学生時代から何十回と行ったことのある(正しくは車で通りすぎただけ)の奈良県の葛城地方。奥さんの高校の同窓会が開かれた2016年6月18日、車で送っていったついでに神社・古墳めぐりをしてきた。高天彦神社、高鴨神社、鴨都波神社、葛木御歳神社、葛城一言主神社、宮山古墳(既出)、孝昭天皇陵、孝安天皇陵。順に紹介していきます。
今回は奈良県御所市北窪にある高天彦神社(たかまひこじんじゃ)。
Wikipediaによると、式内社(名神大社)で、旧社格は村社。祭神は、高皇産霊神、市杵嶋姫命、菅原道真公。『延喜式』神名帳での祭神は1座。元々は当地の地主神の「高天彦」を祀ったものと推測される。社名・神名の「高天(たかま)」は一帯の地名でもあり、神話に見える高天原の伝承地とする説が古くからあるほか、高皇産霊神の神名の転訛が由来とする説、高皇産霊神の別名が「高天彦神」とする説、「高間」すなわち金剛山中腹の平地を意味するとする説がある。『万葉集』では、「葛城の高間」と詠まれた歌が知られる(巻7 1337番)。『延喜式』神名帳では宇智郡に高天岸野神社・高天山佐太雄神社が見え、いずれも五條市の金剛山中腹の神社に比定されることから、「高天彦神」を金剛山の神霊そのものとする説もある。
参道。車で登るかなり急な坂の脇にさらに急な坂道がある。
参道を登り切ったところ。ここまで車で来れるのだけど、最後はこの木立の中を歩くのがいい。
社殿。参った時にはこの社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高694メートル)が御神体だとは知らなかった。
高天原。金剛山地中腹のこのあたり一帯は奈良盆地の南部、葛城地方を見下ろす所。太陽が近くて神々しい。
「葛城の高間」と詠まれた万葉集の巻7・1337番。
車で登るに連れて太陽に近づいていくのがわかる。本殿前の並木道の手前の駐車場に車を停めて参拝と周辺の散策。山沿いのわずかな平地、高天原があったと言われたあたりを、手に届きそうな太陽の光を背に受けて歩いていると、天から神々が降りてきてこの地に住んで大和の国を治めたんだ、と信じてしまいそうになる。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
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参道。車で登るかなり急な坂の脇にさらに急な坂道がある。
参道を登り切ったところ。ここまで車で来れるのだけど、最後はこの木立の中を歩くのがいい。
社殿。参った時にはこの社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高694メートル)が御神体だとは知らなかった。
高天原。金剛山地中腹のこのあたり一帯は奈良盆地の南部、葛城地方を見下ろす所。太陽が近くて神々しい。
「葛城の高間」と詠まれた万葉集の巻7・1337番。
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |
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