老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

ひとり暮らし老人のコロナ感染の疑い?

2024-10-21 20:37:10 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

2046 根深い”コロナ感染” 

75歳になるひとり暮らし老人から「喉が痛い、いがらい(いがらいぽっい、えがらっぽい)」と訴えがあった。

喉が赤く腫れ、ヒリヒリする感じなのであろうか。

透析をしているのに、「市販のかぜ薬を買ってきて」とヘルパーにた頼む。

ヘルパーから電話があり、彼の場合は透析糖尿性腎症があり市販のかぜ薬は厳禁であることを話す。

チョッとした「咳がある」「微熱がある」「腹が痛い」などの症状があると

かぜ薬、腹痛を抑える薬で「治そう」とするのは危険なのです。

 

どんな原因による発熱なのか、わからない。

「かぜである」と安易に判断し、市販の薬に手を出してはいけない。

医師から処方された薬との「飲み合わせ」があり、副作用が心配。

 

どんな原因による腹痛なのか、わからない。

昔の人は、何かあると「正露丸」。正露丸は万能薬のようなイメージを抱く。

 

原因があって薬は処方される。

原因もわからずに自己判断で市販薬を服用するのは危険。

 

いつも通院している総合病院内科で予約なしで診察を受けると半日以上も待たされてしまう。

それだけの時間ヘルパーは付き添う(院内介助)ことは難しく、他の利用者のサービス時間と重なってしまう。

透析もしていることから、すぐに対応できる腎泌尿器内科クリニックに電話を入れる。

つながりのあるドクターであったこともあり、診察をしてくれることになったが・・・・。

医師に対し、発熱、喉の痛さなどの症状、透析の状況や他の医療機関での治療経過なども要約し

薬手帳の情報、介護サービスなどのことも報告せねばならない。

生活保護受給者だったこともあり、市の生活保護係とも連絡連携をとり、

「医療要否意見書」を生活保護担当者から預かりクリニックまで届けなければならない。

 

その後かかりつけ医療機関(総合病院透析センター)に電話をすると

明日透析の前に コロナ検査をすることになった。

コロナ感染の疑いがある? そんな状態のなかでひとり暮らし老人宅に向かい、介護タクシーを運転し病院まで送迎する。

 

コロナ感染した男性老人を介護タクシーに乗降介助を行い、

週3回の透析送り迎えを行ったこともあった。

透析は何が何でも透析をせねばならないだけに

通院等乗降介助は必須のサービスとなってしまう。

基礎疾患を抱えながらのコロナ感染者の透析送迎は「命がけ」である。

 

白河駅構内、いつ頃の写真であろうか 

 

 

 

 

 

 

 


「(わたしが)70歳になっても生きて欲しい」

2024-10-21 04:12:05 | 老いの光影

2045 wifeの誕生日

10月20日、wife50歳の誕生日

「わたしが70歳になっても生きていてね」

「92歳になるね。多病息災であるがそれまで「健康」で元気で頑張らないとね」

「それまで”大切にしてね”」、と話したら

「甘やかしすぎないから」、と言葉を返したとき

二人で笑ってしまった。

 

beagle元気はいま、11歳の老犬。

いつも老いぼれの二人で散歩しています。

今年の夏は暑かったので一日の散歩は3000歩にも満たなかった。

結果 循環器内科の女医(主治医)から「血栓の数値が悪いね。歩いている?」、と尋ねられた。

「暑いので余り歩かなかった」、と言い訳すると

「歩いた方がいいね」

 

いま、7000~8000歩の散歩に回復

元気のお陰です。

 

 

 

 

 

 

 


やっと入院した

2024-10-16 20:07:48 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

2044 老犬がいつもわたしの隣にいる

85歳を過ぎたある婆さんの話です。

細腕で建てた2階建ての家に、ひとり暮らす。

糖尿病と視床出血後遺症と認知症を患い、自らセダンタイプの車を運転しながら近くの病院に通う。

腎臓もボロボロになり、本来ならば血液透析治療をしてもおかしくない状態なのである。

 

20~30キロ走行なので、彼女の後は大渋滞の様相になってしまう。

かかりつけ医から、検査データーは超最悪で「生きていることが不思議なくらい」

「他の婆さんならばもう死んでいてもおかしくない数値です」、と言われ

彼女はとうとう観念し10月15日入院した。

世の中は便利になったもので、金さえ払えば手ぶら姿で入院できる。

入院中は、アメニティセット(入院時に必要な「寝巻・タオル類・紙おむつ・日用品等」の

有料サービス)で事足りるのです。

彼女は、そんなことはお構いなしで、スーパーのショッピングカート上下の棚に

自宅から持ってきた山のような荷物をカートに乗せ、押しながら病室に入る。

よく昔お年寄りが湯治湯に出かけるときたくさんの荷物を抱えながら歩く後ろ姿を思い浮かぶ。

洗面器、パジャマ、下着、歯ブラシ、歯磨き粉、コップ、海苔、板海苔などなど所帯道具一式のような感じ。

マイカーは病院の駐車場に置かれている。

入院期間は3週間の予定。

 

入院日に「入院時情報提供書」を医療相談室に持参した。

担当のMSW(ソーシャルワーカー、医療相談員)から電話がかかる。

「彼女は、退院後はどうするのか」

「彼女は、最後まで自宅で暮らし、自宅で死にたい」

「本当は他人(ひと)に迷惑をかけてまでは死にたくない」、と思ったけど

「(ひとりの)ヘルパーがかかわってから、この人に迷惑をかけてもいい、と考えが変わり、自宅で死にたい」

「どんな様(すがた)で見られても、家で死にたい」

「15歳になる老犬(柴犬)と一緒に過ごして生きたい」

 

 

 


無に帰る

2024-10-16 05:22:33 | 無帰

2043 無に帰る

無帰

人間死んだら無になる

自分の躰も煙となって消え逝く

遺骨となって墓に埋葬される

そう想うと寂しくなる

自分は無になったら何が遺るのか

遺るものが無くなってもいい

あの世に何も持って逝くことができない

自分はとても小さな墓に「無」と刻む

一輪の花を飾れればそれでいい

 

 

 

 


群発性偏頭痛

2024-03-14 20:50:33 | 老いの光影 最終章 蜉蝣

2042 目に見えない病は「わかりにくい」

2日間余りの日々 いろんなことが重なりすぎ
ブログから離れてしまった。
 
義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときに
wifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い
3月3日の日曜日 救急外来受診。
 
wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。
医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。
「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。
 
翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。
点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、
仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。
「断腸の思い」だった。
 
wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかり
できるものなら、自分が代わりになりたいくらい、と思うも・・・
 
 
82歳の老母は転倒から外傷性脳出血のため入院となった。
その後病状は回復し透析前は、つかまり立ち、つかまり歩行は「どうにか」できるまでになったが、
透析を終えた後は、「立つ」こともままならぬ状態で、介助型車いすの使用により移動介助を受ける。
 
介護疲れなのか ストレスなのか うつ病も絡んでいるのかどうかも わからない
群発性偏頭痛を抱えながら老母と再び生活をしていくには不安が大きく渦巻き、どうしていいかわからない。
 
母の年金は月額にして5万円の額でしかなく、介護費用もこの先まかなっていけるのかも不安
群発性偏頭痛の診断書を再度会社に提出すると、上司からは「まだ痛いのか?」と、
目に見えない痛みだけに「理解して」もらうには、かなり隔たりがある。
職場に復帰できるどころか、自分の働く場所(居場所)があるのかどうか、
それも奪われてしまう不安も襲いかかってくる。
 
自分の心の病というか、いまの自分のなかにある心の沈殿物を、
誰かに吐き出したい(聴いて欲しい)、という思いが募ってくる。
 
医療費(通院費、入院費)や薬代が全額免除になることも知らずに支払ってきた。
役場から「重度心身医療費受給者」の申請書を10枚ほどもらい
昨年の8月から今年の2月まで申請書を代行することになった。
医療費、薬代を含め約10万円のお金が老母の通帳に振込される。
 
3月末には退院し自宅での生活と透析治療の通いができるよう環境づくりを進めている。
月額5万円のなかで介護サービス等を組立なければならない
 
週3回(火木土)の透析通院を行うには
(要介護4の認定を受けていることから)ベッドから車いすへの移乗介助
玄関を出ると20cmほどの高さがある階段(3段)があり、280cmのスロープと車いすを使い
介護タクシーまで移動し、後部座席への移乗介助
身体介護1(20分以上30分未満、月に往復で26回のサービス)と
介護タクシーの交通費も発生する(片道、車で34分要する)
 
高額介護サービス費と透析交通費補助金を活用することで38,000円余りの介護負担減額をすることができ
何とか老母の年金額で、週3回のデイサービス、月26回の身体介護、
福祉用具(介護用ベッド、手すり、オーバーテーブル、スロープ、車いす)のサービスを使うことができる、と
机上では計算できたが、他に尿取りパットなど介護保険で利用できない自費の負担が出て来る。
 
そこへ来て娘の収入もどうなるか、それも不安の種である。
 
今日は2人のヘルパー(そのうち1人はwife)を同席させ
スロープと車いすを使い、3段の階段の上がり降りを行った。
老母の体重は48㎏であるかことから、50㎏の自分が身代わりとなり
階段の乗降を行った。急な勾配があり、ヘルパーの負担は大きく、力勝負の階段昇降介助になることが体験できた。
 
退院はゴールではなく
家族にとりもちろん本人も同じ
在宅で暮らすことができるよう再スタートとなる。
 
退院までの病院MSW(医療相談員)、主治医、リハビリスタッフとの調整を再度図っていく。
 
国会議員は寝たきりになっても費用の心配がないから
在宅で暮らす要介護老人やその家族の苦労や痛みは「わからない」。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

歩けるようになって欲しい

2024-03-02 09:39:20 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2041 外傷性脳出血


    シャンプーしてきました。
        4月8日で11歳になります。


事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。
浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。

急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。
CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。
10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。

夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり
同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。
娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。

要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。
要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・
歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで
地域包括支援センターから紹介された。
週3日血液透析の治療を受けている。

事業所から25kmある利用者宅なのだが、彼女は週3回血液透析の治療を受けている。
過去に透析をしていたケアマネということで、ケアプランの依頼があっ5あ。

浅香婆さんが歩くことは難しい、ベッド上の生活となりオムツになる。
夜勤勤務があり仕事と両立しながらの介護はできるのか。
nまた自宅から約30分をかけ透析に通うのも大変。

施設入所を考えたとき、透析のことがネックになる。
この先どうしていいのか、わからない。
不安の渦だけが大きくなるばかり。

介護費、透析通院費等の費用問題も重くのしかかっている。
それだけでなく、娘さんは介護のことや労母親との軋轢が絡み
心の病も嵩み、いま7日間の病休をとっている。

この先どうするのか、訪問することを約束した。

できるものなら、浅香婆さんが、つかまり歩きしながらトイレにでも行ければ、と願いたいが・・・・・



復刊 銀の輝き 第53号

2024-02-25 16:59:26 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2040 老いのねがい


        在宅訪問を終えた帰り路 関の里池に白鳥と遭遇 白鳥が寄ってきた

復刊  銀 の 輝 き  第53号  2024年3月1日
 
老人のねがい 

よく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。
それは老人のねがいにも聞こえます。

「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。
それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。

いまや人生百歳の時代になり、
脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。
 
老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。
「いまなにを考えておられるのか」
「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」
「なにを悩んでいるのか」
「なにを欲しているのか」
「なにに戸惑っているのか」等々。

そうした老人の思いに対して、「なにができるのか」。「
忙しい。時間がない」と口にしがちだが、
時間がないのは私ではなく、老人たちなのです。

要介護老人が住む家々を足繫く訪れていきたいと思っています。
            
「死」をどこで
誰に見守れながら
「死」を迎えるか
人生の最後における大きな問題である。
誰もが家族(ひと)の温もりを欲している。
どういう死に方を望んでいるか。
それは どういう老い方をしていきたいか・・・・。



            阿武隈川の辺に苔草と無造作に置かれた石 ジッと春を待つ



ドアとドアを結ぶどこでもドア  創刊号

2024-02-24 15:56:22 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2039 銀の輝き


           2024.2.24 am7:18 阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き

『ドアとドアを結ぶどこでもドア』 創刊号 2024年3月1日

いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで
移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。


福祉タクシーをご利用できる人

総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などにより
お一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。

利用目的の制限はありません。

病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。

福祉タクシー利用者運賃 ぐっとへるぷ 東北運輸局認可
乗車時間        運賃
乗出し~10分未満 1,030円
10分~20分未満   2,060円
20分~30分未満   3,090円
それ以降10分毎に   1,030円

車いす使用者     1回につき500円
病院内・クリニック内付添い30分毎に600円
保険外身体介護 30分毎に1000円
透析治療者の通院送迎 行います(介護保険・介護保険外)

透析治療は、週に3日(月13日)、通院送迎往復26回になります。
週3日の透析治療は疲労感があり、歩きも不安定になり転倒の心配があります。
“当訪問介護事業所は、「透析通院交通費補助金」申請の代行を無料で行っています。
お気軽にご相談ください。                                

「人工透析」を受けたスタッフがいます。透析後治療者の体調管理(シャント、止血、浮腫、歩行等)の把握を行ってます。

上記は、運営している当訪問介護事業所の機関紙です。





疲れると頭は働かなくなる

2024-02-23 11:16:56 | 老いの光影

白河の関を越えた地にも春が訪れる 縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る

2038 生きるとは


ここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。
老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。
「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、
気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。

その日は眼鏡をかけることも忘れていた。
眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。
在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。
反省をしてしまった。

疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり
夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。
 何のために此の世に生まれ、生きているのか・・・・。
 何で自分は生きているのか・・・・。
 もう、生きることに疲れた・・・・。
 死ぬことより生きることの方が難しく、厄介。
 
 自分ひとりならば野垂れ死にしようと放浪しようとかまわない。
 背負っているものがあるとそれを棄てる訳にはいかない。
 疲れてももう一度奮い立ち、生きるしかない。

牛タン

2024-02-18 18:54:32 | 阿呆者
2037 仙台泉プレミアムアウトレット



今日は気分転換を兼ね 
昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。

その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」
wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入
他に衣類3点(その内1点は自分のもの)

wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。
スマホが鳴った。
画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。

「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人は
ベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。
急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。
救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。

要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし
地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けることになった。
手すり、車いすの福祉用具貸与、ヘルパーの手配を早急に求められた。

身よりは誰もいない。

狸山(むじなやま)に棲むという。

これからどんなかかわりあいになっていくか・・・・。


その人は生きている

2024-02-17 20:26:59 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2036 情け(思いやり



出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど
住み慣れた家で 最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人
「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。

「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。
国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると
介護に使える額は1万円がやっとだ、と話を聴かされたとき、その言葉が重くのしかかった。

さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され
潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。

さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。

先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。
テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。
お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。

そのような状況のなかで、婆さんの夕食を作る。
W居宅介護支援事業所のケアマネは「味見はしなくていいから、(食事を)作ってもらえればそれでいい」と話す。

ヘルパーにしてみれば、鼠糞だらけのなか味見をするのは「勇気」がいる。
できれば味見はしたくない、と本音を漏らす。

でも、「まったく味見をしないで食事を出すのは、その人に対し失礼である」
「自分(ヘルパー)が調理したものを味見しなければ、責任を持った仕事ができない」

「味見はしたくない」、と言っても味見はしなきゃならない。
どうするか、作る前にまな板、包丁、鍋、お椀、箸など
調理に使う物はすべて消毒液で洗い流し「清潔「にした物を使う。

その鍋やお玉、皿を使って味見をしている。

ただ、調理して出せばいい
生活援助すれば、それでケアプランが実施されているから問題はない。

ケアマネは担当者会議で話された(その会議のとき、自分は訪問介護事業所の代表の立場で出席)
その人(婆さん)が最後まで自立した生活ができる、その人らしい生活を支援していきたい。


「情」という言葉が頭のなかで思い巡らす・・・・・。
心の動きのなかで、「同情」「薄情」「非情」であってはならない。

「情」という言葉(漢字)は、”思いやり” という深い意味が込められている。
「情」は、「心情」「表情」として表出されるものであり、旅先では「旅情」「風情(ふぜい)」「詩情」
といったように感じられるおもむき(情趣)がある。

食事づくりであれ、掃除であれ、洗濯であれ、「ただやればいい」というものではない。
暮らしには「おもむき」がある。
その人が生きてきた「心情」がある。

ひとりの老人が80年、90年・・・・と長い時間(人生)を生きてきた。
そしていまも生きておられる。
長い人生のなかで、喜び、悲しみ、怒り、驚きなど、さまざまな感情が絡み合いながら、その人の心情を紡いできた。
心情は、他者に直接見えるものではないからこそ

支援に従事される人たちは、その人の想い(心情)に思い巡らすことが大切。
それは相互に人間関係のなかで培われてくるものだと思う。

たかが調理、されど調理なのである。




自分の足を喰いながら生きる

2024-02-16 12:43:23 | 阿呆者
2035 あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい



自分の足を食べる蛸、と言われるが
本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに
自分の足をちぎって食べたりする。

他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、
自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。

「やってみよう」、と始めた介護事業だったが
小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。
赤字から黒字に転換するのは容易ではない。

ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが
赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・

「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。
あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。

wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。頑張るしかないんだよ」。

小さな屋根の下で 3食、食べられれば、人間幸せ。多くのものを欲しないで生きる。




突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う

2024-02-14 21:21:16 | 老いびとの聲
2034 明けない夜はない


               朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます

介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。
春の陽気です。
白河の関を越えると福島県。

透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。
蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。

雪水は蕗の薹にとり栄養となり
地上に現われた蕗の薹を見ると 春の訪れを感じさせる。

でも東北の地は
3月に入っても雪が降ることがある。
過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。

透析は1日おきに行うため
透析患者は、せわしく感じてしまい
できたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。

「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?
「患」の漢字から「串刺し」を連想する。



魚を串で刺し通す。
痛々しく感じてしまう。



「串」+「心」
2つのものを縦に貫く「象形」+「心」は心臓も象形から
”心を突き刺す
突き刺された心は、痛み(傷み)を伴い
憂えるを意味し
「患」は(病気を)患う(わずらう)
長患う。


上記の漢字の意味から考えると串で突き刺されたとき、躰(体)や心の痛み(傷み)は
計り知れない憂いや「わずらい」があり、絶望感に際悩まれてしまう。

その計り知れない痛み(傷み)に対し
看護師や介護職員はどう思いやり、ケアにかかわっていくのか

他者の痛み(傷み)を自分の痛み(傷み)として感じ取っていく。

言葉が話せない盲導犬を刃物で傷つけてしまう輩がいる
盲導犬は吠えてはいけない、と躾され
目の見えないご主人様に不安を与えてはいけない、と
その痛みをジッと耐えている。

他者の痛み(傷み)がわからないから(わかろうともしない)
平気で無抵抗の生き物や人を虐めてしまう。

透析患者の思い悩むその気持ちを推し量ることも大事であり
透析治療を終えた後の躰の状態は他者にはわからない疲れがあり
酷いときには「歩く」こともやっとで、ふらつき転びそうになることもある。




普通の注射針より太くて長い針を刺す(穿刺)
透析後、血が止まりにくいので血が出ないように圧迫(指で押さえる)します。

自宅に帰るときの送迎車に乗ったとき
「止血は大丈夫ですか」、と声をかけ出血していないか確認をする。

他にも気をつけなければならないこともあります(低血圧症状になることもあります)。
患者のことや病気を理解していくことも大切になってくる。








今日はブログ お休み

2024-02-13 21:27:02 | 阿呆者
2033 今日は18℃の気温で「春気分」



wifeの病院送迎の帰り
いつもと違う場所から那須連山を撮りました
東北自動車道も見えます

明日7時15分から透析治療者の送迎があるため
もう寝床に入ります

そのため今日はブログお休みます。

また、明日・・・・・

病床六尺、これが我世界である

2024-02-12 19:46:05 | 文学からみた介護
2032 『病牀六尺』と介護の在り方



正岡子規『病牀六尺』岩波文庫

●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、
書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)
で始まる文章はいまも印象に残っている。

彼は23歳のとき、結核により喀血した。
子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。
結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。

●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。
「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。
病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、
看護の如何が病人の苦楽に大関係を及ぼすのである。
殊(こと)にただ物淋しく心細きやうの時には、傍の者が上手に看護してくれさへすれば、
即ち病人の気を迎へて巧みに慰めてくれさへすれば、病苦などは殆ど忘れてしまふのである」
(107㌻)。

更に六十九においては
「病気の介抱に精神的と形式的との二様がある。
精神的の介抱といふのは看護人が同情を持って病人を介抱する事である。
形式的の介抱といふのは病人をうまく取扱ふ事で、例へば薬を飲ませるとか、
繃帯(ほうたい)を取替へるとか、背をさするとか、足を按摩(あんま)するとか、
着物や蒲団の工合を善く直してやるとか、そのほか浣腸沐浴は言ふまでもなく、
終始病人の身体の心持よきやうに傍から注意してやる事である。

・・・・・・この二様の介抱の仕方が同時に得られるならば言分はないが、
もしいづれか一つを択ぶといふ事ならばむしろ精神的同情のある方を必要とする。

うまい飯を喰ふ事は勿論必要であるけれども、
その介抱人に同情がなかった時には甚だ不愉快に感ずる場合が多いのであらう。
介抱人に同情さへあれば少々物のやり方が悪くても腹の立つものでない」
(113㌻)。

「形式的看護と言ふてもやはり病人の心持を推し量っての上で、
これを慰めるやうな手段を取らねばならぬのであるから、
病床六尺、これが我世界である。」
(114㌻)。

●かなり引用が長くなってしまったが、子規は介護(介抱)の在り方を提起し、
その内容は現代の介護においても大切なことを示唆してくれている。

精神的介護は、看護人(介護者)が病人に対し「思いやり」や「想い」を持って接していくことが必要であると同時に、
形式的介護では、病人の苦痛や苦しみ、性格などを推し量り、如何に心配り[気配り]を行う事である。

病人の苦痛や苦しみ、性格などを推し量り、如何に心配り介護を行っていくか。
「思いやり」を持つという意味は、自分と対峙しているひとりの要介護老人に対し
自分はその人はいま何を欲しているのか(いま必要とされるケアは何か)、その「想い」を持ちながら介護にかかわっていく。
それが「心配り(気配り)」なのである。

介護者自身、自分の介護に満足するのではなく、相手が「満足」されたかどうか、そのことが介護の基本であり、
介護員もホテルマンと同じくサービス業に位置付けられる。

勿論常に介護技術を磨き、終始病人に苦痛を与えず、身体の心持よきように安楽、安全な介護を提供する事も大切であると、
子規は、明治35年に「病床六尺の世界」から訴えていたのである。