あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

汗ふきてまた繰り返す鬼ごっこの  あきオジ

2011-08-11 19:03:42 | 日記
みなとみらいのエスカレーター
イベント会場への登り口のようなわくわく感があります。

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鮒ずしや彦根の城に雲かかる  蕪村

寂寞と昼間を鮓のなれ加減  蕪村

出家して親王(みこ)ます里の若葉かな  蕪村

(こんな句にも馴れなくてはいけないですね。まだまだ解説を利用しないt、内容が理解できません。まあ、そんなものですね。)

閉じ込めて見世物余生の日本丸  あきオジ

2011-08-11 19:02:12 | 日記
みなとみらい名物の観覧車
そして帆船「日本丸」です。

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お日様のぞくとすやすた寝顔  山頭火

(山頭火も「すやすや」という言葉を選ぶのですね。それが面白いと思いました。)

落葉ふんで豆腐やさんが来たので豆腐を  山頭火

枯れゆく草のうつくしさにすわる  山頭火

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山頭火の語法も時代が過ぎると通じなくなるでしょうし、時代背景が読みとれないと意味不明な句が多いですね。結局のところ俳人は「不変性とは何か」という問いかけに対する答えのように句を作るのですね。)



教会に這い上がらんと蔦のさき あきオジ

2011-08-11 19:00:49 | 日記
日本大通りの教会です。

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虻出でよせうじの破の五月晴  一茶

浅間から別て来るや小夕立  一茶

(この時代の人は自然現象を表現する言葉をいっぱいもっていたのですね。なるほど。新しい発見です。)

夕月やうにかせがせて茶碗酒  一茶

(この句にでてきる「う」が「鵜」であることに気づかないと何も分からない。それが時代のずれなのですね。堅実な情報であれば伝わりますが、そうでないと意味不明なまま埋没する可能性がありますね。まあ、今の流行が10年先の古典とはいけませんからね。9

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武満徹の作曲した曲を集めたコンサートを録画した番組を見ました。
西洋の隙間なく埋め込む絵画と多きく違い、描かない余白を大切にするような作曲法なのですね。日本人だからでしょうか、自然に入ってきますね。





ぎらつきを団扇でさえぎる甲子園  あきオジ

2011-08-11 06:07:37 | 日記
みなとみらいです。
豪華客船です。

なぜか、乗ってみたいという気持ちにはなりません。
早く、家に帰ることばかり考えています。

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死んでしまえば雑草雨ふる  山頭火

風鈴の鳴るさへ死のしのびよる  山頭火

おもひおくことはないゆうべの芋の葉ひらひら  山頭火

(病気中の弱気な気配を感じる句ですね。いろいろなことがあり、それを言葉にして置き換える。そんな俳句の特性が見えてきますね。)

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せいぜい、出歩かないようにするしかありません。
それでいいのか、どうか分かりません。




何もかも中途半端で西瓜食う  あきオジ

2011-08-11 05:54:46 | 日記
みなとみらいです。
暑い日が続きます。
そんな日はお絵かきです。

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燃立て貌はづかしき蚊やり哉  蕪村

蚊遣して宿りうれしや草の月  蕪村

(蕪村が「うれし」と使うと独特の雰囲気が広がるのが不思議です。いつくも句を読んでいると、香りのようなものが残り、それが余韻として伝わってくるのでしょうか。)

僧とめて嬉しと幮(かや)を高う釣り  蕪村

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何もかもあせることなしの昼寝かな  あきオジ

2011-08-11 05:44:40 | 日記
みなとみらいです。
どこに行っても
そこで暮らしている人がいることを分かります。
当たり前が見えるから楽しいのです。

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三日月に地はおぼろ也蕎麦の花  芭蕉

三ケ月朝顔の夕べつぼむらん  芭蕉

名月や北国日和定なき  芭蕉

(芭蕉が毎日のように月を見ていたというより、江戸時代の夜は照明もないので、明るく輝くのは月だった。そう思うのが時代にあっているような気がします。また、繰り返しますが、芭蕉は自然を凝視した俳人というより、自然を素材として構築した虚構を俳句にした人だった。だから、独自の俳句にすることができた。そんなことを思うのですね。)

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