老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

216;人生の春 ④

2017-06-22 08:16:43 | 老いの光影
小雨降る梅雨のとき 阿武隈川の辺には ハルジオンの群生が
貧乏草と疎まれているけれど 私はそんなハルジオンが好き


老人介護は、出会いに始まり、死別(わかれ)で終わる。
老人だけでなく、私たちも明日への生は必ずしも約束されていない。
不慮の事故に遭遇し、いつ命を失うとも限らない。
しかし、老人は私たちより死が間近に迫っている。
明日を迎えることができずに、深い眠りについてしまうかもしれない。
今日という一日が、老人にとっては
「残り少ない大切な時間」であり
私たちは、老人から「大切な時間を預かっている」ことを忘れず
介護に関わらせて頂く。

老人の死に直面したとき、
誰もが悲哀(かなしみ)、わが頬に悲哀の涙が伝わり落ちる。
老人との信頼関係や思いが深ければ深いほど、悲哀は大きくなる。
その死別のときに流した涙の重みを、
いつになっても忘れずに保ち続けたいと思う。
ひとりの老人に対し、完璧にかかわることは難しい。
誰もが理想と現実の狭間のなかで悩み、ジレンマを感じながら
日々の介護に追われている。
流した涙の重みを胸に秘めながらい
残された老人(生きている老人)に対して
悔いのない介護を行っていく以外にない。





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