ひでんかの”雅でない”日々

庶民の"ひでんか"の日々はちっとも雅じゃないけれど、いろんな人達と楽しい毎日を過ごしています

プラナリア

2010-01-26 22:01:00 | ひでんかの「日々の徒然」

ふと見たテレビに「ブラナリア」が映っていました。

    懐かしい~~~!!

確か中学校の生物(私が通った学校は、中学でも「生物」でした)で、
中間だか期末だかに、いろんな形のプラナリアの断片の絵が描かれていて
「ここから再生した形を書きなさい」みたいな試験問題がありました。
(体「ま半分」は良いとして、「頭の真ん中(目の下)」とか縦半分とか、簡単な絵だったのですが妙に生々しく感じた記憶があります)

以来、プラナリアのファン(?)になり、山奥の川に行くと、密かに「プラナリア探し」をしている私。
(でも、この歳になっても、今まで一度も見つけたことがありません!!)

別に見つけたからといって、カミソリで切り刻もうなどとは考えていませんので、いつか「野生のプラナリア」(?)にお目にかかりたいものです。

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日常生活の視線

2010-01-25 17:40:40 | ひでんかの「ちょっとした事件」

今朝方、いくつものサイレンの音が響き、外が騒がしかったのでベランダから見てみると、我が家から最寄り駅に向かう橋の上に、たくさんの消防車とパトカーと救急車が停まっていました。
消防車の中には救助工作車も居て、隊員の方が慌ただしく動き回っています。
我が家から現場を見ることが出来ませんが、皆さん、川へ下りていきます。
    誰か川に落ちて溺れている?!?
(とはいえ、最近雨が降っていないので、推定水深50センチ程度?)
家事の合間に時々覗いていると、救急車と消防車は程なく引き上げていきました。

後に残ったのは数台のパトカーと覆面車、それといつのまにやってきたのか工事車両のような幌付きのトラックが1台。
また、暫くして覗いてみると、ちょうど、シートにくるまれた重そうなモノを、警察官4人がかりでトラックに運び入れているところでした。
となると.....。

前述の通り、大人ならば十分足が立つ深さですし、こちらの橋は、このあたりの住民が最寄り駅に向かう経路となっています。
それなりの利用者がありますので、直前に落ちたのであれば、誰も目撃者がいないということは無いのでは?
と、考えられるのは、前夜(または、まだ夜が明けない前)に落ちてそのままになってしまったということでは...。

それでも、今朝、明るくなってから騒ぎになるまでの間に、どのくらいの人がこの場所を通ったことか。
(我が家のでんかも含まれております)

でも、朝の時間帯、通勤通学する人は目的地の方向しか見ていなくても無理の無いことかもしれません。
まだ、詳細は不明なので「いつ起こった出来事なのか」はわかっていませんが、
いかに「日常生活の視線が狭いか」ということを感じさせられました。

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都心の空

2010-01-24 16:33:06 | ひでんかの「日々の徒然」

思わずカメラを取り出して、シャッターを押してしまいました
10012400つい先日、新聞の記事だったか
「東京都心の空が綺麗になった」
という内容の文章を読みました。
今日、講習会に行く途中、あまりに澄んだ綺麗な空に、その記事のことを思い出しました。

確かに昔は郊外から都心方向を見ると、上空に灰色のモヤ~っとしたモノが罹っていた記憶があります。
それが、排気ガス規制やゴミ消却場の設備革新で徐々に改善されていき、こんなに美しい空が戻ってきたのですね。

この空だったら、智恵子さんも満足していただけますかしらん?

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親族優先

2010-01-23 16:14:16 | ひでんかの「日々の徒然」

日本臓器移植ネットワークから
「親族優先提供の意思登録開始について」
というお知らせが届きました。

このほど法律の改正により、臓器提供の際に、提供する相手として親族を優先させることができるようになったそうです。
そのため、その意思を登録できるそうなのですが、これってどうなのでしょう。

自分がいつ「臓器提供するような状況」になるかは分からず、更に、
そうなった時に「親族に臓器を必要としている人」が居ないといけません。

幸いなことに、私の親族には現在「必要としている」人はなく、となると、もし私が今、臓器提供することになったとしても該当者はいない訳です。
「親族が将来的に...」というために保存しておくことはできないので、となれば必然的に、
「今、必要としている人」に提供されることになります。

そう考えると、この意思表示は、
「現在、臓器提供が必要な親族がいる人」
になりますかしらん?

少し前に届いたお知らせなのですが、ペンディングのまま「受信トレイ」に眠っています。

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オトナの誕生日

2010-01-22 22:54:00 | ひでんかの「日々の徒然」

「後ろ姿は女子大生」の、お友達Mさん。
今日が御誕生日だそうです。
頂いたメール

「45歳ってまだまだ未熟ですね、もうちょっと何でも知ってるって言うか何でもわかるオトナかと思ってましたよ。
私なんか知らないことたくさんあるし、人の気持ちも読めないし、自分をオトナだなぁ、って思える瞬間がないんですよね…。
これって大丈夫ですかねぇ45にもなって(笑)」

なにげなく読んだ後で、結構深く考えさせられる文面。
法律上の定義の「オトナ」は20歳。
でも、法律が認めても「人間的なオトナ」には、いったいいくつになったらなれるのでしょう。
「45歳」といえば、平均寿命からみると既に人生の半分は過ぎてしまったわけですが、残りの
年月のどこで「オトナ」になれるのか...
(それとも、オトナにはなれないまま終わってしまうのか)

深いなぁ...深いです。

でも、重ねた年月が「オトナ」へ少しずつ近付いていると信じて、御誕生日おめでとう!!

(彼女よりも少し先行く私も、「オトナ」はまだまだ遠いです)

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