ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:ニコラス・ハイトナー
ロベルト・アラーニャ(ドン・カルロ)、サイモン・キーンリーサイド(ロドリーゴ)、マリーナ・ポプラフスカヤ(王妃エリザベッタ)、フェルッチョ・フルラネット(フィリッポ2世)、アンナ・スミルノヴァ(エボリ公女)、トマソ・マテリ(大審問官)
2010年12月11日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2012年8月WOWOW
このオペラの録音は何度か聴いているけれど、映像では1986年ザルツブルグ音楽祭でカラヤンが指揮したのを見たくらいで、それも今のような映像ではない。今回はいい条件で見ることができた。
ヴェルディの音楽は本当に充実していて、オーケストラはもちろん主要な数人の人物にも適度に長くていいアリアが与えられている。だからこちらも音楽に浸っていればいいのだが、問題は大家シラー作の戯曲を原作とするこのストーリーが、ヴェルディの音楽を盛る器としてはなんとも変なものであることだ。
フランスの王女エリザベッタとスペインの王子カルロが婚約をし二人は互いに一目ぼれになるが、途中でスペイン王フィリッポ2世がより政略的なものとして王女を後妻にしてしまう。ここまでが第1幕。
当然王妃と王の間はよそよそしいし、王子はあきらめきれない、王子の親友はフランドルを救おうという話をたきつける、そして嫉妬深いエボリ公女、、、
しかし、どうも各人の動機があまりこちらにしっくりこない。これくらいでそんなにかっかとするかなと思ってしまう。そもそも王女と王子はお互い一目みただけだし、同情するロドリーゴとカルロのあの有名な二重唱も音楽だけならいいが見ていると少し引けてしまう。
なかで唯一共感できるのがフィリッポ2世で、新妻が自分を愛していないことはわかっていて、カルロやロドリーゴの心情もわかっていて、統治者としての責任、そして大審問官の権威に苦しむ。あの有名なアリアは、このオペラの中で一番感動的だ。
そして演じるフルラネット、見事、絶品である。このとき60歳くらいで、実は1986年にカラヤンも彼を使っている。カラヤン1978年の録音はニコライ・ギャウロフだから、この役はバスにとって超一流の印なのだろうし、内容的にも歌いたいものなのだろう。
アラーニャ(カルロ)とキーンリーサイド(ロドリーゴ)は、まずまず。ただアラーニャはカルロをやるとフランス人だなあと思ってしまう。もう少し生硬な感じがあるといいのだが。キーンリーサイドは下手ではないがちょっと線が細いかもしれない。まあロドリーゴとなるとこっちのイメージがバスティアニーニとかカップチルリだから。
女性二人、歌はいいが容貌がちょっとイメージにあわない。
さて、作品がやはり長い。第1幕がカットされる上演もよくあるが、それもわからないでない。確かカラヤンのはそれである。スペイン王、王妃、王子の関係はあらかじめ知らされていれば、あの第1幕はなくてもいいだろう。
指揮のセガンは初めてだが、響きが充実していて、よく歌い、流れもたるみがない。幕間のインタビューではフランス系カナダ人で合唱指揮者から始めたとか。歌手たちから好かれているようで、メトロポリタンでは期待できるだろう。
演出のハイトナーはブロードウェイの「ミス・サイゴン」で成功したらしい。光と色の使い方はうまいが、あまり刺激的でなく、抵抗なく見ることができた。この作品が持っているもともとの無理難題、つまり最後に大審問官が出てきて、フィリッポがカルロを処刑しなくてはならないのか、というところで、その僧院に死んだはずの先代カルロ(カルロの祖父)が登場、その場が収まるように見えて終わる、というところをどう見せるかについて、この演出では皆が驚き恐れおののいて、フィリッポが弱っているカルロに手を差し伸べたように見えて終わる。
先代カルロのデウス・エクス・マキーナというのも、近代の劇としてはおかしなもので、ヴェルディのオペラでこれだけだと思う。この流れでカルロを殺しては、というのだろうが、先代カルロは声だけで本人かどうかもわからず、誰かがカルロを連れて行ってしまう、という演出もあるときいたことがある。
このあたりも、音楽だけ味わった方がと、時々思う理由である。