元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

様式美麺 第31弾 ラーメン交響楽 第2楽章 クライベイビー

2008年05月10日 | 新波拉麺「虹」解体新書
ラーメンは「ジャンクフード」「B級グルメ」とか
軽視された言い方をされる事が多い料理です。

ロックやフォークを「軽音楽」と、言っているのと
同じく、若者文化は低く見られがちです。

でも、若者文化は柔軟で斬新なものです。

ラーメンも、年配層よりは、若者に愛好者多いです。

そういった「ラーメン」=「ジャンクフード」的な
発想を、あえて風刺した「うまけりゃ何でもイイじゃん」
的なラーメンを作りました。

それが「様式美麺 第31弾 ラーメン交響楽 第2楽章
 クライベイビー」です。

友人が「俺らのダチは皆、カップヌードルのシーフード味に
マヨネーズを入れるぜ」と、言っていたのを思い出し、当店の
ラーメンにマヨネーズを入れてみるとクリーミーでナカナカ
うまかったです。マヨネーズの主原料は、卵、油、酢なので
ラーメンに合わないはずがありません。

でも、それだけじゃ、新作と言うにはチープなので、
「ベビーラーメン」を具材にトッピングし、カリカリした
食感も楽しめます。


「様式美麺 第30弾 ラーメン交響楽 第1楽章 さかな」が
完売後から「様式美麺 第31弾 ラーメン交響楽 第2楽章 
クライベイビー」の販売を始めます。
(近日、発売開始)

幸福とは?不幸とは?

2008年05月10日 | 店主の人生哲学
何故だか、熱心な読者に好評な「店主の人生哲学」ですが、
シリアスなカテゴリーゆえ、書く前に真面目モードにテンションを
切り替えるのが大変です。では、久々に真面目に書いてみましょうか・・。



不運な境遇にいる人間は、自分の運命や家庭環境やコンプレックスを
恨むものです。不幸の原因は「運命」と決め付け、改善策も練らず
ただただ落ち込み、不幸な境遇を恨み、他人を嫉むだけのネガティブ
思考の人も少なくないと思いますが、それじゃ何にも変わりません。

自分の不運を他人や環境のせいにするのは、自己防衛思考によるもの
です。「自分が悪い」と自分を責め、自分で抱え込み、自暴自棄になり
潰れないように、人間は他人のせいにする事で、少しでも罪悪感を
軽減させるように出来ています。そして、辛い出来事などは時間と
共に薄れるように出来ています。人間とは逆境でも自力で乗り越える
力があります。

また、不幸、苦労を経験していない人間には、人の気持ちなんて分かり
ませんし、人生の本当の味わいは「不幸」「悲しさ」「ストレス」とか
にあるのかもしれないです。適度なストレスは、人生のスパイスに成り
ます。「不幸」「苦労」こそ、人間を鍛え、磨きます。試練を乗り越え
られない者に、試練は訪れないと思います。だから、頑張って乗り越え
れない試練なんて世の中にありません。

恵まれすぎた環境で、何でも買ってもらえ、何不自由なく過ごし、
わがままが通って、怒られる事も無い環境で育つと、人間をダメに
し、社会に放り出されると「何にも出来ない」という社会不適合人間に
成ってしまいます。

家庭や学校や地域では「社会、世の中に巣立つ人間を育てる」のが
子育てだと思います。子供をペットのように甘やかしたり、
親の資質が無い人間が親の真似事やってるようじゃ、社会不適合な
脱力系無気力若者が増殖しても仕方がないです。

人生で最も重要な事は、僕は「夢」だと思います。
昨日の夢は、今日の希望で、明日の現実です。
夢を持ち続けていると、現状は輝き、未来への期待や希望が生まれ
ます。常に夢追い人とし、夢の過程に身を置く事で「生きている」と、
実感出来、充実した人生を歩めると信じています。
人生欲が無くなったら終わりです。選択と決断の連続が人生です。
毎日がターニングポイント(人生分岐点)です。

何事も常に完璧な結果ばかりが得られるものではありません。
完璧では無かった事に悔やんでばかりいて現状で止まるよりも
1度気持ちをリセットし次に進んだ方がポジティブでいいです。

日本人は、終わった事に対してグジグジ反省し、後悔し、自己批判
する人が多いです。また、自分の不幸をやたらと周囲に相談しまくる
人もいます。自分の心のウミを出し、スッキリし、自分と違う尺度の
アドバイスを受ける事で思考を深めるのかもしれませんが、僕には
理解出来ません。僕は深い付き合いの友人もいますが、悩みの
相談って殆どしません。何故なら、僕が悩み苦しんでいる状況を
他人に話しても10%も伝わらないでしょうし、深層心理まで親身に
なってくれるか分かりません。それに、僕は天の邪鬼ですし、自己中
なので、人のアドバイスや意見を聞き入れる度量がありません。
すなわち、僕が納得出来る解決策や、アドバイスは自分で模索する
のが一番だと知っているから、あえて他人の意見を求めません。

今という時代は悩める子羊も多く、スピチュアルカウンセラーや
占いや、診療心理カウンセラーなどに相談する人も多いようですが、
相談する人の気持ちが全く分かりません。例え、相談事のプロとは
言え、そんな縁もゆかりもないような人に、自分の一番ナイーブな
部分をさらけ、気休め程度のアドバイスを受けるなんて、僕には
到底理解出来ません。

「幸福」「不幸」なんて自分の思考が作り上げるものに他ならない
です。見切り発車でも、ハッタリでもいいですから、自分の思考
ぐらい自分でコントロールしないといけません。
同じ事柄でも人によっては感動し、人によっては無関心なもの
です。無感性ぎみでは、人生は面白くありません。

感受性を豊かにし明日を変えるのも自分、幸せ馴れをし幸福感を
感じずに当然と思うのも自分です。

当たり前にある、現状の「幸福感」の尊さを感じずに日々過ごして
いる人は、その「幸福感」を失って初めて「それが幸せであった」
と、気づくものです。

日々の生活で、何故?どうして?と、周囲を観察して、疑問に
対する答えを探し続けている人は、いつまでも感受性が豊かです。
でも、大人になると、「それはそうあるもの」とか型にはまった
考えに固定していきつつあるので、物事の探究心や貪欲さが
低下します。それだけでも、ワクワク感などが変わってきます。


僕達の世代は悩みが多いのか、頻繁に相談にのったりしています。
同世代の悩みを色々聞き、ひとつ暴言を吐きます。
「正直、どうでもいい。何て下らない事で悩んでいる・・・」
と思ってしまいます。

悩みで一番多いのが「刺激の無い生活」「毎日、同じ生活の繰り返し」
「毎日に感動が無い」「平凡で退屈」とかです。ハッキリ言って、
こんな贅沢な悩みはありません。人生のドン底に落ちると、その
平穏無事に日々暮らす事の尊さに気づくはずです。大きな悲しみや、
取り返しのつかない失敗が無く、五体満足で、衣食住に恵まれて
いて「不幸」なんて言っている、幸せ馴れの「悲劇のヒロインごっこ」
に付き合うののは、面倒くさいです。単調、平均、普通で十分です。

何でも「当然」の発想から「尊い」発想に切り替えるだけでも、幸福
感は増します。抽象的表現が多かったので、最後ぐらい具体的に書きます。

「両親がいるのは当然ではないです」亡くして親の有難さや、親の愛を
知ります。

「衣食住に困らないのも当然じゃなりません」全世界では
10億人以上が貧困、飢餓に苦しんでいます。あれが旨い、これがマズイ
とか言い、お洒落をし、インテリアとかにこったり、明らかに幸せな
毎日です。

「五体満足も当然じゃありません」生まれながらや、突如、病気や事故で
身体障害者に成ったり、精神的に障害をかかえたりします。健常者である
「普通」が出来る事は幸せです。

また、ヤクザに追われたり、命を狙われたり、悪友から絡まれたり、
友人の連帯保証人で借金をかぶったり・・・とか、そういった不幸の
ドロ沼にはまっていない人は「幸福」です。

小さな幸せを積み重ねるだけでも、寝るときに充足感を味わえます。
例えば、朝小鳥のさえずりで爽やかに起きて、晴れ渡る空に幸福感を
感じ、街路樹の花に幸福感を感じ、コンビニの店員さんが明るくかわいい
子でラッキー感を味わい・・・とか、ささやかな幸せを、幸福だと感じれ
る方が人生明るいですね。

散々、幸福の種が転がっているのに、全て見逃すような人もいます。
そんな人は、幸せも追っ払うんでしょうね。他人が親切にしても
「偽善者」「裏がある」「下心がある」「恩をきせられたくない」
「借りをつくりたくない」「見返りを期待した善意だろ?」とか、
素直に人の好意を受け入れられない人がいます。そういう人は
幸福感に臆病なんでしょうね。