メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

コロー展

2008-06-18 21:44:20 | 美術

コロー 光と追憶の変奏曲」(国立西洋美術館、6月14日~8月31日)
 
カミーユ・コロー(Camille Corot 1796-1875)は、私、おそらく私たちの世代が中学から高校にかけて受けた美術教育で、フランス絵画の代表的なものの一つとして印象付けられた。特にクールベなどとともにそんなにどぎつくなくて、やはりヨーロッパというのは上質な文化を持っていると素直に思ったものである。
 
その後しばらくしてあまり積極的にこれらを見ない時期があったのは、もっと強い印象を必要とした若さのせいだったのかもしれない。
 
それはともかく、このようにコローをまとめて見る機会は世界的にも少ないそうで、これはいろんなことを考える上で、見ておいてよかったと思う。平日ながらシニアを中心に相当の入りで、やはり知名度は高いのだろう。
 
初期からしばらくの間に描かれたイタリアの風景、住み込んだパリ近郊の森、これらの風景画は確かに懐かしい。こうしたものを気持ちよく見たことへの懐かしさである。もっともこれは今は少し物足りない。絵のサイズが意外と小さいせいもあるが、やわらかいタッチの後期よりは集中力を感じさせる細かい描写も、これに影響をうけた先日の展覧会の河野通勢と比べても、河野の上京前3年間の方が、何か訴えかけるもの持っているようだ。
 
展覧会では、いくつかの絵に対して、それに影響を受けたと思われる後輩の有名画家の作品が並べられている。それらはコローよりは、いくつかの要素をより強く意識し、強調し、場合によっては抽象という領域にまで持っていっている。
こういうことがわかるのはありがたい。今になってみると、私からすれば、この中で、例えばシニャック、シスレー、ルノアールなどの方が、ああやはりこのあたりから絵画を好きになり、続けてみるようになったのだ、と気づかせるものが多い。
中でも異彩を放つのはルノアール、何故かこっちが歳をとるとともに、この画家の才は際立って見えてくる。
 
しかし考えてみればコローという画家が、こうして好きで描いて長い間多くの作品を誠実に生み出し、これだけの画家に影響を与えたのは大したものである。そして面白いもので、それだけでは終わらず、晩年のサイズが大きな風景画には、写生というよりそれまでの記憶から何かある理想を描いた、描きたいものを描いたと思わせるものがあり、次の時代に通じていく力も感じることが出来た。
 
後期から出てくる人物画の中で完成度の高いものは少ないが、有名な「真珠の女」(展覧会ポスター)と「青い服の婦人」は、やはり見ごたえがあった。


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