ワーグナー:楽劇「ラインの黄金」(「ニーベルングの指輪」序夜)
指揮:ダニエル・バレンボイム、演出:ギー・カシアス
ルネ・パーペ(ウォータン)、ドリス・ソッフェル(フリッカ)、シュテファン・リュー・ガマー(ローゲ)、ヨハネス・マルティン・クレンツレ(アルベリヒ)、ウォルフガング・アプリンガー・シュペルハッケ(ミーメ)、ヨン・クワンチュル(ファソルト)、ティモ・リーホネン(ファフナー)、アンナ・サムイル(フライア)、アンナ・ラーション(エルダ)、ヤン・ブッフヴァルト(ドンナー)、マルコ・イエンチュ(フロー)
バレエ:イーストマン・バレエ・カンパニー
2010年5月26日 ミラノ・スカラ座 2011年12月NHK BS-Pre
「指輪」最初の二つがほぼ同時期にメトロポリタンとスカラで、それもこうして映像で簡単に見られる、とはなんとも贅沢な時代になったものである。あまり続けて見るというのはどうかと思い、スカラは後になった。
これも質の高い上演であって、おそらくもうバイロイトはこの二つにかなわないのではないか。
ウォータンのルネ・ハーペ、この人「ボリス・ゴドゥノフ」(メトロポリタン)で圧倒的な存在感を示したが、ここではちょっとインテリの悩める神々の長といった感じで、この物語の発端にはあっているが、ちょっと弱気な面が強調されているようにも見える。
あとここでキーになるのはアルベリヒとローゲだが、この二人はメイクの良さもあり、見た目、そして演技、歌唱、こちらに彼らの言い分がしっかりと入ってくる。アルベリヒはこれくらい強くないと面白くないし、奸計と狡猾のローゲはこの場の活躍で作品全体のしかけもわかってこようというものだ。ガマーは実に気持ちよさそうにやっている。
あとはファソルトのヨン・クワンチョル、もうこの人は先の「パルシファル」のグルネマンツなど、この数年ワーグナーでは常連になった。もう少し身長があればという以外、もう東洋人だからどうだという人はいないだろう。またアンナ・ラーションのエルダというのも楽しみである。
さてギー・カシアスの演出、光や映像の多用は今やめずらしくなく、それなりに違和感もない。裸体に近い色の衣装の男女数人のバレエが常に主要人物の近くにあり、これが人物にまとわりつく音楽に重なってくる、たとえば彼らの苦難の象徴となっている。
それと、舞台の上はそれほど大きくない矩形の凹凸が全面にあって、そこに水が張られており、それを利用したりしているが、動きにくそうだし、意味がるのかどうか。
バレエは例のアルベリヒが持っている姿を変えられる兜(かぶと? やはり頭巾に方がしっくりくるけど)も表現することになっていて、これはまあ悪くはない。
しかしTVで見ることを考えた演出という感じがあって、ゆったりと音楽に浸るという感じにならない。要するに少しうるさい。
そうなると、あの例のメトロポリタンのロバート・ルパージュの大がかりだがシンプルな大道具を駆使した演出の方が「指輪」にはあっているといえるだろう。
そういう細かい不満を払拭してしまうのがバレンボイム指揮のオーケストラ。ほかとくらべスカラのオケでワーグナーで頭抜けていいというのにはびっくりした。随所素晴らしいが、フィナーレの、この先の壮大な三夜を見通す、力強い充実した響きは、この人でも長年かけて獲得したものだろうか。
それにしても今思うのはローゲとは何者? この「指輪」シリーズが、中世の職人世界から産業革命を経て資本主義の時代に入り、その黄昏までを暗示しており、「ラインの黄金」の主要登場人物がどれにあたるというのは、わりあい素直に感じ取れるのだが、ローゲとは?
ここに出てくる主要人物で、第三夜「神々の黄昏」でも生き残るのはローゲだけである。もっとも本作ほど出番はなく、ウォータンにそしてブリュンヒルデに命じられて火を放つだけなのだが。
ローゲとは、生き抜いていくうえでの理性、知性? いずれもクレバーな衣装を身に着けた?
もしかしてワーグナーの分身?