あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

森の中歩けば雨の音ばかり  あきオジ

2011-08-22 18:18:25 | 日記
小金井公園の広場です。
どうどうとした公園ですね。
来年も桜の季節に立ち寄りましょう。

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辻堂に死せる人あり麦の秋  蕪村

麦秋や遊行の棺ぎ通りけり  蕪村

草いきれ人死に入ると札の立  蕪村

(先日もアップしましたが、今日は蕪村のこの句をアップしたい気分です。深い意味はありません。)

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「麦秋」という小津安二郎の名作がありますが
この句を読むと思いだしてしまいますね。
世代交代が始まり
地主と小作人による農業制度が崩壊するだけでなく
家父長制度も微妙に崩れていく姿を描いていますが
それとは違っていますが
蕪村の句でも
時代が流れていくことを感じますね。

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細工なし、技法も無視したぶっきらぼう
それが自分の憧れだったのですが
怖くてできませんね。
人は自分が嫌っていると主張する
その流れに近づくのですね。
不思議ですね。

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石灯籠倒れたままで夏終わる  あきオジ

2011-08-22 18:10:39 | 日記
小金井のビジターセンターです。
節電のために展示場が休館中です。
どこかおかしいですね。
いい子になるためには過剰になるのです。

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倒壊した石灯籠がそのまま放置してあります。
理由があるのでしょう。

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道がなくなり落葉しようとしてゐる  山頭火

あるけば草の実すわれば草の実  山頭火

さて、どちらへ行かう風がふく  山頭火

へふはここまでの草鞋ぬぐ  山頭火

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胸たたく撫子の花盛りなり  あきオジ

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川柳と名づけし人の温かさ  あきオジ

2011-08-22 17:59:33 | 日記
小金井公園の農家
威風堂々とした茅葺屋根
それも時代ですね。

唐招提寺の補修復元の作業を取材したテレビ番組を見ましたが
建立までのプロセスを想像すると半端じゃありませんね。
職人の世界はいいですね。
名はなくても建物は残るのですから。

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ほととぎす大竹藪をもる月夜  芭蕉

時鳥啼や五尺のあやめ草  芭蕉

木がくれて茶摘も聞くやほととぎす  芭蕉

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芭蕉の完成度の高い句は、即興性とか破綻がないので、予定調和の退屈さがありますね。
でも、俳句の代表的人物ですから、迂闊なことを言ったら不敬罪に処せられてしまいますね。


あれもこれもいっしょくたに流れゆき  あきオジ

2011-08-22 05:58:56 | 日記
小金井公園です。
こんな風景はまだ残っていますね。

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稲づまや浪もてゆへる秋津しま  蕪村

いな妻や秋津しまねのかかり舟  蕪村

稲妻にこぼるる音や竹の露  蕪村

(俳句とは自然観察を摸した虚構である。そう思うのが自然ですし、そうでなくちゃ面白くありません。巧みな嘘というか、自然を自然のままに表現するためには虚構が必要なのだ。そう思うのです。芭蕉もそうですし、蕪村はそれを絵画的手法で構築した。そんな気がします。どうなのでしょうか。上記の句などその例かもしれませんが、そんな研究は素人がすることではありませんね。)

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最初の三年俳句に馴れるようにと自分で決めています。そろそろ一年過ぎますが、あと二年はあれこれ句を跋渉しようと思っています。それがいいかもしれません。でも、そんな予定など今日だけのことで、明日になれば、そんなことを考えていたことすら、忘れているかもしれません。

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恨みごと諦めになる秋の空  あきオジ

2011-08-22 05:44:38 | 日記
小金井公園です。
この看板が懐かしい方はそれなりの年ですね。

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昼めし云ひに来て竹藪にわれを見透かす  放哉

皆働きに出てしまひ障子あけた儘の家  放哉

落葉へらへら顔をゆがめて笑ふ事  放哉

(この句を発見して、笑いました。屈折しながらも冗談のない放哉の句、その中で笑えるのか笑ってはいけないのか、迷う句ですね。でも、迷ったときは、、読者勝ち。それがいい。読みたいように読む。)

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雨ふりを気にもかけぬ男あり  あきオジ

2011-08-22 05:34:28 | 日記
小金井公園の夏です。

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松はみな枝垂れて南無阿弥陀仏  山頭火

(山頭火も放哉も晩年の句が「・・・らしい」句が多く、いいですね。いつか出家前の句も再評価されるかもしれませんが、今は、出家後の句がいいですね。丁寧に読めば劇的変化のあった状況を読みとるができるかもしれません。でも、そのようなことは研究者にお任せしておきましょう。)

松風に明け暮れの鐘撞いて  山頭火

(この二句は「定本 種田山頭火句集」大山澄太編の冒頭に並べられた句です。それなりに意味があるのでしょうね。)

ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる  山頭火

生死の中の雪ふりしきる  山頭火

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