いよいよツアー最後の訪問地である出雲大社へ。西谷墳墓群から30分ほどの予定であったが、快晴の日曜日ということもあってか出雲大社へ向かう道路が渋滞。結局、1時間近くかかっただろうか、時刻はすでに2時近くなっていたように思う。駐車場に車を停めてまず向かったのが近くの蕎麦屋。
「やしろや」というお店。昼時を過ぎていたので店内はすいていた。
天かす、とろろいも、大根おろし入りの三色割子そば。1100円也。
Sさん、Oさんは普通の割子そば一皿(250円)を追加注文。蕎麦っておいしいのだけど、なんでこんなに高いのだろうか。そう思うと追加する気になれなかった。
さて、出雲大社は島根県出雲市大社町杵築東にある出雲国一之宮。祭神は言わずと知れた大国主大神。縁結びの神様として名高いからか、若いカップルが多く、また男だけのグループもいて普通の観光地と何ら変わりない雰囲気であった。ブラタモリでやっていたけど、出雲大社にこれだけ人が集まるようになったのは江戸時代からだとか。出雲信仰を布教させる御師と呼ばれる人たちが全国に出向いて参詣者を募り、道中や宿泊の手配をしたという。蕎麦預(そばあずかり)という蕎麦屋のクーポン券まで配られ、出雲大社は江戸時代からまさに観光地だったのだ。
鳥居(二の鳥居)もさることながら立派過ぎる石標に圧倒される。
振り返ると長くまっすぐに延びる参道が。その先にはでっかくそびえる一の鳥居。この参道を「神門通り」と呼ぶことをあとで知った。
二の鳥居をこえていよいよ境内へ。ずっと下り坂になっていて「下り参道」は全国でも珍しいらしい。
これもブラタモリで見たのだけど、元々の参道は神社の西側にあったという。そういえば出雲の神様は本殿の中で西を向いていると聞く。神様を正面に拝むために参道は西から本殿に向かっていた、というのは理に適っている。西には稲佐の浜、その先には朝鮮半島。出雲の神様はどうして西を向いているのだろうか。
この鳥居は四の鳥居。いよいよだ。初めての私はワクワク感満載。
拝殿で参拝。もちろん二礼四拍手。お賽銭は奮発して100円。
そのあと拝殿の裏へ回ると何と本殿でも拝めるではないか。なんじゃそれ。
どうしてこのようになっているのかわからないけど、普通は神社でお参りするときは拝殿の前でお賽銭を入れて鈴を鳴らしてパンパン、で終わりでしょ。本殿で直接拝めるのであれば拝殿は意味ないんじゃない?ってつまらぬ感想を抱いたのは私くらいかな。
出雲大社でぜひ見ておきたいものの1つがここに写っている。地面の赤い丸。拝殿から本殿にかけての区域は出雲大社境内遺跡と呼ばれ、平成12年から13年にかけての発掘でスギの大木3本を1組にした直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見された。この赤い丸はそれが出た場所を示していて、その丸の大きさや位置を見ておきたかった。発掘された柱の実物はこのあと隣の博物館で見ることになる。
たしかに太い。現在の本殿の高さは24mであるが、その昔は倍の48mもあったという。この太さの柱なら48mの本殿を支えることは可能かもしれないが、本当にそんなものを作ったのだろうか。「雲太、和二、京三」、二番目の東大寺大仏殿が15丈(46.6m)なので、一番の出雲大社はそれより大きいことになるから48mあったのかもしれない。でも、下の復元模型のイメージが強烈で、こんな不安定なすぐに倒れそうなものをわざわざ建てたとは思えないのだ。それこそ大仏殿のようながっしりした建物ならありと思えるのだが。
本殿の参拝を済ませたあと、ここでもう一つ見ておきたいところがあり、本殿の左手から裏手へと歩を進めた。
本殿西側の参拝所。ひっそりとたたずむ。
出雲の神様はこちらが正面なので、本来はここで拝むのが一番。でもそのことを知っている人はあまりいないようだ。ここで立ち止まって手を合わせる人はほとんどいなかった。
裏手へ回って本殿を見るとその大きさがよくわかる。
それにしてもこれだけ由緒ある神社で本殿がこんなに衆人環視の状況に置かれている神社は珍しいと思う。多くの神社は拝殿の後ろに本殿があって、その裏手には山や森が迫ってきて、その神域には容易に足を踏み入れることはできないようになっている。
私が見たかった2つ目、それは本殿裏にある摂社「素鵞社(そがのやしろ)」。
素鵞社の祭神は素戔嗚尊である。日本書紀では大国主神はその子であり、古事記においては6世孫となっている。素戔嗚尊は自らの子孫である大国主神を見守るように出雲大社の背後に祀られているのだ。ここは肩こりに効くらしく、社の裏にある岩に肩を寄せて拝んできた。
素鵞社の裏にある大きな岩。これも磐座か。
この素鵞社については当ブログ第一部「蘇我氏の出自」でも触れておいたので、是非そちらもご覧いただきたい。
出雲大社の最後は十九社。10月神無月は全国の神様がこの出雲に集まってくる。出雲大社本殿の東西それぞれに十九社があり、これは全国からやってきた神様が滞在する社で、いわばホテルのようなもの。祭神は八百萬神となっているが、19+19=38社で数が全然足りないぞ。
これは西十九社。
以上で出雲大社は終了。次は隣の古代出雲歴史博物館。いよいよ銅剣、銅鐸、三角縁神獣鏡の本物が観れるんだ。
ここでSさんがトイレへ行くという。博物館はすぐそこなので、そこで行けばいいのにと思ったけど、よほど我慢ができなかったのか近くのトイレを探すという。仕方なく歩くスピードを緩めて先に行くことにした。博物館の前で待つこと数分、いや10分は待ったか。この間に私はゆっくりトイレを済ませた。
さあ、いよいよ次の歴博でツアーのフィナーレを飾ろう。
「やしろや」というお店。昼時を過ぎていたので店内はすいていた。
天かす、とろろいも、大根おろし入りの三色割子そば。1100円也。
Sさん、Oさんは普通の割子そば一皿(250円)を追加注文。蕎麦っておいしいのだけど、なんでこんなに高いのだろうか。そう思うと追加する気になれなかった。
さて、出雲大社は島根県出雲市大社町杵築東にある出雲国一之宮。祭神は言わずと知れた大国主大神。縁結びの神様として名高いからか、若いカップルが多く、また男だけのグループもいて普通の観光地と何ら変わりない雰囲気であった。ブラタモリでやっていたけど、出雲大社にこれだけ人が集まるようになったのは江戸時代からだとか。出雲信仰を布教させる御師と呼ばれる人たちが全国に出向いて参詣者を募り、道中や宿泊の手配をしたという。蕎麦預(そばあずかり)という蕎麦屋のクーポン券まで配られ、出雲大社は江戸時代からまさに観光地だったのだ。
鳥居(二の鳥居)もさることながら立派過ぎる石標に圧倒される。
振り返ると長くまっすぐに延びる参道が。その先にはでっかくそびえる一の鳥居。この参道を「神門通り」と呼ぶことをあとで知った。
二の鳥居をこえていよいよ境内へ。ずっと下り坂になっていて「下り参道」は全国でも珍しいらしい。
これもブラタモリで見たのだけど、元々の参道は神社の西側にあったという。そういえば出雲の神様は本殿の中で西を向いていると聞く。神様を正面に拝むために参道は西から本殿に向かっていた、というのは理に適っている。西には稲佐の浜、その先には朝鮮半島。出雲の神様はどうして西を向いているのだろうか。
この鳥居は四の鳥居。いよいよだ。初めての私はワクワク感満載。
拝殿で参拝。もちろん二礼四拍手。お賽銭は奮発して100円。
そのあと拝殿の裏へ回ると何と本殿でも拝めるではないか。なんじゃそれ。
どうしてこのようになっているのかわからないけど、普通は神社でお参りするときは拝殿の前でお賽銭を入れて鈴を鳴らしてパンパン、で終わりでしょ。本殿で直接拝めるのであれば拝殿は意味ないんじゃない?ってつまらぬ感想を抱いたのは私くらいかな。
出雲大社でぜひ見ておきたいものの1つがここに写っている。地面の赤い丸。拝殿から本殿にかけての区域は出雲大社境内遺跡と呼ばれ、平成12年から13年にかけての発掘でスギの大木3本を1組にした直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見された。この赤い丸はそれが出た場所を示していて、その丸の大きさや位置を見ておきたかった。発掘された柱の実物はこのあと隣の博物館で見ることになる。
たしかに太い。現在の本殿の高さは24mであるが、その昔は倍の48mもあったという。この太さの柱なら48mの本殿を支えることは可能かもしれないが、本当にそんなものを作ったのだろうか。「雲太、和二、京三」、二番目の東大寺大仏殿が15丈(46.6m)なので、一番の出雲大社はそれより大きいことになるから48mあったのかもしれない。でも、下の復元模型のイメージが強烈で、こんな不安定なすぐに倒れそうなものをわざわざ建てたとは思えないのだ。それこそ大仏殿のようながっしりした建物ならありと思えるのだが。
本殿の参拝を済ませたあと、ここでもう一つ見ておきたいところがあり、本殿の左手から裏手へと歩を進めた。
本殿西側の参拝所。ひっそりとたたずむ。
出雲の神様はこちらが正面なので、本来はここで拝むのが一番。でもそのことを知っている人はあまりいないようだ。ここで立ち止まって手を合わせる人はほとんどいなかった。
裏手へ回って本殿を見るとその大きさがよくわかる。
それにしてもこれだけ由緒ある神社で本殿がこんなに衆人環視の状況に置かれている神社は珍しいと思う。多くの神社は拝殿の後ろに本殿があって、その裏手には山や森が迫ってきて、その神域には容易に足を踏み入れることはできないようになっている。
私が見たかった2つ目、それは本殿裏にある摂社「素鵞社(そがのやしろ)」。
素鵞社の祭神は素戔嗚尊である。日本書紀では大国主神はその子であり、古事記においては6世孫となっている。素戔嗚尊は自らの子孫である大国主神を見守るように出雲大社の背後に祀られているのだ。ここは肩こりに効くらしく、社の裏にある岩に肩を寄せて拝んできた。
素鵞社の裏にある大きな岩。これも磐座か。
この素鵞社については当ブログ第一部「蘇我氏の出自」でも触れておいたので、是非そちらもご覧いただきたい。
出雲大社の最後は十九社。10月神無月は全国の神様がこの出雲に集まってくる。出雲大社本殿の東西それぞれに十九社があり、これは全国からやってきた神様が滞在する社で、いわばホテルのようなもの。祭神は八百萬神となっているが、19+19=38社で数が全然足りないぞ。
これは西十九社。
以上で出雲大社は終了。次は隣の古代出雲歴史博物館。いよいよ銅剣、銅鐸、三角縁神獣鏡の本物が観れるんだ。
ここでSさんがトイレへ行くという。博物館はすぐそこなので、そこで行けばいいのにと思ったけど、よほど我慢ができなかったのか近くのトイレを探すという。仕方なく歩くスピードを緩めて先に行くことにした。博物館の前で待つこと数分、いや10分は待ったか。この間に私はゆっくりトイレを済ませた。
さあ、いよいよ次の歴博でツアーのフィナーレを飾ろう。