老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

五感のケア (4) (5)

2022-04-01 05:54:35 | 介護の深淵


1865 (4)感動 (5)感性

第四番目は『感動』です。

心は生き物であり、躍動感が求められます。
感動は私を元気にしてくれるし、周囲に居る人たちにも元気を与えます。

感動は心の波動でもあります。
うれしいこと感激したこと、心に感じたことを素直に表現します。
それは利用者にも波の如く伝わり生きることへの希望をもたらしてくれます。

感動は利用者からの贈り物であり、感謝の気持ちへと繋がっていきます。
また私たちのエネルギーの源でもあり、疲れを癒してくれます。


最後の五感は『感性』です。

感受性という言葉に置き換えることもできます。
『感動』する心を忘れないためには、相手の心を感じとることができるかです。

自分の心が穏やかでないと、いざというとき心の受信機が作動しにくくなってきます。
受信機が不良だと自分が発する言葉(発信機)までもおかしくなり、相手を知らぬ間に傷つけたりしてしまいます。

自然に触れ芸術文化(文学・音楽・映画など)を楽しみ
心落ち着く場所など自分を見つめる時間・空間の確保も大切と思いながらも
隅に追いやられてしまいがちです。

怒り、憤り、悲哀(かなしみ)、歓喜(よろこび)など
さまざまな感情が渦巻いています。

繰り返しますが、老人の呟き(言葉)やしぐさなど
老人の表情や気持ちを察知し、日々のケアに反映世させていくかです。

古い話「五感のケア」を綴り、恐縮しています。
昔の話を衣服を引っ張り出しても、いまの時代にはそぐわない服装になったのかもしれません。







五感のケア (3)

2022-03-31 04:17:14 | 介護の深淵


1864 共感

第三の五感は『共感』です。

介護を媒介にして「共に感じる関係」とは、
どういう人間関係を意味するであろうか。

介護福祉士や訪問介護員の養成講座において「共感」とか「受容」という言葉を
講師から口酸っぱく聞かされたことを記憶していることと思います。

介護者(自分、私)の価値観をまず脇に置き、
相手の悩み、苦しみ、不安、葛藤、態度などをあるがままに受け止めていくことから始まります。
相手の喜びや悲しみ、怒りを共に感じていく状況に身を置いているかです。

ひとつの場面、ひとつの瞬間のなかで
相手と自分が一緒になって感じたことを「共有」し合う、
その場所、その時に感じたことは二度とやって来ないのです。

それだけに、いまを、その場所を、大切にしてかかわりあうことです。



五感のケア (2)

2022-03-30 09:00:28 | 介護の深淵


1863 感心

第二の五感は『感心』です。

講談社の漢和辞典(竹田晃・板梨隆三編)によると『感心』とは
「すぐれたもの、みごとなものに深く感じること」「行動・態度などが立派なさま」と記載されています。

日々関わっておられる認知症老人やねたきり老人の行動・態度から何を学び、
何を深く感じ取っていくかです。

意味不可解な認知症老人の行動・態度・言葉であっても、そこに深い意味が隠されています。
そのためには常に「関心」(問題意識)もつことです。

関心とは、読んで字の如く「心にかけること」「心を引かれて注意を払うこと」です。
老いた人たちの呟きや言葉、行動・態度などに心にかけ、注意を払い、
何を訴えようとしているのか、
何を求めているのかを深く感じとれるかです。

「感心」と「関心」
感じる心
心にかける
どちらも大切です。


五感のケア (1)

2022-03-29 12:50:47 | 介護の深淵


1862 感謝

見出しに“五感のケア”と書いた五感とは何か、

普通“五感”はと聞かれると、
「人間が外界の刺激を感じる事ができる五種の感覚(五感)」を思い浮かんできます。
それは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つです。

ここではもうひとつの“五感”は、ケアサービスの視点から捉えていきます。
それは、感謝・感心・共感・感動・感性の五感であります。

まず、『感謝』の精神からケアが始まります。
私(介護者)が居る(在る)からあなた(利用者、入居者)が居る(在る)のではありません。
利用者が居るから私が居るのです。

あなた(利用者)に居宅介護事業者のサービスを選択していただかなければ
私の持っている介護技術や専門的知識は活かされないし、
また介護関係も成立しないことに、私たちは気づいているでしょうか。

会社の組織に置き換えても同じことが言えます。
社員が居るから社長が居るのであって、
根底には感謝の気持ちがなければ会社も死滅していきます。

素直に感謝し相手に尽くしていくこと、
平易でありながらも忘れがちになり、
いつのまにか「介護してあげている」という落とし穴に足を奪われてしまう危険性が
潜んでいることに注意をしなければなりません。

2007年9月22日 福祉専門学校介護福祉科の学生に対して話をしたものです



「臨床」とは

2022-03-04 07:48:41 | 介護の深淵


1833 患者に臨む

砂時計から落下する砂を見ていると
流れ往く時間に映る。
落ち往く砂は早く
残された砂は少なくなってきた。

老人にとっても 
わたしとっても 
残された星の砂は
貴重なな時間である。

老人の顔に深く刻みこまれた皺、
節くれだった手指から、
わたしはなにを感じ
なにを話すのか。

病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。
読んで字の如く「床に臨む」となり
「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり
「臨む人」は医師や看護師である。

直訳すると ベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、
向き合っている医師、看護師は 何を為さねばならないのか。


介護の世界においても同じである。

ベッドは畳(たたみ)一畳の程度の限られた空間のなかで、
寝たきり老人は生活している。
ベッドに臥床(がしょう、寝ている)している老人を目の前にしたとき、
わたしは、どんな言葉をかけてきただろうか。

十年間寝たきりだったある老人がおられた。
長い間、家族から離れ 友人が住む地域からも離れ 独り、じっと耐え生きてきた。
明日のことよりも 今日のことだけを考え精一杯生きてきた。
今日まで生かされてきたのは、彼だけでなく自分も同じであった。

残り少なくなってきたあなたの時間
あなたとわたし 繰り返すことのない時間 
あなたに寄り添いながら
いまを生きていく。

宮沢賢治の雨ニモマケズを「編詩」しました

2022-03-01 08:52:37 | 介護の深淵
1828 病気ニモマケズ

星 光輝「病気ニモマケズ」

病気ニモマケズ
障害ニモマケズ
肺炎ニモ夏ノ熱中症ニモマケズ
丈夫ナカラダヲネガイ
慾ハナク
決シテ諦メズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日塩分六グラムト
野菜ト少シノ肉ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンノカンジョウヲ捨テサリ
ヨク立場ヲワカリ
ソシテワスレズ
施設ノ居室ノカーテンノ陰ノ
小サナ特殊寝台ニジット生キテイル

東ニ寝タキリノロウジンアレバ
行ツテ介護シテヤリ
西ニツカレタ家族介護者アレバ
行ツテソノロウジンノ世話ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニ惚ケタ人ガミチニマヨッテイレバ
モウ安心ダカラネトイヒ
ナカマガ他界シタトキハ泪ヲナガシ
ゲンキデ春ヲムカエタトキハ桜ヲミル
ヤクニンニ ヨウカイゴロウジン トヨバレ
ネンネン介護給付ハキビシクナリ
苦ニモセズニ
ワタシナリニ
イマニイキテイル

宮沢賢治さんが、拙い「編詩」?を目にしたとき 苦笑するのか、それとも
再掲

宮澤賢治「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

「できる」「できない」の続きは、日曜日掲載予定

路端に転がる石

2022-02-19 14:07:03 | 介護の深淵


石のぬくもり 

介護ベッドの上で
寝返りすることもできず
ジッと天井を見つめたまま

長い一日を過ごす苦痛
屈伸することもできず
左右の手足は「く」の字に拘縮したまま

硬くなってしまった老人の躰は
石のように冷たい

辛夷(こぶし)に映る 握りしめた指をひと指ひと指解し
空に向って開いた手を握り返す
微かにぬくもりが伝わりはじめてくる


路傍の石はジッとしたまま
何処へも行くことができず
地べたにへばりついたまま

石の表面は
青空を見つめ
太陽に照らされ
ぬくもりの石になる

石の裏面は地べたに引っ付き冷たいが
表面からやさしいぬくもりが
じわっとつたわり
ぬくもりの石になる



寝たきりになったとき、誰に介護をしてもらいたい

2020-09-24 04:37:47 | 介護の深淵

稲刈りの季節になると 路にたむろする烏の群れ


1690 寝たきりになったとき、誰に介護をしてもらいたい

私は、寝たきりや認知症を抱えながら
懸命に生き
在宅で過ごされている老人とその介護者の「家」を訪れる

どの老人も「住み慣れた家がいい」
「家(うち)がいちばん」と
目を細めながら話してくれる。

しかし、
なかには介護者自身も高齢の身であり、
腰痛や膝の痛み、高血圧、心疾患などの病を持ちながら介護をされている。
いつまで続くかわからない介護・・・・。

俗な表現になってしまうが
家族にいつも汚れた紙おむつや下着の交換をしてもらう老人たちにとって、
どんな思いを抱き、
日々「家で過ご」されているのか。

いつも気になっている。


床ずれができ、両膝は「く」の字に曲がった85歳の男性老人は
ぽつりと小さな声で呟(つぶや)く
「早くあの世に逝きたい」と。

いつまで続くかわからない介護に、
身も心も擦り減らして、
代わってくれる人もいない老老介護。
伴侶(つれあい)が生きていてくれるだけで、
妻としての努めを果たすことができる。

戦後生まれの夫は寝たきりになったとき
妻に介護してもらいたい、と思っているが
妻の気持ちは・・・・・。

人間が人間を縛るということ⁉

2020-07-24 12:20:04 | 介護の深淵

那須連山が見える開拓 酪農


1606マザー・テレサと老人介護❸
~人間が人間を縛るということ⁉~


寝たきり老人や認知症老人を媒介にして
様々な家族模様に出会う。
日々介護に手を尽くし介護疲れで倒れてしまうのではないか、という家族もあれば、
寝たきり老人の介護を家族みんなで分担しあいながら家族の絆を強めている家族もある。

反対に、家族のなかに面倒なことがひとつ増えたという感じで、
家族関係がギクシャクし絆が脆弱な家族もある。

「自分さえいなければ」「不要な人間なのだ」、と思いこむ老人。
人間不信、意欲喪失等の状態で介護施設に入所になる老人。

老人介護は、老人とその家族の出会いで始まり、
老人の死をもって終わりとなる。
老人に出会い、いままで生きてきた老人の思いや
現在抱えている病気や障害の苦悩、辛さ、悲しさ、寂しさなどの心の重荷を受け留めていくところから始まる。

何も話したくないときがあるかもしれない。
皴が刻みこまれた手を握ることで、老人の心が安らぐ場合もある。
マザー・テレサが言うように彼らの気持ち、彼らの聲を聴くことから介護が始まる。

人間が人間を縛るということ!?

認知症老人の介護においても、手を握るという行為は、とても大切なスキンシップの一つである。
認知症老人は、「弄便(ろうべん、便を弄ぶ、便いじり)」「被害妄想」「徘徊」「攻撃的な言動」などの症状があると
「問題老人」であるとレッテルを貼られてしまいがちである。

認知症老人は、本当にこの人を信じていいのか。私の敵なのか、味方なのか、
その人(介護員、看護師、介護支援専門員)のかかわり方で敏感に感じとる。

他の利用者に迷惑をかけるという理由で、車いすやベッドに抑制(縛る)されたり、
鍵のある部屋に閉じ込められたりする。
(介護保険制度前の介護施設は、抑制などが多かった)

しかし、どんな理由をつけたとしても、人間が人間を縛るということが許されるのであろうか。
介護保険制度スタート以降は、どうしても抑制が必要な場合は家族の同意を必要とする。
老人の心の不安、葛藤、もつれ等を少しでもなくしていこうとするときに、
抑制をというかかわり方で、その老人が抱えている「問題」が解消するのであろうか。

反対に人間不信を増長させ、人格破壊につながる。

人間が人間を縛るということは、周囲の人たちに認知症老人は
「ダメな人間なのだ」「不要な人間なのだと」と思いこませることになってしまう。
頭がはっきりしている元気な老人や寝たきり老人、半身麻痺を抱えている老人は
縛られてる老人をみて、「この施設で安心した老後を送れる」、と思うであろか。
「呆け(惚け)ては大変だ」という意識と不安だけが頭のなかに強く刻みこまれる。

どんなに認知症が重くなっても、
「あなたも、私たちとおなじように望まれてこの世に生まれてきた大切な人なの」(前掲書26頁)である。
呆けていてもこの世に人間として生きるということ、
マザー・テレサは、”愛”の問題としてとらえている。
その”愛”という言葉を”人権”という言葉に置き換えていく。
人間の尊厳を守るケアをめざしていくことにある。

(『銀の輝き』創刊号 1993,6,17発行 27年前、老人保健施設で勤務していたときに書いたものです)



人間にとってもっとも悲しむべきことはなにか・・・・

2020-07-23 05:24:53 | 介護の深淵
1605 マザー・テレサと老人介護❷
~人間にとってもっとも悲しむべきことはなにか~



マザー・テレサは「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、
自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ。
そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人にたいする愛が足りないことだ」
、と述べている(前掲書26頁)

息も絶え瀕死の状態にあっても、
路上で行き倒れた老婆を抱きかかえ、話しかけ手を握りながら看取る。
残されたわずかな生命であっても追い求めていく、彼女のその行為に圧倒された。

幸、不幸を数字で示すということはナンセンスではあることを承知のうえで、、
マザーに助けられるまでは老婆は99%不幸であった、と思う。
しかし、死の寸前、マザーに抱きかかえられながらその人の死を看取られたとしたら、
残り(最後)の1%は幸福だったのではないか。

人間の温もりを感じながら安らかに死せる、ということはとても大切なことだと思う。
「この世に不要な人間なのだと思いこむ」自分、
また思いこませる周囲の人間のあり方など、
人間に対するマザーの優しさかつ鋭い視点は、
老人看護、老人介護の世界においても相通ずるものがある。


人生の最終章にはいり、家族に囲まれながら老境をむかえ、
病気や事故に遭い半身不随または寝たきり状態になったとき、
多くの老人は心が大きく揺れ動き、一度は「家族に迷惑をかける」「自分さえいなければ・・・・」
「邪魔な存在」「役立たずな人間、却ってお荷物な存在」等々
”不要な人間なのだ”と思いこむ時期がある。

その思い込みを解決せぬまま重荷を背負いながら、介護施設の門をくぐる老人に対して
看護師、介護員、介護支援専門員は、何を為すべきなのか・・・・。

マザー・テレサは、その問いに対してこう示唆してくれるであろう。
「『貧しい人たちはね、オキ(沖守弘)、お金を恵まれるよりも食べ物をあたえられるよりも、
なによりもまず自分の気持ちを聞いてほしいと望んでいるのよ。
実際は何もいわないし、声も出ないけれどもね』。
だが、手をにぎりあい、肌をふれあうことによって、彼らの聲は聞こえるのだ。
そのことばを聞く耳を持ちなさい、・・・・・(中略)・・・・・『健康な人や軽税力の豊かな人は、どんなウソでもいえる。
でもね、飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手に、みつめあう視線に、ほんとうにいいたいことをこめるのよ。
ほんとうにわかるのよ、オキ、死の直前にある人でも、かすかにふるえる手が”ありがとう”っていっているのが。
・・・・・貧しい人ってほんとうにすばらしいわ』」
(前掲書29~30頁)




マザー・テレサと老人介護❶

2020-07-22 05:19:08 | 介護の深淵
1604 マザー・テレサと老人介護❶


蛍  草


「終わり良ければ総て良し」(シェークスピア)という、言葉が好きである。
老人介護にかかわっていると余計にそう思えてくる。
幸福感は、人によって価値観が違うので、一概に決められるものではない。

人生順風満帆にきたとしても
最後の場面で誰からも看取られることなく
独り寂しく死んでいくとしたら・・・・・。
幸せな最後だったといえるか。

住み慣れた家で家族に見守れながら死んで逝きたい。

カルカッタのスラムの貧しい人のなかのさらにもっと貧しい人たちのためにつかえてきた
マザー・テレサさんの行為に胸打たれる。
彼女を知ったのは、看護助手をしていた33年前のときのことで、
沖 守弘著『マザー・テレサ あふれる愛』講談社文庫 という本で出合ったのが最初である。

「マザー・テレサは、毎日、子どもや病人の世話に献身的に歩きまわっていた。
そんなある日、マザーは、路上に行き倒れている老婆に出会う。
極度の栄養失調にやせ衰え、皮膚は生気を失い乾ききっていて、
死人のようにしかみえないその老婆に、
目をとめたマザーが、十字を切って離れようとしたとき”死体”の腕が一瞬ピクリと動いた。
まだ生きている! マザーはかけよった。
体のあちこちは、ネズミにかまれたか、アリにくわれたか、血が流れだしており、
ほとんど死んではいるが、、しかしまだ生命の火は絶えてはいない。
神に望まれてこの世に生まれてきた生命だ、
生きられるところまで生きさせてあげたい!
マザーは、抱きあげると、スラムを抜け、病院へといそいだ」
(前掲書21~22頁)

マザー・テレサは生命がある人をみはなしてならないと訴えた。
いま自分の為すべきことは路上で死を待つしかない人々を安らかに死を迎えることのできる{家}をつくることだ、
と確信し、即行動に移した。
「ニルマル・ヒリダイ(清い心)」と呼ばれる{死を待つ人の家}がスタートした。


自ら命を絶ったひとり暮らし老人

2020-07-21 04:29:13 | 介護の深淵
1602 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」❹(最終回)


草むらのなかに咲いた百合の花


自ら命を絶ったひとり暮らし老人

自ら死を選んだ老人について述べていきたい、と思います。

昨年からかかわり6か月間、家事援助(生活援助)をさせて頂きました。
最初の出会いは、病後の身体でひとり暮らし(82歳)で、妻は亡くなっていました。
彼は体力が低下しないようにと少しづづ散歩をしたり、
できることは自分でやるというように、前向きに生きていた方でした。

師走を迎えホームヘルパーの援助機嫌が切れた後のことです。
1月3日、私の家に「腰を痛めた。動けないよ」、と電話が入りました。
翌日、早速訪問しました。

家の中は荒れ果てており、彼は「起き上がるのに1時間かかるよ。入院したい」、と訴え
ベッドに伏せておられました。
その姿を見てただごとではないと思い、
息子夫婦と市の社会福祉協議会に電話をしました。

5日民生委員に付き添われ受診、その結果骨折ということで入院になりました。

そして、1か月が過ぎ「今日退院したよ。いろいろありがとう」、と受話器から彼の喜びが伝わってきました。
「春が来る頃までには腰もすっかり良くなるわね」、と応えました。

しかし、その後、彼の気持ちは暗くなり何度か電話がかかってきました。
「何時までもかかわってあげたいけど、ヘルパーとしての規則もあり頻繁に訪問できないの。
新しいヘルパーが来るまで頑張って・・・・。ごめんなさい。息子さんや民生委員さんにすぐに相談して、
ヘルパーの派遣をしていただくように」、と話をしました。
社協にもこのことは報告をしておきました。

電話の2,3日後、社協から「驚かないでください」、と自殺の連絡を受けました。
私は驚き混乱しました。
彼は、どんな思いで、自らの命を終わりにしたのか。
不安な心で必死に助けを求めていたのに、
規則を重んじ訪問しなかったことに非常に後悔しました。

「湯川さんの親切は仕事のうちだったんだな」、とそう彼に言われているような気がしました。
これだけが原因とは思いませんが、
心を抜きにしてヘルパーの仕事に対処したことはないだけにショックでした。

老人が特定のヘルパーに電話をしなくてもいいような在宅サービスの体制づくりが求められています。

在宅福祉は、福祉サイド、医療サイド、保健サイドが一つになって組織をつくり、
縦も横もつながりを持っていくことです。
そして、地域ぐるみで在宅福祉をとりこなかったら、”3時間ホームヘルパーが活動したから、この家は安心だ”
”訪問看護師が来ているから安心だ”、とは言えないと思います。

4つの事例を通し、27年前のホームヘルパーの活動を紹介してきました。
介護保険制度のスタートにより、在宅福祉は、福祉、医療、保健の連携調整は
介護支援専門員(ケアマネジャー)が担うようになりました。

地域とのつながりはいまも模索していますが
27年経っても地域とのつながりは悩ましく
地域力そのものが痩せ細ってきているような感がします。

どこまでかかわるべきなのか、いつも自問自答しています。
地域包括支援センターから、「かかわりすぎ」「距離を置いたほうがいい」
「自分の身体がもたないよ」などと、苦言を頂くこともあります。

老人の呟きや聲なき聲を
どこまで拾い切れているのか
湯川さんは「在宅福祉にかかわるものは、老人の心理(気持ち)を知らないではすまない」、と述べておられます。
本当にそう思いました。




ひとり暮らしの寝たきり老人

2020-07-18 06:33:09 | 介護の深淵

1598 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」❸

【ⅲ ひとり暮らしの寝たきり老人】

ひとり暮らしの70歳の女性です。
彼女は、大動脈炎症候群という病気を抱え
訪問看護師に尋ねたところ、血管痛がひどく、
心臓、頭など全身吊るようなような痛みが走り
重い物は持つことができないということです。

冷蔵庫の戸を開けるのも、ご飯を食べるときも
負担にならないように茶碗に盛り付けます。

彼女は血圧が高く、240/120といった数値で、病院へ行くのにも
社協から車いすを借りワゴンのタクシーを呼びます。
健康な人が歩いてほんの2,3分のところでも
彼女にとっては大変な外出です。

受診後、血圧が下がり安心しました。
「私は、いつ死んでもいいんですよ。家で死ねるなら、もういつでもいい」、と言いながら
血圧も安定したことで、精神的にもホッとした様子です。

薬の調整もあり、定期的な血圧の測定も必要になってきます。
保健センターに電話を入れ、週2回保健師が来てくれるようになりました。
ヘルパーも医師の指示や意見を伺いながら、血圧測定を始めました。
健康状態をメモし、週1回病院へ持っていき、薬の調整を行うようにしました。

医師も「急変のときはいつ何時でも電話を入れてください」、と励ましの言葉をかけてくれます。
彼女は「いつ死んでもいいです」、と仰っていたのですが、こうも話していました。
「私は、ひとりでは生きていけない。ヘルパーさんが来て、食事、掃除、洗濯、買い物などを
してくれるから生きていけるのです。本当にありがたい、と思っています。
夫が寝たきりになったときは、このような制度がなく、商売をしながら介護をしたので大変だった。
私の病気は夫が亡くなって、看病疲れで悪化したものです。あの頃を思うといまは天国です」。

このようにホームヘルパーの援助を待っている人たちは、市内にまだたくさんいます。
「福祉」という響きに戸惑い、本当な利用したいのに躊躇しているところがあります。
すべての人の意識、福祉意識の高揚(意識の改革)も非常に大切です。

また、ホームヘルパーは、障害、病気を抱えている老人を
明るく前向きに生活ができるよう必要な知識・技術を身につけ
温かな心で援助していくことが求められています。

21世紀に向けて、高齢社会の問題を考えると、近隣の福祉意識に高揚と
地域ぐるみの見守りは、いま、」急いでつくっていくことが不可欠の課題です。

27年前はまだ介護保険サービスがないときでした。
まだ、1年6ヶ月のホームヘルパーの経験であっても
湯川ヘルパーさんの在宅老人に対する思いとその行動力には
本当に頭が下がります。

いまならケアマネジャーが行っている医師や保健師との連絡調整や
車いす借用の手配なども行っていた。
当時はヘルパーの利用はまだまだ抵抗があり
「貧乏人が利用するものだ」、という風潮がありました。

21世紀に入り、いまは2020年になったが
介護保険制度スタート時に比べ
訪問介護の利用は制限が増え、利用しにくくなってきました。



夫 全盲、妻 全盲・認知症疾患

2020-07-17 06:39:55 | 介護の深淵

1597 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」❷

事例ⅱ 夫 全盲、 妻 全盲・認知症疾患

二つ目のケースも介護と家事の援助を行っています。
老夫婦と息子さんという家族構成です。
老夫婦とも全盲という障害があります。
夫はマッサージ師として社会で活躍されてきました。
妻は脳梗塞、痴呆症となられ、家族のこともよくわからない、判断できないといった状態であります。

おむつをあて、部屋のなかでじっとしていることが多い彼女。
ヘルパーが話しかければ笑顔でこたえてくれます。
宇宙人と会話をしているような錯覚に陥ることもあります。
すべて会話が通じないわけではありません。
食事の後は「ごちそうさま」、仕事が終わり「さようなら」、と声をかける、
「どうもすいません」、と言葉が返ってきます。

食事を準備しているときのことです。
彼女のことが気になり、ちょっと振り返ってみると本人がおりません。
最初は、本当にびっくりしました。
家中探し回りました、最後にトイレのところに行ってみると鍵がかかっていました。

「オシッコですか?」
「は~い、おたかです」
「ちょっと、出てきてください」
「え~、何でしょうね」
なかなか出てきてくれません。
10分位過ぎ、やっと鍵があき、おむつもズボンもつけたまま、ジャ~、と水を流して出てきました。

「オシッコでましたか?」
「そうね、そんなこともありましたが、忘れました」
話しかけながらおむつを外そうとすると
「えなぁ~」、と嫌がります。

「オシッコをするときは、ズボンやパンツを脱ぐでしょう。ほら、私も同じものを穿いているよ」、と言いながら
彼女の手を私の腰に持っていきます。
彼女は手で擦りながら「えっ、そうなの」
ここで彼女との会話にピリオドが打たれます。

ひとつ一つの行動をさっさと進めてはいけないのです。
気配(間、ま)をつかみとりながらおつきあいをしています。

夫は、最近血圧が非常に高くなり、心配しています。
朝、4時 息子は老母をお風呂に入れます。
そして、朝食を食べさせ、おむつを交換をし出勤していきまでの時間は、
戦場のような忙しさです。

息子が安心して仕事に行かれるような在宅福祉のニーズは、
ここでも強く求められています。

私は、彼女を寝せつけ、鍵を締め、帰宅します。
息子が帰るまでの間、とても心配です。
こんなとき、近所のつながりがあったら、
もっと安心した在宅ケアに繋がるのではないかと思うものです。



27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」

2020-07-16 08:55:39 | 介護の深淵

1596 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」

資料を整理していたら『銀の輝き』第13号 1993年10月27日発行 
老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告 ~いま、在宅介護は!~」
老人保健施設に勤務していたときに発行していた機関紙を手にした。

1年6か月余りホームヘルパーとして訪問介護に従事されていた
社協ホームヘルパー 湯川文子さんの実践報告 3事例が掲載されていた。

27年前の訪問介護の実践ではあるけれども
いま読み直しても、考えさせられるところが多く、
掲載することにしました。

【事例1 夫 ねたきり、 妻 認知症】
 現在、担当しているのは3ケースであります。
最初のケースは、介護、家事の両方を援助を行っております。

老夫婦ぐらし、夫は脳梗塞、左半身麻痺、歩行困難。
妻は脳梗塞、パーキンソン、認知症の病気を抱えています。

最近、両親を支えておられた息子さんが脳梗塞になりました。
大事に至らなかったが、今後通院と療養が必要で退職となり、
息子の嫁は、働きながら、夫と義父母の介護を頑張っておりました。

しかし、彼の身内から介護のやり方について批判があり、
長男嫁は精神的に大分疲れ切っておりました。

ねたきりの夫は、食べることも水を飲むことも排せつすることも
すべて人手を必要とします。
妻を頼むしかありません。

しかし、妻は痴呆(当時は「認知症」とは呼ばず,痴呆と表現されていた)があるために夫の状況がのみこめません。
「ずるいから、自分でせいな!」、とつかみあいの喧嘩になることもあります。
そのために、息子夫婦のところへ、夜中呼び出しの電話が入ります。
息子夫婦は二人の話を聞いて調整します。
翌日、息子夫婦はお互いに仕事があるのでかなり負担になります。

この間、夫は骨粗鬆症で腰を痛め、40日間ほどまったく右も左も向けない状態でありました。
半月ほどは見るに見かねてかかわりました。
排便するときは動けないので、結局パンツのなかに大便をするしかありません。
おむつをあてると尿瓶でオシッコがとれない。
左半身麻痺があり動きが困難であります。

臭いがして「おじいちゃん、どうしました」、と聞くと
「便にまみれているんです」。
それで家事援助で入ったホームヘルパーでありますが、
お湯を沸かし、彼の身体を拭きました。

それから半月ほど様子を見てから、息子夫婦に相談をし介護援助のホームヘルパーも申請しました。

妻もその便を一生懸命処理してあげようという気持ちから
(便が付着した)畳をこすったりチリ紙で包んで庭へ捨てたりなど、40日間パニック状態でした。

幸いなことに現在は、なんとかひとりでトイレに行けるようになった老夫。

夫はこのときから「もう、死にたい。死にたい。私は何のために生きているんだ。生きていることはつらいよ。
だけど、死ぬことも自由にできない」、とわたしによく話をしていました。
ホームヘルプに行っても、二人だけで寝ていたり、テレビを観ていたりなど
二人の様子を見ていると穏やかそうに映りますが、
本当は死についてじっと考えているときもあるおじいさん。

少しでも元気をだして、前向きに暮らしてもらおうと季節の花を花瓶にいれて
「いい匂いだね」」、と枕元に置いてみたり、
彼に「昔、機関車に乗っていたんでしょう。
運転手のお話を聞かせて」、と聞いたり、
世の中の出来事を話してみたり
なるべく元気がでるように援助を行ってきました。

在宅福祉にかかわるものは、老人の心理を知らないでは
すまないことを本当にここでおもい知りました。
(以上)


ホームヘルパー 湯川文子さんは
路端に咲いている花をつむぎ
花瓶に飾ることで
老人の気持ちをやわらげよう、と
プラスαの支援をなさっていた。
介護保険による訪問介護では
ゆっくりと老人の話を聴く余裕もなく
時間に追われている。