小説小野小町 百夜(ももよ): 高木のぶ子 著 日本経済新聞出版
小野小町はいろいろなところにその名前が使われている。それも小町だけというのが多く、このように名前がなんらかの象徴それも多様な、品のよしあしによらずというのは珍しい。
著者は数年前に「小説伊勢物語 業平」で在原業平を描いた。業平については伊勢物語、古今和歌集などがあり、それらを素材として書いたのだが、業平と何人かの女性との歌を使ったやりとりを中心にしながらこの人のかなり大胆な行動を描いて読ませるところがあり、その一方でもののあわれもあり、こういう世界、かたちをはじめて見ることができた。
今回の小野小町は業平と比べると歌以外の情報がきわめて少ないから、そこは作者の想像力によるところが大きいが、読者からしてそれは成功しているといえるし、満足感もある。
小町は業平とほぼ同年齢、そこで業平との交流を想像して描いていて、恋の相手というよりは歌を極める同士という設定のようである。
小町は東北の生まれ、都からこの地を訪れた小野篁(たかむら)がほれた大町との間の子、篁はすぐ帰ってしまうが少女となって呼び寄せられ、宮廷の周囲に場所を得、歌の才能を発揮しながら存在感を増していく。
篁の義理のそしてかなりわけありの弟、眼をかけられた帝との間にいた宗貞(のちの歌人僧正遍照)、それらとの苦しさもある関係、その終末、あわれが描かれている。この小説としての流れは著者の創作だろう。幼時から輝いた時期、女性として円熟した時期、そして老い、その人間像はよくは知られていない小町を小説として生かしたということは出来る。
ただ業平の時は、女性との間、歌のやり取りからが基本とはいえ、かなり大胆でダイナミックな行動が物語としての面白さにつながっている。
それに比べると、小町の思い切った行動はほぼ一度で地味とはいえる。その一度の印象は強いが。
百夜(ももよ)とは笛の代表的な曲で、小町は幼時から笛を覚え名手であったが、都に来てからは女性は笛をしないものとされていたところ、この物語のここいちばんというところで吹かれる。
小野小町はいろいろなところにその名前が使われている。それも小町だけというのが多く、このように名前がなんらかの象徴それも多様な、品のよしあしによらずというのは珍しい。
著者は数年前に「小説伊勢物語 業平」で在原業平を描いた。業平については伊勢物語、古今和歌集などがあり、それらを素材として書いたのだが、業平と何人かの女性との歌を使ったやりとりを中心にしながらこの人のかなり大胆な行動を描いて読ませるところがあり、その一方でもののあわれもあり、こういう世界、かたちをはじめて見ることができた。
今回の小野小町は業平と比べると歌以外の情報がきわめて少ないから、そこは作者の想像力によるところが大きいが、読者からしてそれは成功しているといえるし、満足感もある。
小町は業平とほぼ同年齢、そこで業平との交流を想像して描いていて、恋の相手というよりは歌を極める同士という設定のようである。
小町は東北の生まれ、都からこの地を訪れた小野篁(たかむら)がほれた大町との間の子、篁はすぐ帰ってしまうが少女となって呼び寄せられ、宮廷の周囲に場所を得、歌の才能を発揮しながら存在感を増していく。
篁の義理のそしてかなりわけありの弟、眼をかけられた帝との間にいた宗貞(のちの歌人僧正遍照)、それらとの苦しさもある関係、その終末、あわれが描かれている。この小説としての流れは著者の創作だろう。幼時から輝いた時期、女性として円熟した時期、そして老い、その人間像はよくは知られていない小町を小説として生かしたということは出来る。
ただ業平の時は、女性との間、歌のやり取りからが基本とはいえ、かなり大胆でダイナミックな行動が物語としての面白さにつながっている。
それに比べると、小町の思い切った行動はほぼ一度で地味とはいえる。その一度の印象は強いが。
百夜(ももよ)とは笛の代表的な曲で、小町は幼時から笛を覚え名手であったが、都に来てからは女性は笛をしないものとされていたところ、この物語のここいちばんというところで吹かれる。