老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

地域密着型通所介護を今月で「廃止」することになった

2023-02-16 04:03:24 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録

       悩めること多く、悩めることから逃れようと「寝ても」は悩みは続く

1925 悩みは死ぬまで尽きない

足かけ9年続いた 民家活用型の地域密着型デイサービスを
今月28日をもって「たたむ」ことにした。

多くの老人から無数のこと
教えられたり学んだり、感涙したりした。

苦渋の決断
残り少ない日々のなかで
元気に通われている老人と思い出づくりに追われている。

すべて介護の仕事を止めると惚けてしまうことから
ケアマネジャーは継続
デイサービスで使用している軽自動車を活用し
来月から 訪問介護の枠のなかで介護タクシーを始めることになった
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紅葉・苔石そして秋桜

2022-11-06 09:19:08 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1914 紅葉・苔石そして秋桜







自然の美しさをそのままキャンバスに描く技術もなく、スマホカメラで撮るしかない自分。
観音沼森林公園は自然がそのまま残されている。

観音沼の入口付近でリンゴ農園の爺さんが、赤い林檎「新世界」を売っていた。
「新世界」は蜜がいっぱい入っており美味しかった。

晩秋となれば、舞い散る枯葉は積り、苔石の上に枯葉が散っている。
苔石になるまでどのくらいの歳月が経過したのであろうか。
枯葉の下には小さな虫たちが生息している。

冷たい北風にも負けず、霜にも負けず、寒さにも負けず、青い空と白い雲をめがけ秋桜は健気に咲いていた。
昨日、保育園の敷地に咲いていた秋桜に遭遇した。

晩秋の老いにはまだ至ってはいないけれど
暦のように早く過ぎ去ってしまう。
冬の前の晩秋の美しさに浸りながら、もうすぐ冬がやって来る。

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朝の散歩路

2022-11-05 09:32:16 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1913 朝の散歩路









雨が降らない限り(beagle元気は雨が嫌い、雨の朝夕は散歩は「休み」となる)
朝夕の散歩路は阿武隈川に沿って歩く
朝陽に向かい合掌

どこにもあるような景色
でも、同じ風景はない
ここだけの風景

どこにもいるような人間だが
自分という人間はひとりしかない
宇宙から見たら塵にもならない存在
でも、この地球(ほし)に生まれ生きている

季節は変わる
雪が降る処は 巡りくる春夏秋冬の景色は美しい
変わらぬのは自分と思いながらも
退化の陰りという変化は訪れる

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紅葉の美しさに癒された一日

2022-10-30 22:30:46 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1911 紅葉の美しさに癒された一日





東北自動車道白河インターを降り
国道4号から国道289号線に入り、甲子(かし)温泉を目指します
甲子温泉を過ぎ長いトンネルを走り抜けると下郷町(福島県)に入ります。
国道289号から観音沼森林公園の標識があり左折し直進すると目的地に到着します。

観音沼森林公園は二度目の訪問になり
いずれも紅葉の季節に来ました。

紅葉は観る人の心境によって
色彩も変化します。

自然が織りなす美
自然が描いた一幅の絵に魅了されます

一眼レフだったらと思いながらも
スマホカメラのシャッターを押しました
観音沼森林公園の紅葉の美しさから
希望と勇気を頂いた。

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遥か彼方にある見える山々の向こうの先は何がある

2022-10-29 22:10:23 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1910 遥か彼方にある見える山々の向こうの先は何がある


         残雪がある那須連山の向こうの世界は、どんな世界であろうか

小学校に上がったばかりの頃
北海道の農家に生まれた自分の家は
東西南北 山に囲まれた盆地であった。

ニセコ連邦の山々の向こうはどんな世界が広がっているのか、と
空想を膨らましていた。
山々の向こうは海なのか
それとも自分の知らないまだ見ぬ街なのか

山ではないけれど
海は広い
水平線の向こう、さらにその先は
どんな国があるのだろうか
「行ってみたいな よその国」

自分はいま老い
老い始め、死ぬまでの線上を考えたとき
いま、どの位置にあるのか
「ご臨終です」、と告げられたとき
自分は黄泉の国に移る
黄泉の国とは どんな世界であろうか
苦しみや悩みが消えるのであろうか

また、くだらないことを考えてしまった





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霜が降りた

2022-10-28 22:00:58 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1909 霜が降りた





一昨日 在宅訪問した際に
玄関先のブッロク塀脇の路上に朝顔がしぶとく咲いていた。
朝顔の根本は折れ曲がりながらも
折れずに根はコンクリート路の割れ目から地中にしっかりと根を張り
栄養分を送り花は枯れずに咲き誇っていた。

霜が降りた寒い朝
あの朝顔は霜にやられたのであろうか
我が家から20キロ先余り離れているだけに
おいそれと朝顔の安否を確認することもできない。

2カ月余り休止したブログ
休止なのか急死なのか 消息不明のままにしてしまった。

事業を負債を見直したら
両手の十指までいかなかったが七本の指ほど有り唖然としてしまった。
七拾歳にしてまだ働かねばならない
あと四年で完済する意気込みで朝顔のようにしぶとく生きることを強く思った。







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コロナウイルス感染 陽性

2022-08-19 12:29:08 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録

大雨の阿武隈川 どこから多量の泥水が流れ込んでくるのか 

1903 waif コロナウイルス感染 陽性

wifeは咳、味覚障害、発熱があり、本日近く
の病院で抗原検査をしたところ「陽性」の結
果になりコロナウイルス感染者となった。
自分は濃厚接触者となり、8月28日までは自
宅療養及び待機となった。まだ、自分は発熱
、咳、味覚を感じない、といった症状はない。
感染は覚悟しなければならないが、どこで感
染したかは、見当がつかない。

 8月26日 自治医大学附属病院腎臓外科の
受診は、「電話診察」に切り替えとなり、処
方箋は病院からかかりつけ薬局に処方箋を送
信してくれることで落ち着いた。隣市に住む
妹に薬の受け取りをお願いした。

 他人事ではなく、自分の事となってしまっ
た。

 陸の孤島になったような感じで、10日間も
自宅に籠る形となった。これで自分が感染し
たら自宅待機期間は延びてしまう。
 幸い8月の在宅訪問はお盆前に終えたので、
本当に良かった。

 wifeはいまベッドに臥床状態。
家事はwifeに任せきりだったので、慣れない
ことをやるので、「大変」の二文字。
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「痛み」と「傷み」

2022-08-11 14:31:41 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1899 「痛み」と「傷み」



猛暑が続く、beagle元気はクーラーとお友達、冬景色で涼しさを感じれば幸いです

 深夜、wifeは急に喘息発作を繰り返し、傍
らで心配しても何もできない。「救急車を呼
ぶか」と話すが、手振りで呼ばなくてもいい、
と答えるwife。
 見ているだけで辛く、「死ぬのではないか」
と心配になった。胸が苦しく呼吸困難になり
痛々しく、仕事のストレスが溜まっただけで
なく、自分の発した言葉でwifeの心(気持ち)
を傷つけたことから喘息発作が起きてしまっ
た。

 躰の「痛み」の深層は、心の「傷み」から
発したもの。wifeの心に負担をかけてはいけ
ないのに、忘れてしまい無理をさせてしまっ
た。
 wifeは話す。「{22歳齢(とし)の差があ
り}自分との時間は他の人よりも短いよね?
齢の差があるだけ、な~んの思い出もなく、
ただ老後のために仕事をし、気が付いたら何
処も行けないみたいな人生を送るんだね」。

 wifeの言葉に詰まった。自分だけが「残り
時間が少ない」のではなく、それはwifeにと
っては「夫婦(ふたり)で過ごす時間も少な
いこと」を忘れていた。

 在宅では介護者の愚痴や悩みを聴いている
のに、肝心な家族であるwifeの愚痴や悩みに
耳を傾けず、おざなりにしてしまった。
 「躰の痛み」は目に見えぬ「悲痛な心の叫
び」に敏感にならねば、と内省せねば・・・。
beagle元気も含めふたりで過ごす時間をつく
っていこう。

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長く感じた癌の痛み 死は一瞬

2022-08-09 05:00:43 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1897 長く感じた癌の痛み 死は一瞬



早朝の阿武隈川、たゆまな川は流れる、川は時間に似ているく

「子宮体癌」、と診断されたのはちょうど
半年前の8日だった。ひとり暮らしの彼女病
室で最期の夜明けを迎えた。69歳の若さであ
った。癌は躰のあちこちに転移し、痛みを伴
もないながらも、最後まで必死に癌と闘った。
ベッドに寝ることもできなくなり、リクライ
ニングチェアに座位の姿勢で休息をとられて
いた。

 他人(ひと)の痛みは目に見えぬだけ、痛
みの大変さ、苦痛は本人だけしかわからない。
彼女にとり癌の痛みはシルクロードのように
長く感じたのではないだろか。
 コロナウイルス感染症のため、何処(いず
こ)も肉親の病室での面会は禁止されている。
彼女も姉妹とは最後の言葉を交わすことなく
寂しく心残りだった、と思う。
 でも、眠るような穏やかな顔であったこと
がせめてものの慰めであった。

 人れ間、この世に「おぎゃあ」と生まれ、
数えきない人と交わり関わり生きる。生きて
から死するまでの過程は、四苦八苦、人生山
あり谷ありで、苦労や苦しみの連続であった
けれど、苦労や苦悩のなかに幸せを感じてき
た彼女。
 それまでの苦悩や痛み、傷みは、死により
解放された。死は一瞬で通り抜ける。死は終
わりではない。




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金網の向こう側に咲く花

2022-08-08 08:44:12 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1896 金網の向こう側に咲く花



散歩路、金網フェンスの向こう側に咲く花に遭遇した。ピンク色の花びら、自分にはわからない「あなたの名前」。
下の花びらは朽ちていたのが痛ましいかった。


たんぽぽ

原詩 狩俣 繁久
作詞 小森 香子
作曲 大西ススム

1 金網の向こうに
小さな春を作ってるタンポポ
金網の外にも
小さな春を作ってるタンポポ
光り色したタンポポは
金網があっても 金網がなくても
沖縄じゅうに春を
ふりまいたでしょう

2 デモ隊の足下に
光りの花を咲かそうとタンポポ
米兵に踏まれても
それでも花を咲かそうとタンポポ
強く生き抜くタンポポを
金網のない平和な 緑の沖縄に
みんなの願いを込めて
咲かせてやりたい

1970年、日本のうたごえ歌曲集に掲載。
原詩者は70年当時中学校3年生。
受験勉強中に二階の窓から見て書いたこの詩は「沖縄の子、本土の子」という子ども文集のとびらを飾った。
原題は「ふまれてもふまれても」。

♪~金網の同こうに小さな春を…。
1970年作文集「沖縄の子本土の子」の扉を飾った詩を詩人・小森香子が補作し、
作曲家・大西進が作曲してうた新同年4/20号に楽譜を掲載。
沖縄では愛唱歌となりバスガイドに歌い継がれるようにもなった。
 原詩の狩俣繁久は目宅から数百mに米軍基地があり、
基地の内外を問わず春を伝えるタンポポを幼い頃から見てきた。
その光景を中学3年時の国語の時間に「ふまれてもふまれても」の原題で書いたもの。
長くひめゆり学徒の教師った仲宗根政善に師事し、方言研究専門の琉球大学授に。
※上記の記事はyahoo『たんぽぽ』から引用しました。

金網の向こうに咲いている花を見て
ふと、『たんぽぽ』の曲を思い出し
♪ 金網の向こうに
小さな春を作ってるタンポポ ♪ を
口ずさむ。


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 無情に「消え去った」

2022-08-07 04:53:29 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1895 無情に「消え去った」



夏のなかに「小さい秋見つけた」

 正しい手順(操作)でUSBメモリーを外
したつもりだが、USBを差し込みしたら保
存した文書は何処へ行ったのか、開くこと
ができなかった。
 USBまで認知症化し記憶が消え去った。
ああああああああ!、と唸るも後の祭り。
今度からは別のUSBまたはドキュメントに
送信せねばと反省しきり。不慣れなPC操作
は、未だに進歩せずにいる。

 朝、beagle元気と散歩のなか、路傍に薄ピ
ンクの秋桜に出会った。何故か路傍に咲く花
に魅かれ心癒されるのは老いた証拠であろう
か。
 秋桜は雨風に打たれ晒され、茎が折れても
枯れずに生き続け花を咲かせる。挫折しても
挫けず秋桜のように立ち上がり、花咲か爺さ
んのように見事な桜の花を咲かせたいものだ。
 「仕方がない」、と負け言葉で誤魔化して
きた今日までの自分。ラスト・チャンスに駆
け、福祉運輸事業(通院等乗降介助、介護タ
クシー)の申請書類作成を始めた・・・・。

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老い逝くさなか

2022-08-06 13:56:22 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1894 老い逝くさなか



夏空のなかに秋の気配を感じさせる雲。朝 beagle元気と散歩しながら空を仰ぎ見る。

 今日、8月6日 ひろしま原爆投下77年
の月日がたっても、いまなおその爪痕は深い。
夏なのに今日も雨が降り、井伏鱒二『黒い雨』
を思い出す。
 ウクライナ侵略戦争はまだ続き、核兵器使
用の危機にある。
 日本政府は戦争の危機を訴え軍事費が膨大
になり、一方で老人の年金受給額は減らされ
るなか介護保険料、国民健康保険等保険料の
自己負担は増え、さらに手にする年金額は少
なくなる。

 先日、印鑑をどこにしまったか忘れ、2時
間もかけ探し回ったが見つからなかった。wife
には小言、苦言を幾度なく浴びせられ、「ぼ
けの始まりじゃないの」、と言われる有様。
諦め「印鑑を作り直すしかない」と思ったそ
のとき本棚の隙間にある紙袋に目が留まった。
もしかしたらと思い、隙間にある紙袋に手を
入れると印鑑入れがあった。歓喜の瞬間であ
った。印鑑の置き場所をwifeに教えた。

 物忘れが始まりぼけが始まった。
耳が遠くなり、小さな声が聞こえなくなった。
先月末に耳鼻咽喉科を受診したら、「加齢性
難聴」と診断された。「補聴器はしなくても
大丈夫」、と医師は言われたが悩んでいる。
 
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家に帰る

2022-06-10 17:59:32 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


1日、一往復しか走らない路線バス、朝8時過ぎ駅行きのバスが来て、夕方5時半に着く辺境の地に棲む、緑が多い処に棲む

1892 明日退院

右後頭部皮膚腫瘍切除術は9時に始まり、40分で終えた。
麻酔注射6本打たれ、最初の1、2本は痛かったが、我慢できた。

いま、ボワッとするが、痛みはなく、ホッとしている。
16日の抜糸まで洗髪できないのが苦痛。

腫瘍かどうか、腫瘍であれば良性かどうか、判明するのはまだ先のこと。

入院中に、ひとり暮らしの婆さんがスマホを部屋のなかで失くした。
置き忘れだね。スマホを使える認知症老女。

東京に住む妹が「電話がつながらない、どうかしたのか心配」で
彼女の家から30 km北の方角に住む弟から電話がかかってきた(15時半過ぎ)
「姉のところに電話をしてもつながらない。行って様子を見て頂けないか」
「いま、入院していて、申し訳ないが訪問することができない。ヘルパーに電話いれ様子を見に行くようお願いしてみます」
「助かります」
「様子がわかったら電話します」

ヘルパーにお願いし、夕方訪問することになった。

1時間後ヘルパーから電話が入った。
「スマホを何処に置いたかわからない」
「電話を鳴らしても着信音が鳴らない」
探したが見つからない」

人を変え別のヘルパーが探したらみつかるかもしれない。
ダメだったときは弟に電話をかけ、婆さん宅まで来て頂き対処してもらう。

自分も退院する時、病室にスマホを置いて行かないように
「スマホを確認してから、病室を出ること」
その言葉を復唱する以外にない。
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夜景

2022-06-10 05:25:09 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1891 病室の窓から



深夜2時、目が覚めた
病室の窓に映る夜景
暗闇に灯る明かり

闇に光る
明けない夜はない
そう思いながら
あと68日で70の齢



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右後頭部皮膚腫瘍切除術

2022-06-09 16:12:28 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1890 2泊3日



今日から2泊3日、自治医科大学附属病院に入院
右後頭部皮膚腫瘍切除術を明日行い
腫瘍が良性か悪性かをはっきりさせる
主治医は、多分良性であろう、と話していました。

8:45に手術室入室し、9:00手術開始、60分を予定している。

仕事柄、電話がかかってくるので、個室にした
4人病室でも良かったのですが直ぐ電話対応ができない。

昨日は21時半過ぎ、65歳の女性が痙攣発作を起こし
救急搬送された病院救急外来に駆けつけた。

夫と長男が同居しているのだが、本人の日常生活の様子が把握出来ていないため
代わりに救急外来、入院病棟の看護師に申し送りをした。

4時間の睡眠だったので、今日は病室のベッドで熟睡できた。



病室の白い壁に絵がかけてあり
癒される絵です。




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