先月、内田 康夫の「靖国への帰還」という小説を読んで以来、”靖国へ行かねば”という思いでここ最近を過ごしてきた。今日、こちら方面への出張があったので、始発の新幹線で上京し、お客様との打ち合わせ前に参拝。
祖父は先の大戦で亡くなっており、英霊として祀られている。父は、東京からの養子であることもあり、幼少の頃の夏休みは、毎年1週間くらいを東京で過ごし、靖国を参拝するのが当たり前だった。自分が中二まで続いたのかな?その頃は戦争や靖国神社について深く考えることは無かったのだけれども、戦争体験については、その時だけ祖母や叔母に聞くもんだから、僕の中では、なんか東京にリンクするものがある。その後、全く行かなくなって、戦後50年のお盆に一度、行ったきり。
他の神社への参拝時は、いつも「祓いたまえ、清めたまえ・・・」と呟くんだけど、そういう趣旨の神社ではないので、ホント、頭空っぽで無言で手を合わせました。このブログ内でのカテゴリー”神社・古代”ではありませんし、御朱印を頂くのも何か違うように思うし。
平日の靖国神社に人はまばらで、良くも悪くも、この国の人達の大半は、興味もなく、賛否について考えたことすら無いのだろうと思う。歴ヲタの自分も、なんか戦前・戦中の昭和史には興味が持てないというか、たぶん、そういう学校教育を受けたんだろうな。戦後レジーム、自虐史観について云々という程の知識も無いのだけど、TVや映画でも、その時代のヒーローってあんまり描かれ無いじゃん。賛否両論、いろんな意見があって当たり前だけど、日本人としてそういうことを考える時期にきているんじゃないかなと思うよ。
靖国通りを歩いての帰り道、ちょっと変なことが・・・。信号で止まっていると、背後から
「くろ○○!」
という声。振り返ると、60代後半くらいの男性。俺よりも若干身長があり、頑丈そうな感じ。周りに居た数人も俺を見るんで、たぶん、俺に言ったんだと思うけど、
”だれ!?”
全然知らない人。その男性、左手を軽く上げて右側の道をスタスタと歩き去って行かれた。誰やろ?服装も雰囲気も全然現代風の方だったので、所謂、そういうアレではないと思うのだが。