人間の幸不幸は人間関係により大きく影響されます。
でも、人は自分の思うようには動いてくれないものです。
「こうあるべき」「こうでなければいけない」という、自分の
尺度に拘り過ぎると不愉快な思いをせざる終えなくなります。
もっと、柔軟に余裕を持って日々を過ごすと、人の意見から
得る事も多いです。
今回は、人間感情で最もアグレッシブな「怒り」につて書いて
みます。
「怒り」という感情は、なるべくなら抑えたいです。
人を憎む事や、妬む事で、後悔、自己嫌悪、落ち込み、嘆く
人は少なくないです。
怒りにより自分を見失い、怒りにまかせ、大きな損失を被る
パターンは非常に多いです。
後から、後悔するような怒りは爆発すべきでは無いです。
怒りは、誰だってこみあげますが、その怒りをコントロール
出来てこそ大人です。怒りに身を任せるようじゃ、子供や
動物と大差無いです。
取り返しのつかない一言を発して、一生引きずるような人は、
今後の人生の見境つかず一時的な感情で犯罪を犯すタイプと
同じく未熟な感情でしかありません。
「怒り」とは、人も自分も「不幸」に導く恐ろしいものです。
「怒り」で、何も見えなくなり、暴力、暴言、犯罪など犯す
タイプは低俗で野蛮であると自覚して改善する努力をすべき
です。
「怒りっぽい性格」と諦めてはいけません。誰しも感情を
コントロールできます。
「怒り」を抑える最善策は、自分の「否」を認識する努力です。
「相手のせい」「相手が悪い」としか受け取らないと、相手の
意見を聞く余裕など無く、結局、自己主張しあうだけの水掛け
論に成ってしまいます。そんな、喧嘩に、意味はありません。
怒りっぽい人は、感情コントロール出来ない自分が悪いと自覚
し、自分の努力不足、忍耐力不足、小さいことで怒りすぎる
と反省する事から始まります。
人間社会は、その場の感情を表に出すばかりでは良い人間関係
は築けません。本音と建前を推奨する気はありませんが、心に
思っても「我慢」する事で、波風が立たずに済むことは多いです。
まず、「怒り」がこみ上げても、冷静な平常心を失ってはいけま
せん。自分の感情を自分で客観視し、制御するように努めたら
大抵の場合は、喧嘩にまで発展せず、一方的な「怒り」と、なだ
める形で、僅かな時間で平穏さを取り戻します。
喧嘩を吹っかけてきたり、あからさまな挑発など、相手にしない
が一番です。売られた喧嘩を買うのが男ではありません。
売られた喧嘩をかわしてこそ本当の男です。
腕に自信がある人でも、大人にも成って、殴り合い、蹴り合い
なんて野蛮な手法で解決すべきではありません。冷静沈着に
落ち着いた口調で話し合いで解決すべきです。でも、感情的に
成り、話が通じない相手もいます。でも、暴力で解決する問題
なんてありません。相手から暴力を振るわれたら、もう大人
なんですから、立派な傷害罪として警察に訴えられます。
「怒り」をやり過ごす術を身に着けなければ、この世は生きに
くいです。
僕の父親は70歳というのに、週に何回かは何処かで喧嘩を
しなけりゃ気が済まない人です。周囲の誰からも相手にされ
なくなってもお構いなしで、後の事を考えず怒鳴り散らします。
集会などでも、父たった1人だけが反論であっても、何が何でも
自分の思い通りに成らないと気が済みません。協調性や、
妥協など父の辞書にはありません。父は、犬にも、テレビにも、
新聞にも全力で怒り狂っています。だから、庭から怒鳴り声が
聞こえたと思って、見てみると、花壇に足をぶつけたり、
カラスに怒鳴ったりしています。
物心ついた頃から、四六時中、怒りまくっている父親と暮らし
てみて、人の意見は一切聞かない人ゆえ、僕は幼少期に父への
自己主張は捨てました。とはいえ、特にご機嫌とりをした訳
でもありません。何にでも怒るので、父との会話は地雷だらけの
上を歩くようなものです。父と10分以上喋ると、必ず、怒り
だします。だから、僕は、その「怒り」を相手にしない術を
身に着けました。
僕の姉のように、悔しいからと言い返すと、何倍にも成って
返ってきて、流血戦になります。また、凶器を振り回したり
テレビを叩き壊したりするので、危険です。
だから、「お~いつもの怒りがきた・・・・」と、数分我慢して
何も反論しなかったら、父の怒りもおさまります。
父ほどの血の気が多いツワモノも珍しいです。暴走族集団を
怒りに行ったり、自分より年上のお偉いさん集団を怒鳴り散ら
したり、向かうところ敵なしです。
ただ、僕は父を反面教師で暮らしてきたので、父と間逆にばかり
生きてきました。だから、アル中的に、毎日飲んだくれている父と
違い、僕は酒を一切飲みません。
かつては、父を恨み、軽蔑した時期もありましたが、今は、そういう
人だと思い、適当に受け流し、凸凹親子で何とかやっています。
だから、僕の周囲の「怒り」なんて、小鳥のさえずり程度で、可愛い
もので、僕の感情をかき乱す事も無いので、さほどストレスにも
なりません。
人一倍、穏やかな僕の性格は、「怒り」を押し殺した生活環境から
成る物です。「怒り」が日常的に身近にあり、「怒り」に対する
嫌悪感があり、「怒り」の愚かさを散々見てきました。だからこそ
僕は「怒りは無駄」だと断言します。
とは言え、無意識にハードロック/ヘヴィメタルを求める僕の中に
は潜在的な、ドロドロした「憎悪」があるからこそ、邪悪なサウンド
に惹かれるのかもしれません。
でも、人は自分の思うようには動いてくれないものです。
「こうあるべき」「こうでなければいけない」という、自分の
尺度に拘り過ぎると不愉快な思いをせざる終えなくなります。
もっと、柔軟に余裕を持って日々を過ごすと、人の意見から
得る事も多いです。
今回は、人間感情で最もアグレッシブな「怒り」につて書いて
みます。
「怒り」という感情は、なるべくなら抑えたいです。
人を憎む事や、妬む事で、後悔、自己嫌悪、落ち込み、嘆く
人は少なくないです。
怒りにより自分を見失い、怒りにまかせ、大きな損失を被る
パターンは非常に多いです。
後から、後悔するような怒りは爆発すべきでは無いです。
怒りは、誰だってこみあげますが、その怒りをコントロール
出来てこそ大人です。怒りに身を任せるようじゃ、子供や
動物と大差無いです。
取り返しのつかない一言を発して、一生引きずるような人は、
今後の人生の見境つかず一時的な感情で犯罪を犯すタイプと
同じく未熟な感情でしかありません。
「怒り」とは、人も自分も「不幸」に導く恐ろしいものです。
「怒り」で、何も見えなくなり、暴力、暴言、犯罪など犯す
タイプは低俗で野蛮であると自覚して改善する努力をすべき
です。
「怒りっぽい性格」と諦めてはいけません。誰しも感情を
コントロールできます。
「怒り」を抑える最善策は、自分の「否」を認識する努力です。
「相手のせい」「相手が悪い」としか受け取らないと、相手の
意見を聞く余裕など無く、結局、自己主張しあうだけの水掛け
論に成ってしまいます。そんな、喧嘩に、意味はありません。
怒りっぽい人は、感情コントロール出来ない自分が悪いと自覚
し、自分の努力不足、忍耐力不足、小さいことで怒りすぎる
と反省する事から始まります。
人間社会は、その場の感情を表に出すばかりでは良い人間関係
は築けません。本音と建前を推奨する気はありませんが、心に
思っても「我慢」する事で、波風が立たずに済むことは多いです。
まず、「怒り」がこみ上げても、冷静な平常心を失ってはいけま
せん。自分の感情を自分で客観視し、制御するように努めたら
大抵の場合は、喧嘩にまで発展せず、一方的な「怒り」と、なだ
める形で、僅かな時間で平穏さを取り戻します。
喧嘩を吹っかけてきたり、あからさまな挑発など、相手にしない
が一番です。売られた喧嘩を買うのが男ではありません。
売られた喧嘩をかわしてこそ本当の男です。
腕に自信がある人でも、大人にも成って、殴り合い、蹴り合い
なんて野蛮な手法で解決すべきではありません。冷静沈着に
落ち着いた口調で話し合いで解決すべきです。でも、感情的に
成り、話が通じない相手もいます。でも、暴力で解決する問題
なんてありません。相手から暴力を振るわれたら、もう大人
なんですから、立派な傷害罪として警察に訴えられます。
「怒り」をやり過ごす術を身に着けなければ、この世は生きに
くいです。
僕の父親は70歳というのに、週に何回かは何処かで喧嘩を
しなけりゃ気が済まない人です。周囲の誰からも相手にされ
なくなってもお構いなしで、後の事を考えず怒鳴り散らします。
集会などでも、父たった1人だけが反論であっても、何が何でも
自分の思い通りに成らないと気が済みません。協調性や、
妥協など父の辞書にはありません。父は、犬にも、テレビにも、
新聞にも全力で怒り狂っています。だから、庭から怒鳴り声が
聞こえたと思って、見てみると、花壇に足をぶつけたり、
カラスに怒鳴ったりしています。
物心ついた頃から、四六時中、怒りまくっている父親と暮らし
てみて、人の意見は一切聞かない人ゆえ、僕は幼少期に父への
自己主張は捨てました。とはいえ、特にご機嫌とりをした訳
でもありません。何にでも怒るので、父との会話は地雷だらけの
上を歩くようなものです。父と10分以上喋ると、必ず、怒り
だします。だから、僕は、その「怒り」を相手にしない術を
身に着けました。
僕の姉のように、悔しいからと言い返すと、何倍にも成って
返ってきて、流血戦になります。また、凶器を振り回したり
テレビを叩き壊したりするので、危険です。
だから、「お~いつもの怒りがきた・・・・」と、数分我慢して
何も反論しなかったら、父の怒りもおさまります。
父ほどの血の気が多いツワモノも珍しいです。暴走族集団を
怒りに行ったり、自分より年上のお偉いさん集団を怒鳴り散ら
したり、向かうところ敵なしです。
ただ、僕は父を反面教師で暮らしてきたので、父と間逆にばかり
生きてきました。だから、アル中的に、毎日飲んだくれている父と
違い、僕は酒を一切飲みません。
かつては、父を恨み、軽蔑した時期もありましたが、今は、そういう
人だと思い、適当に受け流し、凸凹親子で何とかやっています。
だから、僕の周囲の「怒り」なんて、小鳥のさえずり程度で、可愛い
もので、僕の感情をかき乱す事も無いので、さほどストレスにも
なりません。
人一倍、穏やかな僕の性格は、「怒り」を押し殺した生活環境から
成る物です。「怒り」が日常的に身近にあり、「怒り」に対する
嫌悪感があり、「怒り」の愚かさを散々見てきました。だからこそ
僕は「怒りは無駄」だと断言します。
とは言え、無意識にハードロック/ヘヴィメタルを求める僕の中に
は潜在的な、ドロドロした「憎悪」があるからこそ、邪悪なサウンド
に惹かれるのかもしれません。