ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルシファル」
指揮:フィリップ・ジョルダン、演出:シュテファン・ヘアハイム
ブルクハルト・フリッツ(パルシファル)、ヨン・クワンチョル(グルネマンツ)、スーザン・マクリーン(クンドリ)
バイロイト祝祭劇場管弦楽団・合唱団
2012年8月11日 バイロイト祝祭劇場、 2012年8月NHK BS Preによる録画放送
バイロイト、今年の放送は「パルシファル」で、指揮が先日ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」(パリ・オペラ座)で感心したフィリップ・ジョルダンだったが、全体としては期待外れであった。
これは指揮者のせいではなく、演出のせいである。冒頭でアナウンスされたように、この中世の聖杯騎士の世界をドイツ帝国の興亡とワグナー家の変遷に読み替えた演出、こういう発想はめずらしくはなく、成功することもあるのだが、今回この「パルシファル」では、舞台の上で登場人物が多すぎ(こんなに多くなくていいはず)、視覚的にせかせかしていて、この傑作を味わうというわけにはいかなかった。
こういう物語にするにあたって、演出家はおそらくヴィスコンティの映画「地獄に堕ちた勇者ども」を知っているはずだが、この映画はもっとゆったりして恐ろしい推進力をもっていた。
この作品のなかでいくつか空間と時間を移動していく部分があり、それはモーツアルトの「魔笛」などと同様、舞台上のうごきと音楽との同期が要求されるけれども、このようなばたばたした動きでは何も感じられないものとなってしまう。
パルシファルという作品、音楽を素直に聴いているとワーグナーの他の楽劇に比べ決して難解ではない。だから観客にむけてあまりどたばたする必要はないのである。今回でも第3幕あたりからは、パルシファル、グルネマンツ、クンドリに集中できるのと、この「痛みの共有と再生」の音楽は素晴らしいから、なんとか聴いていられたが。ここでのジョルダンの指揮はよかったから、ほかでもそうなのだろうが、演出がこうだから落ち着いて聴けなかった。
主だった3人の中ではグルネマンツのクワンチョルが力を見せていて、カーテンコールもすごかった。
さてこの作品、その性格からか作曲者の指定では一切拍手なしのはずで、バイロイトそれもあのクナッパーツブッシュ指揮のころにそういう話を聴いたことがある。それはいつからか変わったようで、今回は幕間で拍手があったし、最後はカーテンコールもあった。
ところで「パルシファル」の日本初演は1967年7月22日、二期会による公演(東京文化会館)で、私はこれを聴いている。若杉弘指揮読売日本交響楽団、演出は内垣啓一だった。パルシファルが森敏孝、グルネマンツが大橋国一、アムフォルタスが芳野靖夫、クンドリが長野羊奈子だったと思う。
全体として、あのころのバイロイトつまりヴィーラント・ワーグナーの抽象的な光と影の舞台を少しわかりやすくした、色調として緑をベースにしたもののように記憶している(もちろん45年前だから確かでないが)。第2幕の最後、クリングゾルが投げた槍が多分ワイヤーで釣られていてパルシファルの上で静止したように思う。今回のバイロイトでは投げられた瞬間に暗転、明るくなるとそれはパルシファルの手に、となっていたが、これはあまり効果的ではないだろう。
なぜか、手元にはブーレーズ、カラヤン、クナッパーツブッシュと名演奏の録音が三つもあって、いずれ対訳見ながらどれか一つ再び聴いてみよう(この作品はその方がビデオみるよりふさわしい?)かとも思うが、さてどれというか、いつになるやら。