夕暮れどきから暗闇前の阿武隈川 空はなぜか”明るい”
1651 老師と少年 ➒ ~生きる意味より死なない工夫~
後夜
老師はまた旅に出て、庵にはいなかった。
「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだと、
彼はどこかで感じたのだ」(112頁)
「やっていく方法は自分で見つけるしかない」(112頁)
「生きる意味より死なない工夫だ」(112頁)
最後、少年に残したこれらの言葉は、”自分で考えて、自分自身が決めることだ”。
若い頃は世の中の矛盾のせいにし、齢を重ねるにつれ流され生きてきた自分。
結果や答えを求めてしまいがちであり、答えが出ない、とそこで諦めてしまう。
「答えがわからなくてもやっていける」ような自分の器を作っていけるかどうか。
老いに入ると 老親や友人の死に遭遇し 大切な人がいなくなり 「死」を考えざるを得なくなる。
その自分も死ぬ。
自分は 今本当に生きている、といえるのか。
それでも「人は自ら死ぬべきではない」
「生きることが死ぬことよりはるかに辛いことだとわかっていても、
自ら死ぬべきではなない」(19頁~20頁)
人は、死ではなく生きていくことを選んでいく。
※ 九話にわたり『老師と少年』の話に
お付き合いいただきありがとうございました。
レスピレーターにより生かされている状態が果たして本人は望んでいるのかどうか
アメリカでは早くから「安楽死」が認められています
寝たきりになり意識がなくなったら、「安楽死」「尊厳死」を選択する
安楽死の問題は重度障がい者の生殺与奪(せいさつよだつ)にも影響を与え
悩ましい問題でもあります
生き方、死に方
人それぞれですが
自分で命を絶つのは
苦しく悩みます。
貧困と病気
貧困と要介護老人
死に方に大きな影を落としています
自分だけでなく
周りの人にもたくさん迷惑をかけます。
自分は痛かろうとつらかろうと
それが人生だと思って生きたほうがかっこいいかも知れませんが
終局 寝たきり状態で自分の意思も伝えられなくなった時
息をしている意味があるのでしょうか?
近所の昔から利口だと言われていたお婆ちゃんは
入院先で 今しかないと言って
ベッドの枠にひもをかけて首を吊りました。
自分で命さえ断つこともできなくなったら
それは 自らも 家族も 国も
本当のところは地獄です。
一生懸命生きたら 最後は 道を選べるようにすることに賛成です~♪
それでも 死んではいけませんか?