老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1183;止まない雨はない

2019-06-30 19:35:52 | 阿呆者
小雨の阿武隈川

止まない雨はない

6月最後の日で最後の日曜日
昨夜から雨が降り続き
止みそうもない雨
止まない雨はない

気持ちが落ち込んでいるときの雨は 憂鬱
気持ちが明るいときの雨は 紫陽花が一際美しい

老いに入ってからの時間は早く過ぎ去り
月暦は6枚目が破られ、半年が過ぎようとしている。

マダニ事件
発熱もなく、異変もなく過ぎている。



1182;はじまりのとき

2019-06-29 12:24:35 | 歌は世につれ・・・・


はじまりのとき

絢香

作曲︰絢香
作詞︰絢香

悲しみが優しさに変わって
別れが出会いを呼びよせる

そんなこと繰り返してくたび
大人になってゆくのかな

何を信じ どこに進むの?
自分しか知るはずのない
未来へ向かい


Life 僕を生きる
もがきながらでも 自分という心で
Life 泣いた昨日 立ち止まった昨日
全て明日につながる
目の前にある 扉を開けば
はじまりのとき

辛い時 あなたの存在が
こんなに大切だと知った

悲しみも喜びも 本当は
隣り合わせにいるんだね

何を選び どこに渡すの?
自分以外の誰かを
信じることも

Life 共に生きる
手と手つないだら 生まれる力がある
Life 悔やんだ昨日 逃げ出した昨日
全て明日につながる
弱さをあなたにそっと差し出す
はじまりのとき

Life 僕を生きる
もがきながらでも 自分という心で
Life 泣いた昨日 立ち止まった昨日
全て明日につながる
目の前にある 扉を開けば
はじまりのとき

挫けたまま/飛ぶことを忘れた鳥のよう/全てを捨て/幾つもの峠を越え/辺境の村にたどり着いた
死んでいるか 生きているか/抜け殻人であった/辺境地に棲みはじめた五年/無為のまま過ごしてきた落人
「もがきながらでも 自分という心で」/二たび生きてみようか/そんな気になったのは
蝉の鳴く聲に/生きることの大切さを知った/徒に齢を重ね老けて往くのは/虚しさだけが襲ってくる
いまこそ 自分と「自分以外の誰かを 信じること」で
自分にとり/残された最後の時間は/last chanceであり/“終わり”のはじまりのときでもある
挫けそうになったとき/挫けたとき/綾香の『はじまりのとき』を聴きながら/元気になる自分のソング

1181 ; 吸血虫マダニ結末記

2019-06-28 18:27:19 | 阿呆者
自治医科大学附属病院皮膚科

吸血虫マダニ結末記

ご心配頂きありがとうございます

マダニに噛まれたとき、
無理してマダニを引き剥がそうとはしていけない。
剥がさないで、そのまま、つまりマダニを付けたまま皮膚科受診することが肝要。

自分の場合、マダニは我が血を吸うだけ吸って、満腹状態になり、
マダニも思わず口ばしを離したのが幸いし、
床にポッロとマダニが転がり落ちた。

8時30分、腎臓センター受付に相談。
まずは、腎臓外科を受診しドクター紹介で、皮膚科診察となった。
持参したマダニを見た女医も吃驚。
大きさは6㎜、4㎜で、口ばしや足も動いていた。

マダニはライム病の症状が出現するので、今後発熱など体調に異変が表れたときは
いつでも受診するよう、医師から説明を受けた。

噛まれた左胸上に局部麻酔を行い、その箇所を切除摘出を行った。2針縫った。

7月8日に再度受診し、抜糸を行う予定。

マダニは自治医科大学附属病院に「寄贈」してきた。
生きたままマダニを持参するケースはめずらしかったようです。

付き添いしたwife 往復260km 車の運転をしてくれた。
自分は運転席の隣りの席に乗車していたが、
wifeはときどきチクリチクリ、「マダニに噛まれたら大変だということがわかったよね」、
とたたみ掛けるように話しかけてくる。
左胸上の肉片を切除するよりも、wifeのチクリの方が“痛かった”。

でも、wifeには感謝、感謝です。

確かにマダニは怖い。
これから「草刈正雄(草刈り)」をするときは
虫除けスプレーをかけ
首にタオルを巻き
腕には腕抜き
足は長靴を履き、
マダニが侵入しないよう完全防備していくに限る。

マダニが満腹になるまで気がつかなった自分
本当に鈍感極まりない、阿呆鳥である。



1180 ; マダニは生きている

2019-06-28 08:16:36 | 阿呆者
マダニは生きている

結果、昨夜は救急外来受診とはならず、
今日早朝自宅を出、
8時前に自治医科大学附属病院到着。
いま、腎臓センター受付前で待機中。
8:30から受付開始。

マダニはまだ、ビニール袋の中で蠢いている。

1179 ; マダニに噛まれた

2019-06-27 20:04:45 | 阿呆者
自分の左胸上に棲み着いていたマダニ


マダニに噛まれた

マダニに噛まれたこと自体わからなかった自分
本当に鈍感というか、間抜けた話。

一昨日の朝、我家の小さな庭、草が伸びたので
芝刈機で草刈をした。

刈った草を燃えるゴミのビニール袋に入れたとき
ダニが自分の躰に飛び移り
左首下の下(左胸の上)辺りに
ダニはしっかりと噛みついた。

昨日の朝、噛みついた辺り
違和感があり、イボでもできたのかな、位に思っていた。
そのとき鏡に映して見ればよかったのだが・・・

2回入浴したのだが、そのときは忘れていた

今日、仕事が終わり帰宅
何気なく左胸上に触れたら
黒色の団子虫のような物が
ポロッと床に落ちた。

血豆かな、と思い拾い
wifeに見せたら、「それはマダニだよ」
「だから言ったじゃない、草刈りの前に虫除けスプレーをしなかったからだよ」
「これでわかったでしょう。beagle元気にダニがついたら大変だよ。
元気はダニがついたって訴えることができないんだからね」
「マダニに噛まれ、大変だよ。免疫抑制剤を服用しているから感染が心配⁉︎」

いま自治医科大学附属病院救急外来に電話をした。
専門医の返事待ち・・・



1178;人生が二度あれば

2019-06-26 21:38:03 | 歌は世につれ・・・・


人生が二度あれば

井上陽水の歌、40数年目に作られた曲『人生が二度あれば』

本当に人生が二度あれば
人生でやり残したこと、やれなかったこと
二度目の人生でそれができたらどんなにいいか
でも、人生は一度しかない

父の湯飲み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば
この人生が二度あれば


顔の皺が増えてきた父
欠けた湯飲み茶碗に写る
自分の顔をじっと見ながら思う
〝俺の人生は何だったのか〟
残された人生をどう生きて往くのか。
そんな問いかけがなされている気がする。

母は、子供だけの為に年とった訳ではないけれど
子供を育て、家族の為に苦労を重ね老いた母。
農家に嫁いだ母は、
農作業を終えた後も家事をこなし休む暇(とき)もなかった。

そんな母を見てると人生が
だれの為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば
この人生が二度あれば


老いた父と老いた母が
炬燵で向かいあいお茶を飲みながら
子供たちや家族の思い出話に耽る。
いまは長年棲んできた家には、老夫婦だけの暮らしが始まる。

残された時間は、ケセラセラの調子で、老いを楽しんでいければいい。

いま『人生が二度あれば』を聴くと
それは、老後をどう過ごして往くのか
あなたは・・・・










1177 ; 走らないで〜

2019-06-25 22:08:04 | 阿呆者

waifの実家 玄関脇の朝顔


走らないで〜

昨日は自治医科大学附属病院循環器科の定期受診だった。
女医さんに代わった。
数値は良くなり、
様子観察となった大動脈弁閉塞不全症。

心臓の手術は現状として難しい
(腎臓移植をしたことから)免疫抑制剤を服用している
免疫抑制剤を服用すると細菌と女性に弱く、無抵抗状態になり感染のリスクが高い
冬から春にかけ インフルエンザの季節はマスクは必需品となり
人混みのなかへ行くことは出来る限り避けたほうがいい

心臓に負担がかかるようなこと
走ったりすることはよくない
牛や亀や蝸牛の如く ゆっくり散歩

各駅停車の鈍行列車のような感じで
老電車を運転する

利尿剤を服用しているので浮腫は改善されてきたが、まだ浮腫はある
椅子に坐っているときが一番辛いかな
脚がかったるい感じ
長坐位(脚を伸ばして坐る)はだるさを感じない
散歩のときも脚の感じはいい

走れなくなったので、100m 10秒を切る夢は断たれた 残念

1176 ; 不浄考 #4 不浄今昔物語

2019-06-25 03:32:24 | 排せつ考


不浄考 #4 不浄今昔物語・後編

南陸奥に棲む自分
介護相談で在宅訪問をすると
一人暮らしをしている或るお年寄りの家から
ポットン便所の臭いが漂ってくる

脚腰が不自由になり屈むのも大変
和式便器の上に
洋式便器を型ち取ったプラスチック製の物を被せ、
その上に座り用を足す。

今日の洋式便器は、ポットン便器の時代からみると
雲泥の差であり、日本人ほど便器に拘る民族はないのではないか?
暖房便座・ウオシュレット付き洋式便器は普及し
医療機関、SA、JR ,デパート等にも設置されるようになった。

我家もウオシュレット洋式便器に拘り、重宝している。
ソフトなトイレット紙で拭いても
一回では拭ききれず何回も拭かなければならない。
切れ痔の杞憂が頭を過ぎってしまう。
ウオシュレットならばきれいになり、一回で済む。

認知症老人にとっては
ウオシュレット洋式便器は、使い勝手が難解苦手な代物で
水難に遭遇すること多し。

洋式便器となった今日
濱口國雄さんの詩『便所掃除』は
目に触れることは無くなるのであろうか・・・・

1175 ; 不浄考 #3 不浄今昔物語

2019-06-24 12:53:22 | 排せつ考

不浄考 #3 今昔不浄物語・中編

自分が中学の時
一風変わった国語の先生から素敵な現代詩を紹介してもらった。
それは 濱口國雄が書いた『便所掃除』です。
長い詩なので、ここでは紹介できないのが残念
関心のある人は、お手数でも
「現代詩 濱口國雄 便所掃除」で検索頂くと、素敵な詩が画面に登場します


『便所掃除』の最後に、こう書かれてあったのを覚えていた。
便所を美しする娘は
美しい子供をうむといった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかもしれません


当時自分が通っていた中学校は、ポットン便所でした。
掃除当番でポットン便所の掃除を嫌々していた。
便器にべったりウンチが着き、タワシで擦ると
水飛沫が顔にかかった。

昭和30年代の田舎の国鉄駅
男便所は簡単にできており
コンクリートで造られ
排水溝の感じで右から左へとオシッコが流れた
男性用便器はなかったので
足下にオシッコが落ちて行くので
ズボンの裾に跳ね返っていた、と思う。

当時の公衆便所は
アンモニア臭が鼻を突き刺し泪目になったものです。

濱口國雄さんの『便所掃除』は
実感としてわかり、懸命に糞尿で汚れた便器を磨いている情景が浮かんだ。
本当に濱口さんは、美しい女性(妻)に会えた、と思っている。

1174 ; 不浄考 #2 今昔不浄物語

2019-06-24 06:15:38 | 排せつ考
不浄考 #2 今昔不浄物語・前編

御不浄、即ち便器は大きな変化をとげ、
今の若い人は「ポットン便所」がどんな便所だか想像もつかないと思う。


自分は羊蹄山の麓、貧農に生まれた。
昭和38年(昭和39年、東京オリンピック)に初めて電気がつき、その明かるさに驚愕と感動を覚えた。
それまではランプ生活で、テレビも洗濯機も冷蔵庫の電化製品はなかった。
昭和38年、自分は小学5年生だった

家は木造平屋建て、青いトタン屋根で煙突が突き出ていた。
暖房器具は薪ストーブであった。

御不浄は母屋から10mほど離れた処にあり
藁屋根、壁は木の板で作られた。広さは畳半分位であり床は板が張られていた。
床の真ん中当たりに和式便器を置き、その部分は穴が空いていた。
床の下は糞尿が溜まる「槽」が作られてあった。

排便後の尻拭きは、文庫本の1.5倍程度の大きさに切った新聞紙
後には、活字が模様となった灰色のチリ紙に変わった。落とし紙とも言われた。

糞尿が溜まってくると蛆虫が蠢いているのが
モロに見え、臭いもきつく鼻を摘んで用を足していた。
蛆虫が成長すると銀蠅が飛び交う。

冬は雪が2、3m積もり、藁葺き屋根の便所小屋に行くのが大変だった。
寒いし、懐中電気では薄暗かった。
夜の便所は、お化けが出るのでは、と妄想が広がり怖かった。
家の玄関を開け、立ち小便をしたら親に怒られた。

雪が解け、春になると、野菜畑に穴を掘らされた。
何をするのかと思ったら、ポットン便所にこんもり溜まった糞尿を
杓子で桶に汲み、2つの肥やし桶を天秤棒で担ぎ、野菜畑まで運び土の穴に入れるのである。
これもまた辛い作業であり、糞尿が飛び跳ね、その度臭いまでもが揺れた。

ポットン便所の生活は18才まで続いた。
町の子が我が家に遊びに来て、
「トイレを貸してくれ」と言われることが
恥ずかしくもあり、嫌だった。
町に住む級友の家は和式便器ながらも、水洗トイレであり、
水で流される糞尿を見て、本当に羨ましく思った。

1173 ; 過去 現在 未来

2019-06-23 14:33:10 | 阿呆者
過去 現在 未来

過去 現在 未来
昨日 今日 明日

過去は、過ぎ去った時間。
悲しみや辛さは、忘却と行きたいが、忘れ得ぬ。

現在は、現に今が在る。
今に生きるから、感動の瞬間(とき)が在る。

未来は、未だ来ぬ未知の時間。
未だ来ぬ時間は、「死」を意味する場合もある。
死も未知の世界。

未来は明日のこと
明日に架ける橋 のメロディーを想い出す


1172 ; 不浄考 #1

2019-06-23 07:38:50 | 排せつ考
不浄考 #1 秘密の時空間

女性は、「便所(トイレ)に行ってきます」とは言わず、
「御」をつけ、丁寧に「御不浄に行って来ます」と話す。

「不浄」とは、汚れている、大小便、便所 の意味があり、
大小便は穢れ、汚れていている。
それは他人に見られて欲しくない物だけに、
御不浄は秘密の時空間の意味あいを帯びてくる。

自宅の御不浄が一番安心できる。
自分はできる限り自宅の御不浄で済ませるようにしている。

書店で本を手にし読んでいると、何故か、便意をもよおしてくる。
購入したい本を、一度積み本の上に置き、御不浄へ急ぎ足で向かう。
長時間、書店に入るときは、近くにウオシュレット付きの御不浄があることが絶対条件となる

自宅で、御不浄に文庫本を持ち込み、読書をしていると、
wifeに怒られてしまう。
「トイレは汚い(不浄)処だから、本は持ち込まない」

我家の洋式便器の右側には、文庫本が十分における棚があり、
座った状態の高さにあり、読書環境には最高。
コッソリ文庫本を持ち込み用を足しながら読書。

うっかり御不浄の棚に文庫本を忘れたときは大変!
忘れたことに気がつき御不浄へ取りに行くと、文庫本が無い!、
wifeは、その文庫本を隠してしまった。
隠し場所はすぐわかる




1171 ; 元気に過ごすことができ感謝

2019-06-23 07:37:44 | 阿呆者
父ちゃん! ピンぼけだよ〜

元気に過ごすことができ感謝

1年前の6月22日は
義父にとり従妹 (83才)の人が外陰癌で亡くなった日。
1周忌にあたり
東北自動車道を走り
彼女が眠る墓地に向かった。

記憶に新しいSAを通過する直前
wifeは呟きならぬ聞こえる聲で
「置き去りにされた処〜」と
ハンドルを握りながら振り向いた。

今回はハプニングもなく、無事墓地に到着
土の中に眠る彼女に合掌した

1170;言の葉に想う

2019-06-22 05:15:44 | 老い楽の詩
言の葉に想う

『言葉』を単純に、『言』と『葉』に分け、『言の葉』と表現してみた。
“おくりびと”という遺体を棺に納める“納棺師”となった男の話のなかで
古代に生きた人たちは、石の形や大きさで互いの思い(気持ち)を伝えた。
それを石文(いしぶみ)と言った。

石と同じく木の葉も、思いを伝えるような気がしてならない、

新緑の楓の葉は、瑞々しさを感じる。
瑞々しさを感じさせる言葉は、元気になる。
6月の雨に濡れた樹木の葉は、
その色の緑(あおさ)に心癒される。
ときには言葉は、人の心を癒す。

夏の楓の葉は、
強い陽射しの盾となり日影をつくり
人に涼しさをもたらす。
人間、ときに強い言葉に打ちひしがれてしまう。
そんなとき、そっと影となり心休ませてくれる。

秋の楓は、錦繍の葉となり
楓の葉は、美しく、その美に見惚れてしまう。
錦繍を重ねた言葉から、愛や恋文となる。

しかし、ときには紅葉が縮みくすみ往くさまは
別離(悲恋)の悲しさを感じさせるときもある。

錦秋は、人がそのときに持つ感情で
感動や癒されたりもするが
寂寥感を抱くときもある。

冬になると楓の葉、色褪せ穴があき朽ち往き
地上に落ち腐葉土となり
ゆたかな大地をつくる。

人はやりきれない悲しみや辛さのとき
無言の言葉であっても
言葉は心に滲み癒してくれる。

その人の話す(放す)言葉は
その人の人柄を表す。

その人のブログに綴られた言葉からも
やさしさ、慈しみ、包みこむような言葉に
勇気づけられたりホッとしたり癒されたりする。

言葉はときには刃物となり
知らぬ間に人の心を傷つけ殺してしまう。
忘れてはならない
言葉の裏側に潜む悪魔。

にんげん、最期にどんな言葉を語るのであろうか








1169;自躰像 其ノ弐

2019-06-21 04:07:46 | 阿呆者
“しっかりしろよ”、とbeagle元気から、言葉をかけられているような、そんな気がする自分
自躰像 其ノ弐

診察の順番が回ってきたので、中断した「自躰像」、続きを綴ります

顔の皺は、「入浴後に乳液やクリームなどをつけスキンケアをするといいよ」と、wifeから言われ実行している。
お蔭様で顔の肌はスベスベしている。
掌にも塗布している。
手を「パ~」にすると 手の背は皺となり
「グゥ」にすると、手の背の皺は伸び、一見手の皮膚は艶々になる。
人前では何気なく手は見えないよう膝の上に置く

いま体重は53㎏台にあり、
腹の肉が軽く手で一掴みできる贅肉がある
あと3㎏は削り落したいが、なかなか落ちそうにない

浮腫が酷かったときには体重は、2~3㎏増えた。
ひと月の間に体重が3㎏以上の増減があったときは、躰のどこかに異常を発しているのかもしれないから要注意

透析をしていたときの体重は49㎏で、
wifeは当時交付された身体障害者手帳の写真を見て「蟷螂(カマキリ)みたい」と笑うほど痩せていた。 
慢性腎不全症になり透析をしたお蔭で、胃は小さくなった。

自分の躰には腎臓が3つあり、
背中の方に親から頂いた腎臓2つは休眠状態でほとんど機能していない。
右腹部には拾年前に妹にお願いし頂いた腎臓が1つ移植され、自分の生命を繋ぎ、感謝している。

老いてくると筋力は、両下肢だけでなく臀部の筋肉まで落ちてくる。
長時間、軽自動車を運転していると尻が痛くなる。

昨年の冬に、残雪で滑り左膝を路面に打ち付けてから、半月板なのか、ときどき膝がカッくと骨の音が聴こえる。
右膝痛にもなり、正座ができない。
beagle元気は、お座りができるが、自分はお座りができない。
両足は胴体に比べ 自分でも「短足だな」と思ってしまう(ジーパンなどを購入するときは、随分裾を切る)

過去に18ヶ月ほど透析を受けていたせいか
血管は弱くなったのか、テーブルなどにぶつけたり、強く握られたり指で圧力を加えると
皮下出血となり黒ずみ、腕は虐待を受けたような皮下出血の痕

老い、病気自慢をしてみても何の意味もない
自分の「健康診断書」を医師に記載をお願いしたら
慢性腎不全症、腎性高血圧症、高脂血症、大動脈弁閉塞不全症、骨粗鬆症の病名となる。
プラス自己診断では「物忘れ認知症」が追加される。

躰の症状は、利尿剤(朝1錠服用)により浮腫はとれてきたが、朝起きたときの目の下には「小熊が1頭」いる。
右足の浮腫も幾分あり、指で抑えると痛みを感じる。
四肢の筋力は落ち、wifeと腕相撲をすると即押し倒されてしまい軟弱動物になってしまった。
30mの距離も走れず、心肥大となった心臓に負担がかかり、情けない。
地震などのときは長く走れず・・・・beagle元気に誘導をお願いする自分。

躰のあちこちがガタが来て衰えているけど
そんなことに気落ちせず
残りの刻(とき、時間)を
躰も含めて、wifeも忘れずに 大切にして生きていきたい。

本当に生きた、という実感を得ることができるよう、
いまを積み重ねていきたい。