老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1411;頭空っぽにし、ベンチャーズを聴く

2020-02-22 11:30:32 | 歌は世につれ・・・・


頭空っぽにし、ベンチャーズを聴く

中学生の頃かな
当時、エレキギターは「不良」、とレッテル貼りされた

テケテケの音に乗り 気持ちがよかった

今日は 頭が呆けたような状態
ベンチャーズを聴きながら
ミカンを食べたあと、

いまは、橋本治さんの『九十八歳になった私』講談社文庫を読み始めた。

1401:河島英五 「石仏」

2020-02-15 08:23:22 | 歌は世につれ・・・・


河島英五 「石仏

河島英五の歌は、人生哲学や思想がある
「酒と泪と男と女」「時代おくれ」などが歌い継がれているなかで
「石仏」という歌がある

いつ作詞作曲されたかわからないけれど
聴いていると 石仏の情景が浮かぶ

貧しい時代の貧しい村に
貧しい家族があった
子どもが産まれても育てることはできず
間引きされた時代もあった

嗚咽混じりに子どもを死なせた母親が
涙で固めて作った石仏

貧しい農家にも
赤紙一枚(召集令状)が届き
お父や息子たちは戦争にかり出された
異国の戦死した男のために
戦恨み弔いながら作った石仏

人を殺した哀れな男が
生きてる事の 悲しみを
背負いきれずに 作った石仏

名も知れぬ村の外れ路傍の石仏
ずっと昔その昔の前から
石仏は雪に埋もれ雨風にうたれ
時代の流れをみつめてきた

貧しい人の悲しみや辛さ
石仏は分かち合ってきた
石仏は雪に埋もれ雨風にうたれ
じっとその場所で
貧しい人の悲しみや辛さを背負ってきた

だから石仏の目は慈愛に溢れているのだろう


作詞 作曲 河島英五 「石仏」 

山の奥の 道のはずれの
小さな石の仏
何百年も昔から
時の流れを じっと見ていた
子供死なせた 母親が
涙で固めて 作ったか
戦で死んだ 男の為に
戦 うらんで 作ったか

女を犯した 哀れな男が
やむにやまれず 作ったか
生きてる事の 悲しみを
背負いきれずに 作ったか
だけどこれは
どこかのお金持ちが
作った物ではないだろう

いく度か 季節の移り変りの中で
喜びを分かちあってきただろう
雪に埋もれ 雨風にうたれ
悲しみを 分かちあってきただろうだから
こんなにしっかりと目を閉じている

いく度か 季節の移り変りの中で
喜びを分かちあってきただろう
雪に埋もれ 雨風にうたれ
悲しみを 分かちあってきただろうだから
こんなにしっかりと目を閉じている



1382;辻井伸行×平原綾香【ジュピターin長崎】Jupiter by pianist Nobuyuki Tsujii and singer ayaka hirahara

2020-02-01 10:50:28 | 歌は世につれ・・・・
辻井伸行×平原綾香【ジュピターin長崎】Jupiter by pianist Nobuyuki Tsujii and singer ayaka hirahara


自分という存在
無限なる宇宙からみれば
塵よりも小さい
そんなちっぽけな自分
何ができるの?

私のこの両手で 何ができるの?
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じて あげられないこと


涸れ果て 死臭が漂う
微かに聴こえる あなたの聲
なにもできず 傍らで手を握りしめ
見送るだけのわたし

心の静寂(しじま)に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに


安堵した表情で眠る
あなたが遺したひとつの人生に想いを馳せる

線香の煙が立ち昇り
静寂な時空間のなかで
あなたは眠る

わたしの心のなかに 
あなたは生きている

私たちは誰も ひとりじゃない






1374;ひこうき雲

2020-01-25 14:43:58 | 歌は世につれ・・・・


死を悼む詩・曲なのに
死を感じさせない明るいメロディーに聴こえてくる
早すぎた(若すぎた)死だったけれど 幸せだった
あの子の命は 空をかけてゆく ひこうき雲

空を見上げ あの子を偲ぶ
青い空に ひこうき雲 
夜空に 名もない小さな星の輝き

ひこうき雲

作詞:荒井由実
作曲:荒井由実

白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲



1357;「見上げてごらん夜の星を」と 星光輝

2020-01-13 04:57:31 | 歌は世につれ・・・・
「見上げてごらん夜の星を」と 星光輝


1960年のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」主題テーマで、
坂本九さんが歌っていました。
残念ながら、日航ジャンボ123便の事故(85年8月12日)で帰らぬ人となり
星となってしまいました(生きていれば75歳です)。

『見上げてごらん夜の星を』のなかで
見上げてごらん夜の星を
ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる
の一節があります。

”人間、死んだら天国(或いは地獄)へ逝く”、と言われます。
天国と地獄の世界は、子ども心に親などから聞かされたことはありますが
実際の話を聞いたわけではないので想像がつきません。

”人間、死んだら星となり、夜空に輝くんだよ” の方が
わかりやすいのではないか、と思っています。

農村・山村・漁村や大都会の片隅に住む老人たちは
名も知られない星のように、ひっそりと、そして、しぶとく生き続け
日本経済を 地域社会を 家族を 築きあげてきた。

健康な老人、病弱な老人、死期が迫っている老人
どの老人たちも私たちも いつ死ぬかわかりません。
今日、身近にいた人が、いまは存在せず、星となってしまった。

あなたがもうこの世にいなくなり
悲しく 寂しく 辛いとき
夜空に輝く名もない小さな星となったあなたを見上げる
小さな星は光り輝き ”ささやかな幸せを祈っている”。

”星光輝” は私のハンドルネームでもあり、
”星は光り輝く”ということから 自分が星のように光り輝いているかどうか
まだ光を放さない星かもしれません。

星光輝の「星」は自分ではなく、老人を意味しています。
介護は「出会い」と「死別」の二つがあり、
最後は死顔に合掌しご冥福を祈ります。
心のなかで小さな星となったんだね、と呟く。

見上げてごらん夜の星を
澄みきった冬の夜空に
星となったあなた(老人)が輝いています
その隣に自分のおとう、おかあの星も輝いています

輝く星を見上げながら
いま懸命に生きておられる人たちへの
ささやかな幸せを祈っていく












1351;雪が降る

2020-01-08 04:39:45 | 歌は世につれ・・・・

雪が降る

作詞・作曲:サルバトーレ・アダモ、日本語詞:安井かずみ

雪は降る あなたは来ない
雪は降る 重い心に
むなしい夢 白い涙
鳥はあそぶ 夜は更ける
あなたは来ない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり
ララララ ラララ……

 (セリフ)
 「雪は降る あなたの来ない夜
 雪は降る すべては消えた」
この悲しみ このさびしさ

涙の夜 ひとりの夜
あなたは来ない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり
白い雪が ただ降るばかり
ララララ ラララ……


自分が棲んでいる南陸奥は
いま、雪が降り積り始めた

雪国(北海道ニセコ町)に生れたのに
雪は降って欲しくない

雪投げ(雪かき)が大変
降り積もっても20㎝までなら許せる
30㎝になると雪投げ(北海道の方言かな)が大変

雪は降る 彼が来ないのは
スタッドレスタイヤにはきかえて来なかったために
タイヤが滑り車は立ち往生 雪路を走れずにいる
そのような似た情景を
タイヤのCMで観たような記憶がある

雪は地上の塵屑などを覆い隠してくれる
白い世界になり 穢れのない雪原を見ると 心清らかになる
まだ誰も歩いていない雪路を歩くのは 気持ちがいい
後ろを振り返ると 足跡がある

小学生のときの体験で
満月の光に照らされた雪原は
銀世界であり 月光の時空間にある

の満月の夜 雪路で女性とすれ違うとき
心臓がドキドキする 
雪女ではないか、と思い怖くなる






1339;明日に架ける橋

2019-12-31 21:17:21 | 歌は世につれ・・・・


サイモン&ガーファンクルが歌う『明日に架ける橋』もよい

エルビス・プレスリーが歌う 『明日に架ける橋』を聴くと
なぜかじ~んときた


君が疲れ果て 途方にくれて
君の傍にいるよ

君が打ちのめされ
立ちすくんでいるとき
僕が君の支えになるよ

東日本大地震 熊本地震 台風による大洪水など
自然がもたらす大災害に遭遇した被害者、その家族の心情が
プレスリーの『明日に架ける橋』から伝わってくる

また孤独にうちひがれているとき
その苦しみや悲しみから
立ち上がり
再び 君が輝くときがきた


プレスリーが歌う詩を
一部入れ替えたりしています


2020年に向けて 贈る詩








1330;DREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE」

2019-12-24 16:11:39 | 歌は世につれ・・・・


DREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE」

作曲︰中村正人
作詞︰吉田美和

ねぇ どうして すっごくすごく好きなこと
ただ 伝えたいだけなのに  ルルルルル
うまく 言えないんだろう…
ねぇ せめて 夢で会いたいと願う

夜に限って いちども  ルルルルル
出てきてはくれないね
ねぇ どうして 

すごく愛してる人に
愛してる と言うだけで  ルルルルル
涙が 出ちゃうんだろう…

ふたり出会った日が
少しずつ思い出になっても

愛してる 愛してる  ルルルルル
ねぇ どうして
涙が 出ちゃうんだろう…

涙が 出ちゃうんだろう…

LOVE LOVE LOVE 愛を叫ぼう 愛を呼ぼう
LOVE LOVE LOVE 愛を叫ぼう 愛を呼ぼう


2年続けて
wifeとXmasの夜を 過ごすことができなかった
present🎁 用意できなかった (m´・ω・`)m ゴメン…

LOVE LOVE LOVE の曲を贈ります

1328;かもめが翔んだ

2019-12-23 04:06:36 | 歌は世につれ・・・・
かもめの詩






自分は海に生まれ海に育った人間ではないので
かもめの生態はわからない
冬を越す白い鳥 かもめ(鷗)

かもめの寂しさをモチーフにした歌3曲

すぎもとまさとが唄う かもめの街

酒場(みせ)で働く女は
白っ茶けた朝に
波止場に寄り、かもめを見るのが好き
一生冷たい波の上で暮らすかもめに
我が身を重ねる
帰る故郷もない渡り鳥


研ナオコが唄う かもめはかもめ

孔雀や鳩にはなれないかもめ
「かもめはかもめ」にすぎない
他人を羨んでも
他人は他人
わたしはわたし
悲恋の歌なのでしょか( ^ω^)・・・
人生も問うている歌でもある・・・・


渡辺真知子が唄う カモメが翔んだ日

「人はどうして哀しくなると 海をみつめに来るのでしょうか」
母の胎内に居たときの羊水は海水に似ている
哀しいとき海を見つめると
潮風は母の匂いがするのでしょうか

これも別れの歌
哀しくても寂しくても辛くても
かもめはひとりで翔んだ

私もかもめのようにひとりで生きていく

1322;稲垣潤一, 広瀬香美 - クリスマスキャロルの頃には

2019-12-19 18:47:00 | 歌は世につれ・・・・
稲垣潤一, 広瀬香美 - クリスマスキャロルの頃には


wifeから私に聞こえるよう呟く
「昨年も、そして今年もXmasは、何処へも行けずに過ごす」

そう昨年も非結核性抗酸菌に悩まされ
クリスマスキャロルの頃に
病院入院し左手背と左肘にできた抗酸菌の結節を切除術を行った

今年のクリスマスキャロルの頃は
抗酸菌の治療で自治医科大学附属病院のベッドに(まだ)いる


広瀬香美さんのコンサートは
wifeと一緒に
白河市のコミネスホールで聴いた
明るく元気になる感じの歌い方で
初めて聴いた自分は彼女のファンになった


『クリスマスキャロルの頃には』のなかで
「近すぎて見えない支えは 離れてみればわかる」

親子も夫婦も同じ
離れてはじめてわかる親の愛、君の愛

離れてみてはじめて
君が必要である、と知った
これからもずっとずっと一緒に生きていきたい

君と僕は
互いに見つめあうことではなく
互いに空の向かって見つめること
星の王子さまは、そんなようなことを話していた

wifeはブログから クリスマスキャロルの頃には を聴いていることだろう

クリスマスキャロルの小説は 小さな幸せを大切にしている



1305;帰りたい帰れない 

2019-12-08 16:39:37 | 歌は世につれ・・・・


帰りたい帰れない

大都会に夢を求め
故郷を出た青年

『あゝ上野駅』(井沢八郎)の歌を思い出す

大都会の人波のなかに
ぽつんと一人
「迷子の子犬は一人で泣いた」

辛くやりきれなくどうしようもなく
お母さんのいる故郷(ふるさと)に帰りたいが
帰れない いまの自分

淋しい歌である

老人保健施設で働いているときに
この歌を車の中で聴いた

老人保健施設で療養している老人たちのことが思い浮かんだ
脳卒中や転倒などにより躰、四肢が不自由になった老人
物忘れが進み家族の名前や顔も忘れてしまった老人

老人保健施設は「家庭復帰をめざす」施設といわれてきた
しかし、現実は違う
家に「帰りたい」けれども 
家に「帰れない」事情がある老人たち

病院から老人保健施設に移り日がたつほど
家は遠くなり 「帰れなく」なる
自分が家に帰ることで
家族がバラバラになってしまう
自分さえ我慢すれば
家族の幸せは守られる

戦前戦後の忍耐に比べれば
老人保健施設での療養は耐えられる
老人はそう自分に言い聞かせ
家族が面会に訪れると
笑顔で「ここはいいところだ」と。

老人のこころの奥底には
「帰りたい 帰れない」の詩がある

1302;寒い朝

2019-12-06 04:32:30 | 歌は世につれ・・・・


寒い朝

  作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田 正
  唄:吉永小百合・和田 弘とマヒナスターズ

  北風吹きぬく寒い朝も
  心ひとつで暖かくなる
  清らかに咲いた可憐な花を
  緑の髪にかざして今日も ああ
  北風の中に聞こうよ 春を
  北風の中に聞こうよ 春を

  北風吹きぬく寒い朝も
  若い小鳥は飛び立つ空へ
  幸福(しあわせ)求めて摘みゆくバラの
  さす刺(とげ)いまは忘れて強く ああ
  北風の中に待とうよ 春を
  北風の中に待とうよ 春を

  北風吹きぬく寒い朝も
  野越え山越え 来る来る春は
  いじけていないで 手に手をとって
  望みに胸を元気に張って ああ
  北風の中に呼ぼうよ 春を
  北風の中に呼ぼうよ 春を


寒い朝が始まったばかり
寒い朝が続く
寒い朝の空気は張り詰め 肌を刺す

北風吹く寒い朝
北風のなかに桜の枝も
じっと冬の寒さに耐え
春を待つ梅や桜

希望に胸を秘め春を待つ
吉永小百合の『寒い朝』
懐かしい声

1298;津軽海峡・冬景色

2019-11-30 04:23:01 | 歌は世につれ・・・・
津軽海峡・冬景色


  
 津軽海峡・冬景色 

自分が初めて青函連絡船に乗ったのは
高校2年の修学旅行だった
北海道から内地(本州)へ巨大な連絡船で渡る
それは外国へ行くような気分であった

19歳のとき二度目の青函連絡船に乗り
杜の都仙台をめざし 福祉学を志した


青函連絡船の乗船は3時間50分
連絡船を降り函館駅に着いたときは
家に着いたような気持ちになった
長万部駅の蟹弁当の味が忘れられない



水上勉の小説『飢餓海峡』を思い出す
(小説も読み 映画も観た)
洞爺丸の大参事と岩内大火を題材に
貧困の中で懸命に生きた者たちの想いと
人生の悲劇を書いたものであった

青函トンネルが完成し鉄道路線が開通した
昭和63(1988)年3月をもって
青函連絡船の歴史は幕を閉じた


wifeと出会い
カラオケで『津軽海峡・冬景色』を
二人で唄い 
いまでは唯一自分の持ち歌となった曲

『津軽海峡・冬景色』を唄うたび
列車を降りた乗客は
青函連絡船の席を確保しようと
桟橋を走り抜けて行く光景を懐かしく思い出す

故郷である北海道
ニセコにあった生家は人手に渡り
帰る家はなく寂しいものである

青函連絡船に乗るときは
いつもひとりであった




1289;一本の鉛筆

2019-11-19 05:42:53 | 歌は世につれ・・・・


一本の鉛筆

作詞:松山善三、作曲:佐藤 勝、唄:美空ひばり

1 あなたに 聞いてもらいたい
  あなたに 読んでもらいたい
  あなたに 歌ってもらいたい
  あなたに 信じてもらいたい
  一本の鉛筆があれば 
  私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば
  戦争はいやだと 私は書く

2 あなたに 愛をおくりたい
  あなたに 夢をおくりたい
  あなたに 春をおくりたい
  あなたに 世界をおくりたい
  一枚のザラ紙があれば
  私は 子どもが欲しいと書く
  一枚のザラ紙があれば
  あなたを返してと 私は書く

  一本の鉛筆があれば
  八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば 
  人間のいのちと 私は書く


美空ひばりが反戦歌を歌ってたことは、今日まで知らなかった
『一本の鉛筆』は静かに心に滲み込んでくる反戦歌。
”八月六日の朝” ”人間のいのち”という言葉
福島第一原発「事故」を思うと
二つの言葉が重く胸にくる。


いまの時代、一本の鉛筆が
とても貴重な学用品だとは思われないかもしれない

終戦前つまり戦争当時の日本は
貧しい家庭の子どもたちは
鉛筆一本、ザラ紙一枚 買うこともできなかった宝のような品物

一本の鉛筆と一枚の紙に
自分はどんな願いを書くのであろうか


『一本の鉛筆』は、美空ひばりの歌のなかではヒット曲ではなかった
彼女自身は好きな持ち歌のベスト10曲の1つに入れていたとか・・・・





 

1264;死んだ男の 残したものは

2019-10-31 06:39:06 | 歌は世につれ・・・・
死んだ男の 残したものは


作詞:谷川俊太郎、作曲:武満 徹

  死んだ男の 残したものは
  ひとりの妻と ひとりの子ども
  他には何も 残さなかった
  墓石ひとつ 残さなかった

  死んだ女の 残したものは
  しおれた花と ひとりの子ども
  他には何も 残さなかった
  着もの一枚 残さなかった

  死んだ子どもの 残したものは
  ねじれた脚と 乾いた涙
  他には何も 残さなかった
  思い出ひとつ 残さなかった

  死んだ兵士の 残したものは
  こわれた銃と ゆがんだ地球
  他には何も 残せなかった
  平和ひとつ 残せなかった

  死んだかれらの 残したものは
  生きてるわたし 生きてるあなた
  他には誰も 残っていない
  他には誰も 残っていない

  死んだ歴史の 残したものは
  輝く今日と また来るあした
  他には何も 残っていない
  他には何も 残っていない


小さな国のベトナムが
大きな国のアメリカに勝利した
南北のベトナムはひとつになった
ベトナム戦争は終結した

沖縄にはまだ米軍基地が残っている

ベトナム戦争で
死んだ兵士の 残したものは
墓石ひとつ 着もの一枚 残っていない

死んだかれらが 残したものは
生きているわたし 生きているあなた


こうして自分が
いま 生きていることに
感謝し 残された時間
できることを行う

にんげんは必ず死ぬ
死ぬからこそ
こうして生きている
いまを大切に

自分は 残していくものは
なにもない

老いた自分
後悔しても 時間は戻らない

蝸牛の如く 他者とは関係なく わが路を歩く
蝉 の如く 残された時間(とき)いのちの限り鳴く

枯葉の如く 腐葉土となり 春の訪れをじっと待つ

こうして生きていると
輝く今日と また来るあした

この美しい青い惑星(地球)には77億のにんげんが生きている、という
そのなかで ひとりのにんげんに出会い そしてかかわりあいをもつ
それは、海底から真珠を探すほど稀少な”縁”にある

だれもが
老いを迎え
病を抱え
死を迎える

ヒトは
死を怖れ 死を見つめず
死を嫌い避ける

死は隣人であり
死はいつ来るかわからない

それだからこそ
「今日 在宅訪問しなかったことを 悔やむような」ことだけは
と、思う 

こうして いま
生きているあなた
生きているわたし
そのことに感謝する

顔も名前も知らない
死んだ兵士の 残したものは
生きることの大切さ
生きることの素晴らしさ
生命の尊さを教えてくれた