犬に懸け鯛 無知だった自分、6月1日に鯛を食べると疫病にかからない
猫に小判、豚に真珠、「牛」も真珠
猫に小判、豚に真珠、「牛」にも真珠
何か猫や豚に失礼極まりない諺
牛はおまけとして付け足した
価値の分からない人に貴重なものを与えても何の役にも立たないことの喩えとして使われる
それは介護制度や福祉制度があっても、
必要とする人に説明し制度を利用してもらわなければ
何の役にも立たない。
浅学非才(せんがくひさい)な自分が
何故、そんなことを感じたのか。
自分が担当している爺さんのなかに
血液透析をしている85才の雪割爺さんがいる(糖尿病からきた血液透析)。
週3回の血液透析は死ぬまで続けなければならない。
1日に飲む水の量は500~600ccなのだが
なかなかそれを守るのは難儀なことで
爺さまは「水を自由に飲めないのだら死んだ方がいい」
「もうこの齢だから、我慢せずに水を飲みたい」、と。
雪割爺さんは、戦後東北線の駅から20数㎞先の未開の土地を開拓し、酪農を営んできた。
(NHKテレビ小説 なつぞら と同じ風景)
雪割爺さんの娘夫婦が継ぎ、いま60頭の乳牛を飼っている。
牛が棲む家から透析を行う病院までは20数㎞の距離があり
帰りは、介護タクシー(介護サービスの1つ;通院等乗降介助)を利用するも
ガソリン代(交通費)は自己負担となり、月の負担額は22,000円もかかってしまう。
血液透析患者になると身体障害者1級(自分も同じ仲間)所持者となり、
いろいろな福祉制度が利用できる
いろいろあるといってもそこには所得制限などがあり、すべて利用できるわけではない。
日本の福祉サービスや介護サービスは、該当になっても申請しなければ(申請主義)、サービスを利用することはできない。
介護サービスは、地域包括支援センターやケアマネジャーがいるので、介護サービスの利用はしやすくなったことは確か。
問題は福祉サービスである。
透析を宣告されると、入院しシャント手術を行う。
現在は大概の病院には医療相談員(メデカル ソーシャル ワーカー MSW)が配置され、地域医療連携室あるいは医療相談室の看板が掲げられている。
医療相談員は、医療や福祉、その市町村の独自のサービスも熟知されている。
経済的な支援だけでなく精神的な相談も乗ってくれる。
話しは元に戻り、
雪割爺さん本人や娘夫婦は、重度心身障がい者医療受給者証の交付を受けても、
診察、治療代や薬代の医療費(領収書)を上記の申請書に医療費の領収書を添付し役場福祉課の窓口にだせば
そのお金が還付(払戻し)されることを知らなかった。
重度心身障がい者医療受給者証についての詳しい説明を受けていなかった。
なぜ説明しなかったのか、と窓口に尋ねると
「本人や家族が何の質問もなかったので、わかっていると思ったから・・・」とか
「こちらからわかりますか、と尋ねたら失礼だから。家族から質問や説明を求められれば説明しました」
と、いったような言葉が返って来る。
言葉のかけ方だと思う。
重度心身障がい者医療受給者証の交付を受ける
それは未知の体験であり、
当の本人や家族は、これから透析を受けなければならない心配や不安が支配し
重度心身障がい者医療受給者証の中味まで頭が回らない。
1年間、使える制度をそのままにしてきた
もうひとつ
雪割爺さんの村では、透析のときにかかった交通費(ガソリンに相当する費用)は
5000円を超えた場合に限り、月に3万円まで補助がある。
前任のケアマネジャーもそのことを説明していなかった
そのサービスを利用されているかどうか、娘夫婦は知らなかった。
自分が手続きをすれば簡単に済むのだが、
娘の夫に役場に行っていただき、手続きをお願いした。
月額22,000円の交通費の負担が零になる。
国民年金なので、介護保険サービスと交通費で年金額消えてしまう
爺さんが使えるこづかいは「ない」。
年間にして264,000円にもなる。
重度心身障がい者医療受給者証の交付されても
まさに猫に小判 豚に真珠 牛も真珠
猫だけでなく犬に小判という諺もある
意味は同じ
公僕は誰のために存在する
公僕は制度は知っているからこそ
住民のために制度を知らしめることが大切
変な個人尊重を盾にするような言い訳はして欲しくない