老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

牛タン

2024-02-18 18:54:32 | 阿呆者
2037 仙台泉プレミアムアウトレット



今日は気分転換を兼ね 
昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。

その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」
wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入
他に衣類3点(その内1点は自分のもの)

wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。
スマホが鳴った。
画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。

「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人は
ベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。
急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。
救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。

要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし
地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けることになった。
手すり、車いすの福祉用具貸与、ヘルパーの手配を早急に求められた。

身よりは誰もいない。

狸山(むじなやま)に棲むという。

これからどんなかかわりあいになっていくか・・・・。


自分の足を喰いながら生きる

2024-02-16 12:43:23 | 阿呆者
2035 あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい



自分の足を食べる蛸、と言われるが
本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに
自分の足をちぎって食べたりする。

他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、
自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。

「やってみよう」、と始めた介護事業だったが
小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。
赤字から黒字に転換するのは容易ではない。

ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが
赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・

「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。
あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。

wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。頑張るしかないんだよ」。

小さな屋根の下で 3食、食べられれば、人間幸せ。多くのものを欲しないで生きる。




今日はブログ お休み

2024-02-13 21:27:02 | 阿呆者
2033 今日は18℃の気温で「春気分」



wifeの病院送迎の帰り
いつもと違う場所から那須連山を撮りました
東北自動車道も見えます

明日7時15分から透析治療者の送迎があるため
もう寝床に入ります

そのため今日はブログお休みます。

また、明日・・・・・

数年ぶりの30cmを越える積雪

2024-02-06 20:36:02 | 阿呆者
2026 雪かきができない躰力



茨城県筑西市から東北自動車道経由で白河の関を越え東北の玄関口の地に着いた。
積雪30cmあり、数年ぶりの雪雪でした。

揺れる車中、スマホで『老い生いの詩』を操作していたら
昨日のブログのコメントを書き終えとところで
車の振動で指先が狂い消去されてしまい、茫然(ぼうぜん)となった。
不慣れなことはするものではない。

小さな平屋(30坪、築15年)の小さな庭は30㎝の雪。
心臓に負担がかかり、躰力もなく雪かきは「出来なくなった」。
wifeは自分と同じ屋根の下で生活する前までは雪かきがしたことがない。
いまは雪かきは手慣れてきた。



読売新聞日曜版のトップ記事に
旅を旅する、だったかな
城崎温泉の写真が掲載されていたのをスマホで「パシャリ」した。

明日から介護の世界に戻る。

義父の一周忌

2024-02-03 18:01:32 | 阿呆者
2024 家に帰ったよ


筑波山が見える関東平野、鉄塔が立ち並ぶ

昨日は事務的な仕事に追われて、筑西市(茨城県)に帰るのが遅くなり21時前に着いた。

wifeの父の一周忌法要。
「家に帰ったよ」、帰ってくるような感じさえする。。
短い時間ではあったが最後は寝たきりになったものの
自宅の畳の上で妻、二人の娘と大の親友に看取られながら逝った。

別れの言葉を交わし、穏やかな顔だった。

実家(wife)から福島に帰るときは「気をつけて帰れよ」といつも言葉をかけてくれた。
「パチンコに行こう」、と誘う。
不自由ながらも杖をつき歩き
軽トラに乗りパチンコ屋に向かった。

二人とも大当たりはなく損したまま帰るも、楽しかった。


筑波山

朝夕合わせて100分余りの散歩。
夕暮れ前の筑波山を眺め見る。
旧下館市は第二の故郷。
関東平野は閉塞感がなく、開放的な気持ちになる。

冬は空気が澄み渡り白い富士山が見える。
見えたときは合掌する。



beagle元気と朝夕 8000歩 にチャレンジ

2024-01-28 20:28:31 | 阿呆者
2019 福島健民アプリ


  昨日の散歩は「12345」と数字が並んだ

福島県では県民の健康を増進していく取り組みとして
「福島健民アプリ」をスマホにダウンロードし、万歩計により散歩推奨、体重、血圧も記録しています。

自分は相棒のbeagle元気と、朝夕8000歩の散歩を行っています。
歩く速度が遅くなり、40分かけ8000歩 歩いています。
大動脈弁閉鎖不全症のため走ることはできません。
雨の日は元気は散歩に行きたがらないため、散歩は「お休み」
雪の日は、元気が大ハッスルで雪の上を駆け回っています。

今日 日曜日はだらけた生活に終わってしまった。
6時30分から1時間ほど6000歩の散歩をし、その後朝風呂。

朝食後、那須ガーデンアウトレットへキャンバス(軽自動車、高速で20分、一般道路で60分)で買い物。

仕事に履くアンダーアーマーのランニングシューズ(オレンジ色)を購入。
オレンジ色のシューズを履くと
「若いね」と言われ(お世辞かもしれない)、
その言葉を真に受け、myシューズは「オレンジ色」に決め
3足目のオレンジジュース。

元気の洋服とパジュマも購入し寝るときに着せる。
寒いので夜中に「オシッコ」をしてしまう。
「オシッコ」をすると「ワン!」と吠え、シーツを交換します。

那須ガーデンアウトレットから帰宅すると至福の時間 2時間ほど昼寝

昼寝から起き、夕方は40分ほど元気と散歩。
散歩の後はスーパーへ食材の買い物。
wifeの隣でレジを見たら8000円余り、買い物籠のなかの品数を見ると
これで8000円もかかるのか、と物価値上げをしみじみと感じた。

今日は何もしなかった。
私的なことをダラダラと書き申し訳ありません

とりとめのないブログ

2024-01-21 20:10:24 | 阿呆者
2013 冬の雨


                     阿武隈川冬景色

那須連山の山々が眺望できる阿武隈川の辺
1月21日
冬の季節なのに雪はチョッとだけ降り
朝から夜まで強い雨が降り続いた
気が滅入り 意欲喪失
何もせず ボォ~としていて 怠惰な極まりない一日であった

どこか近くの温泉にでも行き、ゆったりとし心まで洗ってきた方が良かったのかな

明日は自治医大附属病院循環器内科 外来受診
夜明け前の4時に目を覚まし、4時半頃から40分間 beagle元気と散歩
5時30分には家を出る

20:08 点眼薬で瞳を潤したあと、至福の境地 蒲団に滑り込む
今日はとりとめのないことを書いてしまった
おやすみなさい

沢蟹の脱皮

2024-01-15 21:58:15 | 阿呆者
2006 脱皮


脱皮した沢蟹


抜け殻 腹部

抜け殻 背部

那須町のグッドニュースに行ったとき
道端で小さな沢蟹がジッとしていました。

死んでいるのかな、と思い
wifeが掌に乗せ様子を伺うと
僅か横歩きをした。

そのまま道端に置くの心配だった。
人混みで、踏み潰されてしまうのではないか、と危惧し
自宅に連れ帰った。

虫かご用のプラスチック容器を買い求め
食卓脇のカウンターに置いた。

グッドニュースで出会ったので
名前は「グッド」とつけた。

毎日wifeは水を取り替え
鰹節やご飯粒を与えてきました。

朝、沢蟹が死んだのかな? と不安顔
ネットで調べたら、脱皮の最中にあった。
なかには脱皮が上手くできず死ぬこともある。

それから1時間後、完全に脱皮した沢蟹
死なないで脱皮できた。

沢蟹は脱皮し、成長したのだ。

老いた自分はもう脱皮できそうにもない。
脱皮とは、次のステップへと「昇華」していく。

小さな生命の営みに 感動!
「グッド」君に出遭うことがなければ、今日のような感動場面に遭遇することはなかった。
感謝です。
小さな幸せをいただきました。

2000回を迎えた『老い生いの詩(老い楽の詩』

2024-01-09 20:40:34 | 阿呆者
苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く


       朝陽の光に照れされた那須連山の雪景色はピンク色に染まった

今日で拙いブログ 『老い生いの詩(旧 老い楽の詩)』は、2000回目を迎えた。
1回目のブログは、2017年4月9日のことであり、6年9月が経った。
途中何度もブログが絶えながらもこうして再び㍶に向うことができるのは、皆様のお陰です。
ポッチとクリックやコメントの声援、応援 ありがとうございます。
「感謝」「感謝」「感謝」の気持ちです。

脳卒中などの病気で手足はままならず
杖を頼りにふらつきながら歩いている老人。
チョッと前に桜の花を観てきたことも忘れ、
自分は何をしようとしたかもわからなくなった老人。

要介護老人達に囲まれ
我が身の老いと重ね合わせ
在宅介護のなかに垣間見る「老いの風景」を描き
生きること老いること死することの意味を考えてみる。
                 (2017年4月9日)


老いの門をくぐった時であり、齢65歳であった。
どれだけ、「老いるとは」「生きるとは」のテーマを見つめ深めてきたのか。
考えは堂々巡りの7年であった。

あと10年は生きたい、と思うけど「こればっかりはわからない」。
両手の指を折っても足りないほどの疾病はあるけれど
「健康」であること、「歩ける」こと、生活に支障がない程度の軽い「惚け」であればいいかな、と願う。

毎日朝夕、散歩に付き合ってくれるbeagle元気は、今年4月で11歳を数える。
おたがいのためにも、「元気」であらねばと思う。

そして在宅に住む老人を訪ね歩き、
「どこで死にたいか」「どう死にたいか」など、率直に聴いたり話し合ったりしてきた。
老いの辿り着く先は「死」である、と頭でわかっているが、「死」はどんなものであるかはわかっていない。

住み慣れた家で、介護施設で、病院で 死を迎えるのは人それぞれである。
幾多の穏かな死顔に対面できたことは、大きな財産であった(合掌)。
死にきれず悔恨の死顔の老人はふたりおられた。そのときは哀しく辛かったことも忘れられない。

苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く。
死によって苦悩から解放され、穏か安らかに逝きたいものです。







これからも声援のほどよろしくお願いいたします。


「老人」と「高齢者」

2024-01-07 14:10:39 | 阿呆者
1998 老人について


         散歩の途中、立ち止まり 何人の無病息災無事故を祈る

いつの頃だか調べればわかることだが、いまそれはさして重要なことではないので触れない。
それは、町村役場市役所の窓口は「老人福祉課」から「高齢者福祉課」に変わり、
行政から出される文書でも「老人」という言葉は消え去っていた。

介護サービスにおいても、要介護老人とは言わず要介護高齢者と記されている。
齢を重ね重ね65歳の門をくぐると、法的には高齢者となり介護保険法では第1号被保険者となる。
「高齢者」と呼んだり書いたりすることに、抵抗感はそんなに無い訳ではないが、
自分のなかでは、シックリこない。

「高齢者」の文字からは、齢を重ねてきた人であることは「わかる」。
それに対し「老」「人」の文字は象形文字であるため、老人に対してイメージが浮かびやすい。
「老」は、腰が曲がり杖をついて歩く。
「人」は、今までは“人と人が支えてあう“として捉えられていた。最近は”横向きに立っている人“の象形文字である。
親しい人同士がくっ付いている姿が人が、「人」という感じに込められている、と解釈されてきている。

”人と人が支えあう“関係は、それはそれでお互い様でありよいことなのだが、
持たれかかる時間が続く(長く)なると負担になってしまう。
”親しいもの同士がくっ付いている“関係は、微笑ましく映る。

老いたとき、独りで居たい人はひとりでもいい。
付かず離れずの関係で気軽にお茶話や出かけるのもいい。

手足や躰が思うようにならなくなり、他人(又は家族)の手を必要になってくる。
そうなったときは、人と人が支えあうことになり、
介護や福祉、医療等のサービス(社会資源)を上手に使いながら、老いを生きていく。

そんなことを思いながらビーグル元気と阿武隈川の辺りを歩いている。

(続き) 病気自慢

2024-01-06 16:12:35 | 阿呆者
1997 不幸比べ


右端に富士山が写っている。冬は関東平野から富士山が見える

昨日はスマホの画面で入力していたので、時間がかかり途中でやめてしまった。

齢42歳に原因不明の慢性腎不全症になり、人工透析をしたのは53歳。
56歳のとき腎臓移植をした。
慢性腎不全症はいまなお「健在」であり、いまは血栓症も患い、既往歴も含め13を数える。
自分も病気自慢の一老人になったのか・・・・、と他人にそう映ってみえる。

病院、医院(クリニック)、デイサービスに通う老人たちは入れ歯が落ちないか、と心配するほど大きな声ではなしている。
「死にたいよ」「早く迎えにこないかな」、と囁きながらも通院をされている。
「脚が痛い」「肩が痛い」、と医師に訴え、湿布薬を頂く。
「肩は痛く」ても手は上がる。
杖使用のはずだが、杖なしで歩いている。

本当に「痛い」ところは心なのかも知れない。
言葉で「痛み」を口にすることで、子どもたちや介護職から、自分の方に振り向いてもらいたい。
「(わたしは)ここに生きているよ」、とわかって欲しいのかもしれない。

「早く死にたい」、それは家族の一員として「居たい」、という気持ちが老人のなかに燻っている。
「痛い」は住み慣れた家の「居間」に「居たい」のだ。

病気自慢

2024-01-05 21:49:17 | 阿呆者
1996 また、ひとつ病気が増えた


今日は、2024年最初の自治医大附属病院消化器外科受診。
昨年暮れに胃と大腸の内視鏡検査結果を聞くためであった。
胃は問題なし。
大腸の奥に8㎜の長さでポリープがあった。

女医の説明では、問題ないポリープだが、放置しておくと
ポリープが変質し予期せぬことが起こる心配がある。
日帰りでポリープ切除できるということで、2月5日に決まった。

ワーファリン効き目の状態如何で
ポリープ切除がなされるどうかかきまる。
ワーファリンの効き目が弱いときは
切除となる。



能登半島地震

2024-01-03 06:35:57 | 阿呆者
1993 能登半島地震被災者皆さま 心からお見舞い申し上げます



思わぬ能登半島地震が起こり
厳しい寒さのなか、被災者皆さまのことを思うと
いたたまれない気持ちになります。
何もできない自分の無力さに情けなくなります。

地震が起きた日だけは各局は報道されていました。
昨日は何事もなかったかのようにいつもの番組が流れている。

大災害に対し人間は無力ではあるけれど
人間の智恵(知恵)と共助で復旧し
一日も早く日常の生活に戻れることを願う。

私利私欲の政治家の皆さま
いい機会です。贖罪の気持ちで
裏金を震災復興の支援金に回して欲しいものです。



暑さにも負けず 決して弱音を吐くことなく 胡瓜は生きている

2023-07-17 08:30:38 | 阿呆者
1988 暑さにも負けず 決して弱音を吐くことなく 胡瓜は生きている



もの凄い暑さにも負けず
決して弱音を吐くことなく
胡瓜は暑さに朽ちることなく
葉は緑色を彩り胡瓜は育ち
にんげんにもたらしてくれる。

黄色いの花びらブンブン蜜蜂が何度も行き交う。

猛暑のなか
ひとり暮らしの老人は
エアコンをつけているだろうか
水分を摂っているだろうか

もの凄い暑さにあっても
何枚も重ね着をしたり
冬物衣を着ている老い人もいる
暑い寒いの感覚が「麻痺(鈍感)」になってしまう

今日は「海の日」で休みだが
ひとり暮らしの家を周り
一軒一軒玄関の戸を開け 言葉をかけ
脱水症(熱中症)で「干からび」てはいないか
安否確認にでかけるとしようか・・・



雨降りは「病む」

2023-07-15 08:40:19 | 阿呆者

                  散歩路 森のなかの会員制ホテル

1987 雨降りの一日

「止」む気配はなく朝から雨降りどおし

beagle元気は散歩が出来ず
「ウンション」を我満している
トレイにオシッコをしたときは
おとなしくなる

オシッコで濡れた紙パンツを取り替えてもらうことを
気にしていて
お父さんに「悪い」と思っている

犬は敏感ににんげんの感情をよみとる

雨降りは躰の痛みを抱える人にとり「病み」が疼きだす

wifeは先日大ケガをした右手の親指と腰が雨降りで余計に痛みが疼く
自分も念のために左膝と腰にロキソニンテープを貼った
気休め程度しかならない


               今日は雨降りだから「寝ます」