老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

夕暮れ時

2020-10-11 03:51:11 | 老い楽の詩
1711  夕暮れ時

夕暮れ時は
老いの時間
老いは喪失の時
仕事を失い
生活基盤を失う

老いを重ね
病いも抱え
不幸にも脳卒中にあたり
手足の自由を失う

記憶のピースも失い
「私は誰だ、あなたは何者だ」と
自分が誰だかわからなくなる
妻の顔も忘れてしまう

老いは砂時計
最後の一粒の砂が 音もなく落ちた瞬間
医者様は「ご臨終です」と告げた
最期は 妻に手を握られ逝きたいものだ

そう想いながら
夕暮れに染まった川の流れは
老いの風景
なんだか寂しいね

老いは喪失の時ではなく
老いは自遊の時
枯れ朽ちても春に咲く桜
自然に躰(み)をまかせ生き逝く




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帰る家がある

2020-10-04 05:52:30 | 老い楽の詩

帰宅途中 夕焼け空


1703 帰る家がある


陸奥の秋は
彼岸が過ぎ 夕暮れ時になると
「七つの子」のメロディーが流れ
烏は子が待つ巣に帰る

待つ人がいなく帰る家は
寂しく空気がこもるけれど
仏壇に向かい「ただいま」と言葉をかける

帰る家があるのは
小さな幸せ

帰る家があるから
往復切符をポケットに入れ
旅に出れる

死の旅は
片道切符であり
家には帰れないが
土に帰り眠れる



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石のぬくもり

2020-09-08 15:16:33 | 老い楽の詩

1667 石のぬくもり(再掲 2017/07/14 )

左手は握り拳の如く曲がったまま拘縮
両膝は「く」の字に曲がり脚を伸ばせない
ひとりで寝返りも行えず
染みついた天井を一日中眺めている

拘縮した左手の指を解(ほど)き解し
掌を握り 言葉のかわりに握り返す
老人のぬくもりが微かに伝わってくる

老いた妻は仕事に出かけ
老人はベッド上で留守番
黒電話は鳴ることもなく
ヘルパーが来るのを待っている

路傍の石も動くこともできず
ジッと地面と空を見つめている
小石を掌にのせ
小石を握ってみた
小石にもぬくもりが伝わっていった

ジッと寝ている
老人の体と心は寂しく
石のように冷たい
温かいタオルで体を拭きながら
言葉をかけていく
老人にもぬくもりが伝わっていった

路傍に咲いていたマーガレットを一輪
老人の枕元に飾ってきた
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お互い様

2020-08-28 07:34:10 | 老い楽の詩
1647 お互い様

一人の介護従事者は 
百人の老人を介護している
つもりでいるけれど

百人の老人から
あなたは見られていることに
気がついているだろうか

好きな言葉ではないがよく使われる
「介護する人」は
「介護される人」をどう見ているのだろうか
「介護される人」は
「介護する人」をどう思っているのだろうか

「介護される人」は
いつも心のなかで 呟いている
いつもお世話になり 申し訳ないのです
あなたに返すものがなく 心苦しく思います

あなたは 隣に住む人から
「お土産です」「旬のものです」と
頂いてばかりいると 
本当に申し訳ないと思い
あなたは隣の人に お返しをするでしょう
それは お互い様だから

一方的に頂いているばかりいると
心苦しく思うのです

「介護される人」は
介護受けるばかりで申し訳思っています
「介護する人」は
気がついているのだろうか

介護する人は
すべてしてあげることが
優しいことだと思っているのだろうか

寝たきり老人は何もできない
認知症老人は何もわからない
本当にそうだろうか

穏やかな老人 忍従老人 捻くれ老人 我儘老人 
いろいろいるけれど
どんな老人でも
“よいところ” “できるところ”を
見つけ それを褒めるところから
介護が始まる

ベッドやトイレなどで
老人がつかまり立ちができたら
介護する人は
「立つことができて 助かるよ」
「介護が楽になったよ」と
褒めること
その一言で老人は
「私も役に立つ」と
心のなかで嬉しくなり
あなたに「お返しすることができた」と

記憶が忘れ どうしていいかわからないが
いつもあなたから頂いた親切は忘れない
息子の名前は忘れたけど
息子はお腹を空かして
学校から帰ってはいないかと心配している
言葉は失ったけれど
介護する人の心はよく見える

記憶が薄れても
体で覚えたことはいまも上手にできる
(昔とった杵柄)
できることを お願いされることで
私は心が落ち着き 居心地がよくなる
あなたから「ありがとう」と言われ
あなたの役に立てて 嬉しいです

人生も 介護も お互い様
助けたり 助けられたリ

あなたが居ることで
心の支えになる
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誰か傍らにいて欲しい

2020-08-27 10:22:39 | 老い楽の詩
1646 誰か傍らにいて欲しい

人間生まれるとき
おぎゃ~と泣き
ひとりではなく
抱きあげ微笑んでくれる。
母親の胸に抱かれているだけで
至福の境地にあった。

いまは老いびとなった。
幾多の老人の棺に手をあわせるたび
吾身にもやがて死は訪れる。

誰かが話していた
金持ちになることはできるが
幸せになることは容易ではない。

最期の瞬間
生まれたきたときのように
誰か傍らにいて欲しいものだ。
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いずれは 誰もが老人になるのだろう

2020-08-24 04:31:20 | 老い楽の詩
1643 いずれは 誰もが老人になるのだろう

健康な老人は
よぼよぼ歩いて老人を
どう見ているのだろうか

よぼよぼ歩いている老人は
車いすに乗っている老人を
どう見ているのだろうか

車いすに乗っている老人は
介護ベッドでねたきりでいる老人を
どう見ているのだろうか

定年になり公園のベンチで時間をつぶす
行き先のない男は
ひなたぼっこをしている老人を
どう見ているのだろうか        

いずれは誰もが
老人になるのだろう
それなのに
老人が増えて困ったと騒ぐのは
介護を知らない政治家たち

通りすがり的に老人ホームを
ただ視察するのではなく
政治家たちも紙ぱんつをはき
一泊二日 介護ベッドの上で(紙ぱんつの中に)オシッコをするがいい
そうすれば
寝たきり老人の気持ちが少しはわかるだろう

財布がない いくら探し回ってもない
コロナウイルス感染よりも
いまいちばん気になっているのは
財布がないことだ

財布が見つからないときは
「嫁が盗った!」、と
誰かのせいにしないと落ち着かない
認知症老人がここにいる

いまは 財布がないことも忘れ
ご飯を食べている
ご飯を食べ終わり
三分もしないうちに「ご飯たべていない」、と
話す認知症老人がここにいる

天井と壁を見ているだけのベッド生活であっても
おむつを取り換えてくれたときの解放感と
ねたままで入るお風呂は極楽湯の気分は最高さ
朽ちた古い家で寝ていても
生活の音や雨音や風を感じるときがいい

いずれは誰もが
老人になるのだろう


 
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1422;にんげんの声が聴こえる

2020-02-28 04:47:26 | 老い楽の詩
にんげんの声が聴こえる 

生きていて、不図
自分は生きている価値があるだろうか。
このまま生きていても意味がない。

いまさら、歩いてきた路を引き返すこともできない。
寒い日は 左の膝関節は疼き歩くこともままならぬ。

それから拾年が経ち
独り身となった私。

老い往き病を患い
床に臥す日が続き
尿便で滲みついたおむつ。
自分で取りかえることもできず
為すがままに他人に身を委ねるだけ。

こんな辛い思いをしてまで
にんげん生き恥を晒しながら
生きなければならないのか。

生きていく意味もなく
この先 生きたところでしょうがない。
死ぬしかない、と思うこともあるが
死ぬ「勇気」もなく
死ぬこともできず悶々としている。

南窓の居間なのに
陽は差し込まず
老臭と尿臭が混じった酸っぱい臭いが漂う。

毎日ヘルパーが朝夕60分ほど
食事つくりとおむつを取り換えに訪れる。
そのときだけ部屋のなかは明るくなりにんげんの声が聴こえる。


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1420; 老人と海

2020-02-27 12:50:34 | 老い楽の詩
老人と海

爺様は
一昼夜
海で釣りをした。

隣りにいた婆様は
つれない表情で
「一匹も釣れなかったのね」
「釣ったのはわたしだけ・・・」
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1404;再び「老い楽の詩」にブログ名を変えました

2020-02-17 03:21:22 | 老い楽の詩
朝陽が昇る前の阿武隈川風景

再び「老い楽の詩」にブログ名を変えました

移り気な性格なのか
それとも飽きっぽいのか
一貫性がないのか 持続性がないのか
自分でも呆れかえっているけれど

ブログ名を「老いびとの詩」から
「老い楽の詩」に戻した。
自分はれっきとした老人の範疇にあり
複数の病を抱え、ときには杖を頼りに歩くときもある
疲れたり気が落ち込んだりすると
なんのために生きているのか、わからなくなるときがある

気持ちを入れ替え
「したいことをして老いを”楽しむ”」こと
老春の季節を楽しんでいく
そう思い、ブログ名を変えてみた。

引き続きよろしくお願いします。
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1247; 令和天皇即位礼正殿の儀の日に111歳

2019-10-22 06:07:45 | 老い楽の詩
令和天皇即位礼正殿の儀の日に111歳

令和元年10月22日
令和天皇即位礼正殿の儀の日
記念すべき日に
安達サタさんは111歳を迎えた

おめでとう
明治 大正 昭和 平成 そして令和の時代を生きている

自分は元気になり白杖頼りにして
今日サタさんに会って来る
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1170;言の葉に想う

2019-06-22 05:15:44 | 老い楽の詩
言の葉に想う

『言葉』を単純に、『言』と『葉』に分け、『言の葉』と表現してみた。
“おくりびと”という遺体を棺に納める“納棺師”となった男の話のなかで
古代に生きた人たちは、石の形や大きさで互いの思い(気持ち)を伝えた。
それを石文(いしぶみ)と言った。

石と同じく木の葉も、思いを伝えるような気がしてならない、

新緑の楓の葉は、瑞々しさを感じる。
瑞々しさを感じさせる言葉は、元気になる。
6月の雨に濡れた樹木の葉は、
その色の緑(あおさ)に心癒される。
ときには言葉は、人の心を癒す。

夏の楓の葉は、
強い陽射しの盾となり日影をつくり
人に涼しさをもたらす。
人間、ときに強い言葉に打ちひしがれてしまう。
そんなとき、そっと影となり心休ませてくれる。

秋の楓は、錦繍の葉となり
楓の葉は、美しく、その美に見惚れてしまう。
錦繍を重ねた言葉から、愛や恋文となる。

しかし、ときには紅葉が縮みくすみ往くさまは
別離(悲恋)の悲しさを感じさせるときもある。

錦秋は、人がそのときに持つ感情で
感動や癒されたりもするが
寂寥感を抱くときもある。

冬になると楓の葉、色褪せ穴があき朽ち往き
地上に落ち腐葉土となり
ゆたかな大地をつくる。

人はやりきれない悲しみや辛さのとき
無言の言葉であっても
言葉は心に滲み癒してくれる。

その人の話す(放す)言葉は
その人の人柄を表す。

その人のブログに綴られた言葉からも
やさしさ、慈しみ、包みこむような言葉に
勇気づけられたりホッとしたり癒されたりする。

言葉はときには刃物となり
知らぬ間に人の心を傷つけ殺してしまう。
忘れてはならない
言葉の裏側に潜む悪魔。

にんげん、最期にどんな言葉を語るのであろうか







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1136;生まれ変わって歩き出す

2019-06-01 16:02:58 | 老い楽の詩
生まれ変わって歩き出す

老いを嵩ね 其の日を生きる。
予期せぬ脳卒中や転倒骨折に遭い
トイレに行くもの縺れ足
間に合わず漏らしたこともあった。

記憶のピースが抜け落ち失い 
自分はいったい誰なのか

病を抱え記憶を失っても
精一杯生きている老人。

中島みゆきの『時代』が聴こえてくる
「今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出す」
ブログ1077 時代はめぐる /『時代』の曲が聴けます
倒れた老人たちも 生まれ変わって歩きだす 

過去は忘却  昨日はない 
未来は不確か 明日はない 
今日は存在  今日はある
しかし 今日という日は再び繰り返しはしない

老人が死んだとき 嘆き悲むことより
生きている間(とき)に 
どれだけ老人の聲に耳を傾け
何を為したのか

老い嵩ね始め 感情、思考、行動も鈍くなり
躓き転ぶようになり“足よお前まで衰えたか”と呟く自分

倒れても起き上り 歩き出す



福島県会津地方 “赤べこ”と“起き上がり小法師”
倒れても起き上がる
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1018 老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

2019-03-22 03:37:09 | 老い楽の詩
老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

老人は
辛辣な言葉
味のある言葉
人生を振り返る言葉
「無言」の言葉
いろいろな言葉を発する

老老介護
老夫婦共々
長寿の時代になった
喜寿 卒寿を迎え

連れ合いのどちらかが
寝たきりや重度の認知症を患い
重度の要介護(要介護3~要介護5)になると
老いた身の介護はしんどく辛い

それ以上に
昼夜ベッド上で臥床し
ジッと天井を見つめながら呼吸(いき)をし
拾年が過ぎた

寝返りも起きあがりも
老妻(老夫)の手を借りなければできない
我が身の不甲斐なさ辛さ
私は拾年もジッとベッド上で耐えることができるであろうか
そう想うと
寝たきり拾年
凄い忍耐力だと想う

介護を「受ける」
介護を「される」

受身のある生活に見えてしまうけれど
実際は
そうではなく
痛みや辛さにジッと耐え
無言のうちに生きてきた


長年連れ添った妻(夫)から世話(介護)を受けてきたことに
「すまなさ」と「ありがとう」の気持ちが複雑に交錯する

我が身の下肢や体を動かすこともままならぬ不甲斐なさ
「死にたい」と思ったり言葉にしても
死ぬことすらできない

それでも妻(夫)に生かされながら生きてきた
どこまで生きれば
神様は生きることを
許してくれるのだろうか

痩せ衰え
骨が出たところがあたり
体のあちこちに
床ずれ(褥瘡)ができてきた
飲み込むこともしんどく
十分な栄養も摂れず
暑い日々は
熱中症(脱水症)から熱発の繰り返し

それでも生きる老人たちの姿から
私が感じたり想うことは様々


  《私の呟き》

  老いてはじめて
  長い時間
  無駄に生きてきたことに
  気づかされた
  
  後悔しても
  過ぎ去った時間を取り返すこともできないし
  逆戻りすることもできない
  「被介護保険者証」を手にした私は要介護老人予備軍
  老人の仲間になった

  いまさらながら
  老いの身になって
  頑張ったところで
  できることは限られている
  
  青い空の下で
  碧い海の上で
  鴎が飛んでいる風景に
  小さな夢を重ね
  あと数年の短い時間であっても
  いままで無駄に生きてきた時間を
  埋め合わせていければと思う

  何ができるか
  何がしたいか

  老人になった私は
  老人たちに向き合い
  老人の後姿から学び
  老人たちと生きて往く


  ※201866日のブログ771を再掲 一部書き直し
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790;私の関心事

2018-06-28 21:52:31 | 老い楽の詩
私の関心事

私の関心事は
「死」
何処で死を迎え
どんな「死に方」をするのか
通夜の前に
亡くなった老人の家を訪れ
お悔やみ申し上げる

寝床に臥した死顔を見て
いつも想うことは
穏やかな表情
眠っているような表情(いまにも起きそうな表情)
安らかな表情
そんな表情を残し
死んで逝けたらと想う
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771;老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

2018-06-06 03:33:55 | 老い楽の詩
老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

老人は
辛辣な言葉
味のある言葉
人生を振り返る言葉
「無言」の言葉
いろいろな言葉を発する

老老介護
老夫婦共々
長寿の時代になった
喜寿 卒寿を迎え
連れ合いのどちらかが
寝たきりや重度の認知症を患い
重度の要介護(要介護3~要介護5)になると
老いた身の介護はしんどく辛い
それ以上に
昼夜ベッド上で臥床し
ジッと天井を見つめながら呼吸(いき)をし
拾年が過ぎた
寝返りも起きあがりも
老妻(老夫)の手を借りなければできない
我が身の不甲斐なさ辛さ
私は拾年もジッとベッド上で耐えることができるであろうか
そう想うと
寝たきり拾年
凄い忍耐力だと想う
介護を「受ける」
介護を「される」
受身のある生活に思われてしまうが
実際は
そうではなく
痛みや辛さにジッと耐え
無言のうちに生きてきた
長年連れ添った妻(夫)から世話(介護)を受けてきたことに
「すまなさ」と「ありがとう」の気持ちが複雑に交わる
我が身の下肢や体を動かすこともままならぬ不甲斐なさ
「死にたい」と思ったり言葉にしても
死ぬことすらできない
それでも妻(夫)に生かされながら生きてきた
どこまで頑張れば
神様は生きることを
許してくれるのだろうか

痩せ衰え
骨が出たところがあたり
体のあちこちに
床ずれ(褥瘡)ができてきた
飲み込むこともしんどく
十分な栄養も摂れず
暑い日々は
熱中症(脱水症)から熱発の繰り返し

それでも生きる老人たちの姿から
私が感じたり想うことは様々
老いてはじめて
長い時間
無駄に生きてきたことに
気づかされた
後悔しても
過ぎ去った時間を取り返すこともできないし
逆戻りすることもできない
「被介護保険者証」を手にした私は要介護老人予備軍
老人の仲間になった

いまさらながら
老いの身になって
頑張ったところで
できることは限られ
他者からみればちっぽけなことかもしれないが
青い空の下で
青い海の上で
鴎が飛んでいる風景に
小さな夢を重ね
あと数年の短い時間であっても
いままで無駄に生きてきた時間を
埋め合わせていければと思う
何ができるか
何がしたいか
もう一度「青春」に返った気持ちで
老人になった私は
老人たちに向き合い生きていきたい

88歳を超えた男性老人
臀部に深い褥瘡ができ
痛みをジッと耐え生きている
生傷を見るだけでも辛い
当の本人はもっと辛い
ある訪問看護師とその家で
初めての打ち合わせをした
まだサービス提供が始まっていないのに
お願いをしたところ
無償の行為で
褥瘡の処置やおむつ交換をしてくれた
その訪問看護師に
感謝の気持ちで熱くなった
家族同様ファンになった私




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