1ヵ月余り前のこと。京都にある宇治上神社の張り紙が,ネット上で話題になりました。目に余る参拝客の様子に思い余り,神職が張り紙作戦に出たというものです。その文面は以下のとおりで,強調したいフレーズは大文字や赤文字が使用されています。
「ここは神社です。皆様が心を静めてお参りをされる場所です。テーマパークでもファミリーレストランでもありません。サービス業ではないのです。『お客様は神様』の自論は通用しません。本当の神様は目の前においでです。当然、不敬な行動は叱ります。親御さんがお子様をしっかり御監督なさって下さい。お子様を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き届きで,周りの人に叱っていただいたなら,逆切れではなく,『ありがとうございます』です。自分本位な考えの大人になられないように,正しい教育で共にお子様の健やかなる成長を見守りましょう」
ここからは,神社参拝という場にふさわしくない行動が子どもの中に頻繁に見受けられること,親の対応がじつに頼りないことが読みとれます。こうした子,親子の傾向は今に始まったわけではなく,ずっと前からありました。ただ,幼少年期に地域のおっちゃん・おばちゃんたちのお蔭もあって,それなりの育ち方をしていました。今は,親自身が核家族などの孤立感の中におかれた例が多くって,望ましい子育てなんて考えるゆとりすらない傾向があるように思えてきます。
わたしが勤務する施設でもそうした姿を垣間見ることが度々あります。子どもの粗暴な言動ぶり,あいさつのできないおとな,……。人間関係を築く道筋が,自分からは付けられないのです。
こう考えると,割合からすれば少ないかもしれませんが,親も子も悲劇の真っ只中にあるともいえそうです。
しかし,問題は問題なのであって,それを示唆されなくては気づかないままの状態におかれ,それが子どもの将来にどんな影響を及ぼすか,まったくわかりません。
図書館で大声を出す子,スーパーで走り回る子,電車のなかでトンデモ行動をする子,……。社会性の育ちから遠くかけ離れているこんな例はたくさん。それが問題だと気づけないおとながいる,注意されたら逆切れするおとながいるってやっぱり困った世です。
ということからすれば,それを敢えて気づかせようとした神職の行動は当たり前でもあり,立派でもあります。わたしの立場でそんなことをすれば,公的施設を預かる者が立場をわきまえずどうのこうのと摩擦が生じるでしょう。
私的立場で,堂々とそれを実践しているお寿司屋さんが篠山市にあります。ずいぶん前に取り上げた話題ですが,再びそれを写真でご紹介しておきます。
裏返していえば,そうした例が過去に何度かあったということ。堪りかねたうえでのこの実力行使は,文字の美しさと相まって,店としてのプロ意識とかプライドといったものを押し出しているように見えます。あっぱれです。
これを見た子をもつ親が,そして客が,自分の足元を見つめ直して,しつけについて再考するきっかけになれば,店主のこころ意気が客のこころに届いたことになります。上の神職の張り紙もまったく同様です。
こういう心意気が光る時代というのは,ほんとうは悲しむべき時代なのです。人と人のつながりが希薄になっている時代の証しです。これを踏まえて,問題行動にわたし自身としてどう対応できるか,問われていると思っています。