2016年6月18日、葛木神社めぐりの最後は奈良県御所市森脇にある葛城一言主神社。葛城山麓バイパスの少し西側、まさに葛城山の麓にある。すなおにバイパスを北上して行けばよかったのだが、地図をみるとバイパスを左折する交差点がなかったのでカーナビを頼りに村の中の細い道を進んだところ、神社に通じる参道入り口まではいくのだけど、そこには一の鳥居が立っていた。鳥居の下は階段と燈籠のために車は通れない。鳥居の横には軽四なら通れそうな細い道。両側の石壁や鳥居の柱に車をこすってしまうリスクを取れずに右往左往。あたりを少し回っても車を停めておく場所もなく、やむを得ずに鳥居横の道へ突入し、両側ギリギリセーフで無事に通過。帰りにわかったことだが、バイパスを北上してきた場合は、いったん右折してぐるっと回り込んでバイパスの下をくぐれば参道に出ることができたのだ。
この神社、祭神は一言主大神と幼武尊(雄略天皇)であるが、以下は、葛城一言主神社パンフレット「いちごんさん」より、と書かれた御所市の観光ホームページから。
本社に鎮まります一言主大神は、第二十一代雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩をされた時に、顕現されました。
一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられています。天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られたのであります。この大神が顕現された「神降(かみたち)」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀りするのが当神社であります。そして、『古事記』が伝えるところによると、一言主大神は自ら「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と、その神としての神力をお示しになられております。そのためか、この神様を「一言(いちごん)さん」という親愛の情を込めた呼び方でお呼び申し、一言の願いであれば何ごとでもお聴き下さる神様として、里びとはもちろんのこと、古く全国各地からの信仰を集めております。
当社は全国各地の一言主神を奉斎する神社の総本社であり、全国各地には当社に参拝するための講があり、現代にも篤い信仰を集めています。
二の鳥居。冒頭に書いたように一の鳥居は写真を撮る余裕がなかったため、二の鳥居からスタート。
参道脇の蜘蛛塚。神武天皇が葛城の高尾張邑の土蜘蛛を倒して埋めた場所と伝わる。
この階段を上がったところに拝殿。
拝殿。
拝殿前のイチョウの古木(乳銀杏)。樹齢1200年ともいわれ神木とされている。倒伏寸前のため強風の際には近づかないよう注意書きがされていた。たしかにこのつっかえ棒をはずしたらすぐにでも倒れそう。
祭神と由緒の説明。
古事記によれば一言主神は悪事も善事もひと言で言い放つ神。それが現在、ひと言なら願い事を叶えてくれる神ということになっている。昔の人は都合よく解釈したもんだ。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
この神社、祭神は一言主大神と幼武尊(雄略天皇)であるが、以下は、葛城一言主神社パンフレット「いちごんさん」より、と書かれた御所市の観光ホームページから。
本社に鎮まります一言主大神は、第二十一代雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩をされた時に、顕現されました。
一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられています。天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られたのであります。この大神が顕現された「神降(かみたち)」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀りするのが当神社であります。そして、『古事記』が伝えるところによると、一言主大神は自ら「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と、その神としての神力をお示しになられております。そのためか、この神様を「一言(いちごん)さん」という親愛の情を込めた呼び方でお呼び申し、一言の願いであれば何ごとでもお聴き下さる神様として、里びとはもちろんのこと、古く全国各地からの信仰を集めております。
当社は全国各地の一言主神を奉斎する神社の総本社であり、全国各地には当社に参拝するための講があり、現代にも篤い信仰を集めています。
二の鳥居。冒頭に書いたように一の鳥居は写真を撮る余裕がなかったため、二の鳥居からスタート。
参道脇の蜘蛛塚。神武天皇が葛城の高尾張邑の土蜘蛛を倒して埋めた場所と伝わる。
この階段を上がったところに拝殿。
拝殿。
拝殿前のイチョウの古木(乳銀杏)。樹齢1200年ともいわれ神木とされている。倒伏寸前のため強風の際には近づかないよう注意書きがされていた。たしかにこのつっかえ棒をはずしたらすぐにでも倒れそう。
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