老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

AI - Story

2022-11-03 14:38:09 | 歌は世につれ・・・・

   「俺、beagle元気も老いてきた 耳が白くなってきた」

1912 AI Story
AI - Story

限られた時の中で
どれだけのことが出来るのだろう
言葉にならないほどの想いを
どれだけあなたに伝えられるのだろう
ずっと閉じ込めてた
胸の痛みを消してくれた
今 私が笑えるのは
一緒に泣いてくれたキミがいたから

1人じゃないから
キミが私を守るから
強くなれるもう何も恐くないよ
時がなだめてく
痛みと共に流れてく
日の光がやさしく照らしてくれる

説明する言葉も
無理して笑うこともしなくていいから
何かあるならいつでも頼ってほしい
疲れた時は肩をかすから
どんなに強がっても
ため息くらいする時もある
孤独じゃ重い扉も
共に立ち上がればまた動き始める

1人じゃないから
私がキミを守るから
あなたの笑う顔が見たいと想うから
時がなだめてく
痛みと共に流れてく
日の光がやさしく照らしてくれる

時に人は傷付き 傷付けながら
染まる色はそれぞれ違うけど
自分だけのSTORY
作りながら生きてくの
だからずっと(ずっと)ずっと(ずっと)
あきらめないで

1人じゃないから
私がキミを守るから
あなたの笑う顔が見たいと想うから
時がなだめてく
痛みと共に流れてく
日の光がやさしく照らしてくれる



AI - Story はwifeがカラオケで唄ったときに始めて知った。
励まされる歌だな、と感じた。

限られた時の中で
どれだけのことが出来るのだろう


挫けそうなとき落ち込んでしまう
老いてきたからこそ
にんげん 1人では生きていけない

説明する言葉も
無理して笑うこともしなくていいから
何かあるならいつでも頼ってほしい
疲れた時は肩をかすから


介護や仕事など挫けたとき
「1人じゃないから」、という言葉に
そこから立ち上がることで
明日が見えて来る


時に人は傷付き 傷付けながら
染まる色はそれぞれ違うけど
自分だけのSTORY
作りながら生きてくの
だからずっと(ずっと)ずっと(ずっと)
あきらめないで


「あきらめない」
その言葉に尽きる
老いの最後にきて
「本当に生きた」という実感を
作りながら生きてゆく

落ち込んだとき
詩(歌)は勇気づけてくれる

林部智史 あいたい

2022-02-13 07:53:12 | 歌は世につれ・・・・
1805 あいたい





最近、ある方のブログから 林部智史の『ラピスラズリの涙』を知った。
その曲を聴いて、心に滲み、亡くなった方を思い出しながら、あいたい、と思った。

時間のある方は二曲聴いて頂き
急ぎの方は片方の曲だけでも耳を貸して頂けたら、と思います。

『ラピスラズリの涙』は、小椋桂 作詞作曲であることも知った。
歌の出だしは
あなたの心が いつか侵され
闇の病に 気付きもせぬまま

突然あなたが この世から消えて
わたしひたすら 泣きました

あなたを失い酷(むごい)孤独が 心を苛(さいな)む

あなたを失くして 空しい心は
何を支えに 生きると言うの

涙 尽き果てたら 生きて直してみよう



ラピスラズリとは、瑠璃色の天然石で、幸運をもたらすの意味が込められている。
大切なあなたを突然この世から消え
わたしはラピスラズリの涙は瞳を濡らし
いく筋の涙が滴り首筋を伝い濡れ流れ落ちています。

大切な人が いま、傍らにいない
そのときの喪失感は大きく
幾日も引きずり立ち上がれない

「涙 尽き果てたら 生き直してみよう」

ときには、ふとあなたのことを思い出す
あなたはもうこの世にはいないけれど
瞼を閉じればあなたにあえる

「あいたい」の曲は
瞼を閉じてみても
浮かぶあなたの影
と、切なく歌いながらも
最後の詩は、幸せ背負って 生きていきます
と、悲しみを乗り越える

いま、あいたい
誰もが胸に秘め抱え生きている

後、命が幾ばくもない、と告げられたとき
最後にあいたい人は、と尋ねられ
ふと思い出し あいたい

故郷を捨てた自分
故郷に棲むあなたにあいたい

数えきれないほど老人との死別(わかれ)に
ふと思い出すことがある

生きている、いま
ひとのやさしさに気づき
「生き直してみよう」、と思った

まだ見ぬラピスラズリの首飾りをしてみたい



帰りたい 帰れない

2022-01-21 11:57:56 | 歌は世につれ・・・・
1779 帰りたい 帰れない



淋しかったら 帰っておいでと
手紙をくれた 母さん元気
帰りたい 帰れない
帰りたい 帰れない
もしも 手紙を書きたくなっても
僕は書かない 母さん


都会に出た息子は
老いた母の棲む故郷に 
帰りたい 帰れない

いまコロナウイルス感染で
家族の棲む故郷に
帰りたい 帰れない

路に迷った惚け老人は
路を戻ることができない
帰りたい 帰れない

介護施設で暮らす老人
死に際は 長年住み慣れた家に
帰りたい 帰れない

釜ヶ崎で暮らす人たちは
世捨て人ではない
帰りたい 帰れない

ハンセン病を患った人は
故郷からも家族からも棄てられ
亡くなっても故郷の墓に入ることもできない
帰りたい 帰れない

天国で暮らす人たちも
この世に
帰りたい 帰れない

家があっても
独りで暮らす老人は
冬のデイサービスから
帰って来るときは
家の中は暗く寒い
帰りたい 帰りたくない

それでも家では
仏壇のお父が待っている

自分の生まれた家はなく
父も母もこの世にはいない
帰りたいが 帰る家はない








吾亦紅(われもこう)

2022-01-11 16:54:00 | 歌は世につれ・・・・
1772吾亦紅


『吾亦紅』
歌:すぎもとまさと
作詞:ちあき哲也
作曲:杉本眞人

マッチを擦れば おろしが吹いて
線香がやけに つき難(にく)い
さらさら揺れる 吾亦紅
ふと あなたの 吐息のようで...
盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり逢いに来た
ただ あなたに 謝りたくて

小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった...
それでも母を 生き切った
俺、あなたが 羨ましいよ...
今はいとこが 住んでる家に
昔みたいに 灯りがともる
あなたは あなたは 家族も遠く
気強く寂しさを 堪えた
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身に沁みて行く やっと手が届く
ばか野郎と なじってくれよ

親のことなど 気遣う暇に
後で恥じない 自分を生きろ
あなたの あなたの 形見の言葉
守れた試しさえ ないけど
あなたに あなたに 戚張ってみたい
来月で俺 離婚するんだよ
そう、はじめて 自分を生きる

あなたに あなたに 見ていて欲しい
髪に白髪が 混じり始めても
俺、死ぬまで あなたの子供...


暗い曲だが自分は好き
『吾亦紅』を聴くと
亡くなった母親を思い出す
親不孝な自分だった

盆の休みに何度帰ったことであろうか
「仕事に名を借り」てしまい ご無沙汰していた

母も同じく小さな町の農家に嫁ぎ
大樹のように何処にも行かず
その地で「生き切った」母

自分の意志を貫きやり遂げることができなかった
「恥じない自分を生き」たかどうか

いつの間にか老い白髪が混じり始めた自分
last chance の思いで賭ける仕事に
本当に生きたという実感を求めていきたい


「来月で俺 離婚するんだよ」
そのことが唯一母に「威張ってみたい」、と歌っている
どういう意味なのであろうか

「生き切った母」に対し 
仕事がうまくいかず成し遂げることができなかった不甲斐ない自分
母は何処にも行かず(離婚せず)
小さな町に嫁いでいから ずっとそこで生き抜いてきた

母は離婚せず子のために生きてきた
自分は離婚でき、「はじめて自分を生きる」ことができた
だから、そのことだけは母に威張ってみたい



死ぬまで自分のことを見守って欲しい、と思いながらも
母は墓のなかに眠る
揺れる吾亦紅の傍で
だめな自分であるけれども 
本当に母の子であったことに
誇りに思う

生きているうちに
親孝行すべきだった、と後悔する
“いつまでもあると思うな親と金”
本当にそう思う





望郷の念をそそった”露営の歌”

2020-09-13 08:39:24 | 歌は世につれ・・・・
1674 望郷の念をそそった”露営の歌”



NHK連続テレビ小説『エール』が再開する
日中戦争に入り軍歌が流行り、なかでも『露営の歌』のメロディーは
哀調と望郷の念をそそった。

農村などの若者たちを赤紙1枚で戦地に駆り立てられ
親や妻、兄弟、祖父母たちは)心では泣いて見送ったのです。
戦況が思わしくなり、白い箱に入って帰還したのでした。

自分は戦争を知らない子どもとして育ち
軍歌を歌うことに忌み嫌っていた。
古関裕而さんの人柄や曲を聴いて
『露営の歌』が心に沁み、当時の若者はどんな思いを抱き
異国の地で戦闘(たたかい)に挑んだのか
あらためて軍歌や戦争を見つめなおすことができた。

「欲しがりません勝つまでは」の時代のなかで軍歌が浸透し歌われ、
国民を総動員した戦争があったことを忘れてはならない。
こうした「歴史認識」の上で、戦争を繰り返してはいけないし
また、東京大空襲、ヒロシマ、ナガサキの悲惨な状況を繰り返してはいけない。


露営の歌  
作詞:薮内喜一郎
 作曲:古関裕而
 歌唱:霧島  昇
 編曲・制作:滝野細道

勝って来るぞと 勇ましく
ちかって故郷(くに)を 出たからは
手柄たてずに 死なりょうか
進軍ラッパ 聴くたびに
瞼に浮かぶ 旗の波

土も草木も 火と燃える
果てなき曠野 踏みわけて
進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
明日(あす)の命を 誰が知る

弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
しばし露営の 草まくら
夢に出てきた 父上に
死んで還(かえ)れと 励まされ
醒(さ)めて睨むは 敵の空

思えば今日の 戦闘(たたかい)に
朱(あけ)に染まって にっこりと
笑って死んだ 戦友が
天皇陛下 万歳と
残した声が 忘らりょか

戦(いくさ)する身は かねてから
捨てる覚悟で いるものを
ないてくれるな 草の虫
東洋平和の ためならば
なんの命が 惜しかろか






 



 


 





 

私が生まれて 育ったところは

2020-08-16 06:48:35 | 歌は世につれ・・・・
1630 私が生まれて 育ったところは



私が生まれて 育ったところは
どこにもあるような
海辺の小さな 港のある町よ
かもめと遊んで かもめと泣いた
幼いあの頃に もどりたい もどりたい

懐かしい野路由紀子さんの歌
いつごろ流行った歌だったろうか
1971(昭和46)年の歌で、自分は19歳のとき
津軽海峡を渡り杜の都 仙台に居た



私が生まれて育ったところは
どこにもあるような
電気が燈らない小さな農村よ
猫や犬や虫と遊んだ
幼いあの頃に もどりたいがもう生家はない

私が生まれて 育って生きてきて
明日で 六十八年になる
どこにもいるような
老いぼれになったけど まだ生きている
何が幸せなのか 戸惑いながら
昔に戻れるものなら 十五の春に帰りたい




人生は一度しかない

2020-07-18 19:23:23 | 歌は世につれ・・・・


1599 人生が二度あれば

「人生が二度あれば」
人生やり直しができる
しかし、人生は一度しかない

自分は今年八月で六十八
脚は衰えてゆくばかり
仕事に追われ
まだゆとりができないでいる

老いのなかにあり
老いゆく時間は
二度目の人生と思い
やりたいことを懸けてみる
本当に生きた、と
感じれる最後を迎えたい 


「人生が二度あれば」
作詞・作曲 井上陽水

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりができた

父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば

母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手
つけもの石を持ち上げている

そんな母を見てると人生が
誰の為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば

父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば



子どもと家族のために生き老いた父と母
欠けた湯飲み茶碗は
身体のあちこちにガタがきた父の姿と重なる
重いつけもの石は
家族の重荷を背負い生きてきた母の人生そのもの

もし、人生が二度あれとすれば
父と母には
今度は、自分のために生きて欲しい、と願う。


黄色いサクランボ

2020-06-28 17:50:53 | 歌は世につれ・・・・
1581 黄色いサクランボ



今日は朝から 6月の雨
紫陽花だけが雨を歓迎している

雨降りだけれども
wifeと会津若松に行き サクランボ狩り



野猿のように枝から枝へと飛び移り
サクランボを味わうことはできなかったけれど
脚立を登り、30分間サクランボのアマ酸っぱい味を楽しんだ
風通しが良く陽にあたったサクランボは とても甘かった

黄色いサクランボもあったが まだ熟していず残念



サクランボ狩りの後は
喜多方市に足を伸ばし まこと食堂の喜多方ラーメンを頂いた

まこと食堂は、12年前であろうか
夕暮れ時 喜多方の街につき
目の前に まこと食堂の暖簾があり
ふらっと入り 初めて喜多方ラーメン味わい
最高に美味しかった いまでも忘れられない味だった

数年前、まこと食堂の暖簾から
堀内孝雄さんが出てきた
握手する暇もなくその場は過ぎ去った






上を向いて歩こう

2020-05-01 05:18:18 | 歌は世につれ・・・・




1524;上を向いて歩こう

コロナウイルスでいま日本だけでなく世界中で
苦しみ悲しんでいる

悲しくて、辛くて、泪がこぼれてしまう
「上を向いて歩こう」、希望がみえてくる
坂本九さんも空の上から応援してる・・・・

多くの歌手や演奏者たちによるテレワークの応援に感動
本当に励まされ元気がでるZARDの曲「負けないで」
 

エール 小関裕而さん

2020-04-27 20:29:30 | 歌は世につれ・・・・


1519;エール 小関裕而さん

いま、NHK連続テレビ小説『エール』が放映されている

作曲家 小関裕而さんは 福島県の誇りでもあり宝でもある。
青山誠さんがわかりやすく小関裕而さんの一生を書いたもの。



『露営の歌』『長崎の鐘』『君の名は』『イヨマンテの夜』
そして『栄冠は君に輝く』(夏の甲子園大会歌)、『オリンピック・マーチ』等々
どれもが小関裕而さんの曲であったことが、文庫本『小関裕而』を読んで初めてわかった。

小関さんの曲は、庶民の心情や暮らし、地域のなかから作られ
「明るさ」や「元気が出る」応援歌でもあった。

彼が作曲したなかから『イヨマンテの夜』を紹介させていただく
歌手は小関裕而の友人である伊藤久男さん



1506;目覚めた時には晴れていた

2020-04-19 04:21:07 | 歌は世につれ・・・・


目覚めた時には晴れていた

きのういちにちの大降りの春の雨は
目覚めた時には晴れていた。

目覚めた時には雨がやんでいた。
路傍に溜まった水には
さくらの花びらが落ち
万華鏡の模様のように 揺れていた。

空模様は
恋模様でもあり
人生模様でもある。

曇りあり
雨あり
雪降るときもある
晴れあり

陽ざしを浴びながら降る雨は
そらに虹が映え しあわせな気持ちにさせてくれる。

目覚めた時には晴れていた
雨が降っていたことも
嫌なことも失敗したことも
目覚めた時には 忘れていた。

目覚めた時に晴れていたことに「感謝」
こうして、いま、生きていることに「感謝」



1499;春の雨はやさしいはずなのに

2020-04-12 09:10:09 | 歌は世につれ・・・・


春の雨はやさしいはずなのに



きょうは あさから春の雨
春の雨はやさしいはずなのに
さくらの花びらにとっては 
きょうの雨は寒く寂しそう

寂しさは 声が出なくなるほど
春の雨は 悲しさを癒してくれるはずなのに
涙でぼやけてみえる春の雨

「春の雨はやさしいはずなのに」を聴きながら
さくらの花の やさしさを想う


春の雨はやさしいはずなのに
作詞 作曲 小椋佳

むなしさが 夕暮れと雨を連れてきて
寂しさが 夕空と街を闇にぬり
何だか涙も出やしない 出やしない
春の雨はやさしいはずなのに
全てがぼやけてくる
どうってことないんかな どうってことないんかな

むなしさが 想い出も友も連れ去って
寂しさが 言葉も声も吸い去って
何だか涙も出やしない 出やしない
春の雨はやさしいはずなのに
全てがぼやけてくる
どうってことないんかな どうってことないんかな

春の雨はやさしいはずなのに 
全てがぼやけてくる
どうってことないんかな どうってことないんかな


1484;さくら さくら 会いたいよ~

2020-04-03 21:07:07 | 歌は世につれ・・・・


さくら さくら 会いたいよ~

南東北も さくらが咲き始めた
さくらは 日本人にとりこころの花であり
故郷のさくらを想い出す

さくらの花を見ることもできずに
”星”となった爺さん婆さんたちがいる
「さくら さくら 会いたいよ~」

ことしも「さくらに 出会えて よかった」、と
感じながら、生きらえた喜びをかみしめる老いびと

1458;公園に来て

2020-03-17 21:56:48 | 歌は世につれ・・・・
公園に来て


太陽は、日だまりと日陰の「光影」をつくる。公園に
訪れる人たちも光と影を抱きながら生きている。まね
のできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる。公園
に来て君達は 公園をひとりじめしてる。


どこに行くあてのない老人はひとりベンチに座わり、
丸い飴を舐めながら幼な児の姿を見ている。

止まった時間のなか、ヨチヨチ歩きの幼な児、ヨタヨ
タ歩きの老人の姿はどこか似ている後ろ姿。老人には
まねのできない幼な児の笑顔に癒される。

公園の外は、大都会の駅も街も人混みで喧騒のなかに
あり、慌ただしく時間が過ぎ去って往く。公園は止ま
った時間のなかに、やすらぎをさがし人々が訪れる。

若いころ、東京の児童養護施設で子どもたちと暮らし
たことがあった。23区には大きな公園や小さな公園
があり、よく子どもたちと遊びに行った。

大都会は緑が少ないせいか、緑や小さな川や池をとり
こんだ公園が整備されてあった。

地方に移り住み、ゆたかな自然があるせいか、大都会
にあるような公園は整備されていなく、徒歩や自転車
で行けるような公園はきわめて少なかった。自分が住
んでいる村には公園はない。

小椋佳の『公園に来て』を聴くと、杉並区や世田谷区
の公園を思い出す。

公園に来て、夏は日陰、冬はひだまりのなかで、ひと
ときやすのらぎをさがし、長閑な時間のなかでひとり
過ごすことを妄想している自分であった。


     公園に来て
       作詞 小椋佳  作曲 小椋佳

わずかばかりの緑にも 日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう

まねのできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる
公園に来て君達は 公園をひとりじめしてる
遠くないところに いつだって母親が見ている

ふりかえることもなく にぎやかに娘達がゆく
公園に来て幸せが その先にまってるように
さむざむとその道を 戻った少女には気づかない

いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥が飛んでゆく

朝の雨にあぶれた 日雇いのおじさんがいる
公園に来て昼休み 背広着た勤め人五人
あわれみとけいべつ そして又うらやむ目でみてる

ぬるい日ざし受けてる べンチに老人がひとり
公園に来てまるいあめ 一日中なめつづけている
かみくだいてみたくは ないのかといたずら小僧め

いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥がとんでゆく

わずかばかりの緑にも 日だまりと日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう

1437;めぐる季節のなかで

2020-03-06 16:12:34 | 歌は世につれ・・・・

めぐる季節のなかで

松山千春が歌う『めぐる季節のなかで』
歌詞の最後に

めぐる季節のなかで
貴方は何を見ているだろう


日本の中で雪が降る処ほど
春夏秋冬の四季がはっきりしている

冬の季節、大雪が降り積もると大変だけれども
厳しい自然に晒されながら
そこに生きる人間がいる

春は生命溢れる季節
土のなかから虫たちも這い出し
路傍は名も知れぬ花が咲く

夏は暑さと脱水症を乗り越えた老人は
紅葉という美しい風景に再会する

紅葉は美しい自然の絵画であるけれど
木々にとっては葉を色付かせ 
そして落ち葉となって散って逝く

めぐる季節のなかで
老人は何を見ているのだろう
老人は何を想うのだろう