沢目記馬場の奥部にあたる天水氏邸の右筋を進む
途中に武家門が残っている
山の影ができるのは谷筋に沿って武家屋敷地が形成されたから。武家門に日が当たる
沢目記馬場を戻り、平山氏邸の角で西谷馬場へ
西谷馬場へ曲がるとすぐに馬場に沿って二棟の武家門が並んで建っている。背後は高城跡
秋らしく、ススキの穂が揺れていた
松尾城跡の入口の脇に建つ武家門
西谷馬場の奥に残る武家門。石垣の上の横竹もいい
西谷馬場を引き返す
ここは犬の馬場と呼ばれた。左は地頭仮屋跡の志布志小学校
志布志麓の地頭仮屋跡。現在の志布志小学校。校庭の奥に石垣が築かれている
犬の馬場から続く小渕馬場。左は若宮神社の大銀杏
立派な腕木門が見える。福山氏庭園。国指定名勝、志布志麓三庭園の一つ。
小渕馬場。若宮神社の長い石垣が続く
小渕馬場に石柱の門も残る
小渕馬場を進むと、木々の間に埋もれるように武家門が残る場所がある
阿多氏庭園
阿多氏庭園の武家門。屋根の痛みが激しそう。早めの修復を期待したいが
小渕馬場の奥にある武家門
前川を挟んだ対岸にある宝満寺跡。
前川に架かる宝満橋より志布志小学校方面を望む
(訪問記)
志布志麓の活性化のアイデアを考えてみた。
志布志城跡(内城・松尾城・高城・新城)を廻る山城ウォークラリーなんてのはどうだろう。祭りに合わせて年に1度くらい。全国から参加者を募る。山城から降りて麓でゆっくりお茶を頂いて庭園を眺めつつ、また次の山城へ登る。終わったら近くの温泉や旅館でゆっくりと体を労わる。夜は志布志湾の名物ハモや大隅半島の黒牛・黒豚を食べる。武家門が広く点在する点を逆手にとって武家門スタンプラリーなんてのもいいかも知れません。
大隅は今、どうしても交通アクセスがよくないことがあります。
しばらくすると新幹線が鹿児島~福岡開業
東九州自動車道も志布志まで いずれ開通するでしょうから 改善されます。それまでに なんかしておくと 観光振興と景観保全の両得なんでしょうけど。
旗振りをする 誰かが必要でしょうね。
一番いいのは 金に困らない 役人。
観光と文化の担当者が連携してやれば効果はあがるでしょう。
しかし いまどき そんな奇特な人材は役所にはいないでしょう。既得な人は たくさんいるようですが。
そうですねえ。トカラの日食ツアーみたいに民間にアレンジを任せると、色々面白い企画がでてくるのでしょうね。さんふらわあも上手く使えば、沢山の観光客を運んでくれるのでしょうが。
下甑島の手打はよかったですよ。洋上に武家集落の通りが延々と続くのがとても不思議な感じでした。
知たんかった。田屋敷のあたぃごわんな。
是非とも、住んでる方に邪魔にならん程度に、見ぃけいっもんそ。
あぃがと下げもした。
参考に
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/7450/1/AN00408529_1968_008.pdf
なかなか興味深い論文ですね。
既にご覧になってるかも知れませんが、第2報も興味深い内容でした。明治以後の変容。
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/7456/1/AN00408529_1969_004.pdf
個人的には100余枚の貴重な麓の写真を拝見したいですね。おそらく研究当時の昭和40年代前半の写真。鹿大の図書館で尋ねてみようかな。
正月に帰省されるのですね。
武家地区全体を歩くだけでも、いい運動になると思います。天気に恵まれるといいですね。
麓 薩摩藩
で検索をかけました。
知覧の佐多邸についての2枚の論文、
蒲生郷の 街路の成立と割り付けの論文、がヒット
します。
URLを 書くと しつこくなりそうですのでいたしません。
情報を調べるにはいい時代です。
先般の30余年前の鹿大の先生の論文を読んで
ここの 写真を見ると また 思いがひとつふたつ浮かぶ今日です。
へー、貴重な論文がネットで読めるんですね。これは便利。研究者の手による論文だから、町史とはまた違って興味深い・・・。