは禁止とか


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950 異常と正常の差別

2018-12-24 01:41:48 | 読む 聞く 見る
 異常と正常の差別

入院生活は
非日常的な時空間にあり
腎臓食の献立のため
毎日変わりばえのしない食事
正直「美味しくない」が
食べている

何もすることがない
テレビはあるが
観たい番組が少ない

自宅から
8冊の文庫本を持ってきた

6冊読み終わり
いま約700頁もある分厚い文庫本
武田泰淳の『富士』中公文庫
読んでいる

富士に見おろされる戦時下の精神病院
桃園病院を舞台にしている。


「(精神病)患者の症状は、
人間として許されてあると思考しなければならない。
それは結局、
人間にとって、
あらゆる生き方、あらゆる動き、あらゆる錯覚に
許されてあるという見解を
保持することを意味する」(123頁~124頁)

「すべてが許されてあるのに、
何を苦しんで
異常と正常の差別をつけ」
るのか。 (124頁)

何を基準に
異常と正常を判断するのか
正常と思っていても
異常であったりする

戦時下を舞台にして書かれた小説
当時の日本は
軍国主義の最中にあった。
戦争は狂気
その時代における思考
何が正常で
何が異常であったか



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949  最後の風景

2018-12-23 03:57:23 | 老いの光影
 最後の風景

病室の窓からは
北病棟に遮られ
関東平野を臨むことができない
窮屈な病室にある

病室で
今年を振り返った
かかわらせて頂いた老人
6人の顏を思い浮かべた

何処で死を迎えるか
  自宅     3人
  老人保健施設 1人
  病院     2人

誰に見守られながら逝くのか

幸せだったかどうかは
あの世に旅立った
本人にしかわからない

最後はどんな風景を見ながら
自分は逝くのであろうか

死ぬとき
自分は何を想うのであろうか

後悔を抱きながらは死にたくないけれど
老いのなかに在る自分は
後悔で燻っている

人生の砂時計ではないが
残された僅かな時間だけでも
後悔はしたくない

自分はどう生きるか
いまなお
悶々としている老いぼれ人

歌を忘れたカナリヤ
空を飛べなくなった鳥
歩けなくなった老人
それでも
生きて良かった、と
感じていきたい



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948 軟部腫瘍摘出術

2018-12-22 04:55:50 | 生老病死
軟部腫瘍摘出術のため入院中

赤い風船の糸が
するりと手から抜け
鉛色の空へ消えていった
そんな調子で
ブログがまた途絶えてしまった
不甲斐なさを感じ自己嫌悪に陥る

ブログのタイトルを
またまた変え
心機一転の気持ちで
始めた
苦笑、呆れ顔ものだけれど
よろしくお願いします


左手背、左肘の7箇所に
腫れものができ
そのうち2箇所は化膿し
38.6℃の熱を出してしまった。

12月17日
石橋総合病院に入院
その日に
左手背、左肘にできた軟部腫瘍の摘出を行った
57分間の手術

昨年の5月にも同じ手術を行った
軟部腫瘍の原因は
抗酸菌という菌で
肺にあると大変なことになる

1年間の内服薬により
抗酸菌を退治できるのだが
副作用が大きい
慢性腎不全の疾患を抱えているだけに
腎臓に与える影響が心配故に
内服薬は断念した

また軟部腫瘍ができたら
切除する以外に方途はない
これも生きている証拠(あかし)

12月26日に退院する
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