あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

彼岸花身じろぎせず咲きにけり  あきオジ

2010-09-25 17:37:51 | 日記
巾着田の彼岸花です。
今日は曇り空でしたが写真は撮れました。
でも人はいっぱいでした。
花を楽しむ人たちの表情はいいですね。
飲み屋で愚痴を言いあったり
密室であれこれのことを相談する
そんな人には似つかわしくない
ところかもしれませんね。

それはそれ、大いに楽しんでください。

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お彼岸のお彼岸花をみほとけに  山頭火

彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり  山頭火

(花もちがいいのか植物生態に疎い私には見当もつきませんが、彼岸花は仏花として堂々としていていいような気がしますが、見かけませんね。何か理由があるのでしょう。それとも配慮すべき理由があるのでしょうかね。)

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極楽ね導いてくれるか曼殊沙華  あきオジ

2010-09-25 05:39:36 | 日記
里山の風景はいいですね。
夢があるし
物語ができそうだし
何もできない私は
楽しませてもらうだけ

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飛行機で空から日本の風景を映すだけの番組
ローカル電車が走る風景を映すだけの番組

早起きすると、そんな番組を見ることができます。
それが何よりの楽しみです。

今日は沖縄を空撮してました。
美しいですね。

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澄太君と

枯草あたたかうつもる話がなんぼでも  山頭火

(山頭火の句を読んでいると、いつのまにか一緒に旅している気になってしまいます。特に四国はいいですね。四国の遍路道は大かた見当がつきますし、山頭火が一時暮らしていた熊本、そして、放哉ゆかりの小豆島にも出かけました。ですから、山頭火があるいた道筋の輪郭はなんとなく見えているので、絵柄が想像できるのです。ただ、山頭火を追う旅ではなく、観光の旅だったのが残念ですが、それはそれ、また機会があったら出かけましょう。そのときは、西行と山頭火の足跡をたどる旅です。長生きしなくちゃね。)

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悲しいこともあったけど
過ぎてしまえば笑いごと

でも越えられない山もありました。

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彼岸花隠しごとさえありて咲く  あきオジ

2010-09-25 05:10:28 | 日記
野仏のちかくで咲いている。
何か曰くがありそうな
そんなとき彼岸花ではなくて
「曼殊沙華」が似合いそうですね。

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葛咲くや嬬恋村の字いくつ 石田波郷

(キャベツの産地というようり、とにかく広い場所です。圧倒的な雰囲気が好きです。この句をみつけて、「ああ、そうだったのだ」と思いましたね。
私には、句の良しあしなど分からない。分からないことで臆病になるつもりはありません。自分が分からない句には興味が持てない。自分がいいと思った句は自分にとっていい句である。それだけなのでが、最近はいいとか悪いとか気にならなくなりました。いいと思った句がつまらなく感じたり、その逆があったりするからです。ですから、今日、書きだした句が今日の句であるのです。)

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「折々のうた」に取りあげられる句や歌は、選ばれた作品だけあって、品格がありますし、古典を踏まえた作品も多いですね。だから、私は疲れます。ときおり登場する柳多留の「ほっと」感がいいですね。

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巾着田にまた出かけましょうか。
彼岸花の季節になったら彼岸花で楽しむのです。

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野にいけば野の暮らしあり蝉時雨  あきオジ

2010-09-25 04:49:16 | 日記
巾着田の風景です。

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うつくしや年暮きりし世の空  一茶

一年が終わる。日は暮れて夜空は晴れている。末期の空とでもいうだろうか。なんともいえぬうつくしさだ。(金子兜太)

一茶がつかう「うつくしい」といのは透明感があっていいですね。芭蕉がストレートに美しいと言いだすと、「ちょっと違うじゃないの」とおもうし、蕪村なら「別の言い方ないの」になってしまうのですが、一茶が使うと、「いいですね」になってしまう。そんな気がしますが。

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考えることの大部分は
いいわけだった。
そんな気がします。
誰にしているいいわけなのか
それも分からないで・・・

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蟹顔になればなるほど曼殊沙華  あきオジ

2010-09-24 18:02:12 | 日記
巾着田の曼殊沙華です。
以前はあの「赤」が嫌いでした。
生臭い色合い、そして生々しい茎のいろとの組あわせが
なんとも不気味で苦手でした。
今でも、同じですね。
どうしてでしょうかね。

かつて、葬具屋で葬式用の造花の色が大の苦手でした。
あのぎとぎとした色を見るとぞっとした気分になりました。
あの色も苦手でした。

それからセルロイドの風車のいろも
嫌でしたね。

どうして、そのようになったのでしょうかね。
好き嫌いは不思議なもので、いつ、そうなったか分からないし
どのように嫌いなのか、それも説明できません。

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鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉  蕪村

(蕪村の中には「歴史絵巻」とも言える句が多いですね。この句は、いろいろなところで登場しあれこれ評論されていますが、正直なところ、よく分かりません。ただ、絵柄として面白いし、このような俳句があったのかと驚くばかりです。)

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丸谷才一「横しぐれ」を読みました。
山頭火を素材にした謎解きのような小説ですが
年のせいでしょうか
感動もなく
ずいぶん、昔の小説だなと思っておしまいでした。
この作家、現代の流行なのでしょう。

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曼殊沙華傘が重なる川むこう  あきオジ 

2010-09-24 17:48:59 | 日記
雨の中曼殊沙華を楽しみにしてやってきた物好きな人たち

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老いたりないるかうしろへさす団扇  一茶

(ひょいと気づいたら、背中のほうに団扇をさして歩いていた。年寄りくさくなったものだ。いやだねえ。金子兜太訳)

(現代人ならさきほど薬をのんだか、のまなかったの記憶が飛んだり、眼鏡をおでこに引き上げながら、懸命に眼鏡を探していたり、いくらでも思いつく。それを句にすることができるから一茶はたいしたものだ。「軽く表現している」ように見せることがさらにすごい。)

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毒にない笑顔を浮かべるなど至難わざです。
それほど人は日々傷つき
鬱屈してしまっているのですね。

だから、単純がいい。


曼殊沙華ここもここにもどこまでも   あきオジ

2010-09-24 17:40:04 | 日記
巾着田の曼殊沙華です。
同じ姿なのでスタンプで押したような単純さになってしまいますが
それでいいのだと思えば
それなりに楽しいものです。

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本山寺

秋の水をさかのぼりきて五重の塔   山頭火

濡れて荷物のさらにおもたく、旅  山頭火

わが旅のさみしさはゆがんださかづき 山頭火

(語調が大きく崩れない句に出会うと、何となく説明をたっぷり利いた安心感があります。
不思議ですね。山頭火が俳句の道に入るからには、どのスタイルがよいのか迷いもあっただろうし、それなりの主張もあったのでしょう。その結果として、山頭火の世界と表現スタイルが生まれたのでしょう。)

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秋の風冥土の旅はひとりきり  あきオジ

2010-09-24 05:54:17 | 日記
巾着田の流れ
このような流れ葉を楽しむことも少なくなりました。
景色が変われば思い出も変わる。
見ている景色で心も変わるのですね。

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涼しさや鐘を離るる鐘の音  蕪村

(極めて技巧的であり、象徴的な表現なので、プロの方なら、あれこれ説明が可能なのでしょうが、素人の私には好みでしか、言えません。この鐘をモチーフにした句には素敵なものがありますね。このように好きな句を増やすのも大切なことかもしれませんね。)

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川の流れをみていると
同じようで同じでない
でも同じに見える不思議さを思います。

でも、気がつけば日は西に落ちようとしているのです。

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「鬼平犯科帳」に出てくるならずもの
悪人づらしているのも疲れるだろうし
用心棒らしい生活を維持するのも大変だろう
毎日、何をしているのだろうか

毎回、同じことを繰り返し、気にしています。

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曼殊沙華修羅を迎えるときになり  あきオジ

2010-09-24 05:44:32 | 日記
巾着田
一面赤く燃える。
そんな異様さが見えます。

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空たかくべんとういただく  山頭火

光あまねく御飯しろく  山頭火

(山頭火昭和5年の句です。穏やかで、特段の感慨もなく、そんな平和な句ですね。これも山頭火あれも山頭火、どちらもどちら。どちらも含めて山頭火。人の表裏は見えて見えない不可解さ。)

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御仏に頬づりうれし曼殊沙華   あきオジ

2010-09-24 05:29:41 | 日記
巾着田の曼殊沙華です。
道筋、道祖神もあり
楽しいところでした。

また、土曜日か、日曜日出かけます。
人恋しいのか
人がいっぱいの日も嫌いではなくなりました。

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旅立ち

親里はみえなくなりて秋の風  一茶

(郷里の信州から旅に出るときの句でしょうか。当時の旅は一年、二年という長旅もあったようです。二度と戻れぬ故郷かもしれないと思うと、今とは違った感慨をもったのでしょう。振り返ってみている絵柄を想像させます。素朴で明快でいいですね。)

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他の人と比較して自分を見る。
そんなことが少なくなりました。
長い時間がかかりました。

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