バリトン歌手のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが86歳で亡くなった。
もう舞台、録音からは遠ざかり、指揮を少しやり教師として後輩の指導にあたる、というようになってかなりになると思う。
1925年生まれで兵役にとられたりして恵まれた音楽教育を受けたとは思われないが、トップレベルの舞台に登場したのは1950年と案外若い時期で、それもかのフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルとザルツブルグ音楽祭で「マーラーのさすらう若人の歌」という華々しいものであった。その直後にスタジオ録音したこの曲のレコードがいま手元にある。
これほど広いレパートリー、曲数の人はこれまでになかったし、もう今後も出ないだろう。バッハから近・現代の十二音・無調音楽まで、中心はシューベルト、シューマン、ヴォルフとつづくドイツ・リートだけれども、宗教曲、ドイツ以外のオペラも数多い。しかも難曲といわれるものを、正確に歌うことにかけて、この人の右にでるものはなかった。
そういうところもあったからか、たとえばシューベルトなどで、知的な面が出すぎで深い心の音楽になっていない、という音楽にうるさいひとたちも日本にはかなりいた。そういう見方も可能だが、わが国の音楽受容の極端な一面ともいえるだろう。
わたしが最初に聴いたのは中学生のころで、シューベルトの「魔王」とシューマンの「二人の擲弾兵」が入った45回転ドーナツ盤を擦り切れるまでかけていた。魔王のストーリーの情景がまさに目の前に現れるようだったし、「二人の擲弾兵」でラ・マルセイエーズのメロディーが出てくると興奮したものである。
1963年にベルリン・ドイツ・オペラが初来日したときがディースカウの初来日でもあって、まだオペラになじみのなかった私は、母親に無理をいってこの人のリサイタルだけを聴きに行かせてもらった。これが初めて行った音楽会なるものだったと記憶している。
日生劇場の舞台に出てきたとき、こんなに大きい人かとびっくりした。ピアノ伴奏はイエルク・デームスでオール・シューベルト、「魔王」も歌われ、魔王が子供に「イッヒ・リーベ・ディッヒ」と不気味に歌うところで、ディースカウの青い目が不気味に光ったのを今でもよく覚えている。
円熟してからの、といっても強烈なインパクトを受けた歌唱は、マーラーの歌曲をオーケストラとでなくバーンスタインのピアノとやった録音で、中でも「リュッケルトの詩による歌曲集」の「真夜中に」。本当に真夜中に、宇宙にただ一人という孤独感、、、バーンスタインのピアノもすごい! 彼がオーカストラを指揮したマーラーよりすごいと思う。
ところで、これだけのスーパーマン的な歌手でありながら、ディースカウは「絶対音感」をもっておらず、また少しタバコを喫った。ちょっとほっとする。