メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ワーグナー「ジークフリート」(ミラノ・スカラ座)

2013-05-06 16:24:16 | 音楽一般

ワーグナー:楽劇「ジークフリート」

指揮:ダニエル・バレンボイム、演出:ギー・カシアス

ランス・ライアン(ジークフリート)、ニナ・シュテンメ(ブリュンヒルデ)、ペーター・ブロンター(ミーメ)、テリエ・ステンスヴォルト(さすらい人、ヴォータン)、ヨハネス・マルティン・クレンツレ(アルベリヒ)、アレクサンドル・ツィムバリョク(ファフナー)、アンナ・ラーション(エルダ)、リナット・モリア(鳥の声)

2012年10月 ミラノ・スカラ座  2012年12月 NHK BS-Pre

 

このワーグナー「指輪」4部作、特にワルキューレとジークフリートは一度に登場する人物も少なく、2~3人の対話がほとんどだから、おそらくメトロポリタンより舞台の間口が小さいスカラの方が向いているかもしれない。今回の光の投影を主とした演出もその特徴に沿っているし、なによりバレンボイムが指揮するオーケストラの音が、大きい広がりがある音というより、もちろんすべてを出してはいるのだが、その場面で何か本質的に重要かということを丹念に表出したもので、それはバレンボイムの解釈の確かさとある意味で勇気というものである。

だから、聴くものとしては集中して音楽に浸ることができた。

 

ジークフリートとミーメの最初の場面、室内(書庫?)の本棚みたいなセットで、二人を上下に配置したりして、観客が見やすく集中しやすくしている。ジークフリートのライアンは最初ちょっときんきんする声に感じたけれど、ここはまだ幼くやんちゃなジークフリートなわけで、だんだん気にならなくなった。次の神々の黄昏も彼であればまだわからないが、少なくとも今回はこれで適役だろう。

 

さすらい人(ヴォータン)のステンスヴォルトはラインの黄金のルネ・パーペ、ワルキューレのコワリョフと比べるとちょっと小粒という感じだが、もう衰えているという前提ならこれでいいのだろうか。3つとも歌手がちがうというものも珍しい。

 

ミーメはメイクが年寄り過ぎているがまずまず、アルベリヒもこのあとまだ黄昏があるにしては年寄り過ぎた風采、こっちも歌唱はまずまず。

エルダのアンナ・ラーションは期待通り。

 

さてニナ・シュテンメのブリュンヒルデだが、ワルキューレで期待した手前、もう少し溌剌としたところがあれば、という感じがある。まあ、ここでも最後の長丁場は大変だけれど。

そしてこれは演出というか振付だが、この場面で、ジークフリートの口づけでブリュンヒルデが目をさましていくところはゆったりしていていい。しかしそのあと、最後に彼女が理解し、二人が結びついて、世界の、社会のもろもろなど破滅してしまえ、と愛の勝利で終わるまで、二人を高さのある岩の上でいそがしく動かすのは疑問。

ここは、二人のあいだのさまざまな隠喩を見事な音楽が語っていくわけで、あまり余計なことはしない方がいい。ジークフリートが最後の少し前まで、ノートトゥング(刀、「指輪」では男性の象徴でもある)を手にもったままというのも、見えすいていてどうか。

 

「ジークフリート」を聴いていつも思うのは、ここに登場する小鳥と大蛇の魅力。小鳥はもちろんだが、大蛇(ファフナー)が死んでいくときのジークフリートへの歌は、何度聴いてもいい。ここは作曲者もセンチメンタルになったのだろうか。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする