あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

にわか雨右に左に逃げまどい  あきオジ

2011-08-07 20:56:23 | 日記
昭和記念公園の向日葵です。
天気予報が外れて雷鳴
そして大雨でした。
傘をもたない人が多く
慌ててました。

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物いへば唇寒し穐の風  芭蕉

秋風や桐に動てつたの霜  芭蕉

石山のいしより白し秋のかぜ  芭蕉

(芭蕉は推敲に推敲を重ねる丁寧な俳人だったようです。どうりで破綻がない調べで内容も濃いですね。でも、乱調がありませんし、内容のちじれもありません。それが大人の俳句とゆうことになるのでしょうが、私には物足りないですね。この好き嫌いは性分との相性がありますね。芸術性等という難しいことは分かりませんから、私の場合、好き嫌いが判断基準であり、名句とは二度三度ととりあげる句です。ほかの理由がありません。)

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二番目に大切なもので雨をさけ  あきオジ

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景清を汗して語る無精ひげ  あきオジ

2011-08-07 20:46:39 | 日記
昭和記念公園の向日葵です。

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昼寝さめてどちらを見ても山  山頭火

山から白い花を机に  山頭火

ほろにがさもふるさとの蕗のとふ  山頭火

ひっそり咲いて散ります  山頭火

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近松門左衛門の「出世景清」の講義を二日間かけて聞きました。
講師は講談師のように滑弁でそして、話を滑らせました。
どんなこともほどほどが身のためですね。

解説する人も教養人ですが
教養人を困らせるのは作者です。

やはり生み出すことが自分を育てる優れた方法ですね。

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雷を書いて納得ありがたき  あきオジ


向日葵がぶつかりあいし豪快さ  あきオジ

2011-08-07 20:37:24 | 日記
昭和記念公園です。
この季節だけの色合いです。

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倒るれば倒るるままの庭の草  良寛

幾重ある菩提の花を数へみよ  良寛

柿もぎの金玉寒し秋の風  良寛

(そんな季節がもうそこですね。)

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これからは盆踊りのシーズンですね。
大いに楽しみたいですね。

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秋になる季語など知らねど肌でしる  あきオジ

2011-08-07 05:28:06 | 日記
神代植物公園です。
もう、すっかり秋ですね。

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秋だからどうだなどと言いたがるのは
俳人だけではありませんね。
季節を商売にしている人はいっぱいいますね。
そして生活そのものが季節に合わせている。
それが日本人の生活なのですね。

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あれこれ食べるものはあつて風の一日  山頭火

ひとりの火の燃えさかりゆくを  山頭火

しぐるるやあるだけの御飯よう炊けた  山頭火

焼場水たまり雲をうつして寒く  山頭火

秋風、行きたい方へ行けるところまで  山頭火

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一人を生きる。今の時代のお年寄りの宿命だと思わなければいけませんね。
その覚悟を教えてくれるのが山頭火の句であり、放哉の句であるような気がしますし
良寛や蕪村の句は美しき生きる。あるいは美しく表現することの心地良さを教えてくれます。
最近、そんなことを思うことがあります。

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捨てるため言葉に替える女郎花  あきオジ

麦を刈る老婆の帽子に揚羽蝶  あきオジ

いることが気にならぬ人の野良仕事  あきオジ

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書き捨てる俳句の利きめ服用法  あきオジ

2011-08-07 05:17:48 | 日記
神代植物公園です。

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わが顔があつた小さい鏡買うてもどる  放哉

夜更けの麦粉が畳にこぼれた  放哉

井戸のほこりがぬれて居る夕風  放哉

(生活の場に見える寂しさ。それが放哉の内面なのかもしれませんね。その一人を感じるその瞬間を切り取っている。切り取って言葉にして捨てる。そんなことが中心にありますね。)

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捨てるなど未練なき句に沈み込み  あきオジ

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夏ダイヤ調べて旅するそんな午後  あきオジ

2011-08-07 05:00:50 | 日記
神代植物公園です。

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うすぎぬに君が朧(おぼろ)や我眉の月  蕪村

壬生寺の猿うらみ啼けおぼろ月  蕪村

月おぼろ高野の坊の夜食時  蕪村

(さすが蕪村の句ですね。現出する絵柄が想起されますし、美しいですね。この絵柄が出てくることが芭蕉にも多くありません。どうしてでしょうか。遠近法や配置まで思い浮かぶのが不思議です。美しいですね。)

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季語があるから俳句。でも、季語が主題を壊してしまう。季語がイメージを固定してしまい内容を寂しくする。そんな弱点があるし、時代と季語が馴染まないことも多いし、不自然なこともある。そんなことを「お約束」にしたいなら、それもいいけれど、私には興味がありませんし、俳人ではありませんから、そんなことに拘束されるみつもりもありません。でも、今は馴れる時期ですからなるべく入れています。