2017年9月、福岡県福岡市東区香椎にある香椎宮を参拝。勅祭社であり、旧社格は官幣大社。主祭神は仲哀天皇と神功皇后で、応神天皇と住吉大神を配祀する。現在も勅祭社として10年に一度、天皇からの勅使の参向を受ける神社である。
博多駅からJR鹿児島本線で北へ向かい4つ目の香椎駅で下車。香椎宮の最寄駅はこの香椎駅から香椎線に乗り換えて1つめの香椎神宮駅であるが、勅使道と呼ばれる参道を歩いてみたかったので香椎駅で改札を出た。
勅使道のスタート。この右手にある小さな丘の上に頓宮がある。頓宮は神幸式のときの神輿の仮宮であるので、普段はここに神様はいない。神幸式(神幸祭ともいう)とは神霊の御幸(ぎょこう)が行われる神社の祭礼のことで、多くの場合は神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移して氏子地域内に御幸したり、御旅所や元宮に渡御したりする。
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この奥が頓宮。
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勅使道は古くは神の道として、勅使参向ならびに神幸式の時のみに使用されたという。直近の勅祭は平成27年10月9日に斎行された。
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両側に楠の並木が続く1キロほどの勅使道のゴールは香椎宮の入り口。
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香椎宮とその周辺は見どころがいっぱい。日本古代史の最大の転換点となった場所、というのは言い過ぎかな。
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荘厳な楼門。
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楼門をくぐって右手にある勅使館。
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さらにその奥には武内宿禰の像がある。
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綾杉。楼門をくぐった正面の広場に立つ神木。「綾杉」の名は杉の葉が交互に生える様を綾に例えたことによるらしい。神功皇后が三韓征伐から帰国した際、剣・鉾・杖の三種宝を埋め、鎧の袖に挿していた杉枝を本朝鎮護祈願で植えたものという。そうだとしたら樹齢は1600年以上か。
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中門をくぐるとすぐに拝殿。
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本殿は横から撮影。この構造はここだけのもので日本唯一の「香椎造」と言うらしい。
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境内を出て少し歩いたところにある古宮。仲哀天皇が熊襲征伐の際に設けた仮宮「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地。大正4年(1915年)までは仲哀天皇を祀る祠が存在したが同年に本殿に合祀されたという。
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仲哀天皇の棺を掛けたという神木「香椎」。棺掛椎(かんかけのしい)という。
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歩を進めた突き当たりにある「仲哀天皇大本営御旧蹟」の碑。
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仲哀天皇は熊襲を討とうとこの地へやってきたが、后である神功皇后に憑いた神が西の新羅を討つことを勧める。天皇はその神の教えを聞かなかったために崩御する。日本書紀では熊襲の矢に当たって死んだとも、病で倒れたとも。古事記では神託の場で琴を弾いていた天皇はそのまま息絶えたという。その現場にいたのは天皇のほかに神功皇后と武内宿禰のみ。記紀ともにこのシーンはいかにも意味深に描かれている。このあと、神功皇后は朝鮮半島へ渡って新羅との戦に勝利。凱旋帰国して応神天皇を生んだ。
古宮から歩いて5分ほどのところにある不老水。仲哀天皇・神功皇后に仕えた武内宿禰がこの泉の水を汲んで食事・酒を調えて300歳以上という長寿を保ったことによるという。
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この一帯は天皇・皇后に随行した武内宿禰が居住した地として「武内屋敷跡」と呼ばれる。
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「武内」の表札がかかっているのは、現在ここに住んでおられる方が武内さんなのか、それとも武内屋敷跡を示す案内板なのか。
途中から降りだした雨のせいもかもしれないが、香椎宮境内と古宮から武内屋敷跡にかけての一帯は千数百年まえに起こった事件を感じさせる空気だった。
博多駅からJR鹿児島本線で北へ向かい4つ目の香椎駅で下車。香椎宮の最寄駅はこの香椎駅から香椎線に乗り換えて1つめの香椎神宮駅であるが、勅使道と呼ばれる参道を歩いてみたかったので香椎駅で改札を出た。
勅使道のスタート。この右手にある小さな丘の上に頓宮がある。頓宮は神幸式のときの神輿の仮宮であるので、普段はここに神様はいない。神幸式(神幸祭ともいう)とは神霊の御幸(ぎょこう)が行われる神社の祭礼のことで、多くの場合は神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移して氏子地域内に御幸したり、御旅所や元宮に渡御したりする。
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この奥が頓宮。
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勅使道は古くは神の道として、勅使参向ならびに神幸式の時のみに使用されたという。直近の勅祭は平成27年10月9日に斎行された。
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両側に楠の並木が続く1キロほどの勅使道のゴールは香椎宮の入り口。
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香椎宮とその周辺は見どころがいっぱい。日本古代史の最大の転換点となった場所、というのは言い過ぎかな。
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荘厳な楼門。
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楼門をくぐって右手にある勅使館。
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さらにその奥には武内宿禰の像がある。
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綾杉。楼門をくぐった正面の広場に立つ神木。「綾杉」の名は杉の葉が交互に生える様を綾に例えたことによるらしい。神功皇后が三韓征伐から帰国した際、剣・鉾・杖の三種宝を埋め、鎧の袖に挿していた杉枝を本朝鎮護祈願で植えたものという。そうだとしたら樹齢は1600年以上か。
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中門をくぐるとすぐに拝殿。
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本殿は横から撮影。この構造はここだけのもので日本唯一の「香椎造」と言うらしい。
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境内を出て少し歩いたところにある古宮。仲哀天皇が熊襲征伐の際に設けた仮宮「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地。大正4年(1915年)までは仲哀天皇を祀る祠が存在したが同年に本殿に合祀されたという。
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仲哀天皇の棺を掛けたという神木「香椎」。棺掛椎(かんかけのしい)という。
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歩を進めた突き当たりにある「仲哀天皇大本営御旧蹟」の碑。
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仲哀天皇は熊襲を討とうとこの地へやってきたが、后である神功皇后に憑いた神が西の新羅を討つことを勧める。天皇はその神の教えを聞かなかったために崩御する。日本書紀では熊襲の矢に当たって死んだとも、病で倒れたとも。古事記では神託の場で琴を弾いていた天皇はそのまま息絶えたという。その現場にいたのは天皇のほかに神功皇后と武内宿禰のみ。記紀ともにこのシーンはいかにも意味深に描かれている。このあと、神功皇后は朝鮮半島へ渡って新羅との戦に勝利。凱旋帰国して応神天皇を生んだ。
古宮から歩いて5分ほどのところにある不老水。仲哀天皇・神功皇后に仕えた武内宿禰がこの泉の水を汲んで食事・酒を調えて300歳以上という長寿を保ったことによるという。
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この一帯は天皇・皇后に随行した武内宿禰が居住した地として「武内屋敷跡」と呼ばれる。
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「武内」の表札がかかっているのは、現在ここに住んでおられる方が武内さんなのか、それとも武内屋敷跡を示す案内板なのか。
途中から降りだした雨のせいもかもしれないが、香椎宮境内と古宮から武内屋敷跡にかけての一帯は千数百年まえに起こった事件を感じさせる空気だった。
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