老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

352;「忘れな草」ならぬ「忘れるな私」

2017-08-31 23:15:36 | 老いびとの聲
「忘れな草」ならぬ「忘れるな私」

今日は6週おきの
自治医大附属病院腎臓外科外来通院の日であった
診察の後
妻の実家に立ち寄り
日本人の主食である米を頂戴した
老いた義父母から
主食を頂く娘の夫

軽トラックの運転席にのりエンジンを始動したとき
義母から「携帯電話忘れているよ」と声掛けられ
携帯電話を受け取る
私は携帯電話だけでなく「眼鏡も忘れている」と思い
慌てて軽トラから降りた
4,5歩いてから眼鏡をかけていることに気づき
義父母の前で
「眼鏡あった。自分の顔についていたよ」と苦笑
義父母は大笑い
物忘れの前兆?
これって笑えないよ
「忘れな草」ならぬ「忘れるな私」であった

351;歩幅

2017-08-31 09:32:03 | 老いの光影
歩幅

昨日は仕事を早退し
妻の頭の痛みが何処から来るのか
受診付添い
90km余りの高速道路を北上(片道)
赤十字病院脳神経外科 外来受診
MRI画像診断では、脳腫瘍や脳梗塞、脳血栓や脳萎縮はみられず、
脳はきれいだった、と(異常なし)
ホッとした

病院外来の待合室から
人間模様というか老いの風景を垣間見た
50歳後半の娘であろうか
老いた母親の手をつかみ
早足で歩いていた
老母は遅れまいと
必死な表情で小走りであった

その後からは
50歳過ぎの娘が車いすに坐り
老母は前屈みの姿勢になり
歩行器代わりに車いすを押していた

介護者はよく要介護老人の手をつかみ
歩行介助をされている場面に出会うことがある
歩行介助する際、主体者は誰か
介護者が老人の手をつかむ(握る)のではなく
介護者の手を老人につかませる(握らせる)ことにある
介護者の足が早く着いて行けなくなったとき
老人は手を離すことができる

何でもないことのようだが
誰が手を握っているのか

日本の安全保障の手は
トランプ米大統領が握っている


350;“人生の短さ”と老人介護(1)

2017-08-30 17:31:33 | 文学からみた介護
“人生の短さ”と老人介護(1)
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(1)
哲学者ハイデガーは、
「今此処に生きている」
自分とは一体何者なのか。

生きているかどうか意識しようが意識しまいが、
自分はこうしていま「存在」している事実は否定することができない。
その「存在」は、“いま(現在)”という「時間」に在る。
ハイデガーは「存在」と「時間」という二つのキーワードから
人生について内なる対話を展開。

ハイデガーと同じく、
セネカも、人生において「時間」のもつ意味が如何に重要であるか、
書物『人生の短さについて』を通し後世に遺している。
今回はセネカの思想から
人生の短さと老人介護との関連づけながら
「読書ノート」を書いていくとしよう。
喉頭癌により人生にピリオドを打った
作家高見順の詩集『死の淵より』のなかに、
ある詩の一節を思い出した。
指のすきまから砂がこぼれるように時間が流れていく
(blogのなかで何度か引用した)、
普段私たちは時間に対しては無頓着であり、
時間は永遠に在るものとして意識することもなく過ごしているのではないだろうか。
介護施設でよく介護者は
「忙しくて時間がない」とつい口にしがちである。
よくよく考えてみると
「時間がない」のは、
介護者ではなく死期が迫っている老人の方である。

その「時間」というものについて、
私たち介護者はどう捉えなければならないのか。
自分自身の人生の在り方そのものを考え直し、
セネカが語っている「人生の短さ」とは何を意味するのか、
探っていきたい。

348;本当に辛かった・・・・・

2017-08-30 08:37:48 | 老いの光影
本当に辛かった・・・・・

外陰癌の真知子さん
(#344、#346 参照)
本当に辛く、不安であった、ことを思うと切なくなってしまう
T大学附属病院婦人科医師の話では
今年の1月には外陰癌の兆候はみられ、進行性の癌でもあった
婦人科に受診することもなく 家に閉じこもりのまま
腫瘍は成長し、とてつもない大きさまで膨らんでしまった
小児の頭部位の大きさになり、股間に垂れ下がっているような状態
出血もひどく、歩くことも儘ならず
家のなかでは「いざり」ながら移動するから
余計腫瘍の箇所が擦れ出血は続いていた
家のなかは血生臭かった
彼女は約8ヶ月間入浴していず
首の周りはチョコレートを薄く塗りつぶしたような色になり
髪の毛もごわごわ、爪は血も混じり真っ黒。
満足な食事も摂れてはいず、
入院時痩せすぎ腋下に体温計がはさまらず、
抑えていなければならなかった
入院時、余りの貧血で医師も驚き輸血の処置を行ったほどであった
従弟の嫁が 時折様子を見にいき
地域包括支援センターに相談したり
受診を促したりしていたが
彼女は介護も医療も拒否。
このまま死んでしまう、気持ちでいたのか

従弟の嫁の娘(私の妻)に
説得され、ようやく救急車に乗り、H日赤病院に向かうも受診拒否され、
T大学附属病院の救急外来での受診となった
彼女の自宅からは40㎞も離れており
無理にお願いし入院となった。(一安心した)

11階は癌病棟で、主治医からは
81歳でもあることから、手術により腫瘍を切除することはできない
このままの状態で治療を続けていく以外にない
彼女の外陰癌は300例あるなかで1例しかない癌である、と言われ
8,9人の医師がかけつけてきた

真知子さんは、今年の1月には
自分の生命が長くない事を悟っていたのではないか。
両親、弟、妹は他界し
いま、家族はなく一人暮らし
唯一頼りにしているのが従弟夫婦である。
亡き後の家屋敷の処分や自分の遺骨を納める墓地など
弁護士を通じ、それらの案件を解決し終えた。

もう自宅に帰ることは出来ないが
一人寂しく孤独死するよりは
病院で・・・・・、と思う。

347;若くはない

2017-08-30 07:02:09 | 老いびとの聲
いつまでも若くはない 

心が疲れると
身体までが気怠さを覚える

心地よい身体の疲れは
良く眠れる

老いてからの寝不足は
頭も身体も重くなり
いつまでも疲れを引きずる

いつまでも若くはない
子どもに限らず
よく寝る老人は
元気なのかもしれない

346;昨夜22時30分過ぎに帰宅

2017-08-29 04:43:50 | 老いびとの聲
昨夜22時30分過ぎに帰宅 

blog#344;病院に行かない‼︎の真知子さんの入院までに
時間と入院後の診察や入院手続きに時間を要した
妻と(妻の)母親が家を出たのが8時30分頃
妻の実家に帰ったのは19時10分
昼食もとれず、疲労困憊の表情であった
真知子さんは子宮癌ではなく、外陰癌であった
大学病院に入院となった

妻の実家を出たのは20時20分過ぎ
103kmの夜路を
車で我家を目指す。
一人息子beagle・gennkiも同乗

いろいろやることがあり23時50分就寝
4時23分に目が覚めトイレへ直行 朝のオシッコタイム

345;空想

2017-08-28 16:39:55 | 老いびとの聲
空想

あなたは青い空をみて何を想う

私は 希望、無限、宇宙、平和
地球を180度つまり半回転させ
空は下になり、海は上になる
そしたら青い空に飛び込み
空底の先を探検してみたい
これって空想ではなく妄想の世界¿

344;病院に行かない‼︎

2017-08-28 12:01:11 | 老いの光影
病院に行かない

家族やその周り(親戚)にも
病院通いや介護を必要となってきた。
私は妻の父親の泌尿器科外来受診付添い
杖につかまりながらも心もとない歩き
要介護2の認定
前立腺癌を患い、いま小康状態にあり
気持ち的に一息ついている
帰り路 手打ち蕎麦を買い
帰宅後義父が蕎麦をゆで
一緒にズルズルと蕎麦を味わう


妻は母と出かけた
近くに住む父親の従姉弟妹宅を訪れ
病院受診されるよう説得を行う

名は真知子 81歳 一人暮らし
今年の6月頃に子宮に異常が見られ
いまは子宮離脱状態にあり体外に出てしまいぶら下っている
歩くことはできずいざりにより移動している
いざるときにすれ出血も見られる
地域包括支援センターに電話をかけ
認定申請とサービスの開始を依頼するも本人拒否
子宮癌の疑いも濃厚であり
とにかく婦人科で診てもらわない限り
次の対応がとれない
当の本人は病院に行かない、とずっ~と拒否していた
病院には行かずここ(我家)で死ぬ、ここに居る、と怒った表情で話す。
救急車が到着
彼女はやむなく搬送され病院に向かわされた
3時間以上の診察待ちにあり
本人も付添した妻とその母も疲労困憊で
待ちあぐねている

343;夫婦病院通い

2017-08-28 04:36:43 | 春夏秋冬
夫婦病院通い

妻は自宅で
長座布団の上に足を乗せ滑り
転倒
右手首骨折と靭帯損傷
2週間経過し良くならず
ギブスをしているのですが
デイサービスの仕事は休めなく
右手首は悲鳴をあげている
今週土曜日にmri画像診断予定
手首だけでなく
頭も痛みに襲われ
妻曰く
脳ミソが
ワカメを水で洗うみたいに
ユラユラ揺れたり
目が飛び出るよううな痛みになったりする
頭が痛い
私脳腫瘍で早死にするかもと

隣に居た私は
脳腫瘍ではないよ
知っている脳外科医がいるから
受診しようと話す
妻は渋々受診することを了解
明後日赤十字病院脳神経外科受診
何ともなければいいと祈ってます
診察結果如何では
心療内科の受診もあるのかな

私は今月31日自治医大附属病院腎臓外科にて定期受診予定

すいませんです
個人的なことを長々と書き

妻は私と違い
痛みを我慢し過ぎるくらい我慢
整形外科医も吃驚するほど
右手首骨折
男でも我慢できない症状ですよ
妻曰く
痛いと肛門までヒクヒクします
その言葉には看護師も苦笑
きっと声を出して笑いたいほど
でも笑いを堪えていた看護師
医師も苦笑
痛み 女は我慢出来るが、男は我慢出来ず騒ぐ


342;あなたにとり老後の不安は・・・・

2017-08-27 16:17:42 | 老いびとの聲
あなたにとり老後の不安は・・・・

ある83歳になった一人暮らしの老人(男性)の呟き

いま一番の不安は、お金がないことだ。
お金を借りても入るお金がないので借りることもできない

彼は週3回の人工透析をしていて
過去に左右大腿骨骨折があり
転倒のリスクを抱えトイレまで歩き用足しをしている
台所に立つこともままならず
毎日朝夕ヘルパーが食事作りに入っている
透析を終えて14時頃帰宅することから
昼食と夕食の間が短く
余り食べれない
痩せ肋骨が露わになり数えることができる


これからの日本
高齢者が増え
90歳を超えることも
めずらしくなく
定年後30年の時代となる
そうなると
年金受給年齢開始70歳から、と囁きかれる

(高齢者が増えることにより、マイナスのイメージで主張されても困るー政治家や厚生労働省)

私も今年から年金受給者となるが
いままでの消費生活を維持できる額にはほど遠く
切り詰め(清貧)の生活となる
慢性腎不全、骨粗鬆症、腎性高血圧症、高脂血症の病い
プラス自己診断による物忘れ症があり
医療費は欠かせない


いつもの如く
話がまとまっていないけれど
ここで唐突に憲法第25条が思い浮かんだ
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
生存権を規定しているけれど
「健康」は心身まで含まれた健康を意味し
「文化的な生活」とは、いったいどんな生活を指すのか
そして一番重要な「最低限度の生活」とは、生活保護受給者よりもいくらか上の生活状態を指すのか
「最低限度の生活」という文言だけに捉われてしまうと、本来の憲法第25条の精神がずれてしまう
大事なのは「健康で文化的な」という言葉が入った「最低限度の生活」になっているかどうか。
そう考えると、どのくらい高齢者が、
「健康で文化的な最低限度の生活」を過ごされているか気になるところである
これは
人それぞれ幸福観や価値観があり
健康で文化的な最低限度の生活とは、こうだ、と決めつけることは難しい
しかし、それでも
大切なのはひとり一人の生存権が守られているのかどうか
自分や自分の身の回りの人を通し、見つめ直していかねば
気がつかないうちに税金は
思いがけないことに無駄使いされている

お金のある人は(お金のある政治家も含めて)
お金のない人をどう思っているのだろうか
お金のない人は
お金のある人をどう思っているのだろうか


私の場合、「健康で文化的な最低限度の生活」で暮らしているとは言い難い。

老後の不安は
個人の力だけでは
不安を小さくすることはできない
冒頭の一人暮らしの老人(83歳、男性)の不安は
金の心配もあるが
他者との心の繋がりを求めていることも確かなのかもしれない

341;昭和2年生まれの女性

2017-08-27 12:00:57 | 老いの光影
昭和2年生まれの女性 

昭和2年生まれの女性は、誕生日を迎えると
ちょうど90歳の大台に乗り
私のなかでは「生き仏」の存在になる
「生き仏」に向かい合掌し
長寿を祈らせて頂く

いまは亡き母も生きていれば90歳
昭和2年生れの女性の介護相談に出会うと
いつも母を思い出す
老人保健施設入所中
早期発見早期対応が遅れ
急性肺炎であの世に逝ってしまった
82歳だった
早すぎた死であった
死に際の看取りはできたのが
せめてものの救いであった
リウマチと認知症を患い
生きている間
優しく接してやれなかったのか、と
悔やんでも
母親はもういない
他の要介護老人とは違い
(自分の)母親は
下手な介護に終わってしまった
太宰治ではないが「人間失格」の自分であると
いまも・・・・・。

いま昭和2年生まれの彼女 小鷹智恵さんに出会った
今年の夏 食欲不振から脱水症となり
8月14日救急車で搬送され入院
4日後には退院となり自宅に帰った
起き上がり、坐位、立ち上がり、立位の動作は全介助となった
要支援2の状態ではなく
8月21日要介護認定の区分変更を申請
(いまの状態では要介護4~5の認定かなと予想している)
60歳後半の長男夫婦が介護者
声掛けにより智恵さんはベッド上
自力で臀部を上げることができることから
歩けると期待している


340;絡(から)みつき纏(まと)わりつく嫌な奴

2017-08-27 00:54:11 | 老いの光影
絡(から)みつき纏(まと)わりつく嫌な奴

5時には自宅の玄関を
一人息子と朝の散歩
晩夏とはいえ初秋の気配
爽やかな風が体を通り抜け
いい気分でいたところへ
蜘蛛が張りめぐらした銀の糸に
うっかりかかってしまった
ほっぺ 眼尻から耳まで
銀の糸が絡みつきべたつき
すぐにはとれず悪戦苦闘

そうこうしているうち
今度は耳元にブ~ンと
蚊の鳴く声が聞こえ
顔や首の周りに纏わりつく
私の傍を離れず40分ほどつき纏(まと)う
snoopyが描かれた帽子で蚊を追い払うが
蚊もめげずについて来る

蚊は纏わりつかなくてもよいから
貧血金欠バケツの私には
絡み纏わりついて欲しいのは福沢諭吉さんです

昨日人工透析をされている一人暮らしの爺さんを訪問した
何が不安か、と尋ねたら
彼は「お金がないことが不安」
「一人暮らしであり、何かあったとき頼りになるのがお金」
「お金が解決すれば、不安の半分は解消される」と



339;濡れ落葉 

2017-08-26 10:48:06 | 老いの光影
濡れ落葉

亭主(夫)は定年を迎え
自宅に居るようになり
妻が出かけるたびごとに
夫は「どこへ行く」「どこへでかける」「お昼はどうする?」と声をかけてくる
妻は素っ気なく「テーブルの上にカップラーメン置いてあるから、それ食べて~」と答えながら出かけていく。

評論家の樋口恵子は
定年になった男が家に居ると
このような夫は「濡れ落葉」と言われてしまう。
何故「濡れ落葉」と酷評されるのか
その理由(わけ)は
落葉も舗装道路も雨で濡れると
落葉は道路にべったりと張り付き
風が吹いても剥がれないほどである
家に居る夫は妻から離れず
濡れ落葉のようである。


定年になったとはいえ
夫のことを「濡れ落葉」とは表現されたくない
雨に濡れた落葉は素敵だが・・・・

338;終わりのない始まり

2017-08-26 10:37:50 | 老いびとの聲
朝の陽光に輝く阿武隈川の水面

遥かなる小宇宙への旅
時空間は自分の意識や力がおよばないところに在り、無限の拡がりを感じさせる。
宇宙は、銀河系だけでも無限なる世界であり憧憬(あこがれ、どうけい)を抱く。
銀河系の遥か彼方に未知の星雲が渦巻き存在している。
宇宙は無限なる可能性と冒険、浪漫に満ち溢れている。
銀河鉄道に乗り遥かなる宇宙を旅してみたい。
夢の中でもよいから・・・・。
                                         

人間の内面においても無限の可能性を秘め、
遥かなる小宇宙への旅でもある。

人間の内なる世界は、誰人も抑制することや蹂躙(じゅうりん)することのできない聖地の空間に在る。

人間の内なる精神(心)は、ときには揺れ動き、暗闇のなかに閉ざされ、
孤独、嫉妬、羨望、不安、苦悩、挫折、諦念などの感情は、
心の襞(ひだ)に澱(よど)み織りなす。
葛藤、ストレスの感情は、ときには精神に変調をもたらし、
躁鬱(そううつ)やパニックなどの症状に罹(かか)ってしまうこともある。
深海、深淵の世界は暗い闇となり心は沈み、
水平線から太陽は昇り始め、
暁光(ぎょうこう)のとき、心は満ち溢れ躍動的になる。