自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

キク科植物と初冬の昆虫たち

2015-12-24 | 昆虫

冬に入ったというのに,ずいぶん暖かいこと。この分だと,当分暖冬傾向が続きそうです。もっとも,厳寒期に入ればこんなわけにはいかないでしょう。 

風がほとんどなく,晴れ渡った日。山裾の道を歩いていたら,ヒメジョオンやセイタカアワダチソウの花が名残惜しそうに咲いていました。花が咲いているのだから虫だって見当たるだろうと思いながら,見て行くと,やっぱり。陽気に誘われて,どこからかやって来たのです。

ツマグロキンバエはどこに行っても見かけるほどの常連です。


キタキチョウは数頭見かけました。中には,産卵行動をしているみたいで,地面近くの草の上をゆっくり飛んでいる個体がいました。葉にとまったとき,卵を産み付けるのかと思ったら,そうでもありませんでした。考えてみると,今の時期に産卵するわけはないでしょう。 

 
ハナアブもいました。セイタカアワダチソウはほんとうにたくさんの昆虫に蜜やら花粉をプレゼントしています。これだけ鮮やかな黄色い花弁だとアピール度も相当高いはず。


ベニシジミも1頭いました。 

 
カメムシも1匹。ケブカヒメヘリカメムシです。出現時期は4月~10月なので,ずいぶん遅くまで生き延びていると見ていいでしょう。

 


これは未同定なのですが,葉にハチも。なんとなく,クモバチあたりじゃないかなあと検討をつけています。姿がそのなかまに似ていますし,触角がしきりにぴくぴくと動いていたので獲物であるクモを探しているように推測されました。

ヤマトシジミも飛んでいました。アキアカネも路上にとまっていました。数はめっきり少なくなったものの,気温が一定程度あれば,昆虫はまだ結構いるものです。 

 


冬の“虫の目”写真(4)

2015-12-23 | 随想

せっかくだから晴れた日に,再び集落を背景にして虫の目写真を撮っておこうと思いました。モデルはカマキリさん。

やはり,陽光を味方にすればくっきりした色が出ます。青空,雲,紅葉した木々,すっかり勢いを失ったヨモギ。国道を行く赤いトラック。


近くも遠くも,それなりにピントが合って,家並みや木々の幹も確認できます。

カマキリに,この景色が具体的に見えているわけではないのですが,まるで見えている雰囲気が漂ってくるようです。そんな気持ちにさせる力を,虫の目レンズは持ち合わせています。


撮影時のわたしの姿勢は,当然ながら,地面に腹這いです。道でこんな姿をして横たわっているのを見て,ある人が「倒れているのかと思ったでぇ」とおっしゃったことがあります。ファインダーをじっと覗いている間はほとんど動きませんから,そのように思われても止むを得ません。

虫を撮るのに,なんといっても複眼にピントを合わせなくてはなりません。シャープさには期待できない虫の目レンズでも,原則は同じです。じっと見ていないとピントがあっているかどうかわかりにくいので,どうしても道に横たわった格好になります。こういう苦労を重ねていると,虫の目線で状況を解釈するのに慣れてきます。おもしろいものです。

 


子のしつけのこと,すこしだけ

2015-12-22 | 随想

1ヵ月余り前のこと。京都にある宇治上神社の張り紙が,ネット上で話題になりました。目に余る参拝客の様子に思い余り,神職が張り紙作戦に出たというものです。その文面は以下のとおりで,強調したいフレーズは大文字や赤文字が使用されています。

「ここは神社です。皆様が心を静めてお参りをされる場所です。テーマパークでもファミリーレストランでもありません。サービス業ではないのです。『お客様は神様』の自論は通用しません。本当の神様は目の前においでです。当然、不敬な行動は叱ります。親御さんがお子様をしっかり御監督なさって下さい。お子様を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き届きで,周りの人に叱っていただいたなら,逆切れではなく,『ありがとうございます』です。自分本位な考えの大人になられないように,正しい教育で共にお子様の健やかなる成長を見守りましょう」

ここからは,神社参拝という場にふさわしくない行動が子どもの中に頻繁に見受けられること,親の対応がじつに頼りないことが読みとれます。こうした子,親子の傾向は今に始まったわけではなく,ずっと前からありました。ただ,幼少年期に地域のおっちゃん・おばちゃんたちのお蔭もあって,それなりの育ち方をしていました。今は,親自身が核家族などの孤立感の中におかれた例が多くって,望ましい子育てなんて考えるゆとりすらない傾向があるように思えてきます。

わたしが勤務する施設でもそうした姿を垣間見ることが度々あります。子どもの粗暴な言動ぶり,あいさつのできないおとな,……。人間関係を築く道筋が,自分からは付けられないのです。

こう考えると,割合からすれば少ないかもしれませんが,親も子も悲劇の真っ只中にあるともいえそうです。

しかし,問題は問題なのであって,それを示唆されなくては気づかないままの状態におかれ,それが子どもの将来にどんな影響を及ぼすか,まったくわかりません。

図書館で大声を出す子,スーパーで走り回る子,電車のなかでトンデモ行動をする子,……。社会性の育ちから遠くかけ離れているこんな例はたくさん。それが問題だと気づけないおとながいる,注意されたら逆切れするおとながいるってやっぱり困った世です。

ということからすれば,それを敢えて気づかせようとした神職の行動は当たり前でもあり,立派でもあります。わたしの立場でそんなことをすれば,公的施設を預かる者が立場をわきまえずどうのこうのと摩擦が生じるでしょう。

私的立場で,堂々とそれを実践しているお寿司屋さんが篠山市にあります。ずいぶん前に取り上げた話題ですが,再びそれを写真でご紹介しておきます。


裏返していえば,そうした例が過去に何度かあったということ。堪りかねたうえでのこの実力行使は,文字の美しさと相まって,店としてのプロ意識とかプライドといったものを押し出しているように見えます。あっぱれです。

これを見た子をもつ親が,そして客が,自分の足元を見つめ直して,しつけについて再考するきっかけになれば,店主のこころ意気が客のこころに届いたことになります。上の神職の張り紙もまったく同様です。

こういう心意気が光る時代というのは,ほんとうは悲しむべき時代なのです。人と人のつながりが希薄になっている時代の証しです。これを踏まえて,問題行動にわたし自身としてどう対応できるか,問われていると思っています。

 


冬至。昆虫とユズと

2015-12-22 | 日記

12月22日(火)。冬至。今日は出勤日。風が弱いだけ,比較的穏やかな一日になりました。

農道で見かけたタンポポの花は在来も外来種も。湿っていて,昆虫を見るには期待薄。


そんななか,ヨモギハムシのような虫が一匹花弁を動いていました。ヨモギハムシは卵か成虫で越冬するそうなので,このまま冬を越しそうです。


ホシノヒトミがちらほら咲いています。今頃咲いてどんな虫を期待しているのやらと思うのは早計。進化学の目からみると自家受粉より他家受粉が優れた生殖法なのですが,今の時期はちゃっかり,あっさり自家受粉で済ませてしまうという合理的精神の持ち主。春でも訪花昆虫は割合限られているほどで,冬なんてちっとも見当たらなくて当然です。にもかかわらず,ここにやって来る昆虫をわずかに期待して,わたしはなんとなく目を向けているのです。


ホシノヒトミは一日花。朝開いて夕方閉じるときに受粉を行い,一定の確率で子孫を残す戦略を行使しています。でも,メシベの本当の気持ちは「他の花の花粉がいいな」というところでしょう。できるだけ多様な遺伝子を残すのは種としての生き残り戦術上有利なのはまちがいありません。

この日,職場のなかまからユズの実をたくさんいただきました。我が家では毎晩スダチ(下写真)をお風呂に入れて,入浴をたのしんでいます。今日は世間並みにユズ風呂です。ありがたい,ありがたい。

 


探検活動 ~クズの根掘り(Ⅰ)~

2015-12-21 | 随想

春のこと。山で探検活動をしているとき,参加されているひとりのお母さんが「秋になったら,クズの根を掘りたいなあ」とおっしゃいました。クズを使った遊びについて話題になっていた際です。もちろん,参加者はだれも掘った経験なし。わたしは何度か掘ったことがあり,クズの生態のスゴサに触れると,掘りたい気持ちが増幅していったようです。

ここからは,すこし前の秋の話です。

そして,秋を迎えました。春に「掘りたい」といわれたお母さんがその場所を探してこられ,みんなで出かけることに。

そこは山奥にある集落の,いちばん上。そこからやってきた方角を見下ろすと,遥か山々が続いています。放棄された畑にクズが生え,安全に掘れる場所です。所有者の了解のもと,掘ることになりました。ただ,茎が四方八方に広がっているというほどの派手さはなく,数本横に伸びているといった感じです。子どもの力なら,このぐらいでちょうどと思われました。


子らは探検活動にすっかり溶け込んでいるので,上学年のリーダーを中心にして見事なスクラムぶりです。 どんどん交代して,「ここ掘れ,ワンワン」のリズムで,作業を進めました。


結果,掘り上げたのはごく細い根っこ。それでも,みんな満足。わたしは少々残念に思いましたが,子どもたちのうれしそうな顔を見て,「これはこれで,マア,いいか」」と納得。


さらにうれしいことに,一人のお母さんがクズ粉とお湯を準備して持って来てくださっていたこと。作業後にいただいたクズ湯の,なんともいえない旨み。心遣いを感じました。感謝。いずれ,この根からクズ粉を取り出す予定です。


こんなふうに,ちょこっと探検はみんなの力で快調に進んでいます。 

 


都大路で高校駅伝の応援

2015-12-20 | 日記

12月20日(日)。快晴。全国高校駅伝の応援で京都市へ。京都の最低気温0.9℃,最高気温11.1℃。昼間は風がほとんどなく暖かさを感じました。

わたしの住む市から男女がアベック出場し,わたしたち夫婦は昨年と同様に応援バスに乗せていただいて京都に行ってきました。前評判では女子チームが優勝候補にあげられていました。出場する以上,各チームはベスト記録を目指しているはずですが,ふしぎなもので,駅伝のような団体競技はどんな結果をもたらすか計り知れないところがあります。いつものことながら,勝負の世界は厳しい!

今回もそうでした。残念ではありましたが,展開は頭に刻んでおくだけにします。だって,選手一人ひとりの限りない努力と運の総和によって成績が決まってくる以上,勝手な解釈で結果を云々してことばにしても,ほとんど意味がないと思うからです。結果に対して責任を感じる立場にいもしないわたしが感想を述べるのは,問題でもあります。


大会では,世羅高校が男女同時優勝という栄光に輝きました。男子チームの記録は,これまでの大会記録を14秒更新する2時間1分18秒。それはまったく見事な話です。報道を通して,監督・部員が一丸となった志の高さが伝わってきて,さらに立派に思えてきました。

選手の話とは別の話。全国からチームが集い,それぞれのチームを地元から訪れた人々が応援する,みんながどのチームをも応援し合う,他都道府県の人がことばを交わす,そんな熱がまちに溢れていました。それこそがこの駅伝の醍醐味だと思います。

わたしたちが昼食を食べるために入った蕎麦屋さんでは,テレビで駅伝を実況中でした。それを沿道で応援している人が見ていると,店の方が「どうぞ入って見てください」と招き入れるといった光景があったほどなのです。

わたしの集落からはSさんが出場しました。他県の高校に駅伝留学している子どもさんなので,その応援もさせていただきました。中継所で直接ことばを掛けることができ,沿道で「ファイト!」と大きな声で響かすことができたのも,よき思い出になりました。

師走の京都の落ち着いた並木の雰囲気。街路に積もった落ち葉。それを見ながら歩くとなんだかリフレッシュ感が得られるようで。すてきな一日になりました。

 

 

 


冬の“虫の目”写真(3)

2015-12-19 | 随想

ここは市内の田園風景を遠望できる高台。つまり,パノラマ風景が広がり,地形が鳥瞰できます。知る人ぞ知るポイントで,学校で使用している地図帳を開けると,経緯度からずばりその場所がわかるというところです。だって,このポイントは経緯度の交差点なのですから。下写真の,中央やや右下にある十字形の中心点がそれです。


えっちらおっちら,気持ちよい汗をかきながら急坂を登って到着。この日は快晴。青空のもと,初冬の風景が鳥瞰図のように迫って見えます。冬の冷気に当たって清々しい気分に浸り,ゆっくり,のんびり。こころに栄養素を吸い込むと,「さあ,撮影」をという気持ちが湧いてきました。


ポイントのすぐ脇で,虫の目写真を撮れるなんて光栄な話。一年振りです。モデルはそのときと同じくカマキリさん。きれいに澄み渡った空を眺めているように見えます。ふしぎ,ふしぎ。

 


ポイントのすぐ近くに植えられているツツジにつかまってもらいました。逆さの風景を見ているみたいな格好です。 

 


地面で,ゆったりしたポーズをお願いしました。おとなしく応じてくれました。ありがたい,ありがたい。 

 


虫の目写真を撮るのは,やはり晴れの日がサイコー。太陽光を味方につけて,色彩ゆたかに写し撮ることができます。

気持ちのよい撮影日になりました。感謝。

 


双子のシロバナタンポポ

2015-12-18 | タンポポ

本日12月18日(金)付け記事の第2話です。


 

近くのお年寄りがお亡くなりになって,今日が告別式。99歳で間もなく100歳ということで,ご家族の方はとてもたのしみにしていらっしゃいました。ほんとうに残念なこと。でも大往生。合掌。葬儀のお手伝いをさせていただき,勤務は休み。

それが終わると畑の果樹園で獣害防止ネットの片づけをしたり,野菜の収穫をしたり。作業をしながら,畑と家を往復。そして夕方のこと。たまたま家に戻ったときに,道端の隅でシロバナタンポポが開花しているのが目にとまりました。ふつうなら珍しくはないのですが,どうも花の姿が変わっているように見えました。

近寄って確認すると,花が2つ付いた双子タンポポでした。稀に見かける変わり種なのですが,稀といっても確率はとんでもないほど小さいのです。わたしは,これまでにカンサイタンポポとセイヨウタンポポの両方で見たことが何度かあります。そのうちのいくつかは標本にして保存しています。


さらに近づいて撮りました。


わたしが住む地域は内陸部です。ここにシロバナタンポポが咲いているのはふしぎなのですが,じつは背景があります。

シロバナタンポポの花茎は,生育環境さえ整っていれば1mを遥かに超えるまでに達します。どうもこれは特性のような気がします。1m数十cmの花茎の先に花が付いている光景は見事です。それを探して自生地に出かけたのは数十年前のこと。

以来何度も出かけて,そこで見つけた最長花茎は110cmをずっと越しています。もしかすると,小学一年生の平均身長より高いんじゃないかな。それをラミネート処理し今も保存しています。

そんなたのしい(?)体験を重ねていきながら,根や種を持ち帰り,我が家の周辺に植えたり蒔いたり。人為的なこうしたやり方は従来からの生態系の保存という点から見ると褒められるものではありませんが,興味ある種を身近で観察したい気持ちで試しにやってみたというわけです。

結果,シロバナタンポポが適当に自生し始め,そのことが今回の発見につながったのです。 

 


サザンカの花とツマグロキンバエと(続)

2015-12-18 | 昆虫と花

サザンカの花でツマグロキンバエの姿があまりにも目立つので,「これは超接写で撮っておくのもいいかも」と着眼。

オシベの先端,つまり葯から弾け出た花粉を舐めているオス個体をねらいました。画像は粗いのですが,からだに占める口吻の大きさが際立って見えます。まるでゾウのそれを連想してしまいます。とてもたいせつな器官であることが窺えます。 


口吻の先端をじっと見てみると,わずかに毛のようなものが光っているのがわかります。イソギンチャクでいえば,触手といったところです。もしかすると,味覚を感じることができるのかもしれません。

 
ひとしきり花粉を舐めて,休憩。口吻を収納してしまえば,なんと小ぢんまりしたことか。からだには花粉がたっぷり付いています。こうなることによって送粉が一層確かに行われていきます。 


メスの個体も撮りました。口吻の先には,まちがいなく毛が生えています。


ツマグロキンバエを見ていると,体長が大きいもの,小さいものがいることに気がつきます。 大きいもので7mm,小さいもので5mmほどです。この極小世界で見えるふしぎが,目の前で広がります。

冬のサザンカは,ツマグロキンバエにとってこの上なくすてきな活動ステージです。 

 


サザンカの花とツマグロキンバエと

2015-12-17 | 昆虫と花

今,我が家の生垣のサザンカが満開です。これまでにもサザンカの訪花昆虫について記事にしてきましたが,今回も同じ題材を取り上げようと思います。ただし,まったく同じではなく,前よりもずっと近寄って撮った写真を載せることにします。

やっぱり目立つのがツマグロキンバエ。からだには花粉がたくさん付いています。花粉が「たくさん運んでくださいね」と誘いかけているよう。


花にすっぽりからだを埋め,メシベの根元をペタペタ舐めています。姿勢は完全に逆立ちです。口吻の伸び方はその蜜が好物であることを示しているように思われました。


ほんとうに時間をかけて舐めていました。それはもうふしぎなぐらいに。


長い時間が経って,ようやく花弁のところに出てきました。その姿を見ると,付着した花粉がまた増えているように感じられました。


別の個体を前方から撮りました。やはり花粉まみれ。


今は自分よりもからだの大きな外敵が襲いかかる季節ではありません。クモ程度の敵ならいるでしょうが,数は多くありません。いってみれば,安心して飛び回れ,蜜を口にできる時季です。ツマグロキンバエはきっと,落ち着いた気分に浸りながら蜜を舐めていたことでしょう。

お蔭で,観察には慌てることなく時間をかけられ,撮影もゆとりを持って行えました。