あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

凛として熱気を奪う女子大生  あきオジ

2011-08-27 19:23:17 | 日記
原宿も今日はイベント一色でした。

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月いづこ鐘はしづみて海の底  芭蕉

(ドビッシーのピアノ曲に同じような趣向があったことを思い出しました。いや、それだけの話です。)

入月の跡は机の四隅哉  芭蕉

声すみて北斗にひびく砧哉  芭蕉

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段々外に出て行く熱意が薄くなっていくのが分かります。
これが年をとるということなのですね。

乱舞する男と女の夏終わる  あきオジ

2011-08-27 19:13:35 | 日記
原宿のよさこいソーラン
昼近くになり
日がさすようになり
人が溢れてきました。

こんな人が集まるところに出かけれれるのは
あと何回でしょうかね。

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くりやまで月かげの一人で  山頭火

雨ふるふるさとははだしであるく  山頭火

ぬくい日のまだ食べるものはある  山頭火

雪ふる一人一人ゆく  山頭火

(単純明快、そして伏線など準備しない。だからインパクトがあるのですね。)

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轟音が弾ける森も月夜なり  あきオジ

2011-08-27 18:58:22 | 日記
原宿の「よさこいソーラン」です。
次々登場する団体も様々
でも、同窓会のような
何か温かい感じがします。

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草いきれ人死に居ると札の立   蕪村

寂寞と昼間を鮓のなれ加減  蕪村

秋立や素湯香しき施薬院  蕪村

(どれも空気が感じられていいですね。)

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真面目さは俳句にならぬ秋の空  あきオジ

2011-08-27 06:16:45 | 日記
昭和記念公園の桔梗です。

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きくの露落て拾へばぬかごかな  芭蕉

稲こきの姥もめでたし菊の花  芭蕉

草の後大根の外更になし  芭蕉

(芭蕉の句を読んでいると、現代の俳人が目指しているものが見えてくるような気がします。現代を代表する俳人(まったく思いつきませんが・・・・)の誰もが芭蕉を評価し、その精神を踏襲しようとしているのでしょうね。ですから、新聞等の俳壇でも一般俳人は、孫と病気、そして戦争を芭蕉風に観察し、技巧をこらす。そんなスタイルで「何年も推敲している」ことを味付けにするようになるのですね。それでいいのでしょうが、私のような素人には退屈で、どれがどうなのかさっぱりわからず、季語だけで十分ということになってしまいます。やれやら、同じことばかり言っているようですね。年をとると、言ったことを忘れるのです。)

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桔梗さくグローブに似て青ざめて   あきオジ


女郎花近松浄瑠璃過ぎてゆき  あきオジ

2011-08-27 06:06:08 | 日記
昭和記念公園でも秋の七草が咲き始めています。

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雨の中泥手を洗う  放哉

静かなる一つのうきが引かれる  放哉

障子に近く蘆枯るる風音  放哉

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山頭火、放哉の選んだ出家という形はいまでもあるのでしょうか。
宗教団体にそのような許容性が残っているとは思われません。
それでも、俳句にすがり、短歌に生きるしかない人が埋もれている。
そう思うことも楽しいですね。
金に余裕がある人たちがわび、さびなどと騒いで
吟行に出かけたり、疑似体験をするのも楽しいですが、
ちょっと気恥かしい。

でも、それが時代の風潮なのでしょうね。