2/13(水)-2℃
立春を過ぎたといっても暦の上だけ。まだまだ寒い日が続いています。
おはようございます。
職場の窓の外を見ると、海側が明るい空、山側がグレーの雪雲になっているのがはっきり見えます。自宅庭先の路面には、10cmくらいふんわりとした新雪が積もっていて、ポッポポッポと降り積もっていました。出勤途中にある道路電光表示板も凍結注意を呼びかけるテロップが流れていたし、凍結防止剤がいたるところに撒かれてました。早朝の出勤時に事故があってはいけないからと気を利かせたドライバーにただ感謝の念でいっぱいです。そうそう、今朝の道路標示温度、市内にある表示板が-3℃を表示、湯来よりも寒いことに驚いてしまいました。お出かけの際は、お気をつけください。
明日は、聖バレンタインデー。
女性から男性に向かって恋を打ち明けてもよい日とされ、日本では女性が愛の印にチョコレートを贈る日になってます。とは言え、この習慣がスタートしたのは1958年(昭和33年)にメリーチョコレートが東京・新宿の伊勢丹で販売促進を目指してキャンペーンを展開したのが始まり。
ヨーロッパでは、愛の日としてケーキや花などを贈り合うようです。さて、あなたはチョコ派?それともフラワー派?いただけさえすれば、どちらだっていいですよね。どちらでも、いや、優しい言葉だけでも何でもOKです。(要は気持ちです)
湯来に伝わる民話「葛原(つづらはら)の大木」
むかし、むかし、砂谷葛原(旧湯来町の南部、五日市との行政界あたり)から河内を越す山の上にとても大きな杉の木が立っていました。それは、雲を抜き影は遠くに届き、近くの村々は日陰になり、田畑の作物はさっぱりできませんでした。
また、この木は夜になると不気味な光を放ちました。遠く五日市の沖合いで漁業するのにも妨げとなっていました。そこで、切り倒してしまおうという話もありましたが大杉は樹の主で、さわると「たたり」があるというので切る人はいませんでした。大杉はさらに大きくなって日陰が広がり作物ができないので暮らしに困る人が多くなってしまいました。
そこで、葛原の次郎太という勇気のある木こりさんが「村人のためになるのなら、どんな祟りでも受けよう」と、皆が止めるのを振り切って斧を担いで登って行きました。
次郎太は、大杉の根元をめがけて「えいさ、えいさ」と斧を打ち込み、せっせと切り続けましたが大杉はいくらも切れないまま日が暮れてしまいました。「こんなことで、くじけてたまるか」次郎太は山小屋を作りそこに泊り込んで毎日切り続けました。
何日目か、大杉の根元を半分以上切ったときです。メリッ、メリッと大地も裂けんばかりの音をたてて大杉は倒れました。それはものすごく、次郎太の体は木っ端微塵に砕け飛び散って死んでしまいました。
次郎太のおかげで村の作物はよく実るようになり、漁業をする人たちの妨げもなくなりました。村人たちは、大杉のあったところに祠をつくり、山仕事をする人の守り神として奉ったということです。
この民話に出てくる名称が今も地域の集落名として残っています。大杉が倒れて樹の葉が飛んだところを「棡(ゆずりは)」、木の先立ったところが「木末(こずえ)」、木の中ほどを「中伏(なかふし)」といい、木の立っていたところを「大杉」と言うようになりました。さて、地図上でどれだけ探すことができるでしょうか。
以前、日本昔話と言うTV漫画があって、似たようなストーリーがあるもんだなあと思ったもんです。皆さんの地域にも、類似の民話があるかもしれませんのでお年寄りに聞いてみてください。こうした民話を語り継ぐことが大切じゃないかと最近思ってるんです。投稿をお待ちしております。
立春を過ぎたといっても暦の上だけ。まだまだ寒い日が続いています。
おはようございます。
職場の窓の外を見ると、海側が明るい空、山側がグレーの雪雲になっているのがはっきり見えます。自宅庭先の路面には、10cmくらいふんわりとした新雪が積もっていて、ポッポポッポと降り積もっていました。出勤途中にある道路電光表示板も凍結注意を呼びかけるテロップが流れていたし、凍結防止剤がいたるところに撒かれてました。早朝の出勤時に事故があってはいけないからと気を利かせたドライバーにただ感謝の念でいっぱいです。そうそう、今朝の道路標示温度、市内にある表示板が-3℃を表示、湯来よりも寒いことに驚いてしまいました。お出かけの際は、お気をつけください。
明日は、聖バレンタインデー。
女性から男性に向かって恋を打ち明けてもよい日とされ、日本では女性が愛の印にチョコレートを贈る日になってます。とは言え、この習慣がスタートしたのは1958年(昭和33年)にメリーチョコレートが東京・新宿の伊勢丹で販売促進を目指してキャンペーンを展開したのが始まり。
ヨーロッパでは、愛の日としてケーキや花などを贈り合うようです。さて、あなたはチョコ派?それともフラワー派?いただけさえすれば、どちらだっていいですよね。どちらでも、いや、優しい言葉だけでも何でもOKです。(要は気持ちです)
湯来に伝わる民話「葛原(つづらはら)の大木」
むかし、むかし、砂谷葛原(旧湯来町の南部、五日市との行政界あたり)から河内を越す山の上にとても大きな杉の木が立っていました。それは、雲を抜き影は遠くに届き、近くの村々は日陰になり、田畑の作物はさっぱりできませんでした。
また、この木は夜になると不気味な光を放ちました。遠く五日市の沖合いで漁業するのにも妨げとなっていました。そこで、切り倒してしまおうという話もありましたが大杉は樹の主で、さわると「たたり」があるというので切る人はいませんでした。大杉はさらに大きくなって日陰が広がり作物ができないので暮らしに困る人が多くなってしまいました。
そこで、葛原の次郎太という勇気のある木こりさんが「村人のためになるのなら、どんな祟りでも受けよう」と、皆が止めるのを振り切って斧を担いで登って行きました。
次郎太は、大杉の根元をめがけて「えいさ、えいさ」と斧を打ち込み、せっせと切り続けましたが大杉はいくらも切れないまま日が暮れてしまいました。「こんなことで、くじけてたまるか」次郎太は山小屋を作りそこに泊り込んで毎日切り続けました。
何日目か、大杉の根元を半分以上切ったときです。メリッ、メリッと大地も裂けんばかりの音をたてて大杉は倒れました。それはものすごく、次郎太の体は木っ端微塵に砕け飛び散って死んでしまいました。
次郎太のおかげで村の作物はよく実るようになり、漁業をする人たちの妨げもなくなりました。村人たちは、大杉のあったところに祠をつくり、山仕事をする人の守り神として奉ったということです。
この民話に出てくる名称が今も地域の集落名として残っています。大杉が倒れて樹の葉が飛んだところを「棡(ゆずりは)」、木の先立ったところが「木末(こずえ)」、木の中ほどを「中伏(なかふし)」といい、木の立っていたところを「大杉」と言うようになりました。さて、地図上でどれだけ探すことができるでしょうか。
以前、日本昔話と言うTV漫画があって、似たようなストーリーがあるもんだなあと思ったもんです。皆さんの地域にも、類似の民話があるかもしれませんのでお年寄りに聞いてみてください。こうした民話を語り継ぐことが大切じゃないかと最近思ってるんです。投稿をお待ちしております。