◆沖縄第3日目(晴れ)
普天間基地 → ひめゆりの塔 → 喜屋武岬 → 平和記念公園 → 玉泉洞 → i斎場御嶽 → 首里城 → 那覇(泊)
やっと晴れました!!
(今日は、外歩きの行程が多いので、ヨカッタヨカッタ)
今日は南部を回ります。
途中、最近ニュースで良く聞く「普天間基地」を見てみたいとしんのうクンが言うので、ちょっと寄り道です。
国道をちょっと入ったところでしたので、滑走路は見ることは出来ませんでしたが、ヘリコプターの音は良く聞こえていて、たぶん林のすぐ向こうに駐機しているようでした。
ニュースで見たとおり、町中にありましたし、すぐ脇は学校。
住んでいる方達にとっては、確かに早く移転して欲しいでしょうけれど、
移転先にも住んでいる人は居るわけですし...簡単には決着しない問題なのだと実感しました。
普天間基地 喜屋武岬
「ひめゆりの塔」では、こちらも以前訪れたときには無かった、立派な資料館が完成していました。
続いて訪れた本島最南端の「喜屋武岬」。
ここで、やっと、”青い空と青い海”の沖縄を見ることができました。
「平和祈念公園」の「平和祈念資料館」も今回初訪問です。
「沖縄サミット」の時の安室奈美恵が歌った歌が出てきて、頭の中をずーっと流れていました。
ところで、
公園の端、海に面した展望台の柵に ←こんな警告板が立っていました。
「究極の選択。
崖から海に落ちるのと、ハブに咬まれるのとどっちがいい?」と、しんのうクンに聞いてみたら、
「ハブかなぁ~」とのこと。
理由は
「この崖だと落ちたら、まず助からないと思うけれど、ハブだったら咬まれても死なないかも」だそうです。
でも、戦争中は、選択の余地無く、ここから海へ飛び込んだ人も多かったのでしょう。
次の目的地は「玉泉洞」。
ここも私は、以前に訪れたことがあるのですが.....
何なのでしょう?コレは?!?
以前は、こんなでは無かったのに.....。
一応、”日本で2番目に大きな鍾乳洞”なのですから、それなりに”鍾乳洞としての誇り(?)”を持って欲しいものです。
外に出て”ぶくぶく茶”で、ちょっとガッカリした気分を癒したのでした。
「玉泉洞」を出て「浜辺の茶屋」へ立ち寄りました。
(玉泉洞で「揚げバナナ」を食べたでんかとしんのうクンが、「お昼は軽いものでいい」と言うので)
文字通りの”浜辺”の喫茶店です。
窓際のカウンター席(といっても、テーブルは”窓枠”?)で、コーヒーとピザでホっと一息。
(沖縄に来て、初めて”ゆったり・まったり”したカンジです)
目の前は干潟で、今は干潮。
満潮になると、お店のすぐ下まで海になるのだとか。
(「早く満潮にならないかな~」って、そんなにすぐにはなりません!!)
しばらくしてお店に入ってきたお客さんをふと見たら、有名な演出家のMさんです。
「そういえば、沖縄に住んでいるって、この前テレビでやってったっけ」
と、でんか。
(お店を出てから、下の海岸(干潟)に下りてみたら、な~んだお隣にお住いでした)
「浜辺の茶屋」を後にして、「ニライ・カナイの橋」を上ってエメラルド・ブルーの海を見ました。
(この海が無いと...
でも、昨日までの本島・東北部でこんなお天気だったら、もっとキレイな海が見られたのかも...)
斎場御嶽 と 首里城の 世界遺産コンビ
ここからは、「世界遺産」を巡る旅です。
最初は「斎場御嶽」。
森の中を進んで、大きな岩が△に組み合わさったような斎場は、今でも信仰の場所には違いなく、観光客に混じって、お祈りをする人が入れ替わり訪れていました。
変わって「首里城」は、昔見た大河ドラマの通りでした。
(って、ここで撮影したものです)
今までとは一風違った大河ドラマで、確かあまり評判は良くなかったと記憶しているのですが、私はちゃんと見ていました。
(確か、ジュリーが「うしゅがなしーめー」でしたね)
初めて見たときに、
「えっ?!」と拍子抜けした
(私の中では、札幌の時計台とならぷ、日本の「え?」な観光名所)
「守礼の門」
も、ちゃんと整備された城郭の入り口としてみたら、それなりでした。
(時計台より1歩リード?)
◆本日の雑感
今回の沖縄訪問。
実は、私がどうしてもしんのうクンに沖縄を見て、体験して欲しかったのです。
1都1道2府43県の中で、沖縄は他の県と文化・風土が大きく違います。
それは、1つの島が1つの県だということもありますが(ある意味、北海道もそうなのですが、規模が全く違います)、
一番大きな相違点は、日本国内で”戦闘”を経験したことがあるのは沖縄県だけだということです。
原爆を投下された広島・長崎は言うに及ばず、日本国中、”戦争”を経験しなかった県はありませんが、”戦闘”を経験したのは沖縄県だけです。
広島・長崎や大空襲を受けた東京も、ただ一方的に攻撃を受けはしましたが、自分の眼前に的の姿を見て、その敵と直接戦ってはいません。
長い歴史の中で、そういった事があったのは、”つい最近”のことで、今の沖縄には、当時の出来事を体験した人が、まだまだ数多く残っています。
資料館などの記録を見ると、「ひめゆりの塔」であれ、「平和祈念公園」であれ、今、生きている方は、「生きている幸せ」よりも「生き残ってしまった罪悪感」のようなものを抱えている方の方が多いようです。
そうした方達が居るという一方で、「ひめゆりの塔」も「平和祈念公園」も”観光資源”として”活用”せざるを得ない沖縄の”今”があり、県面積の1割を占める在日米軍との共存等々、”おきなわ”というキーワードで考えさせられるテーマは数多くあります。
私自身、高校の修学旅行で広島に行き、平和公園や資料館に行って、そこで見たモノは今も深く残っています。
”10代”という、頭も感性も”柔らかい”うちに見たモノは、その後の人生に置いて、すくならず何らかの影響与えているのでは無いかと思います。
今回まわった数々の戦争の傷跡や、至る所に存在する米軍基地、そんな中で暮らしている沖縄の人たちと、御嶽や町中のお墓、それらのものから、”何か”を感じ取ってくれたら.....。
旅行に行く前も帰ってからも、そんな話しはひとことも、しんのうクンと交わしてはいませんけれど、いろいろな資料館で、時々足を止めて熱心に資料を読んでいた彼が、”何か”を感じて、心に留めておいてくれたら幸いです。
(とか言って、「3歩歩くと忘れてしまう」というしんのうクンが、果たしてどこまで記憶にとどめておいてくれたのやら...)