メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

R. シュトラウス「カプリッチョ」(メトロポリタン)

2012-05-29 17:40:11 | 音楽一般

リヒャルト・シュトラウス:歌劇「カプリッチョ」 (台本はシュトラウスとクレメンス・クラウス)

指揮:アンドリュー・デイヴィス、演出:ジョン・コックス

ルネ・フレミング(伯爵令嬢マドレーヌ)、ラッセル・ブローン(詩人オリヴィエ)、ジョゼフ・カイザー(作曲家フラマン)、ピーター・ローズ(劇場支配人・演出家ラ・ローシュ)、モルテン・フランク・ラルセン(伯爵)、サラ・コノリー(女優クレーロン)

2011年4月23日 ニューヨーク・メトロポリタン・歌劇場  2012年2月WOWOW放送録画

 

シュトラウス最後のオペラで1942年初演、上演機会が少ないそうだが、そのため逆に上演されれば放送されるのだろうか、見たのはこれで3回目である。最初は1990年のザルツブルグ音楽祭、次が2004年6月のパリ・オペラ座で、ルネ・フレミングは後者でもマドレーヌを歌っている。

 

伯爵の妹で若い未亡人のマドレーヌを詩人と作曲家が取り合い、詩か音楽かという議論が始まる。そこへ劇場支配人があらわれ、そう簡単なものではなく、自分たちが目に見える形で上演してこそそれらは生きると、延々議論は続いて、マドレーヌも迷う。最後は劇場支配人の提案で、それまでの詩人、作曲家、彼らの議論をオペラにするということになり、最後は舞台にマドレーヌ一人が残り、迷いとも陶酔とも諦観ともつかない甘美な歌をうたうというかたち(これがオペラならでは?)で幕は下りる。

 

パリ・オペラ座の時のブログ(上記リンク)に書いたように、ザルツブルクの公演録画を見たときに、この作ることになったオペラを実は我々は最初から見ていた、最後に気づいたとしても無理はない考えたのだが、パリ・オペラ座のものはそれが演出で強調されすぎているし、反対に今回のものはメトロポリタンらしい豪華な舞台で、演じられる世界は実に見事なのだが、何かやはり演出意図の象徴はほしいところである。

 

注意していると劇場支配人のセリフには、何かこれがそのままそのオペラということを思わせる箇所がいくつかある。

 

ルネ・フレミングはいまでもしっくりとしているけれど、ちょっと賢すぎる印象があるのはよくばりだろうか。この年齢だと、少し前に見たマルシャリン(バラの騎士)のほうが合っているかもしれない。あとは劇場支配人のピーター・ローズ、実際に話を決めていくのはこの人なんで、これだけ達者ならいいんだろうが、印象が強すぎる感もあり、難しいところである。

 

アンドリュー・デイヴィスの指揮は手堅く、この魅力的な、長い一幕(2時間以上!)のオペラをたるみなく聴かせる。それにしても最後のマドレーヌの歌もいいが、特に最初の弦楽だけの前奏曲は何度聴いてもシュトラウスの最高傑作のひとつだろう。コンサートで弦楽6重奏として演奏されることもある。

 

そして、最後に終わるときの「ちょん、ちょん、ちょん」。「カプリッチョ」でこれをやるのは執事だが、見ているものは明らかに「バラの騎士」の小姓を思い浮かべ、にやりとする。

 

それにしても、この「詩か音楽か」を1942年にパリ近郊を舞台にドイツ人のシュトラウスが作ったとは。こういう芸術至上主義(少なくともこの作品をとれば)を貫くとはなんという自信! 強引! タフネス!

戦争でもこの世界が生き残ることを念じたのだろうか。確かに戦後、音楽が復活したのをシュトラウスもみただろうし、「最後の四つの歌」(1948)は「カプリッチョ」の延長ともとれる。ただその一方、「メタモルフォーゼン」(1945年)では後悔、諦念がぐるぐるまわった。

 


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