古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

チブサン古墳

2018年02月20日 | 遺跡・古墳
装飾古墳と呼ばれる古墳がある。石室の壁や石棺に浮き彫り、線刻、彩色などの装飾を施したものの総称で、墳丘を持たない横穴墓も含まれる。 日本全国に657基があり、その半数以上が九州地方にある。とくに熊本県には全体の3割にあたる196基が存在し、その6割の117基が菊池川流域にある。つまり全国の装飾古墳の2割弱が菊池川流域にあるということだ。先に見た岩原横穴墓にある8基もそれにあたる。

今回はその中でも特に有名なチブサン古墳とオブサン古墳を見学。近くの山鹿市立博物館に申し込めばチブサン古墳の石室が見学できるということがわかったのだけど、これは1日に2回、10時と14時のみとなっていたので時間が合わずにあきらめることにして、鞠智城からまずはチブサン古墳に向けて車を走らせた。

チブサン古墳は山鹿市城字西副寺にある古墳時代後期(6世紀前半)の前方後円墳で、割り石を積み上げた石室に置かれた石棺の壁に赤、白、黒の三色で〇、△、◇などの図が描かれている装飾古墳。ふたつ並んだ〇が女性の乳房に見えることから「チブサン」と呼ばれるようになったと言われる。
この古墳は菊池川支流の岩野川右岸、標高約45メートルの平小城台地の東端に位置し、周辺には城横穴群、付城横穴群、馬塚古墳など装飾古墳が多く分布する地域である。南北に流れる岩野川の橋を西に渡るとすぐに台地を登る坂道になる。その坂道の登り始めをすぐに右折し、さらに細い急な坂を10メートルほど登っところが駐車場なので、台地の東端に位置するというのがよくわかった。

前方部の右後方から。


後円部にある石室への入り口。

山鹿市立博物館に申し込めばこの入り口から中に入って見学することができたのですが、、、

駐車場の横に設けられたガイダンス施設。


装飾された石棺のレプリカ。

右側に描かれたのが冠をかぶった王というのが一般的な解釈だけど、宇宙人とUFOという説もある。

チブサン古墳の説明。


山鹿市教育委員会が石室保存工事をした際に発掘された土器と石人。いずれもレプリカです。

チブサン古墳の石室は古くから開口されていたようで、とっくの昔に盗掘されて副葬品はまったく残っていません。石人の実物は東京国立博物館に展示されているので、近いうちに観に行きたい。

石人や石馬など石製品を持つ古墳は全国で28例あるが、そのうち27例が九州にあるという。そのなかでも熊本県は特に多く、先に行った江田船山古墳も含めて15例あるらしい。装飾古墳といい、石人の副葬といい、熊本県の古墳文化はたいへんユニークである。あきらかに畿内、大和と違う文化を持った人々が治める地域であった。

墳丘の近くで見つかった石棺。チブサン古墳の被葬者と関係ある人物が埋納されたのであろう。


この石棺を見ながら徒歩で次のオブサン古墳へ向かった。
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